厄介事と手紙
イスパシア魔法学園--そのとある一室で、俺レヴィ=スパーダは一人の女と話をしていた。
そいつは銀髪の幼馴染ではなく、もっと言えば知り合いですらない。ついさっき自己紹介を済ませたような間柄だ。
さて、なんで俺が突然こんなことを考え始めたのかというと、状況整理のためだ。今目の前にいるのは、全くと言っていいほどの他人。そのことを再確認するためである。
さあ、それを確認したところで今の状態を振り返ってみよう。
俺は壁際に追い詰められ、それに覆いかぶさるようにして赤の他人のこの女が密着してきている。
(……………………どゆこと???)
落ち着け、落ち着くんだ、レヴィ。
とにかく、優先しないといけないのはこいつを引きはがすことだ。でないと、体の一部が昂ぶりを主張し始めてしまう……!
「……おい、止めろ」
「何も心配することはないさ。全部僕に任せればいい」
喉から絞り出した口だけの抵抗を、目の前の女は歯牙にもかけていない。
小さな舌が覗く唇から紡がれる声は心なしか弾んでいて、彼女特有の爽やかさを残しつつも、この状況を愉しんでいる様子を表している気がする。
(やばい……変な気分になってきた……)
精神的にはオッサンなのに、実際には自制を捨ててこの状況に身をゆだねようとしている思春期の少年がいる。身体に引っ張られているのだろうか……
「いや……残念だが、こういうのには不慣れだから……」
「大丈夫さ。僕が手取り足取り教えてあげよう」
その笑みに底知れぬ不安を感じ取り、逃げ出したくなる衝動に襲われる。
一刻も早く背を向けて逃げ出したいのに、この状況と彼女の醸し出す空気がそれを許してくれない。
力づくで振り払うことも、もちろんできる。
だが、敵対もしていない女に暴力をふるうのはいかがなものかと、この緊急事態でさえ俺の良心がブレーキをかけている。
結果、俺は凍り付いたように動くことができないのであった。
「さあ、観念しなよ」
女は密着したまま、耳元でそんなことを囁く。
それは言葉の意味通りの降伏勧告だ。
(どうしてこうなった……??)
俺は無視できない存在感を放つ目の前の女から必死に目を逸らして、現実逃避気味に今朝からの出来事を回想することにした……
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朝--ベッドから起き上がる。
目をこすりながらルームメイトに挨拶して、ゆっくりと朝支度に入る。
制服の袖に手を通して朝食を食べたら、もう登校の時間だ。
カバンを担いでそろそろ歩きなれてきた道を歩きながらため息を一つ。
「眠…………」
ため息と一緒に口をついた呟きは意図して出したものではない。
無意識の呟きに、一緒に歩いていた2人が反応する。
「最近、眠そうだよね」
「大丈夫か?」
カムルス、ジークの順に心配そうに訊ねてくる。少し眠そうにしてるだけでそういう顔をする2人に苦笑してしまう。
そこまで気にしなくてもいいのに……
俺は深刻でないことを強調するために、努めて軽い調子で話す。
「ああ、大丈夫。最近何故か眠れなくてな……」
「不眠か……それはまずいな、悪化するといけない。僕の伝手で良い医者を紹介しよう。それからベッドも上質なものに改良して、ストレスがなくなるように……」
「待て待て待て!過剰に考えすぎだ」
大事に発展させようとしているジークに必死にストップをかける。これがわざとなら怒ればいいのだが、天然の発言なのでむやみに怒鳴りつける訳にもいかない。
「いや、だが……」
「まあまあ、レヴィもこう言ってるんだし……長引くようならそうすればいいんじゃないかな?」
「む……そうだな」
ジークはまだ話を続けようとしていたが、カムルスの言葉が一助になって主張を収めた。それを見て、カムルスに感謝しつつ盛大に胸を撫で下ろした。
たまにジークが見せる、俺に対する苛烈な執着は一体何なんだ?
