第七話 有川の奇策にアンダーライン
小さい頃、よく薫は女の子に間違われた。現在の自分の容姿については以前、説明したが、幼いころの薫はそれに輪をかけて性別や年齢を勘違いされるほどのものだった。
写真を見せれば、十人が十人、女の子だと指を差したし、同じ年頃の女子のグループに見つかると決まっておままごとに付き合わされた。
他の男子は君付けなのに、薫はちゃんで名前を呼ばれたり、あるときなんか、親戚のおばさんに女の子ものの服を着せられかけた。その時は間一髪逃げ出したが、未だに心の奥のトラウマとなっている。ある意味散々な、幼年時代を過ごしたものだと我ながら思っている。
成長して、そういった男という性別を無視した扱いは軽減されたものの、小学生になっても、中学生になっても、一向に周りからの視線にはうんざりしていた。
少し廊下を歩けば、
「あの子、かわいい」
とか、そんな囁き声。
よっぽど、振り返って「俺は男だ」そう言い返してやろうかと思うこともたびたびだ。
前にも言ったが、背も低いため子供のように頭を撫でてくる奴らは居るし、弟扱いされたり、チビなんて呼ぶ輩は居るし。
俺が影でどれだけ、男として見られるようにと、努力しているのか知ってるのかよ、と薫は、こっそり、叫んでいたりする。
思うに、つくづく自分は男らしさから見放された人間なのだろう。
でも、それでも、薫は今まで耐えてきた。この姿形という、神から賜りし逃げられない現実に真っ向に立ち向かって、今日まで生き抜いてきた。
そして、今、非常階段に立っている薫は、その結果がこれなのか、と目を塞ぎたくなる気持ちだった。
「お願い、君恵の代役をやれるのはあなたしかいないの」
いきなり現れた、それほど親密でもない女子から、劇で女役をやれと迫られている。
神が与えし試練、そういうものがこの世にあるのかはしらないが、もしあるのだとしたら、これはあまりにも酷ではないか。
劇の役柄とはいえ、ついに女になれと言われている。たちの悪い冗談だ。
「何を勘違いしているのか知らないけど、俺は男だぞ」
「もちろん、そんなこと分かってるわよ」
口を尖らせた彼女は、何をつまらないことを、と言いたげだった。
「じゃあ、言わせてもらうけど、女役っていうのは普通女がやるものって相場は決まってるだろ。生徒の中に他に女子は一杯いるし、演劇部だって他の部員がいるんじゃないのか? それで何を血迷って俺のところに相談に来るんだよ」
薫は声を荒げる。
「だから言ってるでしょ、他にいないんだってば。本番までもう二週間もないのに見つかってないの。それも、なんと言っても主役の君恵の代わりをやらなければならない。それを考慮した上で、出来るのは今、他でもない、あなたぐらいなのよ」
熱弁を奮う彼女を前にして、薫は溜息をつき、お手上げだと、背後の堂野を見た。すると、その意を察してくれたのか、彼が一歩前に出た。
「あの、有川さん?」
「何、堂野君」
気だるそうに彼女の首が向く。
「その口ぶりだと、薫がどうしてもその役をやらなければいけないのには、きちんとした理由があるんだろ。まずはそれを俺たちに分かるように説明してくれよ。今の状況でやれって言われてやるやつなんていない」
「ああ! そ、そうよね。私としたことが、慌てていて説明を怠るなんて」
すると、彼女は急に改まって咳払いする。
「えー、ごほん。もちろん、小野村君が適役なにのは理由があります。いい?」
「……」
「第一にして、最大の理由は誰も持っていない力をあなたが持っているからよ」
「力……ですか」
「そう、他人の声を忠実に意のままに再現できることよ。一種のものまねね」
薫はうんざりそうに肩をすくめる。
またしてもその力を利用する人間が出現するとは。山下だけで充分であったのに。
「それで?」
「もちろん、君恵の声に似せることが出来るはずよね?」
「出来ないことはないけど……」
薫は自信なさげに視線を足元に落とす。
確かに彼女の言うとおり、君恵の声をまねることは出来た。だが、それは薫が納得できるほどのでき前ではない。彼女のあの特別な澄んだ声を再現するまでには至っていないと思っていたのだ。つまり、自信がなかった。
「ねえ、やってみて」
「い、今ここで?」
薫から素っ頓狂な声が出た。
「私の聞いた噂によると、あなた、どんな状況でも、たとえ逆立ちしてたってできるんですってね。声まね」
いったい誰が流した噂だろうか。
大道芸人じゃあるまいし、逆立ちしても出来るなんて話、広めないでほしい。きっと山下辺りが調子に乗ってそれに加担しているに違いないと薫は予想した。
「ええっと」
「ほら、やってみせてよ」
有川に促され、渋々ながら薫は頷く。
意識を集中させ、いつもの要領で声を出す。
「こんにちわ、皆さん。転校してきた須藤君恵です」
