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狐の意地 その三

「おいおい、嘘だろ……」

陣が思わずそう呟いた。

彼とマホの目の前ではつい数秒前に陣達が通ってきたビルの屋上から落下してきたバイクが、爆音を響かせ、ライトの光が睨みつける様に二人を照らし、まるで野生の獣に威嚇されている様だった。

「驚愕……どうやって……」

マホの口からも、とても分かりやすい驚きの声が漏れ出した。

が、当然鋼鉄の騎馬も、それに跨る鬼も答えてはくれなかった。

ブオン! とエンジンが唸り声を上げた。

一瞬早く陣が我に返り、マホの腰に手を回すと右側へと全力で跳んだ。

普通では考えられない様な加速をした重量級マシーンが二人を掠めた。

「ぶっねぇ!! (けど一回躱せば……)」

「ちょっ……!?」

腕の中で何やら言いたげな声が聞こえたが陣は無視した。

あの巨体ではそうそう簡単には方向転換出来ないと彼は踏んでいた。

それどころか彼らのすぐ後ろは建物の壁である。

上手く行けば激突してくれるはず……というのは希望的観測に過ぎなかった。

バイクが壁に突っ込む寸前、その巨体が突然垂直方向に持ち上がった。

その一瞬だけ切り取って見れば、いわゆるウィリーからのジャックナイフなのだが、あろう事かバイクはそのまま空中を垂直に走り出した。

「はあ!? なんだよそれ!!?」

更に空中を走りながら方向転換すると全速力で陣達の方へと向かって来る。

陣は再び跳躍して躱そうとしたが、今回はマホの方が早かった。

彼女が手をかざすと巨大な氷の塊が生まれ、ハンマーの様にバイクの脇腹を叩いた。

衝撃で吹き飛ばされた鬼と愛機に更なる追撃が加わる。

「汝罪ありしモノ、氷獄にて悔い改めよ……『万年氷牢(まんねんひょうろう)』!!」

着地した瞬間を狙った術は見事に目標を捉え、鬼をバイクごと分厚い氷で包み込んだ。

「お、おお……スゲェな」

基本的に幻術しか使えない陣の口からそんな呟きが漏れた。

が、魔術師はそんな言葉は耳に入らぬようで、手足をばたつかせながら抗議していた。

「再確認!! 何度も言わせないで下さい!! 下ろして!!」

「えー……だってマホちゃん俺より反応鈍いし、俺が抱えて逃げた方が早いし……というかアイツ、アレでまだ生きてんの?」

そもそも閉じ込められて呼吸も出来ていないはずなのだが、鬼を封じ込めているのは只の氷では無いらしく、相当離れている陣ですら震えがくる程の冷気を放っていた。

恐らく自分なら喰らえば死んでしまうだろうと、陣は確信していた。

それ故の疑問だったのだが、マホは何を馬鹿な事を言っているのか、と言わんばかりに大きくため息を吐いた。

「要求。良く見てください」

そう言って彼女が鬼の方へと視線を向ける。

釣られて陣ももう一度氷のオブジェを観察してみた。

そして、すぐに自分が見逃していたものに気が付いた。

「おいおい、マジかよ……」

ピシ! という微かな音が聞こえてきた。

小さな亀裂が氷の表面を走る音だった。

どうやら、鬼は力任せに氷の牢獄を脱出するつもりらしい。

そもそも陣からしてみれば、あの状態で生きている事が驚きだったのだが、マホの方は特に意外でも無かったらしい。

彼女の落ち着いた様子がそれを物語っている。

「SSSの対魔師ともなれば、あの程度では倒せません……悔しいですが」

「………え? アイツ対魔師なの……?」

まさかの情報に陣はビクッと固まってしまう。

明らかに化け物じみている目の前のアレが、対魔師だと言われてもにわかには信じ難い、というのもあった。

が、それ以上に相手が対魔師だとすると色々と不味い状況が加速してしまう事を陣は心配していた。

