序章2´ 神城裕也は帰り道を逆走したのです
交差点から出られない。
どれだけ歩いても、どこまで行っても、そこには同じ交差点が繰り返されるのである。安っぽいゲームギミックのように。
どうしてこんな珍妙な事態になっているのか。
理由を語ろうにも、この【超常】の原理が全くの不明だ。
だからまずは、男子高校生二人が『この日』に何をしていたのか。手探りするならその辺りからか。
はたして時間は――主観的にはほんの少しだけ――巻きもどる。
「駄菓子屋に行くぞ!!」
「…………はぁ」
それは唐突だった。
どれぐらい唐突だったかと言えば、終学活からふて寝決め込んでたら、いつの間にかクソどうでもいい愚痴を長々としかも一方的に浴びせられていて、最後を『駄菓子屋うんぬん』という別に聞きたくもない話題でシメられたぐらいに唐突。
理不尽を枕詞にした、まさしく青天の霹靂だった。
「は! なんだハトが豆鉄砲乱射事件起こしたみたいな顔して!! とりまユウの荷物は勝手にまとめたから校庭のバイクでもかっぱらって駄菓子屋で『お話』と洒落こもうぜ!」
「ごめん。状況についていけない」
「は! なにハトが豆鉄砲乱射テロ起こしたみたいな――」
「簡潔に」
「洒落こもう、ゼッ!!!」
「お断りします。以上、解散」
机に乗り出した幼馴染みは、とにかく顔がめっちゃ近い。鼻息ふんふんするな、決定は覆らん。
「なんでだよっ!? 魅力的な提案だろ!?」
「ちょっと自らの行いをゆっくり顧みて、かつじっくりと噛み締めてみてから、ど、う、ぞ!!!」
秒速五センチメートルで接近してくる顔面をギリギリと押し返す。
すると幼馴染みは腕を組み、ブツブツと何かを呟きだす。どうやら何かを『顧みている』ようだが、その胸中は計り知れない。
この少年は伊吹 誠人。裕也の幼馴染みで、正反対に近い性格の乖離が一周回って噛み合うタイプの腐れ縁。
裕也より頭半個低い背丈。
少しクセのある短い黒髪。
日に薄く焼けた健康的な肌。
引き締まった肢体。
何だか魅力的に聞こえるが、それは甘すぎる考えだと言わざるを得ない。前提としてコイツは馬鹿野郎だから。
本人曰く、そのやや小さい身体には不屈のエネルギーが満ち満ちているそうな。
周囲を見渡すとまだ残っている生徒は疎らだった。花の高校生は、放課後にふて寝決め込まないのが普通である。
誠人は唐突に机を叩く。
「ユウ! 例の話を聞きに行くぞ!!」
活力に満ちたその提案、改めて聞いても答えは変わらない。……顧みさせても意味がなかった。
裕也にとっては嫌すぎる提案。何度も何度も断るが、誠人は全くもって折れる気配がない。何が彼をそこまで駆り立てているのか。部外者なのに。
強引でまっすぐな黒い瞳が裕也を射抜く。少したじろぐように視線を逸らした。
「マサは、陸上部どうするんだよ。このあと部活だろ?」
「サボる!!」
誠人は満面の勝利を讃えて言い放った。
「どうして?」無意味なのは承知で理由を問う。誠人は深い哲学でも語るように腕を組んで、
「いやぁなんて言うかなぁ。あそこはオレの居場所としちゃ役不足なんだよな。
オレはあんな場所に縛られたままのオレじゃねぇ。オレはオレのまま、オレの『生き様』が求める場所へ進んでいくだけなんだぜ!」
お前らといる方がしっくりくんだよ。誠人はニシシと笑った。
何も言えなかった。「オレって何回言うんだよ……」としか言えなかった。胸には言語化できない虚しさが募るばかりだ。
「というわけで、なんだぜユウ!!」
誠人は前置きを叫び、抗議するかのごとく右手で机を平手打ちした。
「いざ往かん! 魂の行き着く地へ!!
