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第十二話 水面下の不穏にアンダーライン

 それから二日後の放課後、小野村薫は再び、君恵の入院する病院を訪れていた。通学用のカバンを持って、入院棟の正面玄関をくぐる。

 今日も一人だ。


 しかし、今回は別に堂野を呼び忘れたとか、そんな些細なミスをしたわけではない。

 呼べない理由があったのだ。


「なんでかなあ、最近、亮介が山下と仲がいいのは」


 そうなのだ。彼が歩きながら小声で言ったように、ここ二日間というもの、休み時間になるたびに堂野は山下と共にこそこそとクラスを出て行ってしまうのである。下校時も、勝手にどこかに行ってしまうので、呼ぶことも出来ない。


 しかも二人で、という点が怪しい。

 そして、薫が付いていこうとすれば、決まって堂野がそれを制する。


「ごめん、ちょっと事情があるんだ。山下と話してくるから薫は待っててくれない?」


 親友であるのに、これはつれない言葉である。せめて、もう少しくらい詳細な説明が欲しいところだ。

 しかし、それでも堂野は事情があり、言えないという一点張りで、


「大したことじゃないんだ。数日すれば終わるからさ」


 と、それだけ。

 大したことじゃないなら話せよ、と言いたくもなったが、何度も続くので、薫としてはもう無視することにした。

 了承したつもりはないが、堂野が嘘をつくとも思えないので、すぐに終わるのだろう。質問はその時に浴びせてやろうと、考えていた。


 その一方で、劇の方は上手くいっていた。あの有川が首を縦に振っているのだ。完璧とはいえないにしても出来はそれで申し分ないのだろう。


 薫としても、その実感はあった。

 役に慣れてきた、いや、本音を言えば女役など慣れたくないのはやまやまなのだが、少なくとも、最初の頃のような抵抗感はなくなった。


 以前、演劇部の馬場が言っていたように、舞台の上では役者は何か別の表現体になると言っていた意味が分かる気がしたのだ。


 あの場所では、普段の自分とは違う、非日常が許される空間なのだ。

 それに比例して、周りで自分のことをひそひそと噂をしている生徒たちは日ごとに増えていった。

 よく興味津々といった様子の生徒達のグループから「女役ってどうなんだ?」とか、「やってみせろよ」とか姫役を揶揄やゆする言葉を言われたが、ことごとく無視する態度を薫は貫徹していた。


 それにより向こうも面白くないと諦めたのか、興味を失い、逆に君恵が事故にあったことによって生じた事情を知り、応援してくれる者も現れ始めた。

 そんなこんなで、演劇も悪くないな、そう思い始めている薫。


 そんなことを考えながら、いつものように、エレベーターに向かった。

 ボタンを押し、エレベーターが下りてくるのを待つ。開閉ドアの上部に表示される階数のランプが点滅しながら、数字を減らし、次第に降りてくるのが分かった。

 それを見ていると、ふいにそのランプがある階で止まる。


 君恵が入院している階である。どうやら、そこで人の乗り降りがあったらしい。

 数十秒の停止の後、再びランプが移動を始めた。そして、薫がいる一階へ。


 到着のチンという音がする。

 薫は誰から降りてくるかもしれないと察知してそっとドアの脇へ避けた。

 ドアがゆっくりと開き、中の明かりが隙間から漏れてくる。


 そして、そのエレベーターから出てきたのは、薫の知っている人物だった。

 突然のことに、薫の身体に緊張が走る。すると、その人物は薫がいることに気づいたようで、すたすたと歩み寄ってきた。


「おや、そこにいるのは、確か、小野村薫君だったかな?」

「は、はい」

「須藤さんのお見舞いかい?」

「ええ、まあ」


 緊張しているため、薫はその人物の顔を見れない。


「殊勝な心がけだな。友達は大切にするのがいい。私もついさっきまで、須藤さんの見舞いに来ていたのだよ。クラスの担任というわけでもないが、受け持っているクラブの生徒が事故にあったのだ。少し様子を、と思ってね」


