食卓の温もり
五月一日 午後七時十四分 神木町、緋志の自宅
「まあ、取り敢えず入って」
「お、お邪魔します」
緋志がポケットから取り出した鍵で開けた扉の先はまだ新しいマンションの玄関だった。ルミは恐る恐る中に入り、辺りを見回した。
(ここが、緋志君の住んでる場所……)
生まれて初めて普通(からやや遠い)の人の住む家に招かれたルミは感動で胸の奥を熱くすると同時に、思いがけない展開に意識を付いて行かせるのに精いっぱいだった。
夏菜たちとの予定はすでに決まっていたものだった為、緋志も陣も予定をキャンセルすることはすぐに断念した。
そもそも、二人とも久しぶりに四人で遊べるこの日を待ちわびていたのだ。
かと言って、ルミの事を放り出すなど緋志にも陣にもできなかった。
ルミは二人に元々、予定があった事を聞くと自分よりそちらを優先して欲しいと二人に申し出た。
だが、それはあまりにも無謀だ。華院には事務所の場所がばれてしまっているし、ルミは戦闘経験が皆無だったからだ。
そこで、二人が出した結論は――――ルミも遊園地に連れて行こうというものだった。
そこまで話し合ったところで、彼らはもう一つの問題に気づいてしまった。事務所の場所は華院たちに知られてしまっている可能性がある。
吸血鬼は夜に本領を発揮する魔族だ。
つまり、事務所は夜襲の危険がある。そんな場所ではおちおち寝ていられない。
いくら結界が張ってあるとはいえ、麗子が不在で、相手はプロなのだ。
以上の事を考慮した結果、一人暮らしの緋志の家は最適な寝床であるとの答えが出てしまったのだった。
年頃の男女が一つ屋根の下で一夜を過ごすなど風紀的に大問題だ。
緋志とルミはそう諭された。が、諭してきた相手が陣だったせいでばからしくなった二人は緋志の家へと向かったのだった。
「今から夕飯作るから、適当に待ってて」
「え、そんな悪いよ。私も手伝うよ」
「料理できるの?」
「あう……」
「そんなに気にしなくていいからさ。取り敢えず休んでて、暇だったら色々見ててもいいから。……あ、クローゼット、えっと、そこの壁にある収納には触らないでね。危ないから」
「クローゼットくらい分かります!」
「おっと、失礼しましたお嬢様」
緋志にからかわれたルミはそっぽを向くと、言われた通りに部屋の中を観察してみた。
整えられた綺麗な部屋だった。今、二人が居るのはダイニングキッチンでこことは別に緋志の部屋と洗面所と風呂がある、普通の1LDKだった。
ルミは普通の部屋というものを見たことはなかったが、何となく感じた。
(物が少ないな……)
目につくものはクローゼットに隅に置かれたテレビ、テーブルぐらいで、他には調度品のようなものが見当たらなかった。
ルミはキッチンに立つ緋志に視線を向けた。
彼は一体、普段どのような生活をおくっているのか?
麗子や陣との関係は?
彼は何故、魔族を知っているのか?
彼の過去は?