ともかく、今自分が出せる精一杯のレベルで彼女の声を再現してみせた。やはり、納得のいくものではなかったが、それなりに似ているのではないか、と薫は思った。
有川を見ると、なぜか、きょとんと目を丸くして突っ立っている。
「もしかして、似てなかった?」
不安になりそう訊いた。
すると、彼女はふるふると首を振り、
「ま、まさか、これほどの精度とは思わなかったわ。あなた、天才? いったいどんな喉の構造をしているのかしら?」
と感嘆の溜息を漏らしている。
「別にそんなに特別な人間じゃない。ちょっとずつ練習するうちに、いつの間にか出来るようになってたんだ」
「……それにしても、これほどとは。ますますあなたに代役をやってもらうしかないわ」
「ちょっと待て、まだ理由を全部説明してないだろ」
勝手に手を引っ張ってどこかに連れて行こうとする有川に薫は抗議する。
「なるほど、理由を全部説明したら代役を引き受けてくれるのね、そういう意味よね? そうなればいろいろと手間が省けてうれしいわ」
彼女がにやりと不敵な笑みを浮かべる。
「そうとも言ってないって、それに手間が省けてってどうするつもりだったんだよ」
「だって、あなたはもうなんと言おうと代役確定だもの、今の声を聞いて迷いはないわ。だから、抵抗するなら、どんな手を使ってもあなたにやってもらう。その手間のことよ」
薫はごくりと唾を飲み込む。彼女の黒い噂が脳裏をよぎったからだ。
『自分がこうだと決めたら、どんな手段を使ってもとことんやりとおす』
彼女の言葉はなんらかの冗談ではすまされない、脅迫性を孕んでいるのを薫は察知する。
「ご、拷問とか?」
「何言ってるのよ、そんな物騒なことするはずないじゃない」
彼女の眼鏡の縁がきらりと光る。彼女が笑ったのが分かった。
なんでそこで微笑むんだよ。怖いだろ。
薫は必死にぶんぶんと腕を振り、彼女の手を振り切って後ずさった。
「やめろ!」
「そんなに怖がらなくても」
「有川さん」
そこで口を挟んできたのは堂野だった。
「何、堂野君」
「話を進めてくれないかな? 他にどんな理由があるんだ?」
「あー、そのこと。それなら簡単よ」
彼女はどこか嬉しそうにそれだけ言って、薫の足元に視線を向け、じろじろと品定めをするように薫の頭までを観察した。顎に手を当てている様は練達の鑑定士のようでもある。
どうすればいいのか、たじろいだ薫だったが、彼女が何を言いたいのかは、もちろん想像がついた。
「だって、小野村君ってなんとなく、いや、かなり女っぽ……」
「ええい、みなまで言うなぁ!」
薫は瞬時に彼女の言葉を察知して有川の口を押さえる。
「――っぷは、はあ。なんだ、分かってるんじゃない。だったら話は早いわね。君恵の声をこれだけ再現できて、容姿も問題なし。言うことないじゃない」
「そ、それはそうかもしれませんがね」
「当然、オーケーしてくれるでしょ。あなた以上の代役はいないもの」
「……嫌だ、断わる」
薫はぽつりと拒否する。
「あら、どうして?」
「俺を馬鹿にしてんのか? 第一、この案にはそっちの都合だけで、俺の感情が無視されてる。男が女役なんてやってみろ、学校中に笑いものにされるに決まってるだろ。それに、そもそも俺は演劇部員じゃないし、この提案を拒否できるのは保障されて然るべき権利だ」
「ふむ。まあ、それも一理ある」
「一理も二理も百理もあるって。俺が正しいはずだ。あんたは知らないだろ、俺が今まで人並みの男として見られてなくて、どれだけ悩んでたか。今でも充分うんざりなのに、こんな、さらにその扱いを助長させるようなこと、協力できるわけないだろ!」
薫は間髪入れず、一気にまくし立てた。知らないうちに興奮し、鼻息が荒くなっていることに気がつく。
「亮介も何か言ってくれよ。こんなのおかしいって」
「うん、ああ、まあ確かに薫の感情を考慮すれば、いい気持ちはしないだろうな」
堂野はどこか、はっきりとしない態度でそう答えた。首を傾けて何か、考えているようだ。もしかすると、彼女の意見に賛同なのだろうか。
「小野村君」
すると、急に大人しくなった彼女がゆっくりと口を開く。
「なんだよ、もうやらないって決めたんだ」
「確かに、あなたがこの役をするのは苦痛なことかもしれない。でもね、私としても、簡単に引き下がれないのよ。これでも、演劇部の部長だし」
「……」
新たな抵抗の兆しを彼女から感じて、薫は口ごもる。
「責任があるの。一度やると決めた演劇を最後までやり通すっていう責任がね。このまま代役が見つからなければ、時間切れで、そのまま舞台が中止になるようなことはしたくない」
彼女はここで一度言葉を切る。
「動けない君恵だって、そんなこと望んでない。私は彼女から劇をどうにか続けて欲しいって頼まれたわ。彼女だけじゃない。他の部員だってこんな中途半端な終わり方、したくないって思ってるの。だから部長として、こうしてあなたに頼んでる。なんなら今ここで土下座してもいいわ、もう形振り構ってられないもの」
