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第十七話 天使の声にアンダーライン

6/23 加筆修正しました。他の人の視点も入れて内容を広げたつもりです。

おかしなところがあれば、教えてください。

最終話の方も早いうちに修正しようと思っています。

 幕が上がる瞬間というのを、薫は練習を通じて何度か体験してきたのだが、今回は違うと思った。

 誰かがスイッチによって幕を上げる。

 電動モーターが低く回転する音が聞こえ、明かりが消えた会場と舞台が繋がるのである。


 足元からぽっかり開いた闇に吸い込まれそうな、そんな心地さえした。


 観客からの拍手が聞こえてくる。

 だが、薫にはそれが聞こえていて聞いていない。

 自らがこれから喋るべき台詞を、君恵の声を脳内で再生させ、集中の頂点にいた。

 朝を連想させる穏やかなBGMが流れ始めると、ついに出て行く瞬間だ。

 場内に有川のナレーションが響く。


「むかしむかし、あるお城に、美しい黒い髪をした、白雪姫というお姫さまが住んでいました。そのお姫様には意地悪な継母がおり、彼女は恐ろしい魔女でもありました。そんな継母に毎日毎日、白雪姫は召使いのようにこき使われていたのです」


 それが合図で、薫は舞台の影から中心まで歩み行く。粗末なつぎはぎだらけの服を着て、手には粗末な木の桶を持っている。


「さあ、今日もお城の掃除を始めなければいけないわ」


 ゆっくりスキップするように中央の井戸に近づく。

 演技は有川から習ったとおりだ。

 普通の行動よりはオーバーに、だが、あまりそれも過ぎると、不自然さが目立つ。

 バランスが大事だ。

 観客の顔を見る余裕はなかった。


 ライトが当たるので、どちらにしても見えにくいのだが、その声はきちんと薫の耳に届いている。


「おい、あれ本当に男子かよ」

「え、かわいいじゃん」

「女の子じゃないの?」

「声も高いし、男の子の声には聞こえないわ」

「小さいし、きれいな顔してる」


 こんなざわつき。

 普段の薫なら、顔が真っ赤になるほど恥ずかしい状況だが、取り乱すわけにはいかない。

 その意識が薫を演技に集中させていた。

 今、自分は小野村薫ではない。

 白雪姫だ。

 お姫様なんだ。

 雑念は、ここで断つ。

 手に箒を持ちかえ、その場を掃除するシーンだ。鼻歌を歌いながら、軽やかにステップを踏んだ。

 たったそれだけなのに、額にじんわりと汗が滲む。体が温まってきたのだ。


 しばらくすると、王子役の男子が登場し、通りすがりに白雪姫に声をかけた。薫扮する白雪姫は突然のことに動揺し、お城の中に戻ってしまう。

 それで、この場面は終わりだ。

 幕が一旦閉じ、魔女の登場場面に移る。


 舞台の袖に戻り、大きな吐息が漏れた。

 なんともいえない安堵感に、薫は包まれていた。

 どうにか何事もなく劇がスタートしたことに肩の荷が下りたのだ。


「どうだ? 本番の劇の感覚は」


 堂野が背後から訊いた。彼は客席からではなく、ここで見てくれているらしい。

 それが薫に安心感を与えてくれた。

 平気な様子を見せるためにへらへらっと笑ってみせる。


「うん、緊張してるけど、なんとかなるもんだな」

「そうか、それはよかった。客の反応もいいみたいだ」


 堂野は幕の隙間からそっと外を眺めた後で、目配せをした。

 そんな彼に薫は今しがた、自分の胸の内に膨らんできた何ともいえない幸福感を口にしようと彼を呼んだ。


「亮介」

「何だ?」

「なんていうか、こういうことも悪くないな。つい数週間前までは演劇のことなんて何も知らなくて、全くの素人だったけど。今は役を演じるのも面白い、そう感じてる俺がいる」


