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第五話 雨降りの悲劇にアンダーライン

 その日、天気予報通り朝から降り出した雨は、先ほどから横風を受け、成す術もなく翻弄されながら地面を打っていた。コンクリートの上にはいくつもの水たまりが出来ている。


 薫はそれを店の中からガラス越しに見つめていた。


 時折、強い風が吹きつけ、雨粒がガラスに当たり、弾けて小さく音を立てている。

 その様子を観察しながら、薫は帰り道のことを考えていた。この様子では荷物も自分たちも無事では済まされないだろう。


 つい、数分前までは小降りで、傘を差す必要もないほどであったのに。


「絶対に靴はびしょ濡れだな。それは免れない」


 薫はぼやく。

 そして、視線を落とし、持っている商品カゴの中身を確認した。そこには文化祭の出し物で使用する様々な小道具が放り込まれていた。


 ガムテープに油性マジック、折り紙に録音用のCD、トイレットペーパーや磁石、その他もろもろ。薫がもう片方の手に持っているメモには他にも購入すべき商品が羅列されていた。

 気を取り直し、それに目を通しながら、商品が陳列された棚の間を進んでいく。

 学校から程ない場所にあるホームセンターだった。値段もそこそこ安く、商品のバリエーションも豊富ということで堂野が前から目を付けていた店である。


 今日はそこへ堂野とともに注文のあった品物を調達するために出かけてきていた。

 数日前に堂野が提案した注文書のシステムは滞りなく機能していて、さっそく準備に積極的な女子のグループからの注文を受けていたのだ。


「ええっと、次は……つっかえ棒? いったい何に使うんだろ?」


 不思議に思った薫はメモを折り返してみた。そこに書いてあった所望する理由には「暖簾を使用するため」とある。

 なるほど、暖簾を使ってお化け屋敷の雰囲気を作るためか。そうすれば光を遮断し薄暗くできるし、客の視界も妨げ、脅かしやすくなるといった利点もあるのだろう。


 納得した薫は、つっかえ棒を探して歩く。その途中で通路を曲がってきた堂野に出くわした。

 買うべきものは見つかったか、と問うと、彼は適当な様子で頷き、かごを示すように軽く持ち上げた。


「とりあえず、一通りは揃えたよ。薫はどう?」

「あと少しだよ。揃えたらなるべく早く帰ろう。予報で言ってたけど、確かこの雨、これから夜にかけてもっとひどくなるんだろ?」

「うん? そうなのか。俺、あんまり天気なんて気にしないから。正直、雨に濡れてもそんなに嫌じゃないし」


 おいおい、そんな心構えで風邪をひいたらどうするんだ、と薫は薄目で彼を見る。これから

文化祭に向けて本格的に忙しくなるというのに、堂野が寝込んでしまっては、薫としてはかなり心細い。

 思えば、堂野はここへ来るときも傘を持っていなかったことに気づいていた。


「手ぶらだから変だと思ったけど……」


 それを指摘すると、


「傘なんて、普段は親が渡してくるから持っていくんだけど、今朝は両親とも用事でいなくてさ、面倒でテレビも見なかった」


 どうにもやる気のない彼の口ぶりに薫は肩を落とす。


「出来れば、俺の傘で一緒に帰ってもいいんだけど、さすがにこの雨じゃ被害がただではすまないだろうし」


 薫は逡巡してから、堂野にビニール傘が置いてあった場所を教えて、購入するように言った。

 堂野は、「別にどうでもいいんだけど」と不服そうにつぶやいていたが、


「どうでもよくない!」


 と薫が語気を強めると、傘のコーナーを目指して歩いていった。


 見送った薫は残りの品物を大急ぎでかごに入れるとレジに向かった。先に会計を済ませていた堂野はと言うと、風が吹いたらひとたまりもないような、脆そうなビニール傘を持っていた。

