力の確認とファーストコンタクト
カー、とどこからかカラスと似たような鳴き声がする。異世界の天気は快晴。雲ひとつない青空から日差しが照りつける。
「そうだ、確かめたいことがあったんです」
手近な石を掴む。
「これを転送できますか?」
女神様が自分の胸のあたりに手を添えて瞑目する。
「権能は失われたわけではないみたい。送ることは可能よ」
何も確かめたようには見えないのが、きっと感覚的にわかったりするのだろう。私だって野球をやらなくなって随分久しいが、今でも100キロを越える球速でボールを投げられるような気がする。その感覚だろう。
「ではやっていただけますか」
わけわかんないわねえ、とブツブツ呟きながらも素直に従ってくれる。光の粒が石の周囲を覆い、瞬間消えて無くなる。
「できたわよってどこ見てるのよ」
「あそこ、見てください」
道の真ん中を指差す。より具体的には道の真ん中にある石である。
「道ね」
「道の真ん中です」
「何もないじゃない」
「石があるでしょ。あの石」
「ただの石ね」
「いえ、あれは女神様が送った石です」
「私が送ったんだから当然じゃない」
「ええ、まあ当然なんですけどそうじゃなくて」
こいつ理解力ねえなあ、会話が噛み合わないなと心の中だけで思う。日本語を一から覚えた頭脳は天界に置いてきてしまったのだろうか。
「このことは三つのことを示唆しています」
指を三本立てて女神様の顔の前に出す。口を開きかける女神様を指だけで押しとどめる。
「一つ目は、これは女神様にとっては残念なことですが、女神様の力で天界に戻ることはできないということです」
「貴方、どうしてくれるのよ!」
「そう興奮しないで。まあ、半ば想像がついていたのでそれはいいのです」
「全然良くないわよ!」
女神様にとっては死活問題でも私にとってはむしろ女神様にいなくなられる方が困るのだから、この温度差は当然であろう。いや、寂しいとかではなくて。
「二つ目に送ったものは同じ場所に転送されるということ。これは後々使えます。厄介なこともありますが」
下界は飽きたわ、天界に帰ると女神様が言い出したらかなわない。そういう意味ではここにしか送れないのはいいことだ。
「最後におまけですが、現実世界でも力は使えるということ。女神様はご存じないかもしれないですが、現実世界で雷を降らせるのは雷神ではなく純然たる物理法則です。病を治すのは神の奇跡ではなく、医者です。ということは、逆説的に現実世界では神の力を使うことはできないということがありえたわけです。杞憂でしたけど」
「当然じゃない。物理法則だかなんだかしらないけど、人間世界の神は雷神が降らせたものよ。人間はそんなことも知らないで、自分の理解できるように捉え直しているだけなのだから」
「いや、逆です、逆」
「貴方が逆よ」
こればかりは譲れないと意固地になって主張し続ける女神様にこちらが折れる。
「参りました。まあ、私も実際こう見せつけられたら納得するしかないというか。穏当に言うなら、物理法則とは別に人間がまだ解明できていない法則があると言うことでしょうか」
「バッカね、貴方。そんなの天界に来た時からわかりきっていたことじゃない」
「そういうことが言いたかったのではないですが女神様が幸せなら私は満足です」
「何よあなた、ムカつくわね」
と、ムカつく顔をする女神様。あまり機嫌を損ねても仕様がないので、褒めて伸ばすことにする。
「それにしても、全く同じ場所に、見た所何の危険も冒さずに、最大で人間大のモノを転送するなんて奇跡としか言いようがない」
以前マジックを見たことがある。突然何もない空間から現れる奇術師に驚いたものだが、女神様の力はタネも仕掛けもない。少なくともそのタネは物理という名で表せるものではない。
「あそこにあった空気はどうなったんでしょうね」
「は?」
