狐の意地 その一
陣の目を真っ向から睨み返しながら男が口を開いた。
「お前、北条陣、だな?」
一言一言区切る様な遅々とした喋り方に陣は苛立ちを感じなからこう返した。
「だったらなんだよ。俺はテメェみてぇな不審者とお知り合いになった覚えはねぇんだけどな?」
陣と男がいる通りには何故か全く人通りが無かった。
いくら、暗くなって来たとはいえ余りにも不自然な光景だった。
陣は男が何か魔術を使っているのかもしれない、と警戒を強めながら相手の反応を伺った。
「聞きたい、事がある……紅道瑠魅、という名前に聞き覚えが、あるな?」
男の口からゆっくりと吐き出されたそのセリフに、陣はわざとらしく考え込む素振りを見せた。
男の紅く光る目からして、もしかするとルミの関係者、もとい知り合いの吸血鬼なのかもしれないという可能性は否定し切れない。
とはいえ、明らかに危ない相手にわざわざ関ろうとするほど陣も馬鹿では無かった。
声を掛けたのもこのまま家まで着いて来られてしまっては困るから、というだけの理由なのだから。
「いやぁ、知らねぇなぁ……なんだよ、その人に何か用事でもあるのか?」
適当に誤魔化して術でも使って巻いてしまおう、と決心した陣は一応それとなく相手の事情を探っておこうと、とぼけてみせた。
流石に名前まで調べてきている相手がここまで適当な芝居で誤魔化されてくれるとは陣も考えてはいなかった。
言うなればこれは彼にとっての心の準備だった。
自分の中で余裕を持つ事で相手を迎え撃つ為の。
しかし、陣の予想とは裏腹に男は再び口を開いた。
「俺は、ソイツを、殺しに来た。居場所を、知っているなら、教えて貰おう」
ブチッ、と陣の中で何かが切れる音がした。
必死に自分の中の激情を押さえ込みながら上っ面だけの笑みを浮べながら陣は言った。
「なぁ、お前さ、俺の名前と顔知ってるって事はある程度下調べしてから来たんだよな? その上で俺にルミちゃん殺すから場所教えろ、ってか?」
「そうだ、な」
限界を超えた怒りによって、『穏便に済ませる』という選択肢が陣の脳から削除された瞬間だった。
とはいえ、自ら手を出すのは愚行である。
陣は先程よりも四割増しで獰猛さが加わった笑いを浮べながらこう聞いた。
「で? 俺は元々教える気も無かったし、そんな話聞いちまったら意地でも話す気はねぇんだけどな? どうする?」
男は押し殺していた殺気を放ちながらゆっくりと言葉を並べた。
「素直に、話せ。協力しない、場合は、少し、ばかり、痛い目に、あってもらう」
「テンプレだねぇ……やってみろや糞野郎!」
ビッ!っと中指を突き立てた陣に男が何の前触れも無く急接近した。
迷いの無い動きで大きく右腕を振りかぶり、虚を付かれたらしい陣の顔面へと難なく打ち込んだ。
が、男の拳が陣の鼻先に届いた瞬間、陣の姿が煙の様に掻き消えてしまった。
「振りがデカすぎんだよ!!」
同時に誰も居ないはずの右ショートレンジから男の耳に声が聞こえてきた。
男は咄嗟に反応しようとするも、流石にこの間合いの不意打ちを躱す事は不可能だった。
見えない拳が男の顎を捉え、グラりとその巨体がふらついた。
「ぐっ……!?」
ところが、呻き声を上げたのは陣の方だった。
咄嗟に間合いを取りズキズキと痛む拳を見やった陣は小さく舌打ちをした。
脱臼はしていないものの恐らくヒビが入ってしまった事を経験から察した陣は、男の出方を伺いながら必死に頭を働かせた。
陣にとっては使い慣れた、そして唯一の直接的な攻撃手段が効かないたいうのは相当に不味い状況だった。
「(結界……じゃねえ気がすんな。ってことは単純に体の強度が高いって事なのか……)」
先ほどの鉄を殴った様な感触を思い出しながら陣は歯を食いしばった。
威勢よく啖呵を切ったものの、このまま真っ向から戦いを挑むのは得策では無かった。
格好はつかないものの、一旦引く、という選択肢を陣は選ぶ事にした。
だが、陣が一歩後ずさった瞬間、グリンと男の首急に曲がり紅い瞳が彼の方へと向けられた。
ゾクッ、と背筋を震わせた陣は咄嗟に地面を蹴り逃げ出そうとした。
ところが、術で姿を消しているはずの陣の姿が見えているかの様な反応で男は逃げ道を塞いでしまった。
「(コイツ、見えてやがんのか!?)」
今まで幻術を破られた訳では無いのに無効化された相手は二人、厳密には一人と一体のみである。
一人は魔力を見るという、麗子曰く人が持っていい物では無い魔眼を持った今野緋志。
そして、魔力を感知する事により陣本体の場所を把握した『死神』紅道華院。
つまり、未知の力の可能性も否定出来ないものの、男が陣の位置を把握している方法には二つの候補が考えられる。
「(もし、アイツが緋志みてぇに魔眼を使ってるなら目潰しでどうにか隙は作れるかもしれねぇが……)」
しかし、もし、目の前の男、いや鬼が紅道華院と同じレベルの感知能力を持っているとしたら術によって隙を作る事はほぼ不可能になる。
そうなれば、身体能力が上回っている相手から陣が逃げ切る事は絶望的である。