 その口調は優しく穏やかで、薫に燕尾服を着た紳士を彷彿ほうふつとさせた。

 しかし、相手が相手なだけに薫は油断できない。

 しかも、見あげたその人物の瞳の奥に、何か企んでいるような、上から薫を嘲笑しているような、くすんだ光を閉じ込めている気がしたのだ。


 はっと薫は身構える。


「そうだったんですか」

「じゃあ、私はこれで失礼」


 その人物は意外にもあっさりそれだけ言うと、くるりときびすを返し、エントランスの出口の方へ歩きだした。

 それを見て、薫はほっと胸を撫で下ろ……。


「時に、小野村君」

「は、はい!」


 背後から声をかけられ、薫はびくりとその場で小さく飛び上がった。


「君は、聞いたところによると、特殊な技能を持っているらしいな。その、他人の声を、真似するとか」

「……確かにそうですが」

「それもかなり熟達している、とか」


 薫は戸惑った。どうしていきなりそんなことを聞いてくるのか、全く理解できなかったから

だ。

 というよりもそんな話をどこで聞いたのだろう。まさか、君恵からだろうか。


「そうですけど、それが何か?」

「いや、なんでもない。ただちょっと小耳に挟んだ程度だ。本当かどうか確かめたくてね。それじゃあ」


 すると、それだけ言って、彼は再び背を向け、自動ドアをくぐって行った。

 薫は彼が話し終わる直前、口元がわずかに微笑んでいたような気がして、ぞっとした。


「いったいどうして、村松先生が」

 行ってしまった男性教師の名前をつぶやいて、閉じてしまったエレベーターのドアをボタンで開ける。乗り込み、君恵のいる階に向かった。



 エレベーターが動きだし、額の汗を拭いた薫は下唇を噛む。


「芦沢さん、あれはやっぱり気のせいなんかじゃないかもしれない」


 薫の脳内では、先ほど、村松先生が言った言葉がアンダーラインによって反芻されていた。



「須藤さん、いる? 小野村だけど」


 少し乱暴に個室の壁をノックした。


「どうぞ、入って」


 その声を聞いて、薫はすぐさまカーテンを開け、ベッドにいた君恵に歩み寄った。薫の様子がいつもとは違って切迫していたので、君恵は驚いて身を起こす。


「ど、どうかした?」

「今、村松先生が来てた?」

「うん。見舞いに来たって。突然だったからどうしたのかと思ったけど」

「それで、何て言ってた? 変なこと聞かれた?」


 そう言われて、君恵は怪しむように目を瞠った。


「変なこと? いや、足の具合を聞かれたり、事故についてとか、退院はいつできそうかとか、劇に出られなくて残念だねとか……」

「それ、だけ?」


 君恵の視線が数分前の記憶を探るように下に向いた。首をゆっくり横に振る。


「……ううん、そういえば、小野村君のこと、訊いてきた」


 やっぱり。自分のことを調べてるんだ。

 薫はごくりと生唾を飲み込む。


「先生、代役の小野村君のことを知りたいって言ってたけど、今思えばあれって変な質問だったかも」

「それで、何て答えたの?」

「何って、それはありのままに。小野村君とは小学校で転校してきて以来の付き合いで、今は別のクラスだけど、会えば話をするって」

「他には?」

「ずいぶん人の声の真似が得意みたいだけど、昔から知ってたかって」