「石が突然現れた。でもそこには 空気やらチリやらの物質があったはずです。それだけじゃない。石があった場所に何も存在しなくなる。するとどうなるでしょう」
「知らなわいわよ。バカじゃないの」
「こういうの考えるの面白くないですか?」
「全然面白くないわ。貴方はただ私の力に恐れおののき、崇め奉ればいいだけよ、絵島稔久」
尊大なセリフを吐く女神様。というか、少しは興味を持ってくれてもいいじゃない。キャバ嬢ほどとは言わないが、オフィスレディでも多少は話を合わせて、ビジネススマイルを浮かべてくれるのに。意に介さないあたりが女神様の神たる所以なのだろう。絵島稔久という人間の考えていることに興味がないとしたら、さらに辛いことであるが、そこまでではないと信じたい。
「その絵島稔久って言い難くないですか」
「区切るところがないじゃない」
「絵島が姓で稔久が名前です。どちらかで呼んでくれれば良いですよ」
「それは……何というか、自然な言い方じゃないわ」
歯に物が挟まったような言い方をする女神様。
「自然な言い方ではない?」
「絵島も稔久も何というか変よ!」
これもまた感覚の問題だろう。口には出さないが私からしたら女神様の本名も相当変なのでそれは理解できる。だからこそ女神様と呼んでいるのだから。
「ふむふむ。それなら何かあだ名のようなものはつけられないのでしょうか。どうもフルネームで呼ばれるのには慣れていなくて」
「あだ名……そうね。絵島稔久だから…………エエソハバね。
「どこをどういじったらそうなるんですか!」
絵島稔久、えじまなるひさ、えずいまなるひさ、えーすいまなるひさ、えーそまは、エエソハバ……ってなるかあ!
やはり人間と神との隔たりは見た目以上に大きいようだ。
『おい、そこで何をしている』
岩の向こうから人影が複数現れた。話に夢中になっていたとしてもこの距離に近づかれるまで気づかないなんておかしい。
剣をはき、革の鎧を身につけた騎士風の男が二人いた。片方は栗毛の髪に浅黒いあだに彫りの深いラテンアメリカ風の顔で鎧から覗く部分だけでも筋骨隆々、もう一人は黒の長髪を紐で束ねたポニーテール、西欧風の顔。奇妙な取り合わせではあるが、人間としてみればおかしなところはなく、勇気が湧いてくる。
一歩女神様の前に出て、努めて穏やかな声で述べる。
「我々は怪しい者ではありません。私たちの言葉がわかる方はおりませんか?」
『異国のものか』
騎士風の男が剣の柄に手を置く。
「何よこいつら、やる気」
「やらないですよ、女神様」
女神様をどうどう、となだめる。女神様の自信の源泉がどこにあるのか私にはわからない。
人畜無害であることを示すために気をつけの姿勢をとる。ほら、女神様も、とアイコンタクトで示すことも忘れずに。
「何かあったら転移でとんでください。私もお忘れなく」
コクリ、と頷くと女神様は私と同じ姿勢をとる。胡散臭いセールスマンにでもなったような心持ちで笑顔を貼り付ける。
『これは……奴隷と娼婦ですね』
『珍しい意匠ではあるが間違いないな』
『反抗の意思はないようですが』
『奴隷の方は紋なしだな。そっちは……』
相手がこちらをはっきり認めるとともに、警戒心が溶けていくのを感じる。ノンヴァアバルコミュニケーションは偉大なり。何よりも雄弁なのは言葉ではなく見た目である。身体は正直ね、という言葉に端的に表されているではないか。違うか。
騎士の一人が早足に女神様の背後に回るのを横目で見る。
『こちらも紋なしです』
『どちらも野良か……』
『どうしたの』
奥の方から軽く明るい声をした若い女が現れた。いかにも中世風の赤いチュニックから脚と腕を露わにしている。白い肌は絹のようにつややかで、顔は美人というよりは愛嬌のある童顔である。背丈のほどは高校生の平均ぐらいで女神様よりもかなり高い。
『誰かいるの?』
