狐の意地 その二
賑やかな歓楽街を霧上を抱えたまま、北条陣は疾駆していた。
幻術を使っている為周りから姿を認識される事は無いものの、それ故に誰も向こうから避けようとしてくれない分、陣は非常に神経を尖らせていた。
と、数メートル先の居酒屋から大学生らしき集団が現れ、道が塞がれてしまう。
しかし、彼は特に迷うことなくビルの壁を蹴りその反動を利用して建物を駆け上がった。
無論、普段はここまでの身体能力は得られない。
指輪を付けた状態では彼に憑いてる妖の力はどう足掻いても三割程までしか発揮出来ない。
彼が麗子から大金を叩いて手に入れた魔具は言わば絶対的なストッパーなのだ。
制御出来ない力が暴走する事がないように、無理矢理押さえつけるための。
即ち、指輪を外した今の彼は使おうと思えば妖の力を100%引き出す事も可能である。
勿論、スピードを出し切る事と機体をコントロールする事は全くの別問題ではあるのだが。
「(っと……そろそろヤベーな)」
自分の中に巣食う妖が、体の主導権を握ろうと暴れ始めたのを陣は感じ取った。
鬼との距離も充分離れたここが潮時だと彼は判断した。
丁度良い駐車場を見付けた陣はビルの4階からそこ目掛けて飛び出した。
「ヒッ……!?」
腕の中でか細い悲鳴が上がった気がしたが陣はスルーして着地に備えた。
ズン、という衝撃と共に陣の足に痺れが広がる。
普通なら両足粉砕骨折どころか腰まで破損している様な場面だが、妖の力で強化された陣の肉体は耐え切ってくれた。
「ふい〜……どうにかまけたかね」
「……………し、指摘。とにかく降ろして下さい」
「お、悪い悪い」
ようやく身動きがとれるようになったものの、霊の足元はふらふらと覚束なかった。
その姿に陣は若干の罪悪感を感じてしまう。
彼は指輪をはめ直すと、バツの悪そうな顔で言った。
「いやぁ、その、ほら。俺が全力出した方が早く距離稼げるかなぁ、と思った、みたい、な……」
霧上本人の意識も表に出ていないだけでキチンと存在している為フォローをしようと思えば出来るのだが、陣の慌てる姿が面白いのか相変わらず霊が宿っている状態のままだった。
霊はどうやら高い所が苦手だったらしく、真っ青な顔のまま下唇を噛み締めている。
が、陣にも悪意があった訳では無いというのは理解出来たらしく何とか言葉を絞り出した。
「……了解。別に、問題はありません。ただ、ほんの少しど、いえ、酔ってしまっただけです」
何やら譲れない部分があるらしく、怖かったというのは認めたくないらしい。
とはいえ、陣としては報復行為をされない事が確定しただけ有難い事だった。
ホッとしたのも束の間、未だに釈然としない表情を浮かべていた霊が急に顔を引き締めると陣に向かって言った。
「緊急。北条陣、魔具を装備し直して下さい」
魔具、装備、という普段は使わない単語のせいで霊が自分に何を求めているのか、陣は分からなかった。
キョトンとしたまま「へ?」という間の抜けた声を出した陣に霊が再度指示を出そうとした時、霊の主が体の支配権を取り戻した。
「指輪をはめ直せ! 早く!」
ガラリと雰囲気を変えた少女に気圧されながらも、陣はようやく求められている事を理解出来た。
妖の力を抑え込む魔具により、陣の頭に生えていた狐の耳と、フサフサとした尻尾は消滅した。
そういえばこの恥ずかしい姿を霧上に見られるのは初めてだった、という事実に陣は多少の気恥ずかしさを感じながら口を開いた。
「で? これで良いのか?」
「……おい、もう少し魔力の量を抑えられないのか?」
しかし、霧上の要求はまだ満たせていなかったらしい。
だが、今度の指示は陣には高度過ぎるものだった。
「あ〜……その、俺そういうの無理なんだけど……」
「何?」
「いやほら、俺何となくで力使ってるだけで、魔術とか一切分からんし……」
これは霧上には驚愕の情報だったらしく、彼女は珍しく動揺を隠せなかった。
「そ、そうなのか……!? では……ええい、取り敢えず事務所に向かうぞ」
