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第二話 放課後の遭遇にアンダーライン

 町の北側にある踏み切りを越え、頭を垂れた稲穂のそよぐ田んぼを横目に見ながら、山の手に向かってしばらく歩くと、少々古びた白い大きな建物が見えてくる。そこが県立綾坂中学校だ。


 今年で創立70周年を迎える、地元では名の知れた学校で、付近の住民達からは綾中とか、綾坂など親しみのある呼ばれ方をされる。


 全校生徒は400名ほどで、年々少しずつ生徒数は減少傾向にあるのだが、今のところ、どうにか創立当初の一学年4クラスという状態を保持していた。


 校内には体育館であったり、広いグランド、隅っこにはテニスコート、プールなどの設備もあり、普通の学校と特に変わったものがあるわけではない。しかし、特筆すべきなのは、校外の裏山に「学校林」と呼ばれる学校が所有する森林があることだろう。

 全国的に見ても、学校林を所有している学校というのは希少らしく、校長を始めとする教師たちは生徒が忘れた頃にたびたび自慢めいた話をすることがある。


 だが、いくら教師たちがそれを誇りに思っていても、普段生徒たちはそこへほとんど向かうことはない。年に数回の清掃活動と、卒業生が記念の植樹をする程度だ。生徒達にとっては、あってもなくても同じであり、どうせなら「学校遊園地」でもあればいいのに、と実現不可能な夢想事に溜息をつくのだ。


 それでは仮に、生徒達に「自分の学校の自慢できるところは?」と聞くと大半の生徒はこう答える。


「そうだなあ。森が近いし、空気が新鮮!」

「丘の上に建っているから、景色がいいわ」


 統計を取ると、特に後者の意見が多い。綾坂中学校はそれくらい眺めの良い場所に立地しているのだ。

 確かに、校舎からはその眼下に広がる田園風景と建物が密集した都市区、その向こうで空と交わる紅葉の始まった山々は、絶景とは言えないにしても、絵になる景色であった。

 そして、今ここにその美しい景色を校舎の窓際でひじを突いて眺めている小柄な少年がいる。小野村薫だ。



 授業が終わり、担任の今田先生がだらだらと喋るだけのホームルームが済んでしまうと、掃除当番を除いて、大半の生徒は教室を出て行ってしまう。そんな中、薫はぐずぐずと通学用のカバンを背負ったまま、窓の桟から腕を投げ出すようにぶらつかせていた。


「うう、暇だ」


 日直だった堂野が日誌を職員室に提出に行ったのは五分前のこと。彼と一緒に帰宅しようと考えている薫は教室に堂野が戻ってくるのを待っているのだった。

 眼下に広がる校庭では、野球部のランニングが始まっていた。その横ではサッカー部がリフティングやパス回しの練習をしている。その掛け声と笑い声がこちらまで聞こえてきた。


 薫はクラブに所属していない。バリバリの帰宅部だ。それは堂野も同じで、ほとんど毎日、薫と彼は一緒に下校している。

 クラブに入っていないことに大した理由があるわけではない。現在、薫は二年生だが、入学時、様々なクラブから勧誘活動を受ける内に、どこへ入るべきか決めかね、なんとなく入部のタイミングを逸してしまったのだ。つまりは、その、優柔不断だったわけである。


 堂野に至っては、その長身に目を付けられ、様々なクラブから引く手あまたの状態であったにも関わらず、やる気がなく、全てを断わって帰宅部となった猛者だった。

 思えば、その頃から薫と堂野は同じ帰宅部としての交流が始まったのだ。


「小野村、帰ろうぜ」


 声を掛けられ、背後を振り返ると差し込む夕陽に目を細めた堂野が立っていた。


「待ってもらって悪かったな」

「いいよ、それくらい」


 薫は首を横に振る。一緒に帰りたかったので、謝られることではない。堂野が荷物を持つと、掃除をしているクラスメイトに手を振って、教室を出た(その際、じゃあなチビ助、と揶揄した生徒がいたが、薫は無視した)。