『野良の奴隷と娼婦です』
『こんなところに奴隷? まあ!』
女は騎士の主人であるのか、丁重に扱われているように見える。軽やかな足取りで女神様の目の前に立つと、距離感をもろともせず、穴があくほど女神様の全身をジロジロと見つめ出す。異世界人はパーソナルスペースが振り切れていると心のメモ帳に書き留めておく。ちなみにこの時、女神様は女に負けじと睨み続けていた。身長差があるために上目遣いになっていて可愛かった。
『私よりもずっと年下じゃない。家に連れ帰って保護することにするわ』
『好きにしてください。ただし、食べ物は後、2日ぶんしか」
『ええ、ええ。わかっていますよ。食べ物は私のを分け与えます。それと、この子の護衛も頼みます。後金として報酬は倍にします』
『単純に倍というのは素人の考えです。護衛対象が二人となるとその難しさは飛躍的に増加します。料金は4倍でお願いします』
『4倍でもこの子のためなら安いものだわ。こんな可愛い子、見たことないもの!』
『もうちょっと、ふっかければよかったかな』
『もう遅いわよ』
女とポニテ騎士が楽しそうに話している。貴族とその護衛、町娘とその雇われ用心棒といった想像が働く。そうして先ほど気づかなかった理由も警戒しながら道を進んでいたからであろうと合点がいく。
『奴隷の方はどうしますか?』
『男はいらないわ』
『即決ですかい』
『男は獣よ』
『それじゃあ、俺たちもってことになりますが』
『だから後金契約にしたのよ』
『なるほど、そりゃあ賢い』
女は筋肉騎士と楽しげに話し、ふふん、と得意げに笑うと女神様の腕を取る。
「ちょっと、何をするのよ」
『何をしているの、来なさい』
『だから異国の者ですよ』
『そうだったわね、さあ』
さらに強く腕を取る。女神様が抵抗しようとするも女の方が力が強いのか徐々にひきずられるようなかたちになる。
「絵島稔久、突っ立ていないで助けなさいよ」
「はいはい」
ご指名がかかったので、ちょっと失礼と女の腕と女神様の間に割って立つ。
『何をするのよ、邪魔よ』
女に腕を押されて少しよろめく。私を見ることもせず、そのまま女神様の腕を持ってズカズカと歩いていく。まるで人さらいだ。女神様を引き止めようと脚を出そうとしたところで肩を強い力で抑えられる。振り返ると筋肉騎士が厳しい顔で立っていた。
『こちらも大金がかかっているんでね。悪く思うな』
「あなたたち、何をしているのよ。そいつは私の……仲間よ!」
私の、と仲間、の間にある長い葛藤は何であろうか。私は女神様の下僕でも奴隷でもありません。
『奴隷も連れてけってこと?いやよ』
言語が理解できない女にも女神様の言わんとしていることが通じたのか、初めて私の存在に気づいたかのようにこちらに軽く視線を当てる。
だがそれも一瞬のことですぐに女神様を連れて行こうとする。
「やめなさいよ、殺すわよ」
物騒な言葉を吐きながら、女神様は全身で女に抵抗する。いや殺しちゃダメですよ、というかそんな力はあなたにはないでしょうに。雷神でも破壊神でもなく、あなたはただの案内神。
『わかった、わかったわよ、そんなに引っ張らないでちょうだい。あなたたち、この子は私と一緒に歩かせるから、奴隷は後ろをついてくるようにしなさい。ただし守らなくていいわ』
『了解しました』
『途中で引き離してもいいわよ』
『へいへい』
ようやく話が通じたのか、騎士が私を解放するとともに、背中を軽く押す。
『歩け』
もう一人の騎士の背中を指差し何事かを言う。ついていけと言う意味であろうと推測し、おとなしく歩き始める。
女の方は女神様の手を優しく握り、一緒にと言うよりは半ば強引に引っ張りながら歩を進めている。渋々ながらも女神様が付き従っているのは私が後ろからついていっているのを認めたからであろう。
はあー、と二人で同時に溜息をつく。異世界は前途多難である。