「詳しい話は後です。一先ず離脱しましょう。取り敢えず降ろして……」

「んじゃ、まあ行きますか」

「だから何故抱えたまま……きゃあ!?」

再び短い悲鳴を残して二人の姿は消えてしまった。

またしても二人を見失ってしまったが、鬼に焦りは無かった。

数秒後、ガシャン! という音と共に氷の牢が崩れ落ちた。





「よーし、ここならバイクじゃ入って来れねぇだろ」

「ここは……」

ようやく陣の肩から降ろされたマホはその場所に見覚えがあった。

至るところに置かれた建築資材に重機、そしてシートで覆われた建造途中の建物は以前来た時よりも工事が進行している様だった。

そう、陣がマホを担いでやって来てのは、数週間前に幽霊退治を行った建築現場だった。

確かに彼の言う通り、ここならば障害物が多すぎてバイクに乗ったまま敷地内で行動するのは難しい……というより、生身で行動する方がメリットが大きいだろう。

ただ、それは理解出来てもマホは陣がここにやって来た意図が読み取れなかった。

彼女と彼女の同僚、そして主が考えていた最善の逃走先は探偵事務所だったのだ。

何せ敵意を持つものを寄せ付けない結界が張ってあり、恐らく彼女達の雇い主もいるだろう。

あの場所まで行けば、少なくとも状況が悪くなる事は無いはずなのだ。

「よーし、そんじゃまあ……取り敢えず建物の中にでも入っときますか」

「制止! 待ってください、アナタは何を考えてこんな場所に……」

彼女の問いかけに、陣は何でもない様にこう言った。

「そりゃあ、アイツ倒す為だろ」

予想の斜め上どころか百八十度逆のセリフにマホはパクパクと金魚の様に口を動かす事しかできなかった。

「? お、おーい、大丈夫か……?」

心配そうな顔を向けてくる陣に何と言っていいか分からない彼女に代わり、表に出て来たのは体の主だった。

「それはコチラのセリフだッ!! 何を考えている!?」

「うおっ! キリちゃんか? ビックリさせんなよ〜」

「だから!! それは!! コチラの!!」

「ちょっ、取り敢えず落ち着こうぜキリちゃん!」

珍しく感情を爆発させた霧上の姿にたじろぎながら、陣は彼女を落ち着かせた。

フーフーとまるで威嚇する猫の様な呼吸音を立ててはいるのものの、霧上はどうにか自分を抑える事に成功したらしい。

ヤレヤレと肩を撫で下ろした陣は親指で建造途中の建物を指差すとこう言った。

「まあ、取り敢えず中に隠れて話そうぜ」

中に入った二人は入口と建物前を見下ろせる部屋を見つけるとそこで話す事にした。

埃っぽいものの贅沢を言っていられない。

何となく子供の頃の秘密基地作りや探検の気分を感じながら、陣はどっかりと腰を下ろした。

霧上は汚れが気になるのか、立ったままだったが。

「まあ、暗いけど……見えない程じゃねえかな。晴れてて良かったねぇ」

月明かりで照らされた部屋はどことなく不思議な気配に満ちていた。

そんな空気に感化されたのか、いつも通りの様子に戻った霧上が口を開いた。

「それで? 先程の馬鹿げた発言について、詳しく聞かせてもらおうか?」

静かなのだが、ピリピリとした肌を刺すような声に陣は苦笑いを浮かべてしまった。

どうやら、そこまで無茶な事を言ったという意識は彼には無かったらしい。

「まあ、何というか……アイツ、ルミちゃんの事、退治しに来てるらしいんだよね」

「……それで?」

「それでって……ほっとけねぇだろ? 普通に考えて」

「別に貴様だけが腐心する必要も体を張る意味も無いだろう……それよりも事務所に行って所長の指示を仰いだ方が……」

「電話」

「……?」

「電話、掛けてみろよ。麗子さんに」

陣の顔は真剣だった。