 階段の踊り場まで歩くと、堂野に最近購入したばかりのゲームソフトの話を始めた。よくあるRPGなのだが、ダンジョン内での謎解き要素が多く、行き詰った箇所で堂野の知恵を拝借しようと思ったのだ。


「何度やってもロウソクの火が消えるんだ。そこをどうにかしないと扉が開かなくてさ」


 薫は状況を簡単に説明した後で、お手上げだと肩をすくめてみせる。

 それを聞いた堂野は、


「……そうだな。空気の流れがあるのかもしれない」とつぶやく。

「空気? 風で火が消えるってことか?」


 それは考慮に入れていなかった。


「薫はその小部屋から出るたびに邪魔な障害物を動かしていたんだろ? もしかすると、それによって部屋に風が送り込まれていたのかもしれない」

「なるほど、確かにそうかもしれないな。家に帰ったら試してみるか」


 問題の解決に目処がついたため、なんだか足取りが軽くなった。うきうきとした気分で昇降口を目指す。


 だが、びっくりしたのは職員室の前を通ったときだった。すぐ真横のドアが突然開き、中から不機嫌そうな顔つきをした村松先生が出てきたのだ。昼間のことを思い出した薫はすっと背筋に寒気が走った。隣の堂野も同じだったかもしれない。


 彼は一瞬目の前に立っていた生徒二人に驚いた様子だったが、一瞥したあと、すぐに階段の方へ歩いていった。薫が思うに、少しも愉快そうな顔はしていなかったようだった。

 通り過ぎてから、薫が言う。


「はあ、心臓が縮んだぜ」

「ああ。だけどあの様子なら今のところあれが誰のいたずらだったかは分かってないようだな」

「そうだといいけど」


 明日山下にはきちんと釘を刺しておかなければ。ともかく当分の間、村松先生の前ではあまり目立つ行動は避けようと心の中で誓った薫だった。



 そして、堂野と昇降口の手前まで来たときだった。今度は別の意味でどきりとした出来事があった。


「あ、小野村君、それに堂野君も」


 背後から突然声を掛けられたのだが、薫にしてみればそれだけで、ぐっと息が詰まるような、耳の近くがそっと熱くなるような、そんな感覚に陥ったのだ。

 本当に素敵な声をしている、と薫は思う。

 振り返ると、そこにはやっぱり、彼女がいた。薫の隣のクラスの須藤君恵である。

 彼女は淑やかに笑みを湛えてこちらに歩いてきた。流れるような黒髪は肩の辺りまで伸ばし、可愛らしい八重歯が微笑んだ口元に覗いている。

 それを見ただけで薫の体は緊張する。


「ああ、えっと。やあ、須藤さん」


 言ってから、我ながらぎこちない返事だ、と薫はくすぐったく思う。

 堂野はというと、


「どうも、堂野です」


 と真顔で低レベルなギャグを吐いている。君恵は唐突なギャグに意表を衝かれたのか、口元に手をやって笑った。


「ハハハ、何それ?」

「大したことじゃないよ。堂野って普段お笑いなんて見ないって言うから、俺がギャグを作ってやったんだよな、な?」


 いったい何をごまかしているのか、堂野が勝手に言ったことに、なぜか薫はそんな説明をしていた。


「へえ、小野村君が作ったんだ。結構面白いと思うよ」

「え、本当に?」


 これには驚く。そんなことで褒められるとは思わなかった。


「うん、堂野君が言うと、なんだが意外って感じで」

「そうかな?」


 ふと、照れながら隣の堂野を見上げると、三白眼でこちらを睨んでいる。目の前で強盗犯を捕らえられ、手柄を奪い取られた警官みたいだった。薫はすまない、という意味合いを込めてそっと目配せした。


