vsリン
俺がアリシアに合流する少し前--
俺は王都の郊外にある廃墟にたどり着いていた。外装はほとんど風化していて、少しの衝撃でガラガラと崩れてしまいそうだ。
そんな危険物件の中から、アリシアの魔力反応が感知できる。
「自分から入っていった……はさすがにありえないな」
こんなボロボロの廃墟に用がある人間はほとんどいないだろう。いるとすれば、やましいことをしている奴らが隠れ場所として使うくらいか……
この時点で、アリシアが拉致されてここに連れて来られたことが確定した。
後は、誰が連れてきたのかということだが……
「なんでこんなとこにいるんだ?リン」
「そっちこそ。どうしてこんなところに?」
廃墟の入り口の前で、立ちふさがるようにリンが立っている。
その様子は以前見た時と豹変していて、かなり攻撃的な印象になっている。おそらくこっちが本性だろう。そして、アリシアを拉致したのもこいつだ。
「この先に用があるんだが……どいてくれないか?」
「何の用?」
「他称保護者として、連れて帰らないといけない奴がいるんだよ」
「そう……でも残念。ムリな相談ね」
「どうしても?」
「どうしても」
なら仕方ない。力づくで通るしかなさそうだ。
俺はリンにゆっくりと近づいていく。それを見て、リンも少し前かがみになる。互いに戦闘準備は十分なようだ。
俺は魔力を活性化させて、間合いを測る。近すぎず、だが確実に魔法が当たる距離まで慎重に進む。
そしてその距離に達した瞬間に、リンの細い身体に魔法を放つ。
亜音速の魔法は、瞬く間にリンに直行し……
「うっ……!?」
「…………」
直後、一つの唸り声がその場に響いた。
唸り声を出したのは……俺だった。
(今、何が起こった!?)
俺はいつの間にか背後にいたリンから距離をとり、今の一瞬の出来事を思い出す。
俺は確実に直撃する位置から、間違いなく躱せない速さの魔法を撃ったはずだ。にもかかわらず、リンは魔法には当たっていない。それどころか俺の背中を切り裂ていて、まるで初めからそこに居たかのように錯覚してしまう。
「……何したんだ?」
「さあ?自分で考えたら?」
飄々(ひょうひょう)としたリンの態度に、俺は自然と固唾を飲んでしまう。
完全にリンのペースに入ってしまった。なんとか主導権を奪い返さねば。
焦る気持ちを抑えきれずに、俺はリンに向けて何発か氷の礫を飛ばした。
金属さえもやすやすと貫く破壊力を持つ礫が、亜音速でリンの元へと飛来する。だが……
「遅いわね」
「うっそだろ……」
またもリンはその場から消え、今度は目の前に現れていた。
そして、流れるような動作で振り上げたナイフを俺に振り下ろす。
「ッ!クリエイトソード!」
瞬時に魔法を使い、その場で両刃剣を錬成。その剣でリンの攻撃を受け止める。
(くっそ!重い!!)
ナイフと片手剣。明らかにこっちの方が有利なはずなのに、押し込むことができない。つばぜり合いから抜け出せないのだ。
(こいつ力強すぎるだろ!それに、力入れすぎたせいか手がだんだん痺れて……)
そう思った瞬間、俺は半歩引いてナイフをいなし、そのまま大きく下がって素早く距離をとる。
幸いリンは深追いしてこなかったので、感じた違和感を確かめる。
遠くから俺の様子を見つめるリンの動きに気を払いながら、左手を握っては広げてを繰り返す。
案の定その動きは鈍く、指先が痺れる感覚がする。右手もだ。
「毒か……!」
「ご名答」
リンは嫌らしく笑いながら持っていたナイフを掲げる。あれに毒が塗られていたのだろう。
微量だったのかいまだに大きな症状は出ていないが、もう長期戦は望めない。長引かせれば長引かせるほど勝ち目が薄くなってしまうからだ。
(すぐに終わらせるっ!)
