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魅了の恐怖

 一体、なぜこうなってしまったのだろう。

 それはきっと、誰にもこたえられないことだった。


 ある街に存在する冒険者ギルドに所属していた火栗弾。Cランクの盗賊だった彼は、いつものようにダンジョンに潜って小銭を稼いでいた。

 ダンジョンに潜る冒険者たちのスタイルは三つ。

 一つはダンジョン内のモンスターを討伐し、その一部を換金する場合。有益な素材となることもある一方で、単純に危険なため駆除の必要があるモンスターには懸賞金がかけられている。

 単純にモンスターを倒すことで収入を得るため、程度はともかく戦闘能力にたけた戦士や魔法使いなどがこれに該当する。

 一つはダンジョン内の鉱物や薬草を集めて換金する場合。当然、高価な鉱石を見分けられる学者や薬師などがこれを行うが、当然彼らもモンスターに狙われるため、ある程度の戦闘能力のある護衛を必要としていた。

 当然、盗賊である火栗は三つ目の場合に該当する。これは、ダンジョンの中にある宝箱を開けて、中の宝を換金するというパターンである。

 モンスターを倒すというのは危険だがある程度高収入で、鉱石などを採集するのは比較的安全だが低収入で、宝箱を見つけるというのは運任せではあるが他の追従を許さないほど高収入だった。

 とはいえ、まず宝箱もモンスターが強い深層まで行かなければ中身も大したものではない。如何にモンスターから見つかりにくく逃げやすく、罠を見分ける力がある盗賊職とは言え、戦闘能力の低い彼らがほぼ単独で赴くことは極めてリスキーだった。


 だが、だからこそやりがいがあった。死の危険と隣り合わせで、自分では到底倒せないモンスターを潜り抜け、高価な宝を手に入れる。

 このスリルにはまっていた彼は、危険を承知で深層へ進んでいった。

 だからなのだろう、宝箱が発生する確率よりもさらに低確率な、数百年に一度ダンジョンの中で発生する魔王の誕生というイベントに遭遇してしまったのは。


「くそっ!」


 火栗は息を切らしながら、広大なダンジョンの内部を走っていた。

 薄暗いものの、閉塞感のない開けたフロアだった。多くの太い柱が立っているものの、その柱が支えている天井が見えないほどに高く、脱出を試みようとしている火栗の前には永遠に見える暗がりがあるだけだった。