彼の事がもっと知りたかった。自分でも気づかない内にルミは緋志のことばかり考える様になっていた。
一方、献立を考える緋志は予想外の事態に陥っていた。
「食材が少なすぎる……」
いつもは一人で食事をとるため冷蔵庫の中の備蓄があまりなかったのだ。しかし、今日は普段とは違う。このままでは女の子に示しがつかない。
「残り物すら無いとは……えーと、鶏肉、玉ねぎ、残り物のご飯……卵、賞味期限ぎりぎりだな」
他にもレタスがあったが、これはサラダにするしかない。買い物を忘れたのは痛恨のミスだ。
「となると……」
作るのは久しぶりだがあれを作るしかなさそうだ。
まずは、中身から取り掛かる。鶏肉を小さく切り、玉ねぎはみじん切りにする。
フライパンにバターをひき良くなじませる。まずは鶏肉から焼いていく。
すると、いい匂いに釣られたのか、ルミがダイニングから顔をのぞかせた。
「何を作ってるの?」
「ま、出来てからのお楽しみって事で。できるまでもう少しかかるから……お風呂でも入ってきたら?洗面所の壁にあるスイッチ押せばすぐ湧くから。……いい加減、許してくれないかな?」
「む〜、い、一応悪気が無かったのは知ってるけど……」
事務所でのあの一件の事を彼女はまだ忘れられないらしい。いや、緋志とて顔に出さない様に気を付けているだけで―――――――
「……いかんいかん」
つい出てきてしまった邪な感情を抑えつけて緋志は調理に戻った。(ルミはどうやら風呂に入る事にしたようで言われた通りに洗面所へと向かった。)
「さて、玉ねぎいれて――――ん、そろそろ飯入れるか」
玉ねぎにある程度火が通った事を確認すると、緋志は残り物の冷やご飯をフライパンに投入した。これで、少し炒めて塩コショウ、ガーリック、そして馴染の喫茶店から分けてもらったスパイスで味を調えれば中身は完成だ。
「本番はこっからなんだよな……」
緋志はボウルに卵を割りいれると、さらに牛乳と砂糖を加えて手早くかき混ぜた。
「さーて、まずはご飯を皿によそっておいて……よし、集中だ」
ピラフを二つのさらに分けて盛り付けた緋志は、フライパンにバターをひき直し、深呼吸をした。
「いざ!」
覚悟を決めた緋志は準備しておいた卵をフライパンへと注ぎ込んだ。
ちょうど半分がフライパンへと流し込まれた所で、緋志はボウルを置いて、開いた手でフライパンの取っ手をしっかりと握りしめた。ここらはミスが許されない、繊細な作業だ。
卵が固まらない様に、箸でぐるぐるとかき混ぜながら、緋志は神経を集中させてタイミングを見極める。
「……今だ!!」
まだ半熟の一歩手前だが状況を考えればベストなタイミング。
緋志は固まりかけた卵の膜を少しめくり奥の方から手繰り寄せた。
そして、取っ手を持つ方の手首を軽くたたき、その反動を利用して卵をめくりこんだ。
「よ〜し、できたぞ」
苦労して作り上げた、黄金色のオムレツをピラフの上に乗せ、緋志はようやく一息ついた。
「さあて、後は俺の分だし気楽にやるか」
「これは何?」
ピラフにオムレツが乗った物としか言いようの無いモノを見て、ルミは首を傾げた。
「まだ、完成じゃないんだなコレ」
緋志はそう言うと、テーブルに置いてある包丁を手に持った。そして、慎重な手つきでオムレツに切れ目を入れた。そして切れ目から丁寧に開き始めた。
「ちゃんとかぶせて……はい、これで特製オムライスの完成。普通は中のご飯にケチャップライスを使うんだけど……」
オムレツはとろとろの半熟でピラフを優しく包んでいる。
「まあ、一口食べてみて、味が薄かったらケチャップ使ってくれ」
ルミは聞こえていないのか目の前に置かれた料理を凝視している。その眼はおもちゃを前にした無邪気な子供の様に輝いていた。
「いただきます……」
ルミはそれだけ呟いてスプーンを握った。
「はむ……」
控えめにすくった一口をルミは口に入れた。そのまましばらく口を動かしたかと思うと、急に固まってしまった。
緋志はそんなルミの様子を見て焦り始めた。
「(もしかして苦手な味だったかな)ルミ? もし不味かったら……」
「…しい」
「え?」
「すっごくおいしい!」
「そ、それは良かった」
急に身を乗り出したルミにやや面食らいながらも、おいしいの一言が聞けた緋志はホッとした。
カチャカチャとスプーンを動かしルミはせっせとオムライスを削っている。
「……」
緋志は感じたことのない温もりを感じていた。今まで、一人で過ごしてきた部屋で自分が作った料理を誰かが嬉しそうに食べてくれている。
自分の家で誰かと楽しくご飯を食べる。それは、彼が一度も体験したことのない時間だった。




