表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/18

第十六話 開演の舞台にアンダーライン

 文化祭当日ということもあって、堂野亮介はその日、早めに家を出た。

 いつもならもっと遅めに家を出ることが習慣になっているのだが、さすがに今日のような特別な行事があると、そんなことも出来ない。母親に起こされ、いそいそと支度をして、家を出る。


 そして、大きな欠伸をかましながら校門をくぐり、昇降口で靴を履き替えると教室へと向かった。


 すでに到着しているクラスメイトたちは本番前の準備をしている。がやがやと騒がしい中を堂野は移動した。

 予定としてはこれから全校生徒が一旦体育館に集合し、ほとんど形だけの開会式が行われる。


 その具体的な内容など、いちいち述べるに値しないものだが、大雑把に言うと、開会宣言や、生徒会長からの挨拶、校長、教頭などの右から左に受け流す話が続き、大抵は校歌を歌ってそれで終わり。

 それから、本格的な文化祭となる。特に前夜祭のようなこともないので、生徒達はその一日に全力をかける。


 青春を謳歌する生徒たちにとっては欠かすことの出来ない重要なイベントになるのだ。

 だが、そんなことなど特に気にならない堂野は暇な朝の時間、教室の後ろの壁によりかかりうとうとしている。


 低血圧の彼はいつでも朝が弱い。

 そんな彼に教室の外から声がかかる。


「堂野君、おはよう」


 顔を上げると、廊下に立っているのは演劇部部長の有川だ。気合が入っているのか、今日は一段と凛々しく見える。


「有川さん、ふぁ、おはよう」


 またしても出てきた欠伸をかみ殺しながら堂野は手を振る。


「あら、ずいぶん眠たそうだこと」


 彼女はそう言って、結わえた髪を揺らし、颯爽と教室に入ってきた。


「どうしたの?」

「どうしたですって? いつもの冴えた推理はどこにいったの? あなたなら当ててみなさいよ」


 堂野は彼女の挑戦的な目つきに、面倒くさそうに首を振る。


「あいにく、朝はそんな気分にはなれないんだ」

「そう、残念」

「けど……」

「けど?」

「その様子なら緊急の用事ではないらしい。何か問題があるわけじゃなさそうで安心した」

「そりゃ、この時点で問題があれば悠長に話なんてしてられないでしょうね」


 彼女は不機嫌そうに眉間に皺を寄せる。


「予想外の問題なんて、もうこりごりよ」


 と苦々しげに言った。

 堂野にはそう言う彼女の気持ちが分かった気がした。思えば、順調に波に乗っていた劇が君恵の突然の事故により、暗礁に乗り上げた。

 そして、苦労して薫を代役として選び、全くの初心者を一から練習させた。しかし、安心したのもつかの間、村松に不審に思われていたことで、危うくその代役をも失うところだったのだ。


 部長の彼女からしてみれば心底、疲れがたまっているに違いない。

 それは堂野も同じだった。ここ数週間何かと息つく間もなく出来事が連続している。一日一日がとても長く感じていた。


「俺も同感だ」


 堂野は頷きながらそう返した。


「ねえ、小野村君は? 開会式の前に彼の顔を見ておこうと思ってここに来たんだけど」


 有川は慌ただしい教室を見渡す。


「ああ、まだみたいだ。そろそろ来てもいいころなんだけど」


 すると、噂をすれば影、とよく言うように、背丈の低い少年がひょっこり教室の後ろの入り口に姿を現した。小さな顔の瞳をきょろきょろと動かし、ためらいがちに教室に入ってきた。