「フロアがいきなり変わった……フロアを支配するほどの強大なモンスターが生まれたってことだ!」


 火栗は逃げることをためらわなかった。

 彼は危険を好んでいたが、それは生還を諦める自殺志願者ではない。

 あくまでもダンジョンからの脱出を前提とする無茶であり、勝ち目がないと踏めば一切ためらわずに逃げ出すことに迷いはなかった。


 背後から猛烈な気配が殺到してくる。

 首筋に恐怖が走り、とっさに背後をむく。


 目の前には、目もくらむような膨大な炎が迫っていた。


 盗賊職は戦士と違い、固いわけではない。

 魔法使いと違って、魔法に長けているわけでもない。

 そもそも、目の前に迫る炎は、レベルとして明らかに抵抗の限界を超えていた。

 火栗が三十レベル程度なら、目の前の炎は測定できないほどの業火だった。軽く見積もっても、七十は明らかに超えている。


 だが、生存が絶望的というわけではない。

 火栗はなんとか堪えて、自分の手を火にかざす。


「『マジックカウンター』!」


 発動したのは、極めて細やかな魔法だった。

 魔法が苦手な盗賊が使っただけあって、その魔法そのものは大したものではなかった。

 だが、発動した瞬間に、火の向きが反転する。威力に関係なく、魔法を使用者へ跳ね返すメタ魔法『マジックカウンター』。

 それの発動によって、火栗を灰も残さず焼き払っていた炎は逆に使用者へ向かっていく。

 まだ見ぬ使用者の死に様を確認しようとは、彼は毛ほども思わなかった。


 彼は冷静だった。

 例えば、今の魔法を人間の魔法使いが使い、それを跳ね返したのであれば手傷を負わせることもできただろう。

 だが、ここはダンジョンでありフロアの入れ替えが起こっている。

 つまり、超ド級のモンスターが生まれ、戯れとばかりに焼き尽そうとしただけなのだ。

 おそらく、自分の魔法の直撃を喰らったとしても、さほどのダメージはない筈だ。


「逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ! やばいやばいやばいやばい!」


 そんな思考よりも、直感が脳裏を支配していた。

 つまりは、自分は絶対に助からないという確信が理屈抜きで脳を支配していたのだ。


「やれやれ……この余の魔法を跳ね返すとは、不敬な人間よなあ」


 掌の上から出ることができなかった。自分が猿でしかないことを理解できるほどに、あっさりと火栗は首根っこをつかまれて地面に寝かされていた。

 何が起きたのかもわからない。ただ、火栗は絶対的な存在を前に、地面に寝かされることしかできなかった。


「とはいえ……余に手傷を負わせたことは事実。このまま灰にするのも面白くない。お前達の意見を聞こう」


 火栗は理解していた。

 自分を見下ろして、どうしようかと思案している者たちが何者なのかを。


「私にお任せくだされば、この汚らしい人間を切り刻んでみせましょう」


 アクア・オーラ。

 肩まで伸びた青い髪をした、騎士というしかない姿の女性だった。

 その彼女は、火栗に対して怒りを示していた。魔王に手傷を負させたことが、許せないという顔だった。


「いえいえ、私にお任せくださいな。私ならこの男に、生まれてきたことを後悔させるほどの苦しみを与えましょう」


 オーロラ・オーラ。

 白い髪を腰まで伸ばした彼女は、黒いローブにとんがり帽子というしかないほどわかりやすく魔女の服装をしており、その所作には残虐性があふれていた。

 魔王に忠義を誓うのはアクアだけではないと言わんばかりである。


「もう打っ殺しちまいましょうぜ、オレの斧なら一発だ!」


 ゴールデン・オーラ。

 女性だというのに金色の髪は、荒い言葉遣いをしている。蛮族そのものというべき、獣の皮だけで体を隠した彼女は、鼻息も荒く担いだ大斧を今にも振りかぶりそうだった。

 

「如何でしょうか、魔王様……ここはひとつ、飼殺すというのは」


 そう提案したのは、幾分か主の意向を汲んだローズ・オーラだった。

 赤い髪を地面に付くか付かないか、というところまで伸ばしている、貴族の気品を持った彼女は口元を扇子で隠して笑いながら回答する。

 皆が皆、殺すことばかりを考えすぎているので呆れてさえいるようだった。


「魔王様の器量と恐怖を教え込むには、人間の命を奪うだけでは足りませぬ。尊厳を奪い尽くしてこそ真の勝利かと」

「そうであるな、余もそう思うぞ。ローズよ……」


 意見が採用されなかったこと、或いは敬愛する魔王を傷つけた男が生かされること。

 その双方が気に入らない三人を置き去りにして、魔王デンドリティック・アゲートは隷属させようとしていた。

 ひとたび魔王がその気になれば、レベルが三十程度の盗賊の心を破壊するなどたやすいことである。


「人間の冒険者よ、お前に慈悲をやろう。命だけは助けよう、魂と心までは保証せぬがな」


 相手の行動を操作するわけではない、相手に禁忌を与えるわけではない、相手に苦痛を刷り込むわけでもない。

 その魂を汚し、貶め、隷属させる恐るべき力だった。


「また余の魔法を跳ね返してみるか? それも面白い、お前が諦めるまで付き合ってやろう。お前が諦めたその時が、お前が自らの尊厳を守ることができる最後だ」


 そう言って、魔王デンドリティック・アゲートは最上級のチャームを、腰が抜けたままの火栗に施そうとしていた。


「犬の様にこびへつらうがいい、人の言葉さえ忘れて、余の靴を舐める栄誉を与えよう……」



 数日後、火栗は暗く冷たいダンジョンの奥底で、魔王の靴を舐めていた……ということはなかった。

 暗く狭い取調室で、木の机を挟んで、王家から派遣された騎士と話をしていた。

 

「はっはっはっは!」


 誰かが笑っているのではない。少なくとも、騎士も火栗も困っていた。

 何せ、魔王が火栗の靴を舐めて、犬の様にこびへつらっていたのだから。


「……これはどういうことだ」


 状況は明らかである。魔王が施そうとした魅了の魔法が、そのまま彼女へ跳ね返っただけなのだ。

 それはわかる。そうとしか思えない。通常のチャームなら、それこそ数日で解除されるだろう。だが精神も霊魂も存在さえも書き換えられた彼女は、その知恵を失ったかのように振る舞っている。

