悪辣の劇場
陣と逆伎が最初に接触した路地まで辿り着いたものの、そこからどうやって陣の足取りを追えば良いか分からず立ち尽くしていた緋志は、ルミからの着信に眉を潜めながらも応答した。
「もしもし、ルミか? 悪い、今……」
「どうしようっ……どうしようッ!! 陣さんが、陣さんが……」
取り乱した彼女の声と彼女の声をかき消すような喧騒とサイレンの音を聞き、緋志は最悪のシナリオを思い浮かべざるを得なかった。
どうにか彼女の居る場所を聞き出すと、華院から補充してもらった丸薬を噛み砕き、吸血鬼モドキとなった緋志は夜の街を駆け抜けた。
まるで風になったかのように、重力を無視したような動きで一直線に目的地へと向かっていく。
夜に吸血鬼モドキとなったのは久しぶりだったので緋志は少しばかりその身体能力の向上に驚いた。
普段なら爽快感の一つも感じられたかもしれない。
だが、今は胸の中でわだかまる不安がそれを阻害していた。
わずか数分で、見覚えのある建築現場へと緋志は辿り着く事が出来た。
夜中だというのに、多くの野次馬が集まり、数台のパトカーと警官がバリケードを作り人々を下がらせようとしている。
そして、人々の声を貫く様なサイレン音を響かせた救急車が現場へと入るゲートの側に止められていた。
担架に乗せられた少年の姿を見た瞬間、緋志は思わず目を背けたくなってしまった。
左腕が有り得ない方向にねじ曲がり、骨らしき白い突起物が飛び出し、全身血塗れなのに、その見知った顔が彼が北条陣なのだという事実を否応なく緋志に告げていた。
これは質の悪い夢なのだと、そう思いたかった。
担架を積み込もうとする救急隊員とは別の男性隊員が一人の少女を押さえ込んでいた。
彼女は壊れた様に叫び、少年へ触れようとその手を伸ばしていた。
「陣ッ!! いやよっ、離して!!!」
「落ち着いて下さい!! すぐに搬送しないと……急げッッ!!」
「陣、陣っ!! 返事しなさいよ!!」
緋志はその光景を見た瞬間、酷い吐き気に襲われた。
ギシギシと軋む首を動かして、彼は辺りを見回した。
バリケードのすぐ内側で、呆然と立ち尽くしているルミの姿があった。
彼女から話を聞こうとしているのか、警官の一人が声を掛けていたが、ルミが反応を示す様子は無かった。
「なんでだよ……なんで……」
ポツリと、緋志の頬に水滴が落ちてきた。
ポツポツと数を増やした水滴は、すぐに強さを増して雨となった。
自分の頬がどうして濡れているのか、彼には分からなかった。
緋志達の休日が終わってしまう数時間前。
鎖間那麗子は、駅から出た所でさてどうしたものかとスマホの地図アプリを確認していた。
関西国際空港から電車を使って京都まで来たのだが、そこから目的地までの都合の良い交通手段を彼女は決めかねていたのだ。
「全く……こんな京都市内から離れた場所を指定してくるとはな」
ボヤきながら、彼女は二日前に送られてきたメールを再度確認した。
見覚えの無いメールアドレスから送られてきたソレには、こう書かれていた。
──私は貴女の正体を知っています。聡明なアナタならきっと私と会って下さる事でしょう。どうぞコチラまでお越し下さい。 Jより
そして、添付されていた画像ファイルには、とある教会周辺の地図が載せられていた。
普通の人間なら、悪質なイタズラメールだろうと判断してしまいそうな内容だったが、生憎、麗子は普通の枠組みから外れた存在だった。
とはいえ、麗子はJという人物に心当たりは無い。
それでも、彼女はわざわざ高い交通費を使い、緋志との約束を反故にするという自分のポリシーに反する行動を取ってでも京都を訪れざるを得なかった。
もし、自分の正体がバレてしまったら、それは麗子が最も恐れている事態だったからに他ならない。
「(どこで嗅ぎつけたのかは知らないが……不安要素は消して置かなければな)」
麗子は丁度いいバスの路線を見つけると、乗り場の方へと足を運んだ。
休日であるせいか、人混みはかなりのものだった。
流石は観光都市としも名高い日本の古都、京都と言った所だろうか。