 そう語りながら、薫はかつてない自信が満ちているのが分かる。

 自らの劣等感に落ち込んでいた頃がまるで嘘のように、今は以前のように深く考え込むことなどない。

 明らかに今の薫は昔の薫よりも成長していた。それは、前で見つめている堂野から見ても分かる。


「これが、男子の役なら文句ないんだけど」


 と薫は苦笑いする。


「……」

「ともかく、須藤さんが見てた景色ってこういうことなんだなって、そう分かっ、て、ごほっ、ごほっ」


 途端、強く咳き込む。


「薫!」

「大丈夫、だって。ちょっと埃っぽかったのかな」


 駆け寄る堂野を手で止めて、薫は喉を触った。特に異常があるようには思えない。

 試しに、君恵の声を出すが、問題はなかった。


「小野村先輩、そろそろ出番ですから、こっちに来て下さい」


 そこへ奥山が迎えに来る。

 舞台が次の場面に移るらしい。


「分かった、すぐに行くよ」

「薫、やっぱりまずいんじゃないか?」


 心配そうに目を細める親友の言葉に無言で首を振る。


「何言ってるんだよ。いまさらここでストップなんてしてどうするんだ? 俺以外に役を演じれる人間なんていないんだぞ」

「それはそうだが」


 薫は自分で自分に渇を入れると、立ち上がった。きっとこの咳はただの気のせいだ。

 一時の不調に過ぎない。


 

