表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/23

序章

 瀬川梓が亡くなって、半年の月日が流れた。幼い頃は、よく遊んでいたらしいが、小学生になると、話をする機会が減り、中学では、顔を合わさなくなり、互いに別の高校に進学するようになってからは、存在すら記憶の彼方に追いやられていた。家業を継ぐため、勉強に明け暮れる毎日だった。最も、物心ついた頃から、強制的に椅子に座らせられ、買い与えられた参考書と格闘する日々を送っていたため、いかなる感情を覚えることはなかった。名門とは言え、女子校故、年相応の恋愛話が繰り広げられることが多く、聖歌を奏でるための鶯のような声が、無惨な笑いに溶け込んでいる始末だった。

 「隣のクラスの鈴木さんは、もう、何件もの縁談があるそうよ」

 「羨ましい限りね」

 「あなただって、この前、会長さんのご子息から、結婚を申し込まれた、と言ってらしたじゃないの」

 「だけど、あの方、所詮は、成金の倅で、礼節をわきまえないので、父は、反対したのよ」

 「あら、そうなの」

 このような会話は、何回も繰り返されていた。内容自体変わることはほとんどなく、ただ、そういった話を互いに盛り上げることによって、それぞれ、プライドを保っていた。それでも、ネタが尽きてくると、会話の矛先は、庶民的な生徒に向けられるようになり、彼女たちの困惑する表情を面白がった。

 「ところで、川奈さん。あなたは、どうなの」

 川奈白野に話題が振られたのは、普段誰とも話さず、黙々と勉強する姿が滑稽だったこと、その割に、美しく整った体格と、透き通るように繊細な黒髪をしていて、恋い焦がれる生徒が多かったからであった。ただ者ではない、と誰もが思っていたが、あくまで、ごく一般の家庭出身、と言い続けるため、そう認識されていた。

 一度目の投げかけには答えなかったが、あまりにもしつこく聞いてきたので、そんなものはない、ときっぱり答えた。溜息を一つついて、立ち上がった。参考書を片手に、図書館へ行くことにした。

 「ちょっと、話はまだ終わってないのよ」

 白野は、生徒たちの方を向いて、力強く睨んだ。

 「いちいち構わないで頂けるかしら」

 白野は、低い声で言い放った。最初に問いを投げかけた生徒は、困惑したようで、自分のグループの方に戻った。

 

 「見て、川奈さんよ」

 「相変わらず、今日も、お勉強に勤しんでらっしゃるのね」

 白野が腰かけた席の周りには、ひそひそ話をする生徒、ただ、なんとなく本を読んでいる生徒、白野に対して憧れを抱いている生徒がいた。特段と攻撃的でなければ、多少五月蠅くても構わない、むしろ、集中力を研ぎ澄ます練習にもなる、と考えていたため、彼女たちに対して、怒りを見せることはなかった。

 六時を知らせるチャイムが鳴った。白野は、勉強道具を鞄に仕舞い、借りていた本を返すために、カウンターに向かった。

 「すみません、返却をお願いしたいのですが」

 夕方を過ぎると、図書館に出入りする人の数は極端に少なくなり、当番の図書委員が、二、三人控えているのみだった。返却ボックスに入れさえすれば、問題ないのであるが、白野にとって、それは味気ないことだった。本屋の店員、図書に関連する人々は、大抵、読書を趣味としていて、その分、彼ら、彼女らと対話することは、非常に面白かった。図書委員には悪いと思いながらも、こうして、呼び出しては、数秒間、会話を弾ませていた。

 「はい、ただいま」

 数秒後、控室から、小柄な生徒が出て来た。白野は、こんにちは、と告げた。生徒は、白野を見て、あっ、と呟いた。

 「これ、今回の返却分ね。それにしても、ドストエフスキーは、何度読んでも飽きないわね。最初は、キリスト様、キリスト様って、しつこい、と思っていたのだけど。まぁ、人間みんな罪深いと言えば、そうよね。完璧はありえないのよ」

 生徒は、顔を赤くして、言葉を発しなかった。

 「私なんかの年で、人生を達観することは出来ないけれど、こういった生き方もありだな、って思える作品でした」

 生徒は、相変わらず、黙っていた。白野は、にっこりとほほ笑んで、彼女の方へ歩み寄った。衝動的に抱きしめたくなるような、華奢な体つきだった。白野が近づくほど、胸が高鳴り、赤みを増した。

 「ごめんなさい。もしかして、まだ、読んだことなかったのかな。きっと面白いから、機会があれば、是非読んでね」

 白野は、そう告げて、図書館を後にした。生徒は、白野から預かった本を、カウンター脇のボックスに入れた。

 「あの方が、白野さんなんだ……」

 生徒は、そう呟いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