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第十五話 君恵からの電話にアンダーライン

 学校林での出来事から一夜明け、薫はいつも通りに登校をしていた。眠たい目をこすり、欠伸を堪えながら、学校にへと続く坂道を上る。

 他の仲間たちとも登校後、薫は顔を合わせたが、特に何事も無かったかのように挨拶を返してくれた。


 何か変わったことと言えば、昨日皆からこっぴどく叱られた山下がさすがに落ち込んでいたこと。

 それから、薫に怪しい視線を向けていた村松が廊下で薫を見つけた途端、青い顔をして回れ右をし、教室の中に帰っていったこと(これには堂野と一緒に二人で笑った)が挙げられる。

 それから、忘れてはならないことがもう一つ。


 病院の検査やら治療やらで少々退院が長引いていた君恵が久々の登校をしてきていたことだった。

 まだ足はギプスで固定され、松葉杖をつきながらの登校だったが、校門で薫たちを見つけるや否や、急いで歩いてきて挨拶をしてきた。


 そして、彼女が戻ってきたことを知った薫たちは、休憩時間に彼女の教室に集まり、一昨日の学校林での出来事を、さも息詰まる戦いしたかのように熱く語ってみせた。

 それには彼女は手を叩いて笑い、私も出来ればその場にいたかったものだと少ししょんぼりした。


 だが、ともかくこれにより、心配ごとのなくなった薫たちが目指すものは本番の劇だけに絞られていた。


 そのため毎日の練習で、有川の指示も一段と熱が入り、日に日に緊張感が増してきた。

 自然と薫もどうしたらもっとよりよい演技が出来るのかと考えるようにもなった。今までは誰かに説明されるだけだったが、ただ成されるがままというのも恰好悪いものだ。


 自分で考え演技の向上を目指す、そこにはもっと面白い演劇の深みがあると薫は思っていた。

 そういえば、ようやく学校に登校できるようになった君恵だったが、彼女が劇の練習に来ることがなかった。


 それに気づいた薫はどうしてなのか、と疑問に思った。

 それを有川に尋ねると、彼女は、


「完成した劇を本番でお客さんと一緒に見たいからだそうよ。それまではお楽しみとして練習も見ないことにしたって言ってたわ」


 と話した。

 なるほど、それならば万全の体制で劇が行われるようにさらなる努力をせねば、と薫はさらに意気込んだのだった。



 そうするうちに日々は瞬く間に流れて行き、いつしか文化祭前日を迎えていた。

 学校中で、文化祭の準備が急ピッチで進められていて、教室や廊下は様々な装飾品で飾られ、校門近くにはクラスの作品であるいろいろなオブジェが校庭に出現したりしていた。

 学校内は活気ある声で溢れ、普段は走ったら注意される廊下も今日はひっきりなしに道具を持った生徒たちが駆けていく。


 薫たちのクラスもその例外ではない。

 苦労して作った「お化け屋敷」を成功させるため、クラスメイト一丸となって最後の調整に入っていた。

 教室のカーテンは取り払われ、全ての窓に黒い暗幕が張り巡らされた。机も椅子もなくなり、小さな迷路のように壁が置かれ、通路を作っている。


 実際、どれほどの怖さなのかを調べるため、出来たばかりのお化け屋敷に暇そうな他のクラスの生徒を集めてきて、意見や感想を求めているグループもいた。


 その一方で、もちろん、演劇部も明日に本番を迎えた劇の準備に余念がない。薫がそちらを覗くと、衣装や様々な小道具が部長の指示の元で入念にチェックされている最中だった。その後、薫も衣装に着替え、本番を意識したリハーサルが行われた。


 舞台中がぴりぴりとした言いようのない緊迫感に包まれており、薫はいつもの倍以上の力を使った気がした。

 そんなこんなで、薫にはあっちにこっちにと身を引き摺られ、東奔西走しているうちに終わった一日だった。


 