俺は地面を最大限の力で蹴り飛ばした。地面を陥没させるほどの脚力は、俺をトップスピードでリンの目の前まで運ぶ。
さしものリンもこれには驚いたようで、顔を強張らせているのが分かった。そんなリンに向けて、俺は勢いに任せて剣を思い切り振りぬく。
当たれば、どんな屈強な人間でも全身骨折間違いなしだろう。リンのような小柄な少女なら死んでしまうかもしれない威力だ。
だが……それは当たればの話である……
「残念……」
「ぐっ!!」
渾身の一撃を放った直後、わき腹に鋭い痛みを感じて唸り声を出してしまう。見れば、そこにはナイフが刺さっていて、その柄を握るリンの顔は愉悦に歪んでいた。
ゴポッという音とともにナイフが引き抜かれ、俺の身体から赤い液体が溢れだす。俺は立っていられずにうつぶせになって倒れこんでしまった。
「がああああぁぁぁぁ!!?」
「本当に残念。さっきのはいい線言ってたのに……」
リンは勝ち誇ったようにそう言って、苦悶に叫ぶ俺を見下ろす。
その顔は微塵も残念そうではなく、ただただ優越感が滲んでいた。
「冥途の土産に教えてあげるわ。このナイフに塗ったのはオーガフィシュという魚が持つ毒。激痛を伴う痙攣と意識障害を引き起こし、時間が経てば呼吸困難にもなる劇毒よ」
ナイフを見つめながら悠長に説明しているリンだが、そんなことは身をもって体験している。背中はともかく、わき腹の痛みが尋常じゃない。
この痛みを耐え続けるか死ぬかの二択なら、間違いなく死ぬ方を選んでしまうだろう。
痛みに悶えて何もできない俺を見て、リンは突然一人語りを始めた。
「私はウラノメトリア幹部のピスケス。特技は暗殺……特に毒物を使った殺しが得意なの」
その語り口は明らかな余裕をにじませており、この状況を完全に楽しんでいる。その行為自体が、リン本来の底意地の悪さを象徴しているようだった。
その間にも意識が徐々に薄れてきて、息も浅くなっていく。いよいよ毒が回ってきたのだろう。
その様子を見たリンは、なおのこと笑みを深める。
「もう時間なのね……それじゃあ、最期は一思いにやってあげるわ」
リンはそう言って俺の頭上でナイフを構える。
そして、何の躊躇いもなくその刃を俺に振り下ろした。
ナイフは俺の頭に突き刺さり、鮮血をまき散らす……はずだった。
「ホント、危ないなー」
「えっ……?」
今までの生き生きとした顔から一転、リンは目を白黒させている。
その瞳には、今しがたナイフを躱して真っ直ぐ立っている俺の姿が映っていた。
ふらつく気配もなければ、痛みをこらえる様子もない。さっきまで地に伏していたのが冗談のような姿がリンには見えているのだ。
「ふっ!」
「うおっと!」
さすがに慣れているというべきか、リンはいち早く混乱から抜け出し手に持っていたナイフで俺の喉笛を切りつけようとする。
間一髪で反応した俺は、仰け反ってそれを避けてバックステップで距離をとる。
「なんで……?毒は…………」
機敏な俺の動きに、リンは動揺を隠しきれていない。
掠れた声での質問に、俺はあっけらかんと返事をした。
「ああ……解毒した」
「!?……できる訳がない!天然の生物毒の解毒剤なんて存在しないはず!!」
「うん、だから作った」
「!!?」
俺の返答に、今度こそ言葉を失うリン。口を開けてパクパクと無駄に動かしている。
(半分ははったりだけど信じてるみたいだな……)
俺はこっそりと安堵する。実は毒を解毒できたわけではないのだ。
実際には毒素を隔離した後、身体を動かすために最低限の応急処置を施しただけである。
リンの言う通り、生物毒の解毒剤を今都合よく持っているわけがないし、今ここで作り出せるわけでもない。
そこで、身体を侵す毒素を隔離して毒を無効化したのだ……魔力を使って。
そもそも、魔力とは体内の微小な粒子群だ。魔法使いが自在に扱え、実在する物質にも干渉できる、実に都合のいい粒子である。
そして、いつもは魔法を使うために使われる魔力を、今回は毒素にまとわりつかせて、その活性を失わせるために利用した。
思いつき、かつぶっつけ本番だったが上手くいってよかった。
それとついでと言ってはなんだが、これを応用して毒に侵された細胞の修復もやってみた。結果は、傷の塞がったわき腹が物語っている。
(絶対正しい使用法じゃないけどな!)
我ながら、自分の行き当たりばったりぶりには苦笑いしてしまう。
だが、これで形勢逆転。俺の方が有利だ。
「くっ!……なら、解毒できないレベルまで刺し続ければ……!」
恐ろしいことを言いながら、ナイフを構えるリン。
そのまま、ふっと姿が消え。俺の真横に姿を現した。そして、右手でナイフを横なぎに振り切った直後--その刃から高い金属音が鳴り響く。
俺の剣がリンのナイフを押さえ、ギチギチと音を立てているのだ。
「やっと捉えたぞ……!」
三度目の正直だ。ようやくリンの動きを見切ることができた。
リンの移動は何か種があるとかいうわけではなく、ただ単純に早すぎるだけなのだ。その速さ故に、敵の攻撃を躱して不意をうつことができる。
そしてその速さは、おそらく魔法の賜物だろう。
どんなものかは分からないが、リンの動きからその特性はある程度予測できる。
「もう一回魔法を使うには時間が要るんだろ?」
「っ!!」
分かりやすく顔が歪んだ。図星のようだ。
そしてそれは、今俺の攻撃を避ける手段がないということでもある。
「じゃあ、終わりだな。……アイシクルショット!」
「待っ--」
剣でナイフを受け止めながら、俺は魔法を起動する。
全長1メートルほどの氷柱が5本空中に現れ、尋常じゃないスピードでリンに突撃する。
「ゴフッ……!!」
それらは見事にリンの両手、両足、腹の5か所に命中し、その華奢な体を吹き飛ばした。そして近くに生えていた大樹に磔にされるように打ち付けられる。
その瞬間に大きく痙攣したリンは、それきり動くことはなかった。
「死んだかもしれないけど……正直、気にしてる余裕はないな」
少しドライすぎる気もするが、さっきまで殺しあっていた相手を心配するのもお門違いだろう。それに、まだやることがある。
「少し手間取ったが、アリシアを見つけないと……!」
俺はやるべきことを再確認してから、不気味な廃墟の中に突入した。
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