 ううん、と唸った薫だったが、まあ、無いよりはマシだろうと結論付け、何も言わなかった。


 荷物が濡れないようにレジ袋の口をしっかりと縛ってから店を出た。


 雨は先ほど大粒になってきたようだ。歩き出すと、薫が予想した通り、ものの数分もしないうちに、靴の内部まで水が浸入してきた。踏み出すたびに、ぐじょぐじょと不快な音を出している。


 見上げた先、空を駆けるほどのスピードで流れていく黒い雲は途切れる気配を見せていな

い。時折道路を疾走していく車たちの水しぶきにも注意しながら先を急いだ。


 そして、苦労した道のりもようやく終わりが見えてきた時だった。

 傘の下から覗くと、学校の手前の坂道が見えてきた。


「はあ、やっと到着だ」


 隣の堂野を見ると、彼は制服の膝から下をしっかり濡らして、それでも、気にしない様子で口笛を吹いているようだった。風のせいで、その音も途切れ途切れに聞こえてくる。

 薫たちは田んぼと山の斜面に挟まれた交差点の前に立ち、信号が変わるのを待っていた。

 ふと前方の坂道の曲がり角から誰かが姿を現した。その道の向こうは中学校であるので、生徒の誰かなのだろう。間違いない、制服を着ているのが分かる。

 最初は雨と風のせいでぼんやりとした輪郭しか分からなかったが、次第に近づくにつれ、その人物が薫のよく知っている人物であることが判明した。


 須藤君恵である。


 彼女は傘を飛ばされないように、身体に引き寄せるようにしっかりと掴んでこちらに向かってきていた。時々、周囲の安全を確認するようにそっと首を巡らせている。


「須藤さんだ」


 薫が言うと、堂野も頷いた。


「みたいだね」


 彼女は薫たちにまだ気がついていないようだった。おぼつかない足取りでゆっくりと歩いてくる。薫は彼女の様子を見ていてなんだか寄り添ってあげたくなるような気持ちになった。あの華奢な身体では途中で転んでしまうのでは、と不安になったのだ。