 そして、その夜。

 薫は忙殺された一日の疲れを癒そうと自室のベッドに寝転んでいた。すでに夕食も終わって風呂にも入り、翌日のための準備も終わている。


 特に目ぼしいテレビ番組もなく、とりあえず部屋のミニコンポのラジオがついていたが、内容は耳に入っていない。ほとんどBGMとして流れている。

 そんな薫は何もすることのなくなり、寝るわけでもなく、うだうだと転がっているのだ。

 時折、


「うう、疲れた」


 と唸ったり、読むわけでもなく漫画のページを開いたりして、気がつけば、とろとろと時間だけが過ぎていっていた。

 今日だけは早めに寝なければ、明日の劇に影響するかもしれないと思っているのだが、目を閉じても眠れそうな気配がない。


 その理由はもちろん分かっている。

 薫は今、緊張しているのだ。


 彼にとって経験の少ない舞台というあの場所で、明日、客を目の前にして自分は白雪姫を演じるのだ。

 今さら、女役を演じることに四の五の言うつもりはないが、それ以上に薫の前に立ちはだかっているのは役者としてのプレッシャーだった。


 いくら代役であろうと、自分の責任は決して軽くないことぐらい薫は承知していた。

 その不安が消えない。

 まるで耳の周りをぶんぶんと浮遊するうざったい蚊のようについてくる。


 薫はそこでふと思うことがあった。


 君恵も、彼女も劇を演じる前はこんな気分だったのだろうか、と。


 自分の周りの世界が圧縮されるような、逃げられない行き場のない緊張を感じていたのだろうか。

 そして、薫と同じように緊張で眠れなくなったり、無為に時間を過ごすようなことがあったのだろうか。


 その瞬間、薫はふっと気が緩み、胸が温かくなるようなものを感じた。

 なぜか、うれしかったのだ。

 彼女とどこか、繋がっている、そんな感覚が。同じぴりぴりした痛みを共有している、そう思うと、すごくくすぐったくも思えてくる。


 自分が彼女と似通った経験をしている。


 ただそれだけのことだが、そう思うだけで薫の頬が自然と熱くなった。

 すると、突然部屋の外から名前を呼ばれた。


「薫、起きてる?」


 それは薫の母の声だった。階段を上ってくるのが分かる。


「どうしたの?」


 身を起こして、部屋のドアを開けた。


「須藤さんからお電話よ」


 そう言って、母は薫に電話の子機を手渡した。


「須藤、さん?」


 薫は大きく口を開いて発音し、確認する。ちょうど今、彼女のことを考えていたときで、ドキリとしたのだ。なんというタイミングだろう。


「そうよ。ほら、待たせてるんだから、早く出てあげなさい」

「あ、うん」


 薫が頷くと、母は階段を下りていく。それを見て、部屋に戻り、すぐに通話ボタンを押した。


「もしもし、須藤さん?」

「あ、小野村君? ごめん、もう寝てた?」


 電話に出た彼女は申し訳なさそうな声を出す。


「そんなことないよ。ずっと起きてたよ」

「そう、それならよかった。明日が本番だからもう寝ちゃってるかと思って」


 確かに、薫はそれを思って寝ようとしているところだったが、それは言わなかった。


「それより、どうかしたの?」

「大したことじゃないんだけどね。ただ、明日が本番だから、きっと緊張してるだろうなって。それで、気になって電話したんだ」

「ああ、なるほど」

「それで、気分はどう?」

「お察しの通り、緊張してる」


 薫は抵抗することなく白状した。


「ふふ、やっぱり。だよね、緊張しちゃうよね」


 彼女が受話器の前で笑っている。薫はそれを聞きながら、部屋のドアを背もたれにして座った。


「須藤さんもやっぱりそうなる?」

「もちろん。人間なら誰だって多かれ少なかれ緊張しちゃうんだよ。どうしようもないことだって」

「どうしようもないこと、か」

「そうだよ」

「じゃあ、そんなとき、須藤さんはどうするの?」


 薫が質問する。


「そうだねえ、私だと好きな音楽を聴くんだ。気分の切り替えが出来るでしょ、それでリラックスしてよく眠れる。そういうことをするといいと思うんだ」

「ふうん」

「じゃあ聞くけど、小野村君はどんなことをしてるとリラックスできる?」


 逆に質問されて、一瞬薫は言葉に詰まった。自分がリラックスできること、何かあるだろうか。


 本を読む? ストレッチするとか? 彼女と同じで音楽を聴く?

