第十三話 闇に潜む影にアンダーライン(前編)
以前から懸念していたのですが、やはり内容が多くなってしまったため、例によって二話に分割します。
すいません。会話の中に一部、不自然な部分があったため、修正しました。6/12
すっかり陽が西の山に沈み、人の気配が消えた校舎。冬の訪れを告げるような冷めた夜気。
闇の静かな侵攻に僅か、抗うだけの教室の明かりが見えた。
その校舎の二階、小さな部屋から光が漏れている。理科教室の準備室である。
そして、その準備室の面している廊下の隅に暗い人影が二つ。通路の壁に張り付くようにして、様子を窺っている。
二人はまるで、敵地に潜入した忍者さながらに、ほこりさえ動かないような小さな呼吸をしている。
沈黙が流れる。空気は止まって動かず、二人以外の生物はこの場から立ち去ってしまったかのようだ。
すると、沈黙に耐えかねたのか、その二人のうち、比較的小柄な影の方が、大きな影に囁く声が聞こえる。
「ねえ、なんで私がこんなことしなくちゃいけないのよ。さっきからじっとしたままで足が疲れてきたんだけど」
「おい、話しかけるな。俺たちは今、忍者になりきってる。そう言ったろ。これも一つの舞台稽古だと思えば苦痛でもない」
「こんな動かない稽古に何の意味があるのよ。馬場君、私、帰りたくなってきた」
小さな影はやる気がないように壁から離れた。馬場と呼ばれた方は静かに、と人差し指を口元に持ってくる。
「おい、俺の名前を呼ぶんじゃない。敵がどこで聞いているか分からない。壁に耳あり、障子に目ありだ。そして、俺の名前は影丸だ。以後はその名で呼べ。それから、奥山は、そうだなあ、アニ丸なんてどうだ? 動物のアニマルとかかってるわけだ。よし、いい、それにしよう」
「あんただって人の名前呼んでるじゃん。それにそんな阿呆丸出しの名前、嫌だから。忍者になりきってる振りなんてして、ばっかじゃないの?」
奥山と呼ばれた影からの痛烈な批判に一生懸命壁に張り付いていた馬場も、さすがにやる気が削がれたようだった。その大きめの頭を俯かせる。
「ああ、せっかくの気分が台無しだ。これは列記とした訓練なのに、奥山のせいだ。これは責任をとってもらわないと」
「じゃあ、責任をとってこの役目を辞退させてもらいます。安心してください、振り向きもしないで一目散に猛スピードで家に帰ってやるんで」
大げさに嘆いている馬場を奥山は白目で眺め、そう吐き捨てると、くるりときびすを返し逃げ出そうとした。
しかし、その肩をむんずと掴む馬場の大きな手。
「ちょっと待て」
奥山は舌打ちをする。
「チッ、あと少しだったのに」
「この役目には奥山の協力が不可欠だってことは堂野先輩に聞いたことから説明しただろ? 準備室から村松先生を呼び出すには、奥山みたいに真面目で、先生からの信頼が置かれている生徒の言葉が必要なんだ」
奥山は馬場の説明に合点がいったとばかりに手のひらを打つ。
「ああ、そうよね。馬場君みたいにガサツで、無遠慮で、思慮の浅い、そんな生徒の言葉を村松先生は信用しない、ええ、よく理解できました。ついでに私もあまり信用してないけど」
「ぐう、さっきからずいぶん反抗的な態度だな。いい加減にしろよ」
「あら、いいの? 私が協力しないと、この作戦は上手くいかないんじゃない? もし失敗したらまずいんでしょ」
「それはお前もだろ。なんとしても、村松先生の目を小野村先輩から逸らさないと、劇が中止になりかねない。事が露見したら、いくら自分が顧問をしているクラブとはいえ、あの先生は容赦がないだろうし」
そう言った馬場は上級生から聞いた話を思い出してる。
それは一年前の文化祭の劇の発表が差し迫ったこの時期に、練習をさぼっている生徒がいたことだ。そのことが村松先生にばれ、やる気がないのならする必要がないと発表を取りやめる寸前までいったそうである。
その時は部員が頭を下げ、なんとか事なきを得たが、しかし、それ以来、先生を恐れてか、無断で練習を休む生徒はいなくなったということらしい。
「それは分かってるわよ。私が言いたいのはそういうことじゃないの」
奥山はつんと口を尖らす。
「何だ、はっきり言え」
「私が居なくちゃ成立しない作戦なのに、馬場君が勝手にあれこれ命令してくるのが、気に入らないって言ってるの。何よ、隠れろ、とか、忍者になれって。だから帰りたくもなるのよ」
「俺は、堂野先輩から直々に頼まれたんだ」
馬場は自信満々に胸を叩く。