「それには、どう答えたの?」

「つい最近噂で聞いたって。それまでは全然知らなかったから。そう言ったら、そうか、分かったって。それ以上のことはもう聞いてこなかった」


 薫は額に手を当てて俯く。

 まずいな。もしかすると、すでに村松先生はあのイタズラを自分がやったものとして断定し、証拠を集めているのかもしれない。

 彼女からはよく知らない様子だったから深く聞かなかったのだろう。

 薫はそう考える。


「ねえ、何がどうしたの?」


 彼女はベッドの端に腰掛けて、薫を不安そうに見つめている。そんな彼女をなだめるように薫は表情を緩めて言った。


「須藤さんが気にすることじゃないよ」

「でも、何か大変なことでしょ。じゃなきゃ、そんな深刻な顔するはずないもの」

「いや、まだ深刻なことかどうか。その辺りは判断できないよ。単なる杞憂ってこともあるし」


 言いながら、それでも出来るだけ早く堂野に連絡をしなければと思っていた。

 君恵はそんな薫を見、溜息をついて、


「村松先生に目を付けられているんでしょ、悪いことした?」


 図星を衝かれてぐっと息が詰まる。


「そ、そんなんじゃないって」

「また、そうやってごまかして。ねえ」


 彼女に詰め寄られ、次第に返答に窮する薫。


「……ええっと」

「ほら、小野村君、そこに座りなさい。私は前みたいに物分りよくないからね。今日はきちんと話してもらうんだから」


 君恵は怒ったように両手を腰に当て、薫を睨んできた。これにはたまらず、言われた通り、「分かったよ」と椅子に座った。

 嫌な予感に冷や汗が垂れる。

 このまま、彼女に全てを話してよいものか、と考えていたのだ。


 話すとなると、当然、山下の悪事に加担したところから話すことは避けられない。本意ではないしても、やったことは共犯だ。先生を陥れる悪事のである。

 そんなことをしたと聞いて彼女の自分に対するイメージが悪くならないかどうかが不安だったのだ。

 薫としては、君恵にだけは嫌われたくない。


 言うべきか言わざるべきか、その二択で迷っていると、ふいに膝の上に置いていた薫の両手に何かが触れた。滑らかで、暖かいその感触……。


「え、須藤さん?」


 それは、彼女が薫の手の上に自分の両手を置いていたのだ。しかも、逃がさないようにか、ぎゅっと掴んでくる。その感触、たおやかな指先に見とれた。

 彼女を見ると、目を細め、寂しそうな表情で、


「帰っちゃ、やだよ。お願いだから、何があったのか教えて」


 しかも、顔を近づけてそう言われ、心拍数が一気に跳ね上がるのを感じる。軽いめまいもした。

 そんな顔、されたら。

 多分だが、好きな女の子からこんな風に言われて、断われる男なんていないと薫は考えた。いや、多分じゃない、絶対だ。

 嬉しさと困惑の入り混じった感情に本当に倒れてしまいそうである。

 このまま隠し通すのは無理と判断した薫はもう早めに白状してしまおうと、頭を下げる。


「須藤さん、俺の負けだよ。正直に話すから」



「へえ、そんなことがあったんだ」


 事の進行の具合を薫から聞いた君恵は予想に反して、驚くでも怒るでもなく、平然としていた。ニュースのレポーターが各地の天気予報を伝えているときのように小さく相槌を打って聞いていた。