さすがに異常な気がするんだが……
(まあ、嫌って言えば止めてくれるだけましか……)
後、過剰といえ好意を向けられているのは単純に嬉しかったりする。
これで、ジークが女だったらもっとよかったのに……残念でならない。
「あ、皆おはよう」
男3人でコントのようなやりとりをしていると、そこにアリシアが駆け寄ってきた。
「おはよう、アリシア」
「おはよう、レヴィ。今、何の話してたの?」
「あー……」
「レヴィが寝不足みたいだから、心配してたんだよ」
アリシアの質問に答えられないでいる俺の代わりに、カムルスが答える。
だが、それを聞いたアリシアは途端に気まずそうな顔になった。
「あー……そうなんだ……」
「反応薄いね……というかアリシア、目の下にクマできてない?」
怪訝そうな顔に訊くカムルス。確かに、アリシアの目の下は薄っすら黒くなっていてクマができているように見える。
「気のせいじゃないかな!今日はぐっすりだったし!」
「?……そう?」
「そうそう!」
アリシアは凄い勢いで捲し立てる。必死過ぎて不自然極まりない。
カムルスはその様子を見てそれ以上の追及を止めたものの、明らかに疑っている素振りを見せている。
(嘘つくの下手くそだなー……)
追究される原因になったのは俺だが、それにしてもひどい。
カムルスが疑っている通り、アリシアも寝不足なのだ。
そして、俺とアリシアの2人がこのタイミングで同時に寝不足になっているのは、もちろん偶然の一致などではない。
ここ毎晩、俺とアリシアは学生寮を抜け出して幼少期と同じように『密会』していたのだ。この密会だが、実はだいぶ久しぶりだったりする。
こそこそする理由がなくなったからというのも理由の一つではあるが、もっと根本的な理由が一つ。寮の警備が厳しすぎて簡単には抜け出せなかったからだ。刑務所を彷彿とさせる警戒具合だったが、2か月も経てば警備の穴の一つや二つ見つかるというもので……
その『穴』をくぐり抜けて寮を抜け出した俺たちは、学園の訓練場を借りて(当たり前だが無断使用して)魔法の鍛錬を行っていた。
こそこそしているのにもかかわらず、すぐにバレそうなところで訓練しているのにもちゃんとした理由がある。
順を追って説明しよう。
そもそも、訓練しようと思い立った発端は先日のアリシア拉致事件だ。あの件を通して、俺たちは立ち向かうべき敵の規格外の強さというのを正しく認識した。
しかも、その組織がいつアリシアを攫いに来るか分かったものではない。そのため、最低限の抵抗ができるようにするためにも早急な俺たちのレベルアップが必須なのだ。
だが、いざ訓練しようとなったところでそのための場所がないことに気づいた。魔法は失敗した時の被害がかなり大きい。開けていて、周りに何もない場所でないと安全に訓練ができないのだ。
市街にある平原でやるというのもダメだ。道中が危険すぎる。
最初に述べた通り、この訓練はウラノメトリアから身を守るための訓練だ。自ら危険を冒して訓練しに出かけたのでは本末転倒である。
で、2人でさんざん考えた結果、学園の訓練場でいいじゃないという話になった。魔法を使って遮音して訓練中の騒音をかき消し、日が昇るより前に後片付けして寮に戻るということを徹底すればそうそうバレはしない。
もし、敵の刺客がやってくれば遮音魔法を解除して助けを呼べばいい。
これが夜中の学園で行われている実態。
要するに、現在俺たちは睡眠時間を削ってレベリングをしているわけだ。
「「ふぁ~~」」
「……やっぱり、2人とも寝不足みたいだね」
2人揃って欠伸をしたところをカムルスに見とがめられる。
これは完全に裏があるのを疑ってる顔だな……
(ま、確かに今日は一段と眠いわ……)
もう一度大きな欠伸をして、しみじみと実感する。
いくら早急にとはいっても、ここ3日まともに睡眠をとれていない。さすがに誤魔化せないほどになっているのだろう。今日の訓練は無しにしておこう。
まあ、それはそれとしてこれ以上話を掘り下げられると面倒なので、適当な話に変えておく。
「あー今日の授業って何だっけ?」
「そこは覚えとこうよ……」
「安心しろ、レヴィ。僕も覚えてない!」
「威張って言うことじゃないね」
俺を皮切りにアリシア、ジーク、カムルスの順にどうでもいい会話を再開する。
うん、平和そのものだ。
昇降口をくぐりながら、無意識にそんなことを考える。できればこの平穏が終わってほしくないが、現実は非情である。
「……あ?」
下駄箱を開けた俺は険しい顔をして目を細める。そこには、俺の上履き……の上に手紙が置かれていた。
そう……下駄箱に、手紙。普通という言葉からは程遠い状況が目の前で実現されている。
人、これをフラグ回収と呼ぶ……
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