第一章 その6
「手伝おうか……」
「……」
図書委員は黙々と、床に散らばった本を手にとっては、表紙を確認して、元の本棚に戻していった。白野は、図書委員から少し間を取って、腰を屈めた。自宅の書庫に収められていた、文学全集シリーズが大半だったため、大方順番を把握していた。作家別に並べて、空いている棚に並べていった。
「ありがとうございます」
図書委員は呟いた。
「別に、これくらい大したことではないわ」
白野は言った。図書委員は、立ち上がって、控室の方へ戻っていった。白野は、もう少し話しがしたいと思った。適当な本を数冊選んで、カウンターに向かった。
「すみません。お願いします」
白野は、図書委員を呼んだ。暫くして、読みかけの本を携えながら出て来た。
「こちらを、お願いします」
白野は、ちらっと図書委員の手元を見た。先日勧めた、ドストエフスキーの作品集だった。
「返却期限は、二週間後です」
図書委員は言った。白野は、はい、と言って図書館を後にした。
(いつか、文学対談が出来ればいいのにな)
教室に戻ると、数名の生徒の姿が見られたが、それでも閑散としていた。白野は、席に腰かけて、本の表紙を、何度となく読み返した。
授業が終わって、白野は、再び図書館に行こうか、と考えていたところ、数人の生徒に足止めを食らった。試験前ということもあって、恒例になった勉強会の開催について話した。白野は、決して無碍にはしなかったが、どうして自分で出来ないものか、と思うことがあった。頭がいいか、悪いかということでは無かった。
(学問の世界を全うしたいのであれば、刀は自分で磨かなければならない。目下の試験に挑む時は、乱世に散った武士のように、勇ましく、潔く、そして、自分に鞭を打たなければならない。苦しみに悶えて泣きじゃくるかもしれない。それを、最後の目的に到達した時の涙に変えればいいだけのことだ)
全学年で募った所、集まったのは、十人強だった。最も、勉強に力を入れる生徒は、全体の一割にも満たなかったため、白野に関する噂の割には、集まった方であった。
「それで、日時はどうするの」
白野は尋ねた。
「今週の土日がいいかと思うの。場所は、川奈さんが決めて」
ある生徒が答えた。白野は、少し間をあけて、
「それなら、私の家でやりましょう」、と答えた。
「大人数で押しかけては、迷惑でしょう」
生徒はすぐに反論した。
「問題ないわ。それに……」
白野は、窓の方を見た。太陽が眩しかった。
「これほどまで、窮屈な場所なんてないわ。ゆっくりお茶も飲めないんだから」
白野は生徒を見つめて、よろしく、と言った。メモ帳に住所を記して、手渡した。生徒は、分かった、と告げて、自分の席に戻った。
席を立ち、一度大きく背伸びをした。身を軽くすることは出来ても、精神的な重さは大して変わらなかった。
(翼が生えて、どこかへ飛んでいけたらいいな、と真剣に考えていた。彼らには、彼らなりの苦労があると思うが、どこか自由な場所へ行くことが出来る)
白野は、再び窓の方を向いた。先程に増して、眩しかった。
(恵まれている、と言えば、両親の深い愛情くらいだろう。それ以外は、何もかもが駄目だ。常に、束縛されている)
白野は、席について、筆箱から鉛筆を一本取り出した。
(最も、引かれたレールに乗っかる方が、簡単だ。真の自由は、不自由を生むだけなのだから)
「川奈さん。今日も、勉強熱心なようで」
プライドの高い生徒の一人が、隣に腰かけた。
「……」
生徒は、鞄から数冊の本を取り出して机に置いた後、いつものメンバーが待つ、中央に向かった。
(自分が好きになれれば、楽しいのだろう、生きやすいのだろう)
白野は、持参した参考書を取り出して、続きのページを開いた。
「勉強なんて、所詮、最低の幸福を得るための手段に過ぎないのよ」
白野は、そう呟いた。鉛筆を右手に持ち替えて、ノートブックに方程式を羅列し始めた。