眼鏡の奥に光る、その演劇にかける情熱に燃えた瞳を薫はまじまじと見つめた。彼女は本気だ、と実感した。
それに気圧されて、薫は自分の意思が揺らいでいるのを感じた。
それに君恵のこともあった。彼女が劇を終わらせたくないと望んでいるなら、薫だってその望みを叶えてあげたい。
でも、さすがにこれは。
「薫、正直俺も彼女の提案に賛成だ」
「亮介まで」
「演劇部を救えるのは、今のところ、薫しかいないってことだ。俺は薫の立場じゃないからこんなことを言うのかもしれないけど、力を貸してやってもいいんじゃないか?」
「おいおい……」
「お願い、小野村君」
有川はいつの間にか両手を組んで祈るように懇願していた。さすがにここまでされて断わっては薫としても後味が悪い。協力してもいいか、そんな気持ちにもなる。
しかし、もう一歩踏み出せないのは、やはり薫の根底で蠢く男としてのプライドだった。ここで引き受けてしまえば、もう引き返せないだろう。
男として、何か大切なものを失いそうで足が竦んでいるのだった。
「ねえ、だめ、なの?」
有川が瞳を潤ませて顔を上げてくる。くそう、ずるいぞ、そんな作戦。
「えっと、その……」
薫が言葉を濁らせると、その態度に腹を立てたのか、彼女は急に冷たい視線を向けてきた。何かを思いついたかのようでもある。
「やってくれないの、へえ。やってくれないんだ」
「ま、まだ何も言ってないだろ」
「早く決めてくれないと、あのこと、君恵に言っちゃおうかなあ」
「あのこと?」
首を傾げる薫には心当たりがない。
すると、彼女はイタズラっぽくにやりと笑った。
「何よ、しらばっくれちゃって」
「何のことだかさっぱりだ。須藤さんに言うことがあるのか?」
「ここで言ってもいい?」
「だから、何のことだよ」
有川は「了解しました」と数歩歩いて、手すりの近くまで行くと、振り返ってこう言った。
「小野村君って、君恵のこと好きなんでしょ」
時間が止まった気がした。開いた口がふさがらないとはこのことだろう。一気に心臓の拍動が激しくなるのを感じる。
そして口からは、
「な、な、な……」
という擦れた声が出た。
「そうでしょ?」
「薫、そうなのか?」
「な、なんでそのことを……」
確かに薫は君恵のことが好きだが、そのことは今まで自分のトップシークレットだったし、一度も誰かに話したことはない。それをまた、どうして有川が知っているのか、気が動転して事態を把握できなかった。
頬がぼうっと熱くなるのが分かる。
もしかすると、自分が君恵を見る目はそんなに分かり易く好意が表れていたのか?
それとも、もしかしてこの有川という少女、他人の心中をのぞき込める、そんな超能力があるのか?
見ると、彼女は大笑いでこの上なく楽しそうに手を叩いている。
「ハハハ、まさか本当に図星とはね」
「え、へ、どういうこと?」
訳がわからない薫はおろおろと堂野と有川の顔を交互に見る。
「はったりよ、はったり。なんとなく小野村君が君恵のことを好きなんじゃないかって、鎌かけてみたの。ふふふ、上手くいったわね。堂野君、聞いた?」
「ああ、『なんで、そのことを』って、言ってた」
ようやく、何が起こっていたのか、事態が飲み込めた薫は顔から火が出そうなくらい、羞恥の念にかられた。
「う、迂闊だった。俺の馬鹿!」
髪の毛を掻き毟り、地団太を踏む。しかし、時既に遅し。
腰に手を置いて、余裕を見せる有川は正に水を得た魚だ。鼻をつんと突き上げて勝ち誇ったように薫を見下ろしている。
「それで、どうする? 小野村君。君恵に胸に秘めた想いを暴露されるのがいいか、それとも、それをまだ胸に留め、劇で姫役を演じるか? その二択よ」
「う、ぐう……」
彼女は決断を迫るように顔を近づけてくる。
「さあ、さあ、さあ」
「わ、分かったよ。やればいいんだろ?」
長年の秘密を自分の方から暴露してしまい、やけになっていた薫は、もうどうにでもなれ、と投げやりに了解した。
「ふふふ、やったわ。これで配役は問題ないわね」
その場で眼鏡の縁を押さえて高笑いを始める有川の横で、薫は足元に力が入らなくなるのが分かった。
いったい自分はこれからどうなってしまうのだろう。
へなへなと気を失うように倒れこむ薫を堂野が後ろから支える。
「大丈夫か?」
「亮介、もう俺ってお終いかな?」
いっそ、泣いてやろうか、そう思った。
とりあえず、これで大体、考えている話の折り返し地点まで来ました。これから先は物語の核となる部分に入っていきます。
一段落ついたので、以前書いた部分を読み返し、修正、加筆していこうかと思っています。お読みになられた方で、矛盾している部分や言葉の使用法の間違い、アドバイスなどありましたら、お聞かせください。