第二章 その3
演奏を聞き終えた周囲の人々は、驚きの目で白野を見ていた。音楽に全く通じていないが、それとなくパイプオルガンの音色に癒しを求める人々は、白野の演奏を称えた。逆に、教会音楽の神髄をしつこく語ることが出来るほどの人々は、素人にしては上手く弾けた、と感じた。音楽に関心がなく、自らのステータスをカソリックという枠組みでしか捉えることのできない人々、そして、白野の級友たちは、ただ、呆然と見ているだけだった。
昇る時よりも勢いをつけたためか、古びた階段の軋みが大きくなった。階段を下り終えて、白野は安堵した。
「白野お姉さま……」
瀬川の姿があった。白野は、にこっと微笑んで、聖堂を後にした。瀬川は、すかさず白野の後を追った。
「あなたも聴いていたの」
白野は、瀬川に聞こえるように、大きな声で言った。
「はい、途中からですが……」
「そう……」
瀬川の方が速かったため、池の辺りで追いついた。白野は、瀬川が隣に立っていることをそれとなく意識して、水面を眺めた。
「別に深い意味があるわけではないの」
瀬川は、水面に映る像を見た。青空に浮かぶ雲が、忙しく動いていた。
「自分を蔑むことに、時折快感すら覚えるようになっていた。人より多少勉強が出来るかもしれない。大人びた考えを持っているかもしれない。頭の可笑しな奴だと言われて、笑っている私がいる」
白野は、ベンチに腰かけて青空を眺めた。瀬川は、隣に腰かけていいものか、考えた。白野は、手招きして、座ったら、と言った。
「青空を見ると、あなたくらいの年の子なら目を輝かせて、好きな人の瞳を想像することがあるでしょう」
瀬川は、論点の変化についていこうと必死になって、ひとまず、自分の家族を想像した。
(好きな人の瞳、青空のように綺麗、輝いている……)
「そう、私だけが可笑しくて、他の人はみんな正しいと考えるの。私なら、この青空を、ヘドロの混じった海の色、あるいは、シンナーの香ばしい匂いと例える」
(やっぱり昔の、風変わりな白野お姉さまだ)
「私がかつて抱いた恋も似ていた。魚を無造作に嚙み殺すサメが地獄に落ちることはないけれど、人間の場合は、どちらとも言えない。私のように、卑屈で人の闇の奥底を詮索する人間は、一番早く死ぬべきだろうけれど」
白野は、立ち上がって、太陽に手のひらをかざした。透き通るように白い肌が、無造作に焼けていった。
「こんな私を、好きになってくれる人がいたの。家族は勿論だけど、もう一人。白浜に置き忘れたひと夏の思い出……」
「それ以上は、聞かなくても分かります」
瀬川は、立ち上がって言った。
「白野お姉さまの微かな記憶は、あなただけのものではないのですから……」
白野は、ある程度納得した顔で、瀬川を見つめていた。数ミリとも測れない、欠落した歯車がようやく見つかった。
「あの人に、そっくりね……」
白野は、小さな瀬川の頭を撫でた。瀬川は、ただ、白野の顔を眺めていた。
「夏花、一度呼んでみたかった」
白野は、瀬川の手を優しく掴んだ。
「行きましょうか」
瀬川は、はい、と返事をした。




