何が為に
緋志が目を覚ますと、そこは真っ暗な空間だった。
いや、真っ暗、というのは正しくない表現だろう。
何故なら光源も何も見当たらないのに、緋志は自分の体をハッキリと見る事が出来たからである。
しかし、辺りにはただただ闇が広がるばかりで一体ココが何処なのか緋志には見当もつかなかった。
「………俺、死んだのか?」
立ち尽くしたまま、緋志はそう呟いた。
そういえば意識を失う前、やたらと体中が痛かったのを彼は思い出していた。
持ち物は無くなっているし、服は全く汚れていない新品その物の白い着物だった。
これはもう、昔話に出てくる様な死人の魂がしている様な格好その物だった。
「………頭には何も付いてないな」
三角頭巾が付いていないのを確認していた彼は突然、背後に気配を感じ慌てて振り返った。
彼の目に飛び込んで来たのは、長い長い、地面に着きそうな程の美しい黒髪を持った長身の人影だった。
身に付けているのは緋志と同じ様な無地の白い着物なのだが、どことなく自分のそれより古びている様に緋志は感じた。
しかし、何よりも緋志の注意を引いたのは相手の目だった。
流れる髪の隙間から覗くその両目が紅く輝いているのを、緋志は見逃さなかった。
「アンタは……地獄の鬼って奴か?」
反射的に身構えながら緋志がそう尋ねると、その男か女かも分からない人物は「フッ……フフ」と微かに笑いを漏らした。
笛の鳴るような、優美なその笑いは緋志の警戒を少しばかり溶かしてくれた。
「いやいや、確かに鬼ではあるけどね。私は地獄に行った事はあるけれど、別にあんな所に住みたいと思った事は無いし、そもそも地獄には鬼なんて存在しないのだよ、今野緋志君」
張りのある美声はやはり中性的なものだったが、どうやら性別的に相手は男であるらしいと緋志は判断した。
だが、目の前の鬼の口から自分の名前が出て来た事で彼は再び警戒を強めた。
「アンタ何者なんだ? それに、ココは……」
「ああ、済まないが時間が無いのでね。質問に答えている時間はないんだ。手短に要件を話させて貰うと……君は今、君ではなくなりかけている。君という存在はもうすぐ食い潰されてしまうだろうね」
「………悪いけど、言ってる事がよく分からないな」
「まあまあ、話は最後まで聞きたまえ。それで、君という存在を塗り潰そうとしている輩がいるのだがね、ソイツは今、君が戦っていた人の子を殺そうとしている。そこで、質問だ。君は何の為にあの少年と戦おうと思ったのかな?」
その鬼の声と話し方は実に独特で、緋志は不思議と彼への警戒を解いてしまった。
聞かれるがままに緋志は思考を巡らせた。
鬼の言う少年とは剛司の事で間違いないだろう、とすれば鬼が聞きたいのは何故、自分が剛司と戦おうと考えたのか、その理由なのだと緋志は理解した。
記憶を遡り、まず思い付いたのが陣の仇討ち、という名目だった。
「(………いや、無いな)」
しかし、緋志はすぐに自分でその考えを否定した。
確かに、陣が傷つけられ運ばれていくのを見た時、緋志は途方も無い怒りと悲しみを感じた。
陣を襲った相手を見つけて同じ目に遭わせてやりたいと心の底から願った。
だが、結局それを果たした所で自己満足でしかないと、緋志は分かっていた。
陣の為を思うなら、一刻も早く麗子を見つけ出し治療をしてもらうべきだと、あの時の緋志は考えていた。
ならば、ルミの為だろうか? と一瞬考えたものの、それも違うだろうと、緋志は心の中で首を振った。
剛司を倒した所で、エリナの解呪が間に合わなければルミは一生それを自分の責任だと引きずり生きていくだろう。
そんな重荷を彼女に背負わせるなど、緋志は考えたくも無かった。
「(俺、何でわざわざ逆伎と戦ったんだ……?)」
あの時、逆伎を引き付ける役を自分がやると申し出た時、自分が何を考えていたのか、緋志には思い出せなかった。
答えに窮した緋志を見て、鬼は再び口を開いた。
「ふむ……やはりアイツに影響されていない君はそういう人間なのだね」
「アイツ……?」
「おっと、気にしないでおくれ。では、質問を変えさせて貰おう。君はどうして、紅道瑠魅の事を助けたいと思っているのかな?」
