03 お嬢様、お母さまに憧れて
湯浴みを終えて、新しいドレスに袖を通して、やっと一息つく。髪を整えてもらいながら、鏡にうつる小さな女の子を眺める。
顔だちは、社交界でデビューしてすぐに『百合の君』と称されたという、美人のお母さまによく似ている。小さな顔に、通った鼻筋。優しげな垂れ目は、お母さまの黄金色とは違って、お父さまと似た紫色だけど、パッチリとした二重はよく似ている。蜂蜜色のつやつやとした髪も、お母さまそっくりで嬉しい。
ほとんどお母さまだけれど、お父さまに似ているところもある。わたしを見た人は、間違いなくお父さまとお母さまの子だと言うだろう。自分でも、そう、思う。
(だけど……どうして、じぶんのかおをみてふしぎなきもちになるの?)
初めて鏡を見たときから、なにかを思い出しそうになるけれど、結局わからない。この感覚はなんなのだろう? 嫌なことでは、ないと思うのだけれど……わからない。
ただ、自分を見るたびに、いつも一瞬だけ何かが心に浮かぶ気がする。それを捕まえたくて、つい、鏡をジッと見てしまうのだ。
何回鏡を見ても、捕まえる前にそれはふっと消えてしまうのだけれど。
「リディアお嬢様、お待たせしました。今日は久しぶりにアーヴィン様とのお茶会との事ですから、少し凝った髪型に致しましたわ」
「こんなふうにゆわえるのはめずらしいわね! うれしい!」
「ふふ、お気に召しましたか? お嬢様の髪はとってもサラサラしていて、上手く纏めるのはなかなか難しいのですよ。おろしているだけでも綺麗ですし……でも、お望みならどんな凝った髪型にでも仕上げてみせますっ!」
鏡ごしのニーナに、ニコッと笑って椅子から降りる。これから、お父さまとお茶会だ! 走り出したくなるのをがまんして、わざとゆっくりと振り返った。こんなに素敵な髪型にしてくれたんだから、令嬢らしく優雅にね!
「ありがとう、ニーナ。では、おとうさまのもとにまいりましょう」
さあ、お茶会のはじまりだ!
部屋を出て、近くのメイドにお茶会の場所を聞くと、どうやらバラの庭にお茶を用意しているらしい。ちょうど咲いている時期だ! バラにお菓子にお父さまなんて、わたしの好きなものばかり。ついつい早足になる。
バラの庭にある四阿で、お父さまが座ってのんびりとしているのが見えた。
「おとうさま! おまたせしました。あの、けっこうじかんがかかってしまってごめんなさい。おとうさまがかわいいっておもうドレスはどれかなっておもったら、ぜんぜんわからなかったの。それでね、えっと」
お父さまを見つけた途端に走ってしまったから、息が苦しくて言葉が続かない。ふうふう言っているわたしを見て、お父さまは可笑しそうに笑った。
「落ち着いて、私の可愛いお姫さま。お父さまもお茶もお菓子も、逃げないから。その水色のドレスもとても似合っているよ」
「ほんと? あのね、さいしょはおとうさまのめとおなじいろのドレスにしようとおもったけど、おかあさまがあたらしいドレスをくれたってニーナにきいたから。おとうさまはいつもかわいいっていってくれるけど、ほんとはどれがすきなの?」
「リディは、どんなドレスを着ていても可愛いんだから、本当も嘘もないよ。さあ、こっちへ座って。走って喉が渇いたんじゃないかい?」
お父さまのさり気ない褒め殺しに盛大に照れながら、用意されたお茶を飲む。ちょっと落ち着いた。だんだん恥ずかしくなってくる。せっかく髪型に合わせて、優雅に決める筈だったのに。興奮して走り出すなんて、ニーナの事を犬扱いできないわ。わたしも同じじゃない。
「お姫さまはどうして落ち込んでいるの?」
ああ、せっかくのお茶会なのに、お父さまを心配させてしまった。焦って答える。
