第十一話 不測の事態にアンダーライン
体育館の中央、並べた椅子の上に有川久美は座っていた。神経質そうに眉間に皺を寄せ、足を組んで舞台の進行を見つめている。
シーンは白雪姫に扮した薫が魔女からもらったりんごを食べて、眠りについてしまうところだ。七人の小人が棺を囲んですすり泣いている。
ライトが消え、劇は幕間。
彼女は足を組み替え、隣に座っている薫の友人、堂野亮介を一瞥して言った。
「小野村君、大したものね。まさか本当に一日で全ての台詞を覚えてくるなんて。しかも、きちんと君恵の声の出し方まで真似してる」
それに対し、眠たそうに目をこする堂野は同感の意思を示した。
「うん、それは俺もびっくりしてる。薫の力は相当だと思ってたけど、これほどなんて」
「その割には、あんまり驚いてないようだけど?」
久美は一切表情を変えずに感想を口にした堂野を訝って訊いた。
「ああ、昔からリアクションが悪いっていう苦情は腐るほどきてる」
そう言った彼は自嘲気味に薄っすら笑った。それを見てから、久美はふと思いついたことを堂野に訊いてみた。
「でも、あれだけ他人の声を出せたら、自分の好きな声で一日中過ごせたりするんじゃない? 日替わりで声を変えたりして そう思うとなんだか羨ましくもなるわね」
「いや、それにも限界があるって薫は言ってた」
「限界?」
「過度に他人の声を出しすぎていると、声が出なくなるんだってさ。声が枯れるってことかな。一度、試しすぎてそうなったことがあるって話してた。だから、普段はあまり使わないようにしてるって」
「……へえ、彼の力も万能ってわけじゃないのね」
その時、舞台の方から大きな物音がした。久美は瞬時に部員が準備に手間取っているに気がついた。
「こら! 本番でもそんな風に騒音を立てるつもり? 大道具はしっかり連携して、慌てず準備しなさいって言ってるでしょ」
立ち上がり、口に手を当ててそう注意をする。すぐに、幕の内側から「すいません」という謝罪の声が聞こえた。
「もう、本番まであと何日だと思ってるのよ」
「部長さんも大変だね」
隣の堂野が労をねぎらうような言い方をした。久美は「まあね」と眉を動かす。
「それはいいとして、小野村君のことだけど」
「何?」
「彼、劇を始める前までずいぶん役を嫌がってたけど、最近は少しもそんな素振りはないわね」
「ああ、そういえば」
「衣装を着るのにだって抵抗を感じなくなってるみたいだし。きちんと女役である白雪姫を演じてる。何かあったのかしら?」
堂野は首をすくめる。
「さあ? でも、やる気がなくなるよりはマシだから、いいんじゃない?」
「まあ、それはそうだけど」
久美はいまいち腑に落ちなかったが、とりあえず、無視をした。
再び、幕にライトが当たり、劇が再開する。王子役の生徒が森の奥深くで眠ったままの白雪姫を見つける場面だ。
その後は特に滞りもなくそのまま進行し、ストーリーは悪い魔女が死に、白雪姫と王子の結婚式へ。
薫は姫の衣装で、城の上から王子と共に祝福してくれている人々に手を振る演技をしている。
それは決して、久美が納得するほど完璧なものではなかった。しかし、全くの素人にしてはかなりやる気の情熱があるように感じた。きっとそれは見ている客にも伝わる。この様子なら本番も大丈夫だろう。
そして、劇はひとまず終了した。
それを確認して、久美は愚痴るように口を開く。
「本当に、彼が帰宅部なのが惜しいわよ」
「うん?」
「これを機にぜひ、私達の部に来てもらえないかしら? このままじゃ宝の持ち腐れってやつよ」
「そういうことなら、薫に言った方がいいんじゃ?」
「そりゃもちろん、彼にだって訊くつもり。でも、友達であるあなたからも言われれば、少しは可能性が高まるかもしれないじゃない?」
「なんだ、買収でもするつもりか?」
彼は怪訝そうに目を細めた。
その言葉に久美は不機嫌になり、ふんとそっぽを向く。
「堂野君は勘繰り過ぎ。まるで、私が極悪人みたいじゃない。私の評判ってそんなに悪いの?」
「ご高名はかねがね聞いてるよ。でも、俺はそういう噂だけで人を判断しない性質だから。今のはちょっとした嘘だよ。どういう反応するか見てたんだ」
これには久美も目を丸くする。そして、その驚きをすぐに表情から隠し、
「……ふうん。それで、その慧眼の士は今の私の反応からどんな分析をしたのかしら? 聞いてみたいわね」
と聞いた。
「ううん、そうだね」
堂野は顎に手を当てて、考える素振りを見せる。
「傍からは一匹狼なように見えて、実は、意外と周りの視線を気にしてたり……痛てっ」
突然の痛みに、思わず堂野が椅子から立ち上がり、後ずさる。実は、久美は彼の話を聞いている振りをして、かかとで彼の足を踏みつけたのだった。
「そうやって、あんまり人のことを知ったように喋らないほうがいいわよ。それに、人を試すようなこともね。不快に思う人もいるだろうし」
「ご、ご忠告、どうも。変なことして、ごめん」
彼は申し訳なさそうに、頭を下げる。
「分かればいいの」
満足な気分に浸りながら、久美は横目に彼を見ながら立ち上がった。
ほんとに切れる人ね。何も考えていないようなその辺りの男子とは違う。