 舞台はその後も何の問題もなく進んだ。

 やはり堂野の言うことは杞憂にだったに違いないと薫は思い始めていた。

 そればかりか、そんなことも忘れ、いまや薫は一種の余裕を持って演技に集中することが出来た。

 ステージの一列目、一番真ん中の席に君恵がいることが分かったのである。

 彼女は他の観客と同じように手を叩いては、舞台で起こる物語を反射するライトに光らせた瞳で見ていたのだ。


 そこに、薫の不安は消えた。


 彼女に自分の精一杯を見せるために集中力が増していく。

 それによって、途中で危うく咳が出そうにもなったが、何とか堪えることが出来たのである。


 怖いもの無しの感情が、薫を背中から押し、勇気づけていた。

 場面は気がつけば、白雪姫が森の中をさまよい、小人たちの家を見つけるところまできていた。


 なんとか、この調子で最後までいけるはずだ。

 薫はそう確信していた。



 しかし、このとき舞台の袖にいた堂野が他の演劇部員の影までこっそり移動し、そこから姿を消していたことに彼は気がついていなかった。



 須藤君恵は目の前で繰り広げられる物語にただただ、呆気にとられたように舞台を踊るように駆け回る役者たちを眺めていた。


 まるでそれは演技をしているのではなく、人々が様々な衣装で参加する舞踏会にも見えたのだ。


 そんな人々の中で白雪姫を演じている薫を、輝いている彼を見つけ、君恵は親になったような気分で誇らしく、うれしい反面、どこか、報われない悔しさも胸の内に残っていた。

 あの日、事故に遭い、失われてしまった今日という日の舞台。


 君恵はその瞬間、ギプスが巻かれた足元が疼いた気がする。


 病室に来てくれた皆には精一杯自分が持っている元気でもって、明るく振舞ったつもりだ。

 見舞いに来てくれる誰もが、出演するはずだった舞台のことを慰めてくれた。演劇部の有川や他の部員はもちろんのこと、クラスメイトたちや、両親も気にかけてくれた。


 皆一様に、気を落とすな、とそう優しく語りかけてくれた。

 嬉しかった。

 けれど、

 やっぱり残念な気持ちは拭えなかった。


 ほんの些細な出来事で確定していたはずの未来も変わってしまう。

 分かっていたつもりで、覚悟は出来ていなかった。

 掴んだはずの主役は指の間を水のようにすり抜け、それと引き換えたのは引き摺っている足。


 自分なしで進行していく劇に置いてけぼりにされていく、あの感覚。

 あのえもいわれぬ寂寥感せきりょうかん

 君恵は君恵なりに辛かった。

 泣いてしまおう、と思ったこともある。


 そして、舞台を見つめるそんな君恵の瞳には幼い頃の記憶が蘇っていた。

 いつのことだったのかは覚えていない。

 それくらい幼いころだ。

 両親と初めて演劇なるものを見に出かけた。

 車に乗って、確か夜のことだった。


 大きなホールの中央辺りに座り、これから何が始まるのかと息を呑んでいた君恵に飛び込んできたのは、圧倒的なパワーだった。

 舞台で役を演じている一人一人の役者は明らかに常人の域を超えているように君恵には感じたのだ。


 舞台を所狭しと駆け回る役者、ぶつかってくるような声。

 観客たちが静まり返っているのは、ただ静かにしなければならないからじゃない、負かされているんだ、と君恵には思えた。

 これだけ大勢の人々を圧し、楽しませ、感動で包み込む超人的なエネルギーに成すすべもなくしびれていた。


 幼い君恵にはその出来事が忘れられない記憶のフィルムに焼きついたのだ。


 それから演劇をしてみたいと思うようになったのも当然そのことが理由だった。

 舞台からはどんな景色が見えるのだろう。

 そこに立つのはどんな気持ちだろう。

 無垢な好奇心は一度興味を持つと言うことなど聞かない。


 中学校に入学した君恵は、迷わず演劇部のドアを叩いていた。

 そして、今、あの時確かに感じていた鮮やかな感動の色が目の前で広がっていくような感覚にとらわれている。


 薫が自分の代役をしてくれているからだろうか?


 ああ、やっぱり演劇っていいものだなあ。


 なんて思って手を叩いてる。




 そして、そんな君恵の背後で大量の冷や汗を流し、座っている一人の中年教師がいた。

 本人としては腕組みをして平静を装っているつもりなのだろうが、傍から見ればどうにも落ち着きがなくそわそわしているように見えた。


「村松先生、どうかなさったんですか?」


 やはりそれを不審に思ったのか、隣の若い女性教師が訊いた。主に音楽の授業を受け持っている井上先生だ。


「ご自分が受け持ってらっしゃるクラブの発表の場だというのに、ずいぶんと顔色が悪いですよ?」

「う、うん? そうかね?」

「確かに、妙に汗も掻いているようですね。体調が優れないので?」


 これは薫たちの担任である今田先生だ。怪訝そうに、額を拭う隣の教師を見ている。


「いえ、生徒たちが失敗しないか不安でしてね。見ていると安心できんのですよ」


 そこへ、白雪姫の衣装を着た薫が舞台に踊り出た。照明の光が一斉に彼に向く。

 村松はそこでさらに表情を強張らせた。ぐっと呼吸が詰まり、喉の奥からおかしな音が聞こえた気がする。

 今田先生はそこで、おお、と拍手する。


「また登場だ。井上先生、私が受け持っている生徒の小野村ですよ。クラスではそれほど目立つ生徒ではないんですけどね、こうして舞台の上で演技していると才能があるように見えますね」

「そう何度も説明しなくともさっきから見てますよ。本当にきれいな顔立ちをした子ですね。声だってこんなに高いし、女の子だって言われたら、信じてしまいそうです」


 すると、その発言に対し、今田先生は静かに、と指を口に当てる。


「それは禁句ですよ。小野村、そのことをかなり気にしてるみたいですから。教師としては落ち込ませるとまずいです」

「あ、そうですか。すいません」

「でも、最近はそれでも少しは成長したみたいですよ」

「え?」

「以前みたいに、クラスでからかってくる人間にうんざりだという溜息をついたり、煙たがっている様子も見なくなりましたから。それまでは、あまり過度のちょっかいだと、僕が注意してたんですけど、そういうこともなくなりました」

