観音堂の秘密
木枯らしに落ち葉が舞い、山のふもとの寺にも、冬がおとずれました。夜明け前の広い境内に、白い影がよたよたと動いています。少しずつあたりが明るくなり始めると、白い影は傷ついた白きつねでした。崖から落ちて傷つき、寺に迷い込んでしまったのです。白きつねは傷ついた足が痛くて、山には帰れそうにありません。かといって、ここにいれば人間に見つかってしまいます。痛む足をひきずっていると、目の前に古い大きなお堂があらわれました。見上げると、お堂の額に観音堂と書かれています。白きつねは不思議な力を感じたのでしょうか、安心したかのように、お堂の柱に倒れこみました。その時、かさかさと落ち葉をふむ、お堂に近づく足音が聞こえてきました。人間の足音です。白きつねは観念していると、どこからか、穏やかな声が聞こえてきました。
「お堂の裏手にあるすきまから、中へ入りなさい。ずいぶんとひどい傷を負っているよだ。傷がいえるまで、ここにいるがよい。私が見守ってあげよう。」
白きつねは周囲を見回しましたが、だれもいません。声のとおりに裏手に回ると、お堂の中へ続く、動物がやっと通れるくらいの小さなすきまを見つけ、もぐりこみました。
近づく足音はお堂のとびらの前でとまり、がちゃがちゃと鍵を外しました。若い僧侶が朝のお勤めの支度にきたのです。お堂の中へ入り、ロウソクの灯りをともし、お供え物を並べ、お花を飾りました。後から住職様も来て、お経が唱えられました。お勤めが終わるとロウソクの灯りが消され、若い僧侶は鍵をかけました。窓のないお堂の中は真っ暗になりました。
「白きつねよ。出てきても、大丈夫じゃ。」
「あなたはだれですか。」
白きつねがたずねると、頭の上から声が聞こえました。
「おまえの目の前にいる千手観音じゃ。その傷では山へ帰れんじゃろ。ここは昼間だれも来ないから、私の供物を食べて体を休め、元気になってから、お帰りなさい。」
「千手観音様。ありがとうございます。」
白きつねが頭を上げると、お堂のすきまからもれるわずかな太陽の光に、天井近くまである、大きな千手観音様のやさしい横顔がうっすらと映し出されていました。
何日かが過ぎて、白きつねはすっかり元気になりました。白きつねは毎朝、住職様の唱えるお経を聞いて、いつかお礼に千手観音様に、お経を唱えてさしあげたいと思いました。、白きつねは心を込めて、住職様をまね、何度もお経を口ずさみました。
その朝、若い僧侶はいつもより少し早くお堂へやってきました。最近気になることがあったからです。千手観音様のお供物がなくなっているのです。お堂の中を調べましたが、手掛かりは見つかりません。いつものようにお勤めを終え、お堂を出て行きました。とびらの閉まる音を聞くと、白きつねは千手観音様の前に姿をあらわしました。消し忘れたほのかなロウソクの灯りの中に千手観音様のお顔を見上げました。
「千住観音様、ありがとうございました。この通り歩けるようになりました。最後に、お礼のお経を唱えさせてください。」
しばらくして、若い僧侶はロウソクの火を一本消し忘れたことを思い出し、お堂へ戻りました。とびらの前まで来ると、若い僧侶は耳を疑いました。だれもいないはずのお堂の中から、お経を唱える声が聞こえるのです。若い僧侶はとびらのすきまから、そっと中をうかがいました。消し忘れたロウソクの灯りに見えたのは、千手観音様の前に座り、お経を唱えている白きつねです。若い僧侶は驚き、住職様に知らせ、お堂に来てもらいました。とびらを開けると、ロウソクの火は消えていて、だれもいません。
「住職様。本当なのです。消し忘れたロウソクの火を消しにもどりましたところ、白きつねがお経を唱えていたのです。」
若い僧侶が真顔で訴えると、住職様はにこにこして、こたえました。
「昔、先代の住職様から聞いたことがある。千手観音様は慈悲深くいらっしゃるから、傷ついて迷い込んだ動物にも、やさしくされるそうなのじゃ。」
「でも白きつねは、どこからお堂へ入ったのでしょうか。」
「お堂のどこかに動物たちの秘密の出入り口があるらしい。お経はお堂の中で私たちが唱えるのを聞いて、覚えたのであろう。」
「お供物は白きつねが食べていたのですね。」
二人は温かい気持になり、自然と笑みがこぼれました。再びとびらが閉められ、だれもいなくなると、白きつねは、秘密の出入り口から外に出ました。名残惜しそうに観音堂を見上げ、ぺこりと頭を下げると、山に向かって走り出しました。