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束の間の休息

「一体、緋志君に何があったんですか!?」

 陣が事務所の中に入った瞬間、ルミの悲鳴が轟いた。

彼女の端正な顔には焦燥が浮かび、瞳は僅かに潤んでいた。

何故なら陣が担いでいる緋志が血塗れで、意識が無かったからだ。

しかし、慌てるルミに陣は事もなげにこう言った。

「ああ、大丈夫、大丈夫! 俺が殴って気絶させただけだから」

だが、陣がルミを落ちつかせる為に言ったそのセリフは、むしろ逆効果だったようだ。

ルミの口から堰を切ったように言葉が溢れ出す。

「殴って気絶させた!? まさか、陣さん、紗那さんに一目ぼれして手下になっちゃったんですか!?」

混乱の極みに達したらしきルミから突拍子の無い疑いを掛けられた陣は、苦笑いでそれを否定した。

「いやいや、違うから。早くも俺の事を誤解しているようだね……そして、あの麗しき女性ひとは紗那さん、とおっしゃるのか」

そして、流れる様に妄想へと移りながら陣は緋志をソファへと寝かせた。

麗子はそれを眺めながら、特に緋志の事を心配する様子も見せず陣の言葉に反応した。

「ふむ、次に彼女に会えたらぜひ、彼女の淹れたお茶を飲みたいものだ」

「ですね〜」

 あっという間に話題が逸れていく。

麗子は自分の治癒魔術に自身を持っていた為その様な態度を取っていたのだが、その事情を知らないルミには二人が余りにもぞんざいに見えていた。

自分のせいで何度も緋志を危ない目に合わせてしまったという罪の意識がルミの言動をヒートアップさせる。

「そ、そんな事よりっ! 緋志君は大丈夫なんですか? 傷は陣さんに殴られたものだけなんですか? 他には?」

「ん? 他の傷は無いよ? コイツ、紗那さん圧倒してたし」

「あ、圧倒?」

 紗那の実力を知っているルミは思わず聞き返してしまった。

「(本当に、どんな人なんだろう?)」

 ますます、緋志の事が気になったルミだが今は気にするだけ無駄だと分かっていた。

一先ず何があったのかを聞くことになり麗子に促されルミは彼女の隣に座った。

「あ、す、すいません。私ばっかり座って」

 自分と麗子、そして横になった緋志によってソファが埋まってしまったせいで陣が座れない事に気づいたルミが慌てて立ち上がろうとするが

「はっはっはっ、レディを立たせては紳士失格です」

 という一言で収められてしまった。

「それでは、そろそろ聞くとしようか。何故、緋志君を気絶させたんだい?」

「それがですね……」




 陣が事の顛末を告げ終わると麗子は大きく頷いた。

「なるほど、急に緋志君の様子がおかしくなったのか」

特に表情を変えない彼女が何を考えているのかは分からなかったが陣は雇い主のそういう反応に慣れている為、特に気にした様子も無く補足をする。

「そうなんすよ。というか意識ないのに動いてるってかんじでしたね」

「ふむ……今までは見たことがないが、彼の家にも何かしらの症状の様なモノがあるのかな?」

「えっ? あ、あの……」

 麗子が何の気なしに呟いた言葉にルミは胸がざわついた。

もしや緋志は何か特殊な血筋にあたるのだろうか、という疑問と彼の身に何かしらの不具合が起きてしまう可能性があるのだろうか、という焦りがルミの心を揺さぶったのだ。

「ん……? ここ、は……?」

 だがルミが麗子に疑問をぶつける前に緋志が目を覚ました。

 ぼんやりとした様子で辺りを見回している。

「緋志君、大丈夫か? 自分が誰か分かるか?」

すぐさま麗子が声を掛けるが、その内容は客観的に聞けばたぶんに冗談めかしたものだった。

彼女としては別にふざけているつもりは無かったのだが、緋志には彼女が茶化した様に聞こえたらしく、ややムッとした声でそれに応えた。

「何言ってるんですか……イタタ……何で俺はここで寝てるんですか?」

 緋志が体を起こすと、どさりと陣が隣に腰掛け心配そうに尋ねた。

「おいおい、何も覚えてないのか?」

親友の言葉に、緋志は右手を額に当てながら記憶を辿り、絞り出す様にこう言った。

「いや、あのメイドを切って……これ以上戦うのを止める様に言おうとしたところまでは覚えてるんだけど……」

どうやら自分が目覚めた辺りから今度は緋志の意識が無くなっていたらしいと分かった陣は、簡単に彼がした事を伝える事にした。

「お前、紗那さん、あのメイドさんを殺そうとしたんだぞ?」

そのストレート過ぎる表現に、流石に緋志はギョッとした表情を浮