「それで、俺たちに、何か用?」

「あ、別に用があったわけじゃないんだけど、たまたま見かけたから声を掛けたんだ。何か急いでた?」


 滅相もない、と首を振る。薫としては彼女が自分に声をかけてくれただけで嬉しかった。


「ああ、もしかして、これから部活だったり?」


 薫は君恵が演劇部に所属しているのを知っていた。


「そうそう、もうすぐ文化祭だからね。今は練習の真っ最中。ステージで発表するんだよ」


 彼女はよくぞ聞いてくれましたという感じで、目を輝かせる。心なしか、前のめりになってきたようだ。


「劇? 何をするの?」

「白雪姫。いかにも王道な劇って感じだけど、それはそれでいいでしょ?」


 彼女に同意を求められ、薫は大いに頷く。


「うん、いいんじゃない、白雪姫。それで、須藤さんはどんな役なの?」


 すると、彼女は一瞬言葉を噤んだあと、ゆっくり口を開いた。


「それがねえ、実は、私が白雪姫の役なんだ」


 彼女はまるで周囲を憚るように控えめにそう言ったが、その役をやれることにこの上ない喜びを感じてるようだった。無意識に顔をほころばせていることがその事を物語っている。なんと言ってもヒロインだ。演劇部員からしてみれば、誇りに思うべきことなのだろう。


「すごいじゃん。本当に? おめでとう」


 薫は思わず拍手する。

 もしそうであれば自分も嬉しいと思っていたが、まさか本当に主役とは。


「へえ、そうなんだ」


 口調は平坦だったが、堂野も驚いた様子で手を叩いていた。


「たまたま運が良かったんだよ」


 彼女は恥らうように視線を逸らせる。


「君恵、そんなところで油売ってないで、もう行くよ」


 すると、どこかから声がした。振り向くと、昇降口の奥、隣接する体育館に続く渡り廊下の手前で、一人の少女が手招いている。眼鏡をかけ、長髪を後ろで一まとめに結んでいる。どこか余裕で偉そうな話し方には聞き覚えがあった。


「ああ、久美ちゃん。了解」


 君恵はその少女に手を振る。


「ごめん、練習があるからもう行くね」

「分かった。それじゃあがんばってね」


 本当はもっと話していたいのだが、練習が始まるとあっては仕方がない。薫は潔く引き下がる。

 彼女が背を向けて歩いていくのを見送っていると、隣の堂野が肘でつついてきた。


「何?」


 もしかすると、さっきのギャグのことを怒っているのかと思ったが、違った。


「あの子は誰なんだ?」


 どうやら堂野、君恵が向かっている先にいる少女が気になっているようだ。


「三組の子だよ、有川久美さん。演劇部の部長をやってるんだって」

「ありかわ、くみ……」


 ぼうっと彼女を見ている彼に対し、薫は吹くの袖を引っ張り、耳を貸せの合図をした。あまり意識したいことではないが、彼がしゃがまないことには耳元に口が届かないのである。


「彼女だけど、あまりいい噂を聞かないんだ」


 薫はひそひそと話す。


「というと?」

「その、腹黒いというか、えげつないというか、自分が決めたことは最後まで何をしてもやり通す主義らしい」

「ふうん。まあそれはそれで部長に向いてそうだけど」


 堂野は特に気にしている様子はなかったが、彼女が周囲の人間から恐れられているのは事実だった。正直、あまりお近づきにはなりたくない。以前、彼女にちょっかいを出した男子生徒の話を聞いたことがあるが、凄まじいまでの彼女からの報復にあい、その生徒は土下座をして許してもらったという。


「友人として忠告しておく。あまり近寄らないほうがいいぜ」

「ああ、覚えとく」


 薫はふと二人での内緒話を廊下の隅にいる有川に悟られたような(そんなわけはないが)気配を感じて、慌てて回れ右で後ろを向いた。下駄箱から靴を取り出し、履き替える。早くこの場を離れようと思ったのである。


 しかし、歩き出そうとしたとき、再び背後から声が聞こえた。薫は瞬時に察知する。

 君恵の声だった。


「小野村君に堂野君、それじゃあ頑張ってね」


 彼女からのエールである。

 しかし、帰宅部の人間はいったい何を頑張ればいいのだろう。一瞬理解に苦しむが、とりあえず薫は手を振っていた彼女に精一杯手を振り替えした。

 なんて澄んだ綺麗な声だろうと、薫は一瞬浮遊した心地だったのだ。


 頑張ってね、か。


 薫は渡り廊下に消えていく彼女を見送りながら心の中でその言葉にそっとアンダーラインを引く。

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