うるさすぎる。だが苦情はない。
すでに教室は二人きりを残したがらんどう。
放課後のシチュエーションとしては最高級品だが、それは結局相手に寄るところが大きいと、裕也は深く理解していた。
「いざ往かん! 魂の行き着く地へ!!」
同じ言葉を繰り替えすのは頑固の予兆。
だが何を言われようと、行きたくないものは行きたくない。
一生と言えば誇張が過ぎるが、ああいう類にはしばらく関わりは持ちたくない。それが裕也の正直なところだった。
なので代案を突きつけてやる。
「うちの部長を……しのかを連れていけよ。今日は部活ないから捕まえられると思うぞ」
「そりゃ無理だ。用事があるんだと」
先手を取られていた。大方、彼女を丸め込んで二人がかりで裕也を連行していく目論見だったに違いない。
それにしても彼女が食いついて来ないとなると、今日はそれなりの用事か。ツイている。
つまり勝機だ。キッパリと言い張る。
「とにかく行きたくないものは行きたくないんだ。残念だけど今日はお引き取りねが――」
「――そういやこんなもんを預かってたんだった」
今思い出したと誇張するように、一枚の紙を取り出す。
それは長方形に二つ折りされた色紙で、机にスマートに叩きつけると、悪巧みな笑みを浮かべる。
「………………行きます」
そこには、達筆でわずか一言。
『部長命令☆』
末尾に飾られた星が荒々しく踊って見えた。
――――
そんなこんなで。
裕也は半ば引きずられるように、例の駄菓子屋へと足を運んだ。わざわざ帰り道と真逆の方へ、逆走してやった。
結論を言えば、行ってよかったが、行かなければよかった。
会いたかった『人』がいたし、それは会いたくなかった『人』でもあった。そんな感想に落ち着く。
詳細は省くが、そこには差し引きが存在したということ。正と負が頭の中で足を引っ張りあっている。そんなところ。
最終的にどちら側に落ち込むのかは、誰にもわからない。
とにかくは、当初の目的(強制)は果たされたと言っていいだろう。
ただ、今現在の率直な感想を言わせてもらうならば――
「行かなきゃ、よかったかもなぁ……」
光なき真っ暗闇の空に、そう漏らすしかなかった。
「は? なんか言ったか、ユウ? ……むぐむぐ」
そう疑問符を投げかける声は、口いっぱいにスナック菓子を詰め込んでいた。
「お気楽か! ド定番ストレートのお気楽か!」
「は! 人生ってのは楽しんだもんの勝ちなんだぜ!」
「格言ペラッペラか!」
バカっぽいことを言う誠人。
こう見えても――というか見たまんまだが、誠人はかなりの健脚である。
唐突に走り出した裕也を即座に追いかけ、気付かぬうちに追い抜いてしまうくらいには。
そういえば今の誠人は陸上部。速いはずだ。……いや昔から早かったが。変わらないものを一つ見つけて、胸の奥で込み上げる感情がある。
そしてコイツはずっとこんな調子だから。そこには変わらないナニカを、いささか多く期待してしまう。
裕也は、自らを戒めるように口を抑えた。
――謎の異空間に閉じ込められている……か。
情報は少ない。だがとりあえずの仮定としてはこんなところ。
ただこの現状を確かな絶望として受け止めるには、実感があまりにも伴っていない。
ここがまだ自らの夢の中、奇っ怪で趣味の悪い明晰夢の可能性は捨てられない――が、絶対にありえない状況だとは言えない。
視線は交差点の彼方へ、その暗闇を見つめる。
何かが横切った。
「ーーっ!?」
「んー、どした?」
「いや、……今なにかが……」
見間違いか。いま交差点を誰かが……いや、もっと小さいものが横切った。
「……なぁ、マサ」
「ん? どした? もろこし三太郎はやらんぞ。オレのだ」
「ド定番なボケはもういいよ。
……マサは、今の状況って説明できる?」
「この道から出れねぇ! ユウはハチャメチャ泣き虫! スナックはコンポタ一強!」
以上だ! と胸を張る幼なじみ。残念ながら予想以上に予想以下の答えだった。
だから、ここでは自分が前を歩くしかない。誰かに引っ張ってもらえるなんて贅沢はここにはない。
ゆっくりと、硬いアスファルトを全身で感じるようにして立ち上がる。
「とりあえず、移動してみよう」