「そうだなぁ、色々と情報も整理したいし……あんなのに目ぇ付けられてるのに家には帰れねぇしな」
事態の把握に差がある故のテンションのギャップにもどかしいものを感じながらも、霧上は頷いた。
そして何があっても対応出来るように、という理由から再び体の使用権を霊へと委ねた。
どうやら、以前に陣達を助けてくれた老人の霊にはあまり体を預けたくは無いらしい。
「推奨。ひとまず人混みに紛れて移動を開始しましょう」
「お、おお……」
テレビ等で見かける多重人格とは比べ物にならないレベルの七変化に陣は圧倒されっぱなしだった。
その時、唐突に彼は気になってしまった。
「そういえば、アンタ名前は?」
陣は舞から霧上が連れているのは三人の霊だ、という話を聞いていた。
故に、霊にも当然、名前があって然るべきだと考えたのだ。
というか、呼び方すら分からないのでは不便極まりなかった。
「……ありません」
「ありません、って……」
「撤回。正確には忘れてしまいました」
にわかには信じ難い話しではあったが、そもそも幽霊が存在しているという時点で考えるのも馬鹿らしくなるというものである。
結果、陣は特に突っ込む事はせず名前が無くては意思疎通がしにくい、といううむを伝える事にした。
すると、主よりも更に感情表現が希薄な霊は珍しく明確に困った顔をして見せた。
どうやら霧上との間で使っている呼び名等も特になく、それどころか自分に名前が無いことに疑問すら感じなかったらしい。
「今まで良くそんなんでやって来れたな……」
「注釈。別に名前が無くても話す相手はマスターか同僚のみでしたので特に困る事はありませんでした」
「あ、あのじっちゃんは同僚扱いなのね……」
というか、こんな事をしている場合ではない。
陣は持ち前の強引さを生かしてとっとと話を進める事にした。
「じゃあ取り敢えず呼び方決めさせてもらうぜ……そうだな、魔法使いっぽいから……マホちゃんでどうだ!!」
「……ネーミングセンス皆無だな」
「お前霧上だな!? 失礼だな! というか、いきなり入替んなよ!! で? 幽霊ちゃん的にはオッケー?」
陣の再度の確認に霊は数秒程沈黙した。
やがて、無言のままコクコクと頷いてくれた為、どうやら陣のアイデアは及第点を貰えたらしい。
気になっていた事も解決し、さて移動しようと二人が大通りへと続く路地へと体の向きを変えた時、とんでもない爆音が閑静な駐車場の空気を震わせた。
音の発生源を探し自然に振り返った二人が見たのは、ビルの上から大型バイクが落下してくるという、理解に苦しむ光景だった。
その頃、ルミ達三人は無事に買い物を終え帰路に着こうとしていた。
普段通りならば舞と夏菜はこのまま電車に乗るのだが、舞はどうしても昼に出会ったメイド服の少女の事が気に掛かっていた。
そして、そんな彼女の不安を煽るかの様に先程から陣のものらしき気配と、今まで感じた事の無い、猛々しいという形容詞がピッタリの気配を、彼女の霊感は感じ取っていた。
また、舞ほどではないにしろ、それなりの感知能力を持つルミも不穏な空気が漂っているのは察知していた。
「(どうしよう……何かあったのかな? 緋志に連絡した方が良いかな……)」
ルミはそんな風に明らかな異常事態に対処しようとしながらも、今現在、自分はどうすれば良いのだろうか、という行動の分岐点に立たされ困惑していた。
先程から駅の改札へ向かって舞と夏菜と共に歩いているのだが、舞が明らかにこのまま帰るつもりは無い、という意思を無言のままルミへと伝えて来るのだ。
主にアイコンタクトによって。
ルミでさえ、恐らく陣が何か厄介事に巻き込まれてしまったのだろう、という事は推測出来るのだ。
陣との付き合いが長く、かつ、より優れた感知能力を持つ彼女は尚更事態の深刻さを理解しているのだろう。
そして、そんな状況に陥っている陣の事が心配で堪らないのだろう。