そこに映る何かに心動かされたのか、霧上は言われるがままにコールを掛けた。

しかし、13回目のコールでも彼女が出ることは無かった。

13コールは彼女と所員たちの間で取り決められた、一種の決まり事だった。

つまりは、それまでに電話が取られなければ、彼女は通話出来る状態ではないという証明となる。

「……出ないな」

「やっぱりな……あの人、勘が鋭いのか何なのか、大体何かあると先にあの人の方から連絡があるんだよなぁ。最近の例外と言えばルミちゃんの件くらいか? でも、あん時も俺達から話聞く前からある程度状況分かってた臭いし……とにかく、十中八九麗子さんは街には居ない」

陣言うことは認めざるを得ないものの、それでも霧上の疑問は解消されなかった。

よって、彼女は再びそれをぶつけた。

「だが、所長が居ないにしても一先ず事務所に逃げ込めば……」

「逃げ込んでどうする?」

陣の声はいつになく無機質だった。

いや、冷たいとすら霧上は感じた。

そして彼女は思い出した、屋上で彼から殺気を向けられた時の事を。

彼が何枚もの皮を被っているということを彼女が改めて実感した瞬間だった。

「どうするも何も……」

「逃げたって何も解決しない。ルミちゃんは半分吸血鬼、そんでマホちゃんの言ってた事が正しいなら相手は対魔師、なら今回は対魔課に力を借りたりは出来ないはずだぜ。麗子さんから頼めばもしかしたら夜亟さんは協力してくれるかもしんねぇな。麗子さんいねけぇけど」

つらつらと述べる陣はまるで別人の様だった。

しかも、内容に関して霧上は反論の余地が無かった。

言葉を失った彼女は小さく「だが……」と呟くのが精一杯だった。

そんな彼女に陣は容赦なく畳み掛けた。

「だが? 逃げてれば相手が諦めてくれるかもってか? その可能性はねぇと思うぜ」

あの鬼の目を見た時、陣はその奥に宿っている強い光を見たのだ。

何をしても、何があっても、必ずやり遂げてみせるという強い決意の光を。

恐らく、ルミを狩るというのは通過点、もしくは何らかの手段に過ぎず相手の本当の目的は別にあるのだろうと彼は睨んでいた。

ただ、その推測が当たっていようがいまいが相手が自分達を逃してくれないだろうというのは分かり切っていた。

なにせ、相手は堂々と純粋な人間である霧上にも牙を向けて来たのだから。

それは霧上も分かっている事だった。

「……だからと言って何故……」

「あ、悪りぃ。言い忘れてたけどキリちゃん逃げてくれても良いぜ……ぶっちゃけると俺だけじゃ敵わんから居てくれるとスゲェ助かるけど」

「今更過ぎるだろう……それを言うなら今野も呼ぶべきではないのか?」

「……アイツはルミちゃんを守る最後の砦だからな。呼べねぇよ」

「それにしても連絡くらいは……」

「ンな時間ねぇのよ、最後の確認だ。キリちゃん逃げるなら今の内だぜ?」

本音を言えば、陣は霧上に逃げて欲しかった。

誰かを巻き込むのは、ましてや付き合いの浅い彼女を危険に晒すのは嫌だった。

それでも、彼女に逃げてくれと言い切れる程、彼は自分の命を捨てたがっている訳でも無かった。

そんな心情が発揮されたのか、彼の眼差しは今まで霧上が見た事が無いほど逼迫したものだった。

それを見てようやく、彼女は今の状況が命に関わる物なのだと理解出来た。

今までお膳立てされた舞台で、脚本通りに踊ってきた彼女と、手探りのまま時には命を掛けて雑用をこなしてきた陣との経験差から来る認識の違いだった。

「……私は」

「ん?」

「私は、紅道に借りがある。それをここで返させて貰うとしよう」

不敵に笑いながら、霧上はそう言い放った。

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