「そんなの知らないわよ。私が用事があってたまたまいなかったから馬場君が呼び出されたに過ぎないじゃない。私がいたら先輩は私に頼んでましたよーだ」
「な、なにー!」
馬場はふんと鼻から息を出す。
そんな二人が隠れている廊下の隅から階段の踊り場を一階分上がった場所に、今度は彼らとは違う、三人分の影があった。廊下の明かりがその影を細長く引き伸ばしている。
その影の中の一人、髪を頭の後ろで結んだ少女が二人の様子を見て、くすくすと笑いだした。
「ふふふ、妬けるわね。こんな場所でなにやら、痴話げんかを始めるとは」
「あんな声で話をしたら、周りにばれると思わないのかしら」
と、これは隣に立つもう一人の少女の声。確かに二人の声は少々聞き取りにくいものの、隠れるつもりがあるのかないのか、普通の会話でするような大きさだ。
「普段から、舞台で大声で話してるから職業病みたいなものよ。それがこうして仇になるとも知らずに。くっくっく」
「そうだね。学校で待ち構えてたら、いとも簡単に見つけられたし」
これは、三人の右端で階段に腰掛けている小柄な少年が言った。
「それで、有川さん。これからどうするの?」
「決まってるでしょ、これからあの二人を見張って、どうするつもりなのか見届けるのよ。場合によっては現行犯逮捕」
「……さいですか」
「はあ、私できるだけ早く帰らないとお母さんに怒られるな」
二人の会話を聞きながら芦沢は溜息をついた。
そこから遡ること、一時間前。
行方不明の堂野と山下を探して鉢合わせをした薫と有川、それに芦沢。その三人は協力して学校中を捜索をすることになった。
校庭、部室、各教室を手分けして彼らを探す。
そして、それが始まって間もなく、有川が一年生の教室であるものを発見する。
それが、同じく行方が分からなくなっていた馬場と奥山の通学用のカバンだった。無造作に机に置かれているところを見ると、まだ学校から帰宅していないということが分かった。
そのため、有川の提案で生徒達がほとんど帰ったこの時間まで、学校内に戻ってくると思われた馬場と奥山の姿を探していたのである。
結果、こうして首尾よく二人の姿を見つけられたのだが……。
「あ、どうしたのかしら」
有川が目を細めて、通路の壁際にいる馬場たちを見る。
「何?」
薫も手すりの上からのぞく。
すると、二人はどこかに向かって廊下を歩き始めるところだった。
「どうやら動き出したようね」
「どこに行くのかしら」
「さあ? ともかく、気づかれないように後をつけるわよ」
有川は静かに立ち上がった。
「そろそろ時間だな」
しばらくして、腕時計を見ながら馬場がつぶやいた。話の途中にも関わらず、勝手に廊下を歩いていこうとしている。
そんな彼が奥山紗江には許せない。
「ちょっと、話は終わってないわよ」
「それは後からでも出来るだろ。先輩たちに言われてるんだ。ここでぐずぐずしてるわけにはいかない」
そして、彼は「行くぞ」と合図をすると廊下を走り出した。
「はあ、行くしかないのね」
うんざりだと思いながら仕方なく後に続く紗江。
そして、準備室の前にたどり着いた馬場はまるで大事件が発生し、息を切らしてやっとここまでたどり着いたかのように、部屋のドアを激しく叩いた。
「先生、いますか?」
紗江も馬場に続いて村松先生を呼ぶ。
「大変なことがあったんです!」
馬場がそう言ってから、紗江はふと「大変なこと?」と首を傾げたくなった。
よく考えてみれば、具体的な作戦の内容について馬場と打ち合わせをしていないことに気がついたのだ。
いったいどういう理由で先生をここから呼び出すのか、まったく聞いていなかったのである。これは作戦の大きな欠陥だ。
馬場が適当な嘘をつき、辻褄が合わなければ、先生にはすぐにばれてしまう。
しかし、そんなことを思っているうちに、中から物音が聞こえ、ドアがガラリと開く。
もう後には引けない。
立派な顎鬚に黒い眼鏡をかけた教師が顔を出した。目の前にいるのが、自分が受け持っているクラブの生徒と分かり、目を丸くしている。
「なんだ、馬場と奥山か。どうしたんだ」
馬場が一歩前に出て説明する。
「それが、僕達さっきまで学校林の中で劇の練習をしていたんです」
怪訝そうな顔をして、村松は顎鬚を触る。
「学校林? なんでまたそんな場所で?」
村松がそう言ったのは当然なことだった。
綾坂中学校所有の学校林は学校のすぐ背後の山にあるのだが、普段生徒たちが立ち入ることは皆無なのである。
生徒がこんな普通の日にそんな場所にいたということ自体がおかしいのだ。
馬場はこう続ける。
