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第一章 その2

 「小田原さん、読書に付き合って下さらない」

 白野は、小田原の手を引いて、自室に向かおうとした。

 「勿論、喜んで」

 小田原は、そう言って、頷いた。自室に向かう廊下の途中で、白野は、何か思いついたかのように、立ち止まって振り返った。

 「どうなさったの」

 「全部、返してしまったの。参考書しかないわ」

 白野は、どうしよう、どうしよう、と言って慌てた素振りを見せた。

 「それなら、書庫に行って、何か探しましょう」

 小田原の誘いを受け入れた白野の足取りは重かった。幼い頃、隆司に連れられて足を踏み入れたことがあって、古紙と、インクの匂いに圧倒されて気持ち悪くなったのが、トラウマになっていたのである。隆司を含め、大半の親族が学者であったため、多方面にわたる学術書、論文、文学集が、毎年、買い足されては、書庫に収納されていった。物を捨てることを極端に嫌う隆司の性格も相まって、三百平米に渡る一室は、間もなく限界を迎えようとしていた。

 「今となっては、むしろ、この使い古した感じがたまらないんです」

 白野は言った。小田原は、そうですか、と言った。

 「最近の流行りは、ロシア文学なのだけど、お勧めはありますか」

 白野は尋ねた。小田原は、少し首をかしげて、戦争と平和を勧めた。

 「だから、あれは読めません。歴史は好きだけど、無理です」

 白野は、溜息をついた。小田原と少し間を取って、一人で本を探し始めた。読みたい候補は幾つかあったが、勉強の休憩になり、かつ、これから読み始めるということを考えると、どれも不十分だった。

 結局、二人ともベストな本を見つけることは出来ず、白野の部屋に向かった。

 「とりあえず、今日は寝たほうがいいのでは」

 小田原は言った。

 「そうですね。仕方がないから、聖書の数節を読んで、終わりにしましょう」

 白野は、本棚から古びた聖書を取り出した。小田原は、ベッドの端に腰かけて、白野を手招きした。白野は、小田原のすぐ隣に腰かけ、一人で読み進めた。

 「ほら、挿絵の天使にそっくりよ」

 小田原は、白野を指さして、そう告げた。幼い頃、隆司のひざ元で聖書の読み聞かせを受けていた白野は、挿絵のページに移る度、壮大な宇宙、神、天使を見つめては、

 「わたしも、こんなにかわいいおんなのこならよかったのに」

 と言っていた。言葉に窮した隆司に対し、小田原は、

 「白野ちゃんは、とっても優しい女の子よ」

 と言って、白野の頭を撫でた。それ以来、小田原と一緒に聖書を読むようになり、挿絵の度毎に、白野を天使と称した。天国と楽園を信じ切っていた時分はそれでよかったのだが、科学の深淵に足を踏み入れていく内、想像上の産物を崇め奉ることはなくなり、天使の笑顔は、どこか、苦悩が隠れていると感じるようになった。

 「それに、小田原さんの方が、美しいもの」

 白野は、心底、そのように思えた。

 

 翌朝、白野は、皆が寝ているうちに、庭を散歩し始めた。雑木林を抜けて、池の前に広がる、芝生に寝転んだ。空が青く澄み渡っていた。時折、烏か、カモメの群れが視界を横切った。

 白野は、鞄からオカリナを取り出し、何を吹こうか、と考えた。

 (一面、緑に染まった舞台の上に、一人立つ。時折、小動物たちがこちらの方を見て、にこやかな笑顔を浮かべてくれる。吹き抜ける風の調べを乱さないように、ハーモニーを奏でるように)

 白野は、一人、軽くお辞儀をして、構えた。

 (スカボローフェアを奏でます。お聞き下さい)

 細やかな音の強弱、人生の陰と陽を象徴するかのような高低、そして、自分は一人ではなく、自然という鳥の、羽根になっているんだ、という思いが交わった。

 (精一杯の感謝を込めて)

 白野は、両手を高く上げて、上下に揺らした。翼があって、光の中を飛び交うことが出来ればどれほど素晴らしいだろう、と幼心に考えたことがあったが、今、それが叶いつつあるように感じられた。

 「白野ちゃん、ここにいたの」

 小田原の声が聞こえた。白野の足音がしたので、ついてきたとのことだった。

 「もう少し、一人にさせてくれればよかったのに」

  小田原は、口元に手を当てて、顔を少しばかり赤くした。

 「昨日は、あんなに、甘えん坊だったのに」

 白野は、恥ずかしさのあまり、顔を芝にうずめた。緑の匂いが鼻に心地よかった。

 (本当に、可愛いのね)

 小田原は、暫くの間、白野の様子を眺めていた。


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