「今思えば、まさかこんなことになるなんて思ってもみなかったから。その、軽率な行為だっ

たよ」


 薫は俯いて拳を握った。


「反省してる?」


 そんな薫を覗き込むようにして、君恵が訊く。


「そりゃ、してる。あんなこと関わらなければよかった」

「だよねえ、下手すれば劇に出られなくなるかもしれないんだから」

「劇?」


 彼女に言われて一瞬薫は虚を衝かれた思いだった。目を瞬かせる。


「だって、もしイタズラがばれて、先生に怒られるようなことになったら、劇の役からも降ろされるかもよ」


 それは盲点だった。もしそうなれば演劇部にも迷惑をかけることになってしまう。

 おそらく、いまここで自分が居なくなってしまえば、もはや代役を探すことなど不可能だろう。そうなれば、劇は続行不能だ。


「そうか、そんなこと思いもしなかった」


 事の重大性に、寒気を感じる。

 これが有川に知れたら、何を言われるか分かったものではない。


「ね、私に関係ないなんてことないでしょ」

「そうだね。ごめん」


 情けなくなりながら頭を下げる。


「それより、これからどうするかが問題だね。すぐにでも手を打たないと、今回ばっかりは謝ってそれで無罪放免とはいかなそうだし」

「なんとか、せめて文化祭が終わるまででも、隠し通さなければいけない」

「ねえ、まず堂野君や山下君に相談したらどうかな。大勢で考えたほうがいい知恵が浮かぶものでしょ」


 彼女は人差し指を一本立てる。


「それは俺も考えてたんだ」


 彼女の意見に薫は何の異論もない。


「そう、なら善は急げね。病院の一階に公衆電話があるからそこから掛けようよ」

「ああ……うん」

「どうしたの?」

「いや、なんでもない」


 その時、返答しながら薫の脳裏をかすめたのは、最近自分に対して素っ気無い堂野の態度だ

ったのだ。



 その後、彼女と共に階下に降り、エントランスの隅に置かれた公衆電話において、薫はポケットから小銭を出し、すぐさま番号を押した。

 堂野の自宅の番号である。

 隣には君恵が車椅子で心配そうに受話器を持った薫を見ている。


 耳元では無機質な呼び出し音が響いていた。そして、それが途切れ、大人の女性の声が聞こえてくる。堂野の母親だった。薫は堂野と代わってくれるように頼む。

 しばらくして、電話に出た彼は眠たそうな声で喋った。


 もしかして眠っていたのだろうか。こんなときに。


「どうした? いきなり電話を掛けてくるなんて珍しいな」


 いつものぼんやりした声である。


「緊急事態だから、仕方なかった」

「緊急事態?」


 堂野の声に緊張が混じる。


「ああ、かなりまずいかもしれない」


 そして、薫は手短に病院で突然村松先生と出会ったこと、それから君恵に薫のことを質問していたことを報告した。

 そして、さらにもし事が発覚すれば、劇の降板もありうることも話した。できるだけ事態が切迫している様子を伝える。


「なあ、亮介。どうしたらいいと思う?」


 しかし、それにも関わらず、彼は欠伸混じりに、


「心配しすぎじゃないのか? 薫は考えすぎだよ」


 といういつもの彼にあるまじき、事の重大性を無視した平和ボケした返答をした(まあ、彼は普段からぼうっとしているが、それでもこれは変だ)。


「でも、現に村松先生は俺の声まねに妙に興味を持っている風だった。少なくとも、そこから発展して俺を疑うことは充分に考えられることだぜ」

「大丈夫だよ。きっと来週にはそんな興味も失せてるって」

「俺にはとてもそうは思えない」


 なぜなら、去り際に見せた村松先生の不敵な笑みは網膜にしっかり焼きついていた。あれは間違いなく、薫の警告信号を鳴らせている。


「心配症だなあ、薫は。もっとリラックスしろよ、そんなことじゃ演技にも支障が出るぞ。俺が保障する。きっと来週には村松先生は薫に大して何の興味も持たなくなってる」

「いったい何を根拠にそんなことが言えるんだよ」

「大丈夫だって。俺を信じろ」


 その言葉に薫は怒りで受話器を強く握った。


「なんだよ、大丈夫、大丈夫って。亮介、どうかしてるのか? 最近だって、まるで俺を避けるようにしてるし。真剣に俺の言うことを聞いてくれてるのか。どうなんだ!」


 苛立った薫は、つい、感情まかせに受話器に向け、怒鳴った。

 そうでもなければ、この寝ぼけた友人の目を覚ませそうになかったのだ。じわり、と握った手のひらに汗が滲む。


「……熱くなるな。落ち着け、薫。俺はきちんと薫の言うことを聞いてる。その上で大丈夫だって言ってるんだ」


 いやに落ち着いた声だ。


「でも、亮介……」


 そこで、薫は自分の服の袖を誰かが引っ張っているのに気がついた。振り向くと、君恵だった。なぜか、片手を差し出している。


「ねえ、私と電話を代わって」

「いいけど……亮介、今、須藤さんと代わる」


 そう告げ、彼女に受話器を手渡した。彼女はそっと耳元の髪を掻き揚げ、そこに受話器を当てて話し始めた。


「……ええそう、須藤君恵です」


 彼女と堂野の会話が始まる。


「小野村君の言ってることは全部、本当よ。うん……。でも、どうしてそうなるの……うん、うん。え、山下君?」


 急に会話に山下という名前が出てきて、隣に立っていた薫は額に皺を寄せる。いったいどんな会話をしているのだろう。


「ええ、うん。確かに、そうだね……堂野君の言ってることは分かる。でも、えっ!」


 意外なことを言われたのか、彼女は受話器をさらに引き寄せた。そして、なぜか、薫をはばかるように口元を隠しながら会話を始めたのだ。ちらちらと薫を見ている。

 この状況に薫としてはいても経ってもいられない。自分が知らない話を堂野が彼女に話していることは明白だった。しかも、君恵はそれを薫に聞かせたくないらしい。

 そのまま、深刻そうな顔をして頷いている君恵。


 しかしその表情が一変、明るくなった。


「ふふふ、そうなんだ。それは面白いかもね。きっと大丈夫だよ」


 なんと相好を崩して笑い始めたのである。

 大丈夫だよって、どういうこと?