「いえ、部長が自然の中で練習をしたほうが、開放的な気分になれて想像力が刺激される、とかで」
うう、苦しい言い訳だ。紗江は渋い顔をする。
「……それで、何があったんだ」
「それが、練習中にですね……爆弾」
「はあ?」
「いえ、あのう、茂みの中に不発弾らしきものを見つけまして」
これには前のめりに倒れてしまうかと紗江は思った。よりよってとんでもない大嘘だ。
何で自身満々に立ってるのよ。そんな嘘が通じると思っているのか。
紗江はそんな彼の膝の裏を蹴ってやりたい気分だった。
案の定、
「はああ?」
村松は目を白黒させている。
当然だろう。そんな突飛な話、信じれるほうがおかしい。
そんな彼の目が隣でおどおどしている紗江に向く。
「本当なのか? 奥山」
つい、「ひっ」と声を上げてしまう。
「どうなんだ?」
「ええ、私も見ましたけど、かなりふるーい感じで、こう、丸っこくて、その、なんというか、爆弾って感じでした」
そこはかとなく抽象的で、情報量の少ない、リアリティに欠ける説明しながら、自分で馬鹿みたいだ、と紗江は泣きたくなった。
「いまいち分からんが」
村松は首を捻る。
これではまずい、そう思った紗江、今度は両手を使って、爆弾の形を宙に書いて表現した。なるべく、事の重大性が伝わるように大きく書いてみる。
「こう! こんなに大きい爆弾なんです!」
いつか教科書で見たような爆弾の形をイメージしながら、もうどうにでもなれと、大げさに爆弾をアピールした。
「もしも爆発したら、この辺り一帯、全部吹き飛ぶくらいです。学校なんてひとたまりもありません。私達は塵も残りませんよ」
と勢い余ったこの少女は、とんでもないことを言い出す始末。
「そ、それはまずいな。そんなものを見つけたのか」
しかし、紗江の必死の演技の甲斐あってか、先生は話を信じたようだった。どう考えても荒唐無稽な話だが、人間の必死さは他人を動かすものらしい。
「そうです。だから先生に来てもらいたいんです」
馬場がそう頼んだ。
「いや、私よりも警察に頼んだ方がいいだろう。それにその場所に他の人間がいるならすぐに避難させなさい」
確かに、村松の意見は最もだった。これには紗江、上手い切り返しを思いつかない。
慌てて馬場のほうを見る。
すると、彼は、
「いえ、それでもですね。万が一、億が一爆弾でなかった場合。大騒ぎだけして、近隣住民に迷惑をかけてしまうことも考えられるんです。ですから、先生に本物かどうか、確かめてもらいたいんです」
とさっきまでの自分たちの勢いとは打って変わって、慎重な言い方をした。
「だがしかし、私は教師であって、爆弾の専門家ではないのだがね。私を頼るのはお門違いというやつだが」
これまた、ごもっともな意見だ。
紗江はその場で土下座をしてしまいたい気分になる。
しかし、馬場は一度信じたらこっちのものと強引に先生の腕を引っ張った。
「ともかく、現場に来てください。警察への電話はその場でしてもらえばいいですから」
「だが、しかし」
「お願いします。確認してもらうだけですから」
紗江も片方の手を持って引っ張る。
すると、先生も観念したのか、不服そうではあったものの、
「しかたないな」
とゆっくり歩き出した。
中学校から学校林へ向かう道はいくつかに限られている。村松を連れた馬場たちは校舎の裏にある教師専用の通用口からその向こうにある道路に出た。
しばらくはその道路沿いに進み、少し傾斜のある坂道に差し掛かったところで、すぐ脇の雑木林の中に細い山道が見えてくる。
そこを上っていくと、綾坂中学の学校林があるのだ。
いつもなら、多少木々が茂っているものの、道の先まで見通せるのだが、今は陽が沈んだ夜。明かりがなければ、前に進むのも危険だ。
馬場と紗江は前もって用意していたライトを取り出して、村松を案内した。
「こんなくらい場所で、練習をしていたのかね」
歩きながら、当然の疑問を村松が口にした。
「ええ、多少暗い方が、本番の舞台の雰囲気に似ていていいんです」
とんだでたらめを馬場が言う。
それを信じたのか、どうかは分からないが村松は唸る。
「ううむ……待て、よく考えてみれば練習してもいいと許可も出していないぞ。有川は無断で皆をここへ連れてきたのか?」
「いえ、これは自主トレーニングです。一年生だけで練習しようって、な、奥山」
またしてもでたらめ。
それに対し、村松は不思議そうに首を捻る。
「おい、さっきお前は部長がここで練習するのがいい、そう提案したと言っていたじゃないか。有川はいないのか?」
と、ついにここで墓穴を掘ってしまったことが発覚した。
はわわわ。紗江は背筋に悪寒を感じる。
すると、馬場はすかさず、
「あ、それはですね。あくまで部長が言っただけでして、実際に実行したのは一年だけだったんです。だよな?」
と取り繕った。
「あ、うん」
紗江はそれに頷くが、正直、ひやひやしている。
「そうか、ふむ。どちらにしても許可をとらずにこんな場所で練習してはいかん。暗くなれば危険この上ない」
「はい、すいません。今度からきちんと許可を取りますから」
「それはもういいとして、その爆弾とやらはどこにあるんだ。それに他の生徒は? こう暗くてはきちんと進めているのかも分からん」
「もう少しです。もう少しなんで」
不安そうな村松の背中を馬場が押している。
紗江はこっそり自分たちの歩いている位置をライトで確認しながらだいたいの目星をつけた。
例のポイントまではあと百メートルほどだ。
「あの子達、先生を連れて学校林の道に入っていったわよ。どうするつもりかしら」
三人の後を追いながら、有川が言った。
「さあ、全く分からないけど。この先も追いかけるの?」
「当然でしょ。何、ここで止めるって言ってるの?」
「だって俺たち、明かりがないし」
その時、三人は完全に手ぶらで追跡をしていたのだ。ポケットに入っているのはハンカチくらいなもので、そんな状態で暗い山道を進むには心細い。
しかし、有川は余裕綽々で、
「問題ないわ。あの三人の明かりの後をついていけばいいんだから。それに、仮に私たちが明かりになるものを持っていたとしても、その光で向こうに気づかれては追跡は失敗じゃない」
と説明した。
「それはそうだけど」
「ええ! じゃあこのままこんな暗いところに入るの?」
すると、そんなことは真っ平だ、と芦沢が言う。
「嫌なら帰りなさいよ。別にあなたがついて来なくても何の問題もないんだから。山下君にあったら、そのCDのこと聞いておいてあげる」
「じゃ、じゃあ私、帰る。親が心配してるだろうし」
「そう、それじゃあね芦沢さん。またあした。行きましょ、小野村君」
とそれだけ告げて、薫たちが数歩道を進んだときだった。薫は後ろから誰かに腕を引っ張られた。
「うわっ! 何?」
「何、じゃない。私をここから一人で帰らせるつもり?」
腕を掴んでいたのは今しがた別れの挨拶をしたばかりの芦沢さんだった。冷たい視線で睨んでくる。
「え、何のこと?」
「見なさいよ、真っ暗じゃない」
彼女が指して示したのは、今まで薫たちが歩いてきた道路沿いの道。確かに彼女の言うとおり、光源らしいものはところどころに見える街灯しか見えない。
この辺りは車の通りも少ないので、夜はそんな寂しい様子になるのだ。
「そりゃそうでしょ、夜なんだから」
「それに、この道を帰ったとして、あの暗い校舎の中に荷物を取りに行かないといけないじゃない。どうするのよ」
「どうするのよって言われても」
「芦沢さん、一人で帰るのが怖いなら怖いってはっきり言いなさいよ」
人の弱点を知って、まるで優位に立ったかのように有川が白い歯を見せ、にやつく。
「怖くなんかないってば、ただ、そうよ、危険でしょ、夜道は。どこから誰が出てくるか分からないし」
彼女はそう返したが、薫たちからは虚勢を張っているのはみえみえだった。
「だから、その、小野村君を護衛に」
「そのチビ助が役に立つの?」
「チビ助いうなあ!」
薫は有川の言動に憤慨する。
「ともかく、小野村君まで連れて行くのは駄目よ。小野村君は堂野君たちを探してるんでしょ、おそらく馬場君たちが行く先に彼らは居る。見つけるには、追跡しないと」
「ああ、俺もあの三人の後を追いかけたい」
薫もそれに同意した。
「ええ、そんなあ!」
見捨てられた少女は泣き出しそうな声を出す。
「こうしてる間にも前を歩く三人との距離が離れてるわ。こうなったら、芦沢さんに早く決めてもらわないと」
しかし、有川はそう言いながら少しも焦っている様子はない。むしろ何かを楽しんでいるようだ。
すると、彼女は芦沢の目の前で二本指を立てた。
「芦沢さん、あなたがとれる選択肢は二つ。このまま一人で帰るか、それとも、我慢して私たちに付いて来るか。さあ、どっちにする
?」
残酷な質問を隣で聞きながら薫は、心底、人を追い込むのが好きなんだろうな、この人は、と芦沢に同情しながら思っていた。
芦沢はというと、薫の腕を放そうとはせず、帰り道と、山道とを何度か見比べてようやく、
「わかった。ついてく」
と不承不承頷いた。