とはいえ、ルミとしてはこのまま舞が夏菜と一緒に帰ってくれる事を期待していた。
彼女が帰らないとなれば、まず夏菜が怪しむだろう。
その理由付けを舞はルミと口裏を合わせて乗り切ろうとしているのだろうが、ルミには夏菜を納得させられそうな口実など考え付きそうも無かった。
更に、もし舞がルミと共に陣の元へと駆け付けようとするならば彼女をガードしなくてはならなくなる。
緋志と麗子、そして連絡がつけば霧上とも合流するつもりではあるものの、ルミは舞を守りながら相手取ることが出来るほど陣と敵対している何かが生易しい存在では無いことは吸血鬼の本能で理解していた。
むしろ、実戦経験皆無なルミですら足でまといになりかねないのに、そこに来て舞まで付いてきてしまえば緋志達の負担が増すのは目に見えているのだ。
というルミの考えは、舞も理解していた。
理解した上で、彼女は陣の元へと一刻も早く向かいたがっていた。
北条陣という少年は割と危機回避能力が高い。
相手をだまくらかすのは性格的にも能力的にも得意だし、意外と目端が利くので危ない事は未然に予測し躱すことが出来る。
ただ、理由があればどんな危険にもノーガードで突っ込み、決して引こうとしない頑固な、悪く言えば無鉄砲な部分もある。
それを良く知っている舞は不安でならなかったのだ。
このまま彼を放っておけば、良くない事が起きてしまうのでは無いかという、推測でしかないはずなのに確かな重みを持った不安が彼女の心にズッシリとのしかかっていた。
「いやぁ、今日は色々と楽しかったわね〜。やっぱり日曜は偉大ね!」
改札前へと辿り着き、夏菜が締めのつもりか明るくそう言った。
切符を取り出しながらルミに別れの挨拶をしてくれる。
「えっと、私も楽しかったです……また、遊びましょうね」
「勿論! まだまだ行きたい所もあるし……って電車来てる! ほら、舞ッ! 急がないと……」
そう言って右手を引っ張ろうとした親友の手を、舞は咄嗟に振りほどいてしまった。
「……舞?」
「……あのね、今日ちょっとルミちゃんに勉強教えて欲しいって頼まれてるの。だから私はもう少し後の電車で帰るわ」
「え、そうなの?」
キョトンした顔で夏菜はルミの方を見た。
ここまで来てしまっては流れを変えることはルミには不可能だった。
ルミはぎこちなく笑いながら、どうにか頷いてみせた。
「そ、そうなんですよ……私、この前のテストで社会だけあまりにも点数が違っていたので……」
「きゅ、休日まで勉強なんて……」「……番ホーム、間もなく発車致します。ご利用の方は……」
信じられない、という一言は駅のアナウンスでかき消されてしまった。
夏菜は慌てて二人を交互に見ると、早口でこう言った。
「そういう事なら私は先に帰るから……また、学校で会いましょ!」
手を振りながら改札を抜けていった彼女の姿が見えなくなった瞬間、舞は小さな声でルミに謝罪した。
「………ごめんねルミちゃん。嘘の片棒担がせちゃって」
「い、いえ……あの、その、やっぱり舞さんも感じますか? 何かと、陣さんが……戦ってるみたいな気配を」
「そうね……一先ずアイツの所まで急ぎましょ。足でまといになっちゃうけど……ごめんなさい」
舞に強気なイメージを抱いていたルミは、彼女のしおらしい姿に驚きを隠せなかった。
とはいえ、別にルミからしてみれば謝られるほどの事でも無いため、慌ててこう言った。
「そ、そんな! むしろ緋志からしてみたら私も邪魔になるかもですし……そうだ、緋志に連絡しないと……」
言葉の途中でやるべき事を思い出した彼女は、素早く携帯を取り出した。
電話帳を開き、一番上の番号へとコールを掛ける。
しかし、何度鳴らしても緋志が出る気配は無かった。
「出ない?」
「はい……もしかしたら、緋志も近くに……」
彼女達はとにかく陣の元へと急ぐ事にした。
行ったところで自分達に出来ることは何も無いかもしれない。
それでもここでじっとしている事など彼女達には到底無理な話だった。