 その様子はどこか臆病なリスのようにも見える。おそらく、女子から見れば、そんな仕草が可愛く見えるのだろう。


「おうい、薫」


 堂野の呼ぶ声に彼は気づいたようだ。


「ああ、亮介、おはよう」


 そう返事をした薫の声に、堂野と有川はいつもとは違う微妙な差異を感じた。

 なぜだか分からないが、いつもと違う。

 そんな違和感があった。

 手入れされているはずのフルートの中に小さな異物が入っているような、そんな感じ。

 整っている旋律のはずが、どこかずれているようなのである。


「……」


 その感覚に無言になる堂野。


「どうしたんだよ。変な顔して」

「いや、薫。まさか、声変わりしてるか?」

「声変わり? いや、分からないけど。してないと思うぞ」


 不安になって堂野は隣の有川を見る。すると、彼女も首を傾げていた。

 となると、やはり勘違いではないのだろう。


「薫?」

「だ、だからなんだよ?」

「試しに、声まねをしてみてくれないか? なんでもいいからさ」

「どうして?」

「いいから、早く」

「なんでもいいんだな? じゃあ、こほん」


 堂野の前で薫は少し目を閉じ、


「ど、どうか、ご勘弁を〜〜」


 これは山下が芦沢に謝っていたときのものだ。

 これには堂野、有川と顔を見合わせた。

 その声には特に問題がなく、完璧と言えるほど、うまく真似している。

 先ほど感じた違和感は微塵もない。

 これはいったいどういうことだろう。


「どうだった?」


 しかし、こうして普通の言葉を聞くと、やはり歯に物が詰まったような不快感がある。


「よく分からないけど、声まねの方は問題ないみたいだな」

「そうね、声がなんだかおかしな感じだけど」


 と有川も首を縦に振る。


「声って、何がおかしいのさ」

「何がおかしい、というか。うまく言い表せないけど。薫は自分でいつもと違う感じはしないか?」

「違う感じ?」


 薫は首を捻る。


「そう言えば、関係があるかは分からないけど、昨日の夜、咳が出た」

「咳って?」

「普通の咳だよ。風邪になってるときみたいな。でも、朝になったら治ってた。それに、熱もないし、ごらんの通りぴんぴんしてる。問題ないよ」

「経験から言わせてもらっていいかな」


 親友の真剣な声に薫は身構える。


「なんだよ」


 堂野はゆっくり子供に言葉を教えるように発音した。


「嫌な、感じ、だ」

「何言ってるんだよ。不吉なこと言うなって。ちゃんと声で真似が出来てるんだから、万事問題ないよ」


 そんなこと歯牙にもかけない様子で、薫は後ろを向いて手で払う仕草をする。振り返った顔は、うっすらと微笑んでさえいる。

 それと同時に、学校のチャイムが鳴った。放送が入り、生徒全員、体育館に集まるようにと指示をされる。


 クラスメイトたちがばらばらと立ち上がり、廊下に向かい始めた。堂野はまだ薫と話をしたかったが、彼は先に駆けて行ってしまったのでどうしようもなかった。

 すでに薫の姿は人ごみの中に消えている。


「大丈夫かな?」


 溜息交じりに堂野はそれだけつぶやいて、有川と共に教室を出ることにした。



 開会式が終わると、綾坂中学校には一般客がぞろぞろと入場門を歩き、流れてくる。

 時間が過ぎるにつれ、学校のそこかしこに人の流れができ、留まっていることが難しい。

 そんな人が溢れている廊下を松葉杖をついている少女がいた。須藤君恵だ。

 前進しようとするのだが、なかなか前に進めない。隅の方で、杖を持ちながら壁に沿ってゆっくり歩くのが精一杯だ。


 先ほどまで、友人が一人、君恵に付き添って歩いてくれていたのだが、ほんの少し離れている間にばらばらとなってしまった。

 その友人は行方知れずとなって、君恵はなんだか陸の孤島で立ち往生している気持ちである。


「あーあ、困ったな。こんなことなら先に行ってればよかった」


 と一人、途方に暮れている。

 確か、お昼を過ぎた一時からは演劇部の「白雪姫」が始まるはずなのだが、このままカタツムリのような速度で進んでいてはいつまでたっても、校舎から外にも出れない。


「あれ、須藤先輩」


 すると、前方から肩幅が広く、体つきのいい少年が歩いてきた。見覚えのあるその風貌は演劇部の後輩だった。


「ああ、馬場君じゃない。ちょうどいいところに来てくれた」

「どうしたんですか、須藤先輩。こんなところで、それも一人で」

「友達とはぐれちゃって、大変だったところなの。うん? 後ろにいるのは山下君?」


 君恵は馬場の後ろに立っていた山下の姿に気がついた。すると、彼はにやりと笑って会釈す

る。


「もしかして、一緒に回ってたの?」

「そうなんだよ、馬場と一緒にいるとさ、人ごみの中でも前に進むのも簡単なんだぜ。好きな場所に行くのも楯にして移動すればいいんだ」


 山下の説明に君恵の中で波を掻き分けて進む大船が思い浮かんだ。


「違うでしょ、先輩。遊んでたわけじゃなくて、演劇部のチラシを配ってたんです」


 馬場が右手に持っていた大量のビラを君恵に見せた。

 誰がデザインしたものかは分からないが(おそらく演劇部の女子だろう)とてもメルヘンチックな文字で「白雪姫」と大きく書かれている。


「そうなんだよ」


 とうんざり気味に山下も持っているビラを見せた。


「あれ、山下君も手伝ってくれてるんだ。演劇部じゃないのに」

「有川の奴に言われてさ。この前の罰だからってこき使われてんの。助けてよ」


 彼が言っているのは、村松先生の件だろう。


「それは駄目だって、自業自得でしょ。それにきっと私が頼んだところで久美ちゃん見逃してくれないと思うな」

「はあ、だよなあ」


 山下ががっくり肩を落とす。


「ところでさ、もう少しで劇が始まるんでしょ、一緒に連れて行ってくれない?」


 君恵が足のギプスを見ながら頼むと、馬場は快く承諾してくれた。


「お安い御用ですよ。俺の肩に掴まってください。ほら、山下先輩もぼうっとしないで、反対側の肩を持ってあげてくださいよ」

「お、おう」


 二人が君恵の体を支える。すると、二人より背が低いせいか、君恵の足が宙に浮いてしまった。


「わあ、飛んでるみたい」


 と、ついはしゃいでしまう。それに気分が盛り上がったのか、馬場がよく通る声で掛け声をかけた。


「それ! お姫様を会場までお連れするぞ」


 それに応じて山下も腕を突き上げた。


「アイアイサー!」


 その様子に周りにいた人々が振り向き、道を開ける。その真ん中を三人が走った。

 君恵にはそれが恥ずかしい。

 これは、助けを頼む相手を間違えただろうか。


「ちょ、ちょっと」


 どうにか制そうとする。

 しかし、君恵の言葉など聞いていない二人はどんどん廊下を突っ切っていく。


「どいた、どいた」


 誰か先生に見つかったら、絶対怒られるな、そう思いながら、君恵はいつの間にか笑い出していた。



 一方、こちらはイベント会場の体育館。

 会場に座っている人々から拍手が送られている舞台の袖で薫は衣装に着替え、椅子に座っていた。

 両手を目の前で組み、緊張の面持ちで目を閉じている。

 舞台では、薫たちの前のステージ、吹奏楽部による演奏が行われたところだった。タクトを握った芦沢が立ち上がった他の部員と共に、お辞儀をしている。


 そこへ観客からの惜しみない拍手が送られる。演奏は大成功だったらしい。

 薫から見える芦沢の横顔はとても満足そうだ。


 幕が下ろされ、そこで十分の休憩が入る。それが終われば、いよいよ薫たちの出番だ。嫌がおうにも不安が募った。

 自分の演技は客に見せるほどのものなのか、興ざめにならないか。そもそも、ヒロインを男子がやっていて大丈夫なのか。

 そんな元も子もないことまで頭に浮かんで消える。


 小人役の衣装に着替えた奥山が薫に近づいてきた。


「生きてます?」

「脈は止まってないから多分」


 手首に指を当てた薫は冗談っぽく言ってみせる。


「その割には顔色が悪いような」

「いろいろと初めてなことで不安なんだ」

「大丈夫ですよ。我ら演劇部の劇はヒロイン役が男子っていう噂が広がって、宣伝効果はばっちりですから、お客が居なくてがらんがらんなんてことにはなりませんって」


 鼻を鳴らして自慢げに奥山は話す。


「そ、それはうれしいけど」


 むしろそれはプレッシャーになるから、と思って薫は溜息をついた。

 するとそんな薫の頭にぽんと丸めた台本が振り下ろされる。


「痛っ!」


 部長の有川だ。


「しかめっ面してるんじゃないわよ。男なら腹くくって堂々としてなさい」


 彼女は物語のナレーション役なので、服装はそのままだ。前に立って、薫の胸元のピンマイクの位置を調整してくれている。


「ほら、ちゃんと背筋伸ばして」

「わ、分かってるたら」


 薫は痛んだ頭をさする。

 そうするうちに、今度は舞台の袖のドアが開き、そこから山下、馬場、堂野が顔を出した。

 山下が、いの一番に駆け寄ってきて、


「小野村、姫をいい席へお連れしてきたぜ」


 と得意満面で言い放った。


「姫?」


 きょとんとする薫。心当たりのない名前だ。


「須藤さんのことだよ。彼女が人ごみの中で白旗振ってたから、俺と馬場が救助してきたの」

「どうやらそうらしい」


 と隣で頷く堂野がいた。


「そうか、彼女、来てるんだよな。がんばらないと」


 薫はつぶやいて、衣装の袖をぐっと握った。

 目の前の幕の向こうには、事故で惜しくもこの舞台のチャンスを逃してしまった君恵が座っている。どんな顔をして座っているのだろう。

 不安そうにドキドキしながら幕が上がるのを待っている?

 それとも劇が始まるのが楽しみでワクワクしている?


 どちらにしても、怪我で立てない彼女の分も自分が背負ってやり通さなければならない。


「ようし!」


 一人、薫は奮起の声を上げた。

 そんな彼を見下ろす親友、堂野は最後に彼の肩を掴んだ。

 その背後ではすでに大道具の準備が始まっている。馬場や山下まで手伝わされ、有川が指示を出していた。


「薫、幸運を祈る」


 親友への励ましをその短い言葉に彼は込めた。


「ああ、ありがとう」


 親指を立て、誇らしげに薫は胸を張ってみせた。

 その歩いていく背中を見ながら、堂野は自分も出していた親指を引っ込める。

 彼は自分に出来ることはこれまでだ、と思っていた。後は劇の成功を願うことだけだ、と。


 場内のざわつきがそこまで聞こえてくる。

 アナウンスが入り、観客たちへの説明が始まった。



 始まりは秒読みだ。

 舞台上の放送室に上った有川がそこから見下ろして、全員の顔を見下ろした。

 口に手を当て、大声で、


「みんな、やるわよ!」


 と一言。


 開演のベルは鳴った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