しかし、麗子はJなる人物が何故わざわざ京都を選んだのか、はなはだ疑問だった。
何故なら日本で京都ほど、混沌とした魔術師同士の勢力争いが繰り広げられている場所もそうは無いからである。
霊的に非常に安定した土地であり、日本有数の発展都市であるというのも理由ではあるのだが、最も大きな理由は別にある。
それは日本の魔術師が表舞台に立っていた時代、主たる術師達が京都で活躍していたという歴史的な事情だった。
魔術師達が隠遁を選んだ後も多くの者は京都周辺で派閥を作り、結果的に現代に至るまでに多くの抗争等も起きていた。
そして、二十年前に起きた『陰陽抗争』により、龍平会が市内部を平定し、その周りを囲うように細かいコミュニティーが点在する現在の勢力図が出来上がった。
最近では犯罪に手を染める事を厭わない魔術組織が市内で活動しているらしく、またしても京の都は騒がしくなりつつあった。
そういう事情もあって、関わりになりたくない術師は関西にすら近づかない様にしている程なのだ。
一応、郊外を選んではいるものの、そんな場所を選んだ相手の真意を麗子は読み取れずにいた。
「(余裕があれば聞いてみるとするか……)」
麗子は心の中でそう呟きながら、バスへと乗り込んだ。
バスに揺られる事、数十分、最寄り駅から更に徒歩十分を費やし、麗子はようやく目的の教会に辿り着いた。
小高い丘の上に建てられたレンガの床をもった西洋風の建物達は、ここが京都だということを忘れさせてしまいそうだった。
地元で式場として使われているらしく、門の中には広々とした敷地が広がっていた。
門に付けられたプレートには『高木教会』と彫られている。
まだ出来たばかりなのか、施設はどれも綺麗なものだった。
ただ、不気味な位に静かだった。
来客どころか、職員らしき者達の姿すら見当たらない。
しかし、麗子は特に躊躇する様子も見せずに門をくぐり抜けると、案内板で確認した教会の方へと進んで行った。
レストランらしき建物を通り過ぎてすぐに、天辺に十字架を携えた真っ白な建物が麗子の目に飛び込んできた。
扉の前まで来た麗子は、特に術などが掛けられていない事を確認すると、ドアノブに手を掛け扉を開いた。
まず、目に入ったのは女性の姿が象られたステンドグラスと、神を示す十字架が備えられた台座だった。
そして、それに対面するように二列に設置されたベンチの一つに、黒いフードを被った人物が座っていた。
麗子はベンチの狭間に作られた通路を進むと、その人物の側まで近寄り彼女の方から口を開いた。
「お前が、Jとやらか?」
麗子の問いかけに、その人物はすぐには答えなかった。
数秒の沈黙の後、歪んだ、ノイズの様な声で笑い声を漏らすと、それが収まってからフードの人物はこう言った。
「クッ、クク………流石は『黒羽の魔女』臆せずに来て頂けましたか」
そして、立ち上がり彼女の方へと向き直ると、カクンと腰を折り曲げた。
その人形じみた動作は、見る者の心をざわつかせるものだった。
すぐに元の体勢に戻ると、その人物は歪んだ声でこう言った。
「それでは御挨拶を、私、情報屋の真似事をしておりますジョーカーと申します……お会いできて光栄ですよぉ。鎖間那麗子さぁん」
粘つくようなその口調にも、麗子は動じる事は無かった。
それどころか、微笑みを浮かべながらこう返した。
「これはご丁寧に……とはいえ、私もこれで忙しい身なのでね。早速だが本題に入らせて貰おう。貴様、何が目的で私を呼び出した?」
ジョーカーのフードの奥に沈む顔は、魔術によるものなのか闇に包まれて見る事が出来ない。
それでも、麗子にはジョーカーが笑ったのが伝わった。
「ええ、実は私、貴女のご両親を嵌めた人物に心当たりがあるのですよぉ」
その台詞に、ここに来て初めて麗子の心が大きく揺れ動いた。
彼女が目を見開く様に、ジョーカーは堪らずと言った感じで笑い声を漏らした。
麗子はすうっと笑みを消すと、底冷えのする様な声でジョーカーに警告した。
「今すぐ死ぬか、洗いざらい喋ってから死ぬか、好きな方を選ぶと良い」