 能力値を確認すれば、今でもレベル百の魔王であり続けているのに。


「その……チャームを跳ね返してしまいまして」

「それはわかる。しかし、それはあり得ない。理由は、他ならぬ貴殿が良く知っているはずだ」


 こと、対人戦では厄介極まりないメタ魔法ではあるが、弱点は多い。

 というのも、まず相手が魔法を使ってくれないと一切意味がないし、そもそも魔法を使わないモンスターを相手にした場合は完全に無意味になってしまう。

 そして、上位のモンスターと戦った場合、最初に火の魔法を跳ね返した時同様に、跳ね返しても有効打にならないことが多いのだ。


「魔王にチャームを反射しても、魔王は抵抗できるはずだ。仮に抵抗に失敗したとしても、自分で自分に魅了を施した程度なのだから、ここまで深刻な病状にはならないはずだ」


 当たり前だが、相手が同等ならチャームがどれほど強力であっても、その威力は抑えられる。あくまでも格下に使用して初めて意味がある魔法なのだ。

 魔王が自信満々だったのも、その辺りの事を理解していたからに他ならない。


「実はその……俺はですね、メタ魔法とは別に奥の手があるんです」


 火栗としては、余り口にしたくないことだった。

 はっきり言って、自分の最大の秘密を公式の記録として残してしまうからである。


「俺はチート能力って呼んでるんですが……俺はメタ魔法とは無関係に、自分への効果を相手へ反射する力があるんですよ」

「……メタ魔法とは関係なく?」

「ええ、ソロカウンターと呼んでます」

「だから何だ、その力があったとしても同じことではないか?」

「それが違うんですよ……」


 その辺りの差を、彼は奥の手として考えていた。メタ魔法で跳ね返そうが、チート能力で跳ね返そうが同じだと、その思い込みを突く作戦があったのだ。

 正直に言って、化け物すぎる相手と遭遇したため正気ではなかったのだが、結果として魔王は一番絶対にしてはならないことをしてしまったのだ。


「即死攻撃ってあるじゃないですか。それに、即死魔法っていうのも。仮に即死魔法をメタ魔法で跳ね返した場合、どうなると思いますか?」

「受けた男の幸運次第だな。この場合は即死魔法を使った術者の幸運による」

「ええ、その通りです。ですが、ソロカウンターの場合は別なんです。俺の幸運判定がそのまま相手に適用されるんですよ」

「……どういうことだ」

「メタ魔法の『マジックカウンター』は、魔法をそのまま反射しますよね。俺のソロカウンターは、俺が喰らうはずだった状態異常やダメージを、そのまま相手に跳ね返すんです」


 仮に、火の魔法をドラゴンが操ったとする。

 火の魔法をドラゴンへ跳ね返しても、強大なドラゴンの鱗を貫くことはできないだろう。

 だが、負うはずだったダメージを跳ね返す場合は別だった。火栗が即死する威力の魔法を受けた場合、魔法を使ったドラゴンは即死するのである。

 

「つまり、貴殿は魔王に魂をいじくられて、犬の様になってしまうはずだった。しかし、その結果がそのまま跳ね返って、魔王が貴殿の犬になったと……」

「そう、なりますね……」


 これは仮の話だが、魔王が火栗へ即死級の魔法を放った場合、魔王は即死していただろう。

 その場合、怒りに燃えた四天王によって、対処されていた可能性は高かったのだ。


「しかし……そこまで強い力を持っているのなら、もっと華々しい戦果を挙げても良かったのではないか?」

「いやいや、そこまで強力じゃないというか、そこまで融通が利かないんですよ」


 騎士の疑問はもっともだった。

 はっきり言って、相手が強ければ強いほど有効に働く能力だ。

 であれば、どんどん難易度の高い深層へ踏み込んでいくべきだと思われる。


「この能力って、文字通り『自分を対象にした』ものしか跳ね返せないんですよ」

「……具体的には?」

「つまり、今回みたいにしっかりと俺を見て、俺を狙って、俺だけに当たるものじゃないと反射できないんです。つまり、俺を見ないで適当に放った攻撃とか、広範囲攻撃とかは跳ね返せないんです」

「意外と不便だな……」

「なので、その分スリルがあったんですが……」


 ちらり、と火栗は背後を見た。

 そこには、魔王の落ちぶれ果てた姿を見て涙し、人間に従わざるを得ない運命に涙し、何もできない無力に涙し、理屈を聞いて意見した自分の浅慮に涙している魔王の部下たちがいた。


「このスリルは要らなかった……」

「まあ冒険者とはそういうものだ……。だとしても、君にとって不幸中の幸いだったな。連鎖的な隷属というものは」

「こんな悪運は要らなかったですよ……」


 今回の場合、チャームは一方的な隷属を強いるものだった。

 仮に火栗がなにがしかのモンスターと契約を結んでいた場合、そのモンスターをも間接的に支配していただろう。

 同じことが、今回も起きたのだ。つまりは、魔王と主従関係にあった配下のモンスターたちも、連鎖的に火栗の奴隷となったのだ。

 ただし、間接的な支配だけに完全には支配されていないのだが。


「とはいえ、今の貴殿が生きている限り、魔王やその配下は人間に危害を加えることはできない」

「……あ、あのもしかして……」

「貴殿にとっては不本意だろうが、今我が国において貴殿は最重要人物になってしまった。国王自ら、如何なる貴人よりも丁重に扱えとの勅令が下っている」


 当然と言えば当然だ。

 魔王がもしもその暴威を発揮したならば、それこそどれだけの被害が生じたのかわからない。

 それが、完全に未然に防がれたのだ。その功績は称えるべきである。

 そして、それ以上に、彼が死んだらどうなるのか誰にもわからないのだ。


「とりあえず、貴殿には用意した屋敷で魔王や配下と生活してもらう。危険や冒険は用意できないが、それ以外のすべてを都合しよう」

「……あの、魔王を封印するとか、そういう方向はないんでしょうか?」

「現在協議中だ、しばらくは待ってほしい」


 こうして、自分の力によって感動や興奮を味わいたいと思っていた冒険者の、忌まわしい魔王や配下との共同軟禁生活が始まったのだった。

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