 そして、彼女は交差点の横断歩道の前で立ち止まる。そのとき、薫は思いついて、彼女が信号を見上げたタイミングで手を振ってみた。

 彼女もそれに気がついたようで、はっとして手を振りかえしてくれた。


 それと同時に信号が青に変わる。

 彼女は手を振ったままで、横断歩道に踏み出してきた。

 そして、それからはまるで全ての物事がスローモーションのように見えた。

 薫は視界の隅に角を曲がってきた黒い車が交差点に向かって走ってくるのを捉えた。ずいぶんと早いスピードだったと思う。


 地面の凹凸に軽くバウンドしながら、獰猛な野獣の眼光を思わすヘッドランプが君恵を照らす。


 彼女はまだこちらを見ていた。

 一瞬遅れて、クラクションとブレーキ音。甲高い音が響き渡る。


 嘘だと思った。

 夢を見ているのか、と思った。

 まだ夜でもないのに、である。


 君恵の体が水しぶきの中に消えた。


 傘が飛び上がり、風に舞って遠くに落ちていく。

 車はハンドルを切って横断歩道の上、勢いを殺してスピンし、横様に停車した。


 そして、静寂。


 何事もなかったような静寂。


 自分よりも先に堂野が走り出しているのが分かった。

 傘とか、荷物とか、放り出してである。

 おいおい、荷物が濡れたら女子に怒られるだろ、とか、薫はその瞬間のんきに思っていたのである。


 目の前で、君恵が車に撥ねられたのに。


 堂野が歩道の前で倒れている君恵に走っていく。

 彼女が、倒れている。


 冗談だろ、薫は今度こそ、自分の目を疑った。

 その時になって思い出したように雨音と風の音が耳に戻ってくる。

 そして、金縛りから解き放たれるように、薫は駆け出した。


 同時に車の運転席から灰色のシャツを着た若い男性が飛び出してきた。いったいどんな顔をしていたのだろう。薫はよく見ていない。


 そんなことより、


「須藤さん!」


 そう叫んでいた。


 堂野はすでに彼女の横にしゃがみこんでいる。その脇に薫もしゃがみこんだ。

 彼女の目が閉じていたらどうしようかと思ったが、幸い、目は開いていた。

 呼吸もしている。生きていた。


 ただ、何が起こったのか分からないようで、朦朧としている。

 頬に擦り傷が見えた。赤い血が彼女の白い肌に不釣合いだった。


「リュックがクッションになって、頭は強く打たなかったみたいだ」


 堂野が言うとおり、彼女のリュックがちょうど枕になるように地面と頭の間にあった。

 堂野は冷静だった。状況をしっかり観察している。そして、君恵の頬を優しく叩いて、自分が分かるか、と聞いていた。


「痛みはある?」


 すると、目の焦点の合っていない君恵の表情が歪んだ。


「あ、足が……」

「足?」


 見ると、彼女のスカートから伸びた片方の足が膝から下の位置で、少し不自然な方向に曲がっていた。骨折していることは誰の目にも明らかだった。見るだけで痛々しい。


「他には? どこも痛くない?」

「だ、大丈夫だと、思う」


 堂野はすばやく振り返ると、背後でどうすればいいのか、おろおろとしている運転手を見て、


「早く救急車を呼んでください!」


 と一喝した。

 それから、薫に向いて、


「とりあえず、須藤さんを安全な場所に動かそう。この場所じゃ、次の車が来てまた事故にならないとも言えない」


 先ほどからろくに声も出ない薫は、必死に頷いた。堂野が頭の方に立ち、薫が彼女の足元に立った。


 しかし、堂野が君恵の脇に腕を入れて持ち上げようとすると、彼女が呻いた。

 彼女が呻く声なんて、薫は聞きたくなかった。胸が締め付けられるようだ。


「あし、足が、痛くて」


 どうやら、骨折している部分に激痛が走ったようである。それに気づいた堂野はすぐにもう一度彼女を寝かせると、


「どうしようか」


 と困った顔をした。

 彼が何も思いつかないとなると、薫としてはいい考えなど思いつくはずもない。無意識に髪の毛を掻き毟っているが、混乱するばかりだった。

 すると、堂野は何かをひらめいたようで、


「薫! さっきの荷物の中につっぱり棒があったろ。それから、ミイラ男に使う包帯も俺の袋の中に入ってる。両方持ってきてくれ!」


 と叫んだ。


「わ、分かった」


 意図は分からなかったが、なんとか了解して、横断歩道の向こう側、自分たちが立っていた場所まで戻る。


「ええと、つっぱり棒と、包帯……」


 そう復唱していないと、たった今言われたことも忘れそうだった。雨に晒されてすっかりびしょびしょになっているビニール袋から指示されたものを震える手で取り出す。

 ふいに額からこぼれた水滴に気づいて、倒れている君恵に傘を差してやることを思いつく。傍らに転がっていたのは堂野のビニール傘だったので乱暴に掴んで立ち上がった。

