死神の授業
紅道華院による修行は緋志の想像を裏切る形で始まった。
彼は緋志の体術に興味があったらしく、技の内容を確認させられ色々と指導をさせられたのだ。
見返りとして麗子が話してくれなかったビル爆発事件の内容その他を聞かせてもらえたり出来たので悪い時間では無かったのだが、結局緋志の想像していた危ない展開になる事も無く時刻は夕方に近づき、もしやこのまま平和な休日を過ごしきれるのでは? と緋志の中に淡い期待が芽生えた時だった。
華院から実戦形式の修行を提案されたのは。
窓から入ってくる町の灯りで僅かに照らされた室内で、華院による修行という名のイビリは続いていた。
「オラオラァ!! どうしたよ!? 前みてぇに俺を負かしてみろや!!!」
「(やっぱり根にもってるのかよ……!!)」
無詠唱、無動作で放たれる様々な攻撃魔術を緋志は時に交わし、時に兇姬で切り崩しながらどうにか華院との距離を縮めようとしていた。
緋志は彼の持つ『眼』の力により、術はどうにか捌けているものの、そこから踏み込める程の余裕を生み出す事が出来ずにいた。
理由は単純でそれだけ華院の攻勢が激しいのである。
以前、緋志が偶然や周りの助け等もあり華院を退ける事が出来たのは正直な所奇跡の部類に入る出来事である。
『魔術崩し』(と緋志は呼んでいる)のタネも見破られ、一対一のこの状況で今でも無傷なままで済んでいるのも、華院が建物ごと吹き飛ばしてしまうような魔術を使わないように一応手加減しているからに他ならない。
それほど、緋志と華院では地力の差があった。
とはいえ、このままギブアップの選択肢を選ぶ程、緋志は素直ではなかった。
「(どうにか、1m以内に近づければ……)」
今回の修行のルールとして最初に寸止めで勝ち負けを決める、というものが設定されている為どうにか間合いに入れさえすれば勝てる見込みはあった。
とはいえ、追加の一撃でも貰えば負け、というルールのせいで治癒能力に任せた突撃は出来ない。
「つまんねぇなぁ、オイ!!」
華院が焦れてきたのか魔術の規模を一段階上げようとする。
魔力の膨れ上がり方でそれを見抜いた緋志は、咄嗟に手裏剣を取り出し華院の顔に向かって投擲した。
「シッ!!」
華院は一瞬の判断で術を切り替えると結界を展開した。
「あぁ? 何だそりゃ」
呆気なく弾かれた手裏剣を見やりながら華院が気の抜けた様な声を出した。
その一瞬、猛攻に出来た隙間を緋志は無駄にはしなかった。
擬似吸血鬼化により強化された脚力で一気に華院に詰め寄り、右手に握った小太刀を華院の首筋目掛けて振り抜こうとする。
「(この程度の結界なら、やれる!!)」
しかし、次の瞬間緋志の体が凍り付いた様に動かなくなってしまった。
何が起きたのか分からない緋志の額に細く白いの人差し指が押し当てられた。
「チェックメイトだ糞ガキ」
不敵に笑う華院が腕を下ろすと同時に緋志の体も自由を取り戻した。
「………参りました」
「ま、落ち込むなよ。これが実力差って奴だ」
華院はそれはもう勝ち誇った顔をしていた。
そんなに俺に勝ったのが嬉しいですか、位言ってやろうかと本気で悩む緋志だったが、どうにか自制し代わりに気になっていた事を質問してみた。
「あの……どうやって俺の動き止めたんですか?」
「そこの床見てみろよ」
華院の目線を追った緋志の眼に映ったのは、青い魔力で術が刻まれた痕だった。
どうやら緋志はこれを踏んでしまったらしい。
「いつの間に……」
「どうせ隙作って最短距離を走るつもりだろってのは分かってたんだよ。まあ、お前が手裏剣投げる直前にちょちょっとアレンジした不動金縛りで罠仕掛けといたって訳だ……どうにも決めに行くと時に視野が狭くなるみてぇだなお前」
あまりにも呆気ない負け方に、緋志は何も言い返す事が出来なかった。