「へえ、それはよかったじゃないですか」


 井上先生の視線が今田先生から離れ、舞台の上の薫に向けられた。偽りを含まない彼の笑顔は彼女の目にもしっかりと映し出されている。


「たぶん、彼なりに自信がついたんじゃないですかね。どういった理由かは知ることは出来ませんが、それが周りの人間にも行動を改めさせているのかもしれません」


 自分で言いながら、納得するように今田先生は頷く。

 すると、がたり、と音がして椅子から村松が立ったのが分かった。

 本格的に体調が悪くなったのか、足を震わせた様子で、


「少し、腹が痛くて……トイレに行ってきます」

「はあ……」


 彼はそういい残し、そそくさとその場を立ち去っていく。

 それを眺めながら、


「どうしたんでしょうね?」

「さあ?」


 後に残された二人の教師はお互いの顔を見合わせ、首を捻っていた。


 ついに物語は終盤を迎えていた。

 舞台の上には、花束に包まれたガラスの棺が置かれている。

 白雪姫が魔女からのりんごを齧り、死んでしまった後のクライマックスシーンだった。


 後に残された台詞はもう多くない。

 横たわった薫の周りに小人たちが花束を置いていく。

 物寂しい雰囲気に舞台も観客たちも静まり返っていた。

 目を閉じたままの薫は、ゆっくりと鼻で息をしていた。咳の気配はない。


 ここまでくればもう安心だろう。

 鬼が見えなくなるところまで逃げ切った気分で薫は思った。


 しばらくして、その沈黙を破り、王子役の男子生徒がその場に駆け込んでくるのが分かった。状況を知り、悲しみに打ちひしがれた演技をしている途中だろう。

 棺の中にも台詞を言う声が聞こえてくる。


 しばらくして、まぶたの裏側から、ライトがゆっくりと移動してくるのを感じる。王子が近寄ってきているのだ。

 今まで息を潜めていたようなBGMが次第にボルテージを高めるように大きく強く響き始めた。



 薫は次の台詞を脳内で繰り返し思い出していた。

 あの鈴の音のような君恵の声だ。


「王子様、あなたが助けてくださったのですね」


 もう何度も練習でやってきた台詞だった。いい間違えるはずもない。

 ましてや薫には、他人にはない特別な能力がある。失敗なんて断じてありえない。


 王子役の生徒が棺まで上がってきた。嘆きの言葉をつぶやき、眠っている薫を抱き起こし、キスをする(もちろん、キスをする振り)。


 後は、それで生き返った言葉を王子に言えばいい。

 たったそれだけのシーン。


 ゆっくりと3秒間、自分の中で数を数える。

 3、

 2、

 1、

 タイミングを計って、眠りから覚めるように薫はうっとりした様子で目を開ける。

 上から降り注ぐライトの光で一瞬、目を細めるがすぐに我慢する。


 そして、声を出した。


「……」


 第一声を出した。


「……」


 会場から小さくどよめきが起こるのがわかった。

 それもそのはずである。薫は口を開いているのに、そこから出てくるはずの言葉が出てこないのだから。


 あ、あれ?

 どうして?


 王子役の生徒もどうしたことかと困惑している。こっそり台詞を囁いてくるが、もちろん忘れているわけではない。


 どうしたことだ?

 脳内で君恵の声が再生されない!


 その瞬間、薫は思い出した。

 以前、今と同じような状況が起こったことがあったのだ。


 あれはまだ、アンダーラインと声まねの力を上手く使いこなせていないころだった。

 手当たり次第、練習のために他人の声にアンダーラインを引き、声で真似を毎日のように続けていた頃、ある日突然声が出なくなったことがあったのだ。


 そのときは一日すれば元通り声は出るようになったが、その前触れと思える現象があった。


 それが、原因不明の咳である。


 今の状況はそのときのことと酷似していた。

 間違いない。当時と同じ症状だ。


 まずい、まずい、まずい。


 薫は焦るが、どうすることも出来ない。どうがんばっても、擦れたような小さな声が精一杯だ。


 一巻の終わりか、万事休す、か?


 視線が泳いだ先に有川や、不安そうな顔をする山下、馬場、奥山も見える。なぜか、その背後で、タクトを持ったままの芦沢も見えた。


 時間が凍りついている。


 薫にしてみれば、もう神に頼むしかなかった。さもなくば、劇はこのまま緊急で中止だ。


 どうか、神様。薫は消えそうな思いでそう祈った。

 どうかお救いください、と。






「……王子様……」




 耳を疑った。

 薫はぼうっとしながら、その中に吸い込まれてしまいそうな白いライトを見ていた。


 声が聞こえた。

 神様? いや、これは、


「天使の声」だ。


 薫はそう確信する。



「王子様」



 今度はもっと大きな声で。



「あなたが助けてくださったのですね」



 確かにそれは、スピーカーから会場に響いていた。

 薫は目を閉じ、その声に酔いしれる。


 ああ、そうか、分かった。


 妙に聞き覚えのあるあの包まれるような優しい声の正体が。


 振り返れば、マイクを持った須藤君恵がステージの袖に立っていた。

やっとこさ、ここまで書き上げました。正直、へとへとです。人生でここまで連続して、一気呵成に小説を書いたのは初めてでした。

次回で最終回となります。ここまでお付き合いいただいた方々、ありがとうございました。

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