「ちがうの! おとうさまとのおちゃかいはうれしいの。わたしがうまくできないから……」
不思議そうに首を傾げるお父さまに、続けて説明する。
「あのね、きょうはとくべつなの。かみも、おかあさまみたいにゆわえてもらったのよ。だから、おじょうさまらしくしたかったの。でも、おとうさまをみつけて、きがついたらはしってたの」
しょんぼりと説明するわたしが見えている筈なのに、お父さまは聞いた途端に破顔した。
「ふふ、リディア、そんなのちっとも落ち込む必要はないよ。お父さまは嬉しかったし、庭で走ったくらいではしたないなんて怒る人もいないさ。全く、君は可愛いんだから」
お父さまはわたしが何をしても可愛いって言うけど、やっぱり親馬鹿なんだと思う。これでわたしが真に受けて、がさつな令嬢に育ったらどうしてくれるんだ。わたしはお母さまみたいになりたいのに。
「おとうさま、わたし、おかあさまみたいになりたいの! だからもうすこし、きびしくしどうしてくれなくっちゃ」
意気込んで言ったわたしに、なぜかお父さまは何とも言えない不思議な顔をした。
「えっと……うーん、セリーナが目標なの? 困ったなあ。私は、リディアにはリディアの良さがあると思うけど?」
わたしは固まった。いつもはハキハキと喋るお父さまが、珍しく言い辛そうにしているけれど、それって……それって、とてもお母さまみたいにはなれないってこと? え、わたし、既にがさつすぎて、修正が間に合わない感じなの? ひどい。
そう思うなら、もっと厳しく育ててくれたら良かったのに。だいたい、まだ4歳なんだから、どんなレディになるかなんて分からないじゃない!
「わたし、マナーでもなんでも、しっかりみにつけるわ! いまはだめでも、ちゃんとおしとやかになれるもん。ほんとよ!」
ほとんど泣きべそで訴えると、お父さまは慌てだした。
「いやいや、リディ、勘違いだよ。まだ君は4歳だし、家庭教師もつけていないんだ。そんなに早くからなんでも身につけようとしなくていいんだよ。それに、今だって十分に素敵なレディだ。私が心配していたのは、リディがお淑やかなご令嬢に育つかどうかではない。逆に、セリーナみたいに勇ましくなったらどうしようかと思ったんだ」
なんだか変な言葉が聞こえた気がする。
「おとうさま? わたし、いさましくはならないわよ。おかあさまみたいにおしとやかでゆうがなレディになりたいの。『ゆりのきみ』のおかあさまよ」
勇ましいとは正反対の。誰かと間違えてない?
「いや、まあ、確かにリディのお母さまはお淑やかで優雅なレディだね……それだけじゃないけど。ああ、リディア、君はそのふんわりとしたリディアのままで良いんだからね。セリーナと違っても、リディにはリディの良さがあるんだ。そう、セリーナのように、隣国の情報を得るために大使館のメイドのふりをしたり、新しい布の原料を調べるために山奥の村に向かったり……そんな事までリディアが真似したらどうすればいいんだ。ああ、頭が痛い……」
お母さまは奥が深いようです。あら、お父さまが一気に疲れたように見える。
「おとうさま、おとうさま! わかったわ、わたし、ひとのまねじゃなくて、じぶんなりにりっぱなレディをめざすことにする!」
お父さまの袖をくいくい引っ張って主張すると、安心したように微笑まれた。そのまま、膝の上にぎゅっと抱き上げられる。
「そうだよ、リディアはそのまま元気でいてくれるだけでいいんだ。ああ、良かった」
何がそんなに良かったのか分からないけど、よっぽど安心したのか、お父さまはわたしを抱きしめながら深く息を吐いていた。お母さまって、意外とやんちゃだったのかなぁ。