「アッハッハッハッハッ!!! 強気ですねぇ……本当に素晴らしいぃ……でも、宜しいんですかぁ? 私が死ねば貴重な手掛かりが無くなってしまいますよぉ? 別に私は貴女に危害を加えるつもりは無いんですよぉ……どうですぅ? お話、聞いて頂けませんかぁ?」
麗子は最早目の前の人物と意思疎通を取ろうとはしていなかった。
普段は絶対に使おうとしない力を使い、目障りな存在を消しさろうとする。
しかし、彼女が使い魔を呼び出すよりも先にジョーカーが口を叫んだ。
「おおっとぉぉ!! それは止めた方が宜しいですよぉ?」
「命乞いか? 今更……」
「あぁ、やっぱり気づきませんよねぇ……ここ、対魔課の支部がすぐ近くにあるんですよぉ」
ピタリと、麗子の動きが止まった。
それがブラフであると断じてしまうのは、余りにも危険な賭けだった。
今、麗子が普段は隠している手札を使おうとしたのはこの近辺に自分を知るものが居ない、かつ魔術師のコミュニティーが無いという状況が重なったからである。
目の前の人物さえ消せば自分の秘密はまた守られる。
少なくとも素性が分からない人物に秘密を知られているという状態は解消出来るのだ。
だが、もしジョーカーの言う通り、対魔課の支部が近くにあるなら、もしそこの職員に力を使った事を感知されてしまえば、確実に麗子は対魔課から追われる身となってしまうだろう。
それだけは何としても避けなくてはならなかった、少なくとも今はまだ。
「………」
「いやぁ、市内周辺は何かと騒がしいですからねぇ。対魔課の皆さんもあんな所に拠点は置きたくないんでしょうねぇ」
麗子は目の前の人物が予想以上に危険だということに遅まきながら気が付いた。
まさか、メールなどという迂闊な、足の付きやすい手段で連絡を取ってくる相手がここまで食わせものだとは思いもしなかったのだ。
そして、麗子は最悪のパターンを想像してしまった。
もし、ジョーカーが奴らの一員だとしたら、スグにでもここから逃げ出さなくてはならない。
「(奴を消せないのは悔しいが……安全第一だ)」
コンマ数秒でそう判断した麗子は、転移魔術を発動させようとして……ようやく教会全体に結界が張られている事に気が付いた。
「……『異端否定』か」
「おお、ご存知ですか! いやぁ本当に博識ですねぇ」
おどけてみせたジョーカーがパチンと指を鳴らした。
信仰無き者の魔術使用を封じる結界が張られたのである。
麗子は次の展開を予想済みだった。
ジョーカーの合図と共に奥の扉が勢いよく開き数人のシスターを着た女性が教会の中に飛び込んできた。
同時に麗子が入ってきた扉からも数人が姿を現す。
まんまと敵の掌で踊らされてしまった麗子は、ジョーカーを睨みつける事しか出来なかった。
自らのミスに苛立つ彼女に、ジョーカーは追い打ちを掛けた。
「あ、一つ伝え忘れていました……実は私、貴女の事務所でアルバイトをしている紅道瑠魅さんを始末して欲しいと頼まれたんですよぉ」
「何……?」
「しかしですねぇ、いかんせん腕っ節が弱いもので……仕方が無いので本職の方に依頼させて頂いたんですよぉ、あの逆伎剛司さんにね」
日本で五本の指には確実に入るであろう退魔師を、麗子が知らない訳は無かった。
一層目付きを鋭くする麗子にジョーカーは囁く。
「あぁ、そんな睨まないで下さいよぉ、ゾクゾクしちゃいます……それにね、今ならまだ間に合うと思いますよ? 貴女なら出来ちゃいますよね? この人数を始末して、大事な従業員の元へ駆け付ける事も……どうぞ、力を使って頂いても結構ですよ?」
ジョーカーの言うことは真実だった。
麗子が自分の身を顧みなければ、緋志達を助けに行く事は充分に可能だった。
可能ではあるが、それを実行に移すことは彼女には出来なかった。
もし、力を使って全てを解決したとしても、再び追われる身となるリスクを犯す勇気を麗子は持つ事が出来なかったのだ。
結局、自分がその程度の人間なのだということを麗子は嫌というほど実感させられた。
「アハ、アハハ、アハハハハ!!! その顔!! その自己嫌悪に陥った表情ッッ!!! 今日一番のベストショットですよおおおぉ!!」
ジョーカーの狂った様な笑い声が教会の中に響き渡った。