どうして、ルミの事ばかりか、自分の考えている事まで目の前の鬼が知っているのか、緋志は気になった。
しけし、それ以上に今度の鬼の質問は、緋志の心に波紋を広げるものだった。
緋志は彼女と最初に出会った時の事を思い出した。
一目で化け物だと分かる華院に襲われていた彼女を、緋志は何とかして逃がそうとした。
ただ、あの時は一種のパニックを起こしていたせいか、何も考えずに飛び出してしまっただけだった。
明確に彼女の力になりたいのは何時からだったろうかと、緋志は考えてみた。
「ルミは……お人好しで、半分吸血鬼の癖に絡まれたらヒビって動けなくなっちゃう普通の女の子で、オムライス食べると凄く幸せそうな顔して……」
呟きながら、自分がまた誤魔化そうとしていると緋志は自覚していた。
「それで?」
鬼に問い詰められて、緋志はようやくその事実を認める事が出来た。
「俺はアイツの事が好きだから……笑ってるルミが好きだから……ルミが笑っていられる様に、アイツの事を助けたい」
緋志の宣言に鬼は満足気にウンウン、と頷くと先程よりも数段明るくなった声で言った。
「なるほどなるほど、なら、私も力を貸すのはやぶさかでは無いね。ほんの一時の事とはいえ、君と私は同胞なのだから。私は、身内には優しい質なのだよ」
鬼がパチン、と指を鳴らすと緋志の体が黄金の光に包まれ始めた。
緋志は、光が害の無いものだということ事は、ほのかに感じる温もりから何となく察する事が出来た。
「いいかい、目が覚めたら数秒だけ君の為に血晶を維持しよう。それで、後始末を付けたまえ」
疑問だらけのままだというに、鬼が自分との話を終わらせようとしているらしいと気付いた緋志だったが、既に体は光と同化して消えつつあった。
目覚めたら、という鬼の一言から、恐らくあの鬼は自分の精神に潜り込んで来たのだろうと言うことは推測出来た。
目の前の鬼が自分の知る種族だとしたら、どうすればそんな事が可能となるのか緋志には見当もつかなかった。
緋志はどうしても聞いておきたい事だけでも聞き出そうと声を張り上げた。
「待ってくれ!! アンタは……吸血鬼なのか? 何で……」
光が一層強くなり、緋志の視界は真っ白に染められた。
純白の向こうで微かに、鬼が笑顔で手を振っているを緋志は見た気がした。
「やれやれ、あの子、お前の血族とは思えないほど良い子だね」
緋志の姿が消えた後、そこには一人の男が鎖で雁字搦めにされて座っていた。
ボサボサの髪を頭の後ろで括り、あちこちが擦り切れボロボロになった着物を来たその男は、鬼を睨みつけながら唸る様に言った。
「折角の獲物を……どうやってココに潜り込んだ?」
男は人とは思えない掠れたザラザラとした声をしていた。
昔馴染みの鬼は、向けられる殺気を特に気にした様子もなく、微笑みながら言った。
「さてね……君と話をすると疲れてしまうからね。そろそろ私はお暇するよ」
「………狩ってやる。お前もお前の同胞も、皆殺しにしてやるッッ!!」
怨嗟に満ち満ちた絶叫が空気を震わせた。
憎悪の視線を真っ向から受け止めながら、鬼は静かに呟いた。
「憐れだな、人の身に生まれながら、修羅の道を進み続けるとは……命とは、限りがあるからこそ輝くのだ。命が命を育み、唐突に終わりを迎えるまで精一杯生きて、軌跡を残す……それが繁栄だ。己の血族を道具にしてまでこの世に残り続けるお前が、命の何を理解しているのかな?」
鬼の言葉に、男はクッ、ククという笑いを漏らすと、やがてそれは嘲るようなモノへと変わった。
それをお前が言うのか? という無言の問い掛けに鬼は答えようとはしなかった。
鬼自身も分かっていた、自分の様な不変の化身が、生命の尊さを語る事などおこがましいと。
それでも、言わずにはいられなかった。
自分が痛烈に憧れる限りあるモノを否定し、快楽の為に狩り尽くそうとする目の前の怪物に、鬼は遥か昔から遺恨を抱いていた。
「この体は今までに無いほど俺に馴染む……いつか必ずこの体を手に入れて、俺はお前を狩りに行くぞ!!」
そう言って、狂った様に笑い出した男に鬼は最早、視線すら向けていなかった。
鬼の姿がぼんやりと薄れて消えた後も、男はただただ笑い続けていた。