 聴く、といえば、薫は何気なく思い出す。


 薫が君恵の声にアンダーラインを引いて時々、自分の中で繰り返し聞いていることだ。

 落ち着く、というとあれはかなりリラックスできることだ。だが、そんなことを彼女に言うわけにはいかない。


「ええっと……」

「なになに?」

「その、須藤さんの、声、聞いてると……」


 薫はそう言いかけて、途中で自分にストップをかける。手のひらで口を塞ぎ、なんとか押し込む。

 その先は、とても言えなかった。


「え?」

「いや、こうして友達と話してると楽しいし、それだけで充分、リラックスできると思う」

「……」


 すると、受話器の向こう側が無言になった。薫は心配して彼女の名前を呼ぶ。


「須藤さん?」

「うん、聞こえてる。ごめん、なんでもない」

「だったらいいけど」


 すると、彼女は声の調子を変えて、薫に優しく語りかけた。


「じゃあ、小野村君が眠りたくなるまで、私が話し相手になってあげるね」


 薫にはそれが驚きだった。彼女がわざわざ自分の話し相手になってくれると言ってくれるなんて、願ってもないことだった。


「い、いいの?」


 ドキドキしながら遠慮がちに訊いた。


「それくらいなんでもないよ。それより、ねえ、何の話しようか?」


 薫は少しだけ天上を見上げ、逡巡して答える。


「そうだねえ、これまで、須藤さんは劇でどんな役を演じてきたの? それについて聞いてみたい」


 すると、君恵はそんなものお安い御用といわんばかりに話し出した。

 中学校に入ってからはもちろんのこと、小学生、さらに、通っていた幼稚園での発表会で演じたウサギの役についても話し慣れているかのように滑らかに喋った。


 これはああだった、こうだったとその時の気持ちまで全て語ってくれる。

 薫としてはそれに対して、ただ相槌を打つくらいしかできないので、「うん」とか「へえ」とか返していた。


「それでね、劇の途中にその子、被ってた熊の頭が取れちゃってさ……」

「あはは、それで…こほっ、こほっ」


 二十分ほど話したときだろうか、薫はなぜか喉に異変を感じ、それと同時に咳が出始めた。


「小野村君、大丈夫? さっきから咳が出てるみたいだけど」

「ど、どうってことないよ、ごほっ、ごほっ」

「ほら、またしてる」


 彼女が不安げな声を出す。


「おかしいな、空気が乾燥してるせいだと思うけど、こほっ」


 口を押さえているが、どうしても咳が出てしまう。


「もう今日は寝たほうがいいよ。これ以上話をして、悪化しても悪いし」

「分かった、そうするよ。須藤さんに心配はさせられないし」

「それじゃ、電話切るよ。ちゃんと、すぐ寝るんだよ。ベッドに入って、ちゃんと暖かくして」


 まるで、おせっかいを焼く母親のようなことを彼女は注意した。

 しかし、彼女が自分のことを心配してくれていると思うとうれしい薫、余計なことは言わず、素直に応じた。


「うん、そうするよ」

「それじゃあね、また明日……おやすみ」


 彼女がつぶやくように別れの挨拶をする。それがどこか、まだ話し足りないようで、名残惜しそうだったように感じた。

 その切なそうな言葉に、こっそりアンダーラインを引いておく。


「それじゃあ、須藤さんもおやすみ」


 そう返して、通話終了のボタンを押した。そして、電話の子機はそのままにして、すぐさまベッドに入った。彼女に言われた通り、喉の辺りまで掛け布団を引き寄せる。

 明かりを消そうとして、また咳が出た。


 まさか、風邪でも引いたのだろうか、と思うが、特に熱がある風でもない。

 でも、いつだったか、同じようなことがあったような。


 変だとは思ったが、不安を振り払って目を閉じた。

 すると、君恵の声を聞いたあとで安心していたためか、数秒後にはあっという間に夢の中に落ちていっていた。

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