 自分の傘はどうやらどこかに飛ばされたようだ。

 二本あってよかった。

 君恵の元に戻ると、学校から下校中と思しき、他の生徒が堂野と話をしていた。


「とにかく、先生に早く連絡してほしいんだ」


 そう必死に説明している堂野。

 頷いた二人の女生徒は元来た坂を上っていった。彼女たちが助けを呼んできてくれるようである。


「堂野、持ってきた」


 彼は薫から無言で道具を掴み取ると、まず、棒を彼女の足に添えた。どうやらそれを添え木

にして、包帯で足を固定するつもりらしい。彼なりの応急処置だ。

 薫はその様子を見ながら、二人の上に傘を差して立っていた。

 後から思い出してみれば、馬鹿だった、と思う。

 その時、薫には呆然と倒れたままの君恵に対し、何かしら励ましの言葉でもかけられたのに。彼女の冷たい手を握って暖めることだってできたのに。

 薫は、何も出来なかった。

 ただ、目の前で起こっていることが、あまりにも唐突で、時間が止まったように立ち尽くしていた。

 情けないほどに、自分は無力だった。



 しばらくすると、学校の方から教師達や数人の生徒もやってきた。皆に抱えられて君恵は安全な歩道の上に寝かされた。

 サイレンの音が近づいてきて、事故を起こした黒い車の運転手が慌てて車をどけていた。


 到着した救急隊員が見たところによると、君恵は意識もはっきりしていて、足の骨折以外は特に大した外傷もないようだった。彼女が救急車に乗せられると担任の先生が一緒に乗り込み、近くの病院に搬送されていった。


 とにかくこれから、骨折の様子や脳などに損傷がないかどうか精密な検査をするらしい。

 その後に、警察のパトカーが止まり、中から制服を着た数名の警官が降りてきた。彼らは車の運転手はもちろん、薫たちもいくつかの質問をしてきた。


 事故の瞬間の話だ。

 これは明らかに自動車側の過失であったので、自分たちがどこでそれを目撃したか、とか、君恵はどの辺りに立っていたか、とか、よく覚えていないがそんな質問をされた。

 だが、正直、そんなことはどうでもよかった。質問の最中、薫は君恵のことが気になって仕方なかったのだ。


 自分の連絡先を答えて、


「今日はもう帰っていいよ」


 と警官が解放してくれると、薫はすぐに堂野の服を引っ張った。


「須藤さんの病院に行こう」


 しかし、それに待ったをかけたのが、担任の今田先生だった。


「小野村」


 と強い口調で肩を掴んだ。


「今日はもう帰れ。たぶん、行っても面会は出来ないと思うぞ」

「でも、でも検査がどうだったのか、気になって」

「それなら、心配はいらない。さっき学校に連絡があったよ。足を骨折しているが、あとは体のどの部分にも問題は見当たらなかったらしい。だから安心しろ。今頃、ご両親が病院に着いているはずだ」

「そ、そうなんですか。よかった」


 ふう、と胸を撫で下ろす。そのまま力が抜けてしまいそうだった。

 それを聞いて堂野も安心したようである。


「命に別状がなくてなによりです」


 すると、今田先生は優しげに微笑んで薫たちの頭を撫でてくれた。


「事故の後の処置がよかったと救急隊員の人が褒めていたぞ。満点と言ってもいいくらいの対応だったらしい」

「え、僕達が、ですか?」

「ああ、よくやった。人が事故にあって冷静に対処できる人間はそういない。お前達のおかげで事態が悪化することはなかったんだ。本当によくやったぞ」


 今田先生はそのまま頭を軽く叩く。

 しかし、褒められながら、薫は複雑な気持ちだった。なぜなら、あの対応をしたのはほとんど堂野の指示があってのことだった。自分はそれに従っただけで、もし、あの場に堂野がいなければ、きっと慌てふためいていただろう。


 自分は褒められるに値しない人間だった。

 それを強く実感して、歯痒かった。悔しかった。


 僕は違うんです、と手を振り払おうかとさえ思った。

 そして、顔を上げた薫は、今田先生の背後に立って、沈痛な面持ちをした生徒がいるのに気がついた。

 あの、演劇部部長の有川久美が立っていた。


 君恵の友達であることは知っていたので、もちろん彼女を心配して、表情を曇らせているのは分かっていたが、それとはまた違う苦悩の表情も混ざっている気がした。

 そこへ、一人の少女が駆け寄ってくる。


「劇のことですが……」


 そんな言葉が漏れ聞こえた。

 はっとした。

 そうか、君恵は劇の主役だった。

 足が骨折したあの状態では二週間後に待ち受けている文化祭に間に合わない。


 その瞬間彼女は、劇の配役から除かれてしまったのだと、理解した。

 彼女が楽しみにしていた、あの劇の配役から。


 この雨降りの事故のせいで。

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