久美は堂野からそんな印象を受け取った。
副部長にでもなってくれたら、とても心強いのに。薫君と一緒に演劇部に入ってくれないかしら。久美は思った。
舞台の隅から小走りで奥山が駆けて来る。
「先輩、どうしましょうか?」
次なる指示を仰ぎにきたようである。
「それじゃ、まだ時間があるからもう一度始めから通してみましょう。各自、問題点は分かってると思うから、特に注意はしないわ」
「分かりました。すぐに準備をします」
彼女は頷いて、再び、舞台に戻っていく。それを見送って、ふと隣にいるはずの堂野を見ると、彼の姿はなかった。
「あら? 堂野君?」
もしかすると、帰ったのだろうか。
しかし、辺りを見回してその推測は違うことが分かる。彼は体育館の入り口で立っていた。それも、なにやら誰かと話をしているようである。
久美はそれを怪しく思ったが、持ち場を離れるわけにもいかず、椅子に座った。ちらちらと堂野の方を見るが、誰と話しているのかは距離があって分からない。
まあ、いいか。きっと自分には関係のないことに違いない。
舞台で幕が上がり始めた。
踏みつけられた足をさすり、椅子に戻ろうとして、堂野は誰かから名前を呼ばれるのに気がついた。
「堂野、おい、こっちこっち」
見ると、体育館の入り口で人が自分のことを手招きしている。その様子で誰なのかは分かった。小走りで近寄る。
「山下、何か用か?」
訊くと、彼はここまで走ってきたのか、息を切らしながら、身体を揺らして大きく頷いた。
「ハア、ハア、あのさ。厄介なことになりそうなんだ」
「厄介なこと?」
山下が言うのだから、聞き捨てならない。言っては悪いが、堂野にとって彼は厄介ごとの塊のような存在だった。
「そうそう、かなりヘヴィーだぜ」
肩を上下させながら、彼はにやりと笑う。
「日本語文化の崩壊を助長するような言葉遣いは止めて、さっさと何があったのか話せって」
「それがよ、村松のことだ」
「村松先生がどうかしたか?」
「……小野村のことを調べてる」
これには、堂野も言葉を詰まらせた。一応警戒していたことだが、まさか、こんなにも早く事が発生するとは思わなかったのだ。
「担任の今田先生にどんな生徒かって訊いたり、他の先生たちにも、あの他人の声を真似する技術について知っているか訊いてるみたいだ」
「やっぱり、目を付けられたか」
薫の技術が高いことは親友である堂野がよく分かっている。あの声を持ってすれば、姿さえ見られなければ他人に成りすますことも可能だ。
村松先生が劇の様子を見たなら、そこまで推測してもおかしくはない。彼はきっといたずらの犯人を見つけたと思っているのだろう。
「なあ堂野、どう思う?」
「どう思うって言われても」
さすがにどうでもいい、とは言えない。
「きっと村松のことだ、このまま放っておいたら、今週中にも小野村を呼び出すに違いない」
「……とりあえず、薫に話しておくか?」
「だめだ」
山下は首を振る。
「今回のことの責任の発端は俺にあるのは分かってる。だから、小野村に迷惑はかけられないんだ。あいつは劇に集中してるんだろ。変に心配させたら、何かしら演技に支障がでるかもしれない。俺がなんとかしたい」
いつになく、彼らしくもない真剣な口調だ。
「山下……」
「なんとか、俺たちだけでこの問題を解決しよう、な」
「俺たち?」
「ああ、俺と、お前だ」
山下は当然のことのように自分と堂野を指差した。
「発端の責任を俺にも擦り付けるつもりか? 今の言い方だと、山下が解決するんじゃないのか」
「あのな、俺だけでそんなことできると思うか?」
「出来ないと決めてかかるのは容易いぞ。責任を感じてるなら、少しは自分で解決しようと努力しろって」
「何言ってんだ、一人より二人の方が良いに決まってるだろ。労力も分散される。そんなささいなことをうじうじ気にしてると大きくなれないぞ」
「今でも充分大きくなってるつもりだ」
そう言った堂野に対し、山下は自分と彼の背を目線で測った。明らかに十センチは高さが違う。
「堂野に言うべきことじゃなかったな」
彼は失敗したと肩を落とす。
「だろ?」
「でも堂野、友人が困ってるのに手を貸さないってのもどうだ?」
「そうは言ってないけど……」
こうなれば、仕方ない。力を貸すしかないだろう。
「じゃあ、これからどうする?」
そう言うと、山下はきょとんとした顔をした。
「それをお前に考えてもらおうとここに来たんじゃないか」
「いきなり俺を頼るのか。さっきも言ったけど、少しは自分で考えてくれ。自分で撒いた種なら、自分で芽を摘み取るために積極的になれよ」
「そうか、なら俺は、お前に頼むことに積極的になる」
彼の目が光る。
「力を注ぐ方向が違う、方向が」
そうツッコミながら、堂野は山下相手だと、かなり会話で疲れることに気がついた。普段こんなに喋らないからだろうか。薫がいない分、自分が全て応答しないといけない。
正直、疲れた。
「頼む、堂野」
山下は手のひらを前で合わせて、ひざまずく。それを見て、堂野は溜息。
「ここで話してても埒が明かないな。向こうに行こう」
と校舎の方を指差した。