ペコリと一礼し、そのまま悔しそうに俯く彼に華院は何やら思う所があったのかこう言った。
「チッ、何か喉が乾いちまったな……おい、茶ァくらい出せんだろ?」
まさかのイベントに戸惑いを隠せない緋志だったが、テメェに飲ませる茶はねえ、けぇんな!! 等と言えるはずも無く大人しく事務所に戻り常備している冷茶を用意したのだった。
「マジで茶かよ」
「すいません……今これしか冷たい飲み物無くて」
「けっ、しゃあねえな。これで我慢してやるよ。次来る時までにコーラ用意しとけよ」
「はあ……」
そういえば麗子さんと協力するみたいな話が出ていたな、と数時間前の振り返りながら緋志も自分のカップに口をつけた。
しばしの沈黙の後、華院が彼にしては珍しく真面目な声で切り出した。
「お前、実際の所自分が強いとか思ってるか?」
それは緋志にとってあまりにも唐突な、予想外な、意外な質問だった。
緋志は戸惑いながらも素直に自分の考えを話し始めた。
「えっと、弱い、と思ってます……少なくとも一般人よりは強い自信はあります。でも、それも一体一の話ですし。例の丸薬飲めばある程度は改善されますけど、魔術は一切使えないですし……」
緋志は自分の事を嘘偽りなく、謙遜するでもなく、本当にこの様に評価していた。
何せ魔の世界に携わる者達にとって当たり前の技術である魔術を使えないのだから。
が、彼の自己評価を聞いた華院は心底つまらなそうに鼻で笑うとこう言った。
「フン……お前、勘違いしてるな」
「何をですか?」
華院はそれなりに緩んでいた雰囲気を締め直す為か、鋭い視線を緋志へと放った。
「強い、弱いを真面目に考えるなんざ馬鹿みてぇだろうが」
「はあ……」
何とも要領を得ない回答に緋志は曖昧に頷く事しか出来なかった。
それは、相手の実力を分かりきって戦う事など実戦では希なのだからそんな事を考えるだけ時間の無駄、という事なのだろうかと緋志は自分なりの解釈を伝えてみた。
が、華院は今度は不思議そうな表情を浮かべるとこう言った。
「テメェホントに分からねぇのか……? まあ、グダグダと話す気もねぇからとっとと結論言うと……お前みたいなのは特に顕著だが、相性っつうもんはそれなりに絡んでくるもんなんだよ。特に魔術を使う奴同士の戦いってのはな」
「相性……」
その一言を反芻した緋志は自分の戦い方を見直してようやく彼の言いたい事を理解した。
華院から渡された丸薬を飲んでいるという事が前提条件とはなるのだが、緋志は魔術師、特に初見の相手に対してかなりのアドバンテージを得ることが出来る。
何せ普通では考えられない、傍目には魔術を『斬った』様に見える方法で粗方の魔術を無力化出来るのだから。
「……認めるのは癪だがな、テメェは体術、武器の扱いも一級品だ。魔術師で体術まで修めてるような奴ァなかなかえねぇ。正直、そこらの魔術師相手なら近付いて一撃叩き込むだけで勝てるだろ。距離を詰める事自体も簡単なハズだぜ」
「思ったより評価して頂けているみたいで恐縮です……」
緋志としては、これまでの華院の言動や彼との過去の関わりを鑑みるに自分がそこまで評価されているとは思いもよらなかったのである。
とはいえ、華院が伝えたい事は他にあるという事は緋志は理解していた。
「でも……俺は魔術が使えない分どうしても距離を取られたりすると厳しくなります……それに……」
緋志は懐にしまってある自分の愛刀の感触を確かめながら、ずっと気に掛かっていた事を口に出した。
「俺は、『凶姫』で斬れない物には対応し切れません……」
彼は自覚していたのだ、自分には所謂『決め手』が無いという事を。
とはいえ、緋志の持つ小太刀は妖刀……一種の魔具に分類される物であり、かなりの切れ味と強度、そして生物に対しての治癒阻害効果を持っているという代物である。