「(クソッ……こうなりゃ一か八か……)」
陣が破れかぶれの目潰しを発動させようとした次の瞬間、彼の背後から巨大な氷柱が飛来し、鬼に直撃した。
氷の槍は鬼の腕に当たりはしたものの、呆気なく砕け散ってしまった。
ただ、お陰で特攻を仕掛けようとしていた陣は我に返り、氷柱の飛んで来た背後へと顔を向けた。
そこには、先程別れたばかりの霧上恵がしかめっ面で腕を組んでいた。
彼女は実に不機嫌そうな声で話し始めた。
「全く、妙な輩に付けられているかと思えば……知り合いかと思って気を使ったのが間違いだったな」
どうやら彼女も見張られている事には気が付いていたらしい。
陣としては、彼女を巻き込まない様に配慮したつもりだったのだが、どうやら無駄な努力だったらしい。
術を解除した陣は引き攣った笑みを浮べながら霧上に声を掛けた。
「おいおいキリちゃん、折角格好付けたのに台無しじゃんかよ!」
「ふん、やはり私を引き離すつもりだったか。馬鹿にしているのか? 貴様に気付けて私に気付けない訳が無いだろう」
「ですよね〜……」
陣はガシガシと頭を掻くと、フウッと大きく息を吐いて気持ちを入れ替えた。
正直な所、このままでは本当に手詰まりに陥っていた可能性が高かった為、陣は霧上に感謝していた。
とはいえ、霧上の魔術でも目の前の鬼にダメージを与えるのは難しいらしい、という事が判明している為、取れる選択肢は多くは無かった。
霧上を観察しているのか男からは動こうとする様子が全く見受けられなかった。
「ええっと、取り敢えずサンキューなキリちゃん。でよ、アイツと知り合いだったりとかは?」
「ある訳無いだろう」
予想通りの答えに陣は再び「デスヨネー」を返そうとした。
しかし、それより先に気になる呟きが霧上の口から漏れ出た。
「……だが、アイツの身元に心当たりはある」
「へ……?」
結果、陣の口から出たのは何とも間の抜けた声だった。
陣は詳しい話を聞こうとするものの、流石に悠長に会話を許してくれる程相手も甘くはなかった。
先程よりも密度の増した殺気が陣と霧上に向けられた。
ビリビリと肌が痺れる様な感覚に陥りながら二人は臨戦態勢へと移る。
鬼は一歩踏み出すと、霧上へと視線を向けながらポツリと呟いた。
「お前が、霧上恵、か」
まさか霧上の事まで調べて来ているとは思っていなかった陣はピクリと眉を潜める。
それだけ相手は本気という事なのだろう、と陣は理解した。
霧上は特に反応を示す事なくチラリと陣に視線を送りながら確認した。
「それで? 奴を仕留めるつもりなのか?」
「……いんや、正直キリちゃんが力貸してくれたとしても厳しいと思うぜ……つーことで、とっととバックレたいんだよね……」
トーンを落とした声で陣がそう告げると霧上はやや感心した様子で頷いた。
「なるほど、見た目通りの馬鹿ではないのだな」
「ちょっと言い方!?」
「騒ぐな……では、これでどうかな?」
霧上が鬼へと視線を移した瞬間、何かが霧上の中へと潜り込んだのを陣は感じ取った。
同時に、霧上の纏っていた魔力が変質し、一瞬で膨れ上がった。
が、鬼は特に気にした素振りも見せずゆっくりと二人の方へと歩いて来る。
それを見た霧上の、正確には霊に憑依された霧上恵の表情が無表情の中にも不快感をブレンドした絶妙なモノへと変化した。
「不快。舐められたものです……が、今はマスターの指示に従います─────凍てつけ『魂縛氷壁』」
霧上に宿った霊が放った術を鬼は避けようともせずに真っ向から喰らった。
痛みを伴った冷気が鬼を包み込み、その体は凍りついた様に動かなくなった。
この術は相手を物理的、魔術的両側面から縛り付ける霊が使える魔術の中でも最上位の効果を持ったものだった。
格下の相手ならこれで一時間程拘束したりも出来るのだが、霧上の予想が正しければ持って数分といった所だろう。
「おぉ……スッゲー」
「催促。惚けていないで離脱しましょう」
「お、おお……キリちゃん、って呼ぶのは変だけど、まあいいや。取り敢えず失礼」
陣は躊躇う事なく左手人差し指に付けていた指輪を外した。
そして、一言謝罪の言葉を口にすると慣れた動きで霧上の体を抱え上げた。
霊も霧上本人も予想していなかった行動に出た陣に、思わず霊が素っ頓狂な声を上げしまった。
「ちょっ!?」
「はーい、喋ると舌噛むぜ」
陣は足に力を込めると目にも止まらぬ速さで走り出し、その場を後にした。
残された鬼は暫くの間動き出す気配も無かったが、不意に鬼を縛っていた氷の壁にヒビが入り始めた。
やがて全体にそれが広がった所で、ガシャン! と盛大な音を響かせながら鬼は自由の身となった。
氷漬けにされていたにも関わず霜焼けの一つすら出来ていない体を動かしながら、鬼は一言だけ言葉を発した。
「逃がしは、しない」
鬼の言葉に呼応したかのように、野太いエンジンの咆哮が静かな夜を切り裂いた。
ヴォンヴォン、という今では珍しくなった爆音を響かせながら、無人のバイクのヘッドライトが鬼の姿を照らし出した。