 まさか、彼女にまで堂野の能天気病がうつったのだろうか。

 妙な不安に駆られる。

 まるで、自分だけが蚊帳の外に置かれている気分だ。


「うん、分かった。がんばって。それじゃあね」


 君恵は会話が終わったのか、別れの挨拶をして、受話器を薫に返すこともなくそのまま本体のフックにかけた。


「え? 終わり?」


 肩透かしを食らったような気分だ。


「うん、堂野君の言ったとおり、大丈夫みたい」

「いまいち信用が出来ないんだけど」


 如何ともしがたい不安な気持ちに困惑してしまう。

 すると彼女は手を叩いて急に話題を変えた。


「そんなことより、今日は劇のことを話しに来てくれたんでしょ」

「うん、そうだけど」


 薫は今になって本来の目的を思い出した。そのために今日は病院を訪れたのである。


「嫌なことは忘れて、私とそのこと話そ。そうだ、お母さんが持ってきてくれたシュークリームがあるんだった。薫君も食べるよね。だから行こうよ、ほら」


 なぜか妙に楽しそうに手を引っぱった君恵の提案を、薫は断われるはずもなく、頷いた。君恵の車椅子を後ろから押す。

 君恵と二人で話を出来るのはもちろん嬉しい。

 しかし、本当にこれでいいのか、と意識の奥でノックをする音が聞こえて、その日の間、鳴り止まなかった。



 妙な事態に陥ったのは次の日のことだった。

 いつものように体育館での劇の練習が終わった後、薫はホームルーム後、行方不明の堂野を探しもせず、自宅に帰ろうと校門を目指していた。

 秋の夕暮れは早く、すでに陽は沈み、夜が辺りに忍び寄ってきていた。

 そんな校庭の向こうから数名の生徒が薫の名前を呼んでいるのに気がついたのは、校門をくぐる手前のことだった。


「小野村君、ちょっと待って」


 振り返ると、同じクラスの生徒である。女子の生徒と男子の生徒も数名見える。


「どうかしたの? 材料が足らなくなった?」


 忘れていた方もいるかもしれないが、薫は文化祭準備の材料集めの役員でもある。彼は今でもきちんとその職務を果たしていた。

 だから、今回もその用事かと思ったのである。


「ううん、違うの」


 先頭に走ってきた女子生徒が言う。


「山下君と堂野君を知らない?」


 薫は首を傾げた。


「はあ、知らないけど? その二人がどうかした?」


 ここ数日の妙な二人の行動が薫の目の前でよみがえった。

 その二人がセットになって会話に出てきたので、薫は身構える。何か問題を起こしたのだろうか。


「えっとそれがね……。文化祭に使うために用意していた準備物をいくつか持っていったみたいなの」

「なんで?」

「それが分からないの。数名の人たちが二人がどこかに持っていったのを見てたみたいけど、それっきり戻ってこないから変だと思って」

「……」

「小野村君も分からない? いつも二人とは仲良さそうだけど」

「それが、最近妙に避けられててさ。変だとは思ってたんだ」


 そう言って薫は唸って考え込む。

 そんなものを二人で勝手に持ち出して何をするつもりだろうか。

 がっかりしたように、その生徒は肩を落とした。


「なあんだ。分からないのか」

「とりあえず、一緒に教室に行かない? 戻ってきてるかもしれないし」


 気になってとてもこのまま帰れそうになかった薫はそう提案した。

 生徒たちはそれに同意し、全員で校舎に戻ることになった。

 そして、自分たちのクラスに戻ってきたところで、薫は入り口に誰かが立っているのに気がついた。中の様子をドアから覗いている少女がいる。


「あれ、芦沢さん。どうかした?」


 後ろから声をかけられたのに驚いたのか、彼女は「きゃあ」と悲鳴を上げる。


「驚かさないでよ」


 口元を引きつらせながら彼女は怒る。


「いや、行動が怪しかったんで、つい」


 薫はにやつきながら、頭を掻いて反省した振りをする。すると、彼女から意外な言葉が出た。


「それより、山下君を知らない? 教室にいないみたいだけど」

「え、芦沢さんも探してるの?」


 これには驚く。


「実は、彼に貸してた音楽室に保管してあるCDを返してもらいに来たのよ。今日の昼間に持っていってそれきりだから。でも、その様子だと知らないみたいね」

「うん、俺たちも探してるんだけどね。どこにいったのやら」


 そう言って、周囲を見渡していると、今度は廊下の曲がり角から見知った顔が現れた。蛍光灯が照らした廊下をこちらに向かって走ってくる。


「有川さんだ」


 彼女は薫を見つけると、はっとして手を振ってくる。


「小野村君、まだ帰ってなかったんだ」


 彼女は薫の目の前で立ち止まり、ひざに手を突いて大きく息をした。


「それが、ちょっと変なことになってて。有川さんこそ、どうしたの?」

「それが、事情があって。山下君と堂野君を知らない?」


 もしや、とは思ったが、またそれか。薫には訳がわからない。疑問が膨らむばかりだ。

 いったいあの二人は何をしているんだ?

 隣の芦沢は、


「あなたもなの?」


 と有川を指差している。


「あなたもって、どういうこと? とにかく私は一年の馬場君と奥山さんを勝手にどこか連れ

て行った堂野君たちを探してるの」

「私も山下君を探してるの」

「え、あなたも?」

「ついでに言うと、小野村君たちもみたいよ」


 芦沢がぽんと薫の頭に手を乗せる。


 すると、有川がめがねの奥でその瞳を光らせた。何か思いついたようである。


「これは、どういうことなの? 小野村君。何か知ってるんでしょ」

「そうなの? 小野村君。じゃあ説明して」


 なぜか、二人から詰め寄られ、薫はじりじりと後退する。

 しかし、薫、何も知るはずもない。混乱した頭で目を瞑り、両手を挙げ、降参のポーズをする。切羽詰って、


「そ、そう言われても、俺だって」

「俺だって?」

「何も分からないんだ!」


 と叫んだ。

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