それゆえ、実体がある相手とならそれなりに戦えはするのである。
それこそ、この小太刀が魔力を纏っているお陰で緋志は『魔術崩し』が使える為、今の彼にとっては戦い方の根幹を支える重要な品物である。
が、幾ら性能が高いと言っても刀は刀である。
切れない物などごまんと存在する上に、更に射程も短い、といった欠点も持ち合わせているのである。
しかし、華院は再び鼻を鳴らすとこう言った。
「フン……分かってねえなぁ。オメェ普段から散々あの狐小僧だとか鎖間那麗子やらと行動してんだろ? だったら、ソイツも勘定に入れて考えんだよ。どう足掻いたって寿命の短ぇ人間じゃあ習得出来ることに限度ってモンが生まれんだから、群れて必死に足掻くってのが正しい姿だろうが」
かなり人を見下した様な毒の混じった言い方ではあるものの、緋志は前半部分については納得せざるを得なかった。
言われてみればゴールデンウィークに華院と一戦交えた時も陣と二人で立ち向かったのだから。
「……そうですね。確かに、雑用の時は大抵陣とペア組んでますからね」
「言っとくが俺ァテメェがルミに降り掛かる火の粉を払う為にする事なら、どんな努力だろうが否定はしねぇ。むしろ、手ぇ抜いたりするならぶっ殺すぜ」
余りにも物騒な物言いで、かつ上からな言い方ではあるが、他人の力を借りれるならそれも最大限に利用しろ、という事を言いたいのだなという事は理解出来たので緋志は苦笑いを浮かべなからコクリと頷いておいた。
「了解しました」
「おう……喋り過ぎたな。ま、俺様の有難い言葉を反芻してせいぜい励めよ」
華院はそれだけ言うとソファから立ち上がり、挨拶をする事も無く事務所の扉をくぐり抜けたのだった。
華院が何とも面倒な性格だという事に最近気付いた緋志はそっとため息を吐くしかなかった。
「(まあ、一応気遣ってくれたんだろうけど……ひねくれ過ぎだろ)」
心の中で突っ込みを入れてから彼はコップを片付けようと立ち上がるのだった。
片付けも終わり、細々とした用事も済んだ緋志は自分も帰ろうとドアノブに手を掛けた。
次の瞬間、彼は強烈な立ちくらみに襲われガクリと膝を着いてしまった。
グラグラと世界が揺れ、胃の中から何かがせい上がってくるのを感じ、彼は思わず口を手で塞いでしまった。
「っ……! な、んだ……?」
数秒の後に徐々に吐き気は収まってくれたものの、それと同時に彼は気付いた。
「これ、は……あの時、の?」
一度だけ、ルミと出会った当初に起きた、忘れられないあの現象だった。
魔族の位置が、強さが、嫌という程頭の中に流れ込んで来る感覚に彼は歯を食いしばった。
「何で、突然ッ………!?」
傷の痛みに慣れるように、段々とその異様な感覚に慣れてきた彼は、気配の違いを識別出来るようになっていた。
高貴なそれでいて荒々しい街の外れを疾走していく気配は恐らく紅道華院、そして駅の方向から感じる似たような、もっと落ち着いている気配は恐らく紅道瑠魅。
そして一際強く意識してしまう、強大な殺気だっているかのような、それでいて親しい印象を受ける気配の持ち主に彼は心当たりがあった。
「あれは、陣……?」
勘でしか無いものの、間違いではないだろうと緋志は確信していた。
そして、彼は陣のすぐ側にもう一つ、猛々しい存在を知覚した。
余りに荒々しく、余りに強烈な、まるで嵐の様なその存在が陣に敵意を向けている事を彼は直感で理解した。
そこまで感じ取った所で急に緋志のアンテナは閉じてしまった。
だが、先程までの気持ち悪さはすぐには消えてくれなかった。
「陣……!」
この感覚が何なのか、そんな事を考えている余裕を今の緋志は到底持ち得ていなかった。
彼はふらつく身体に鞭を打ち、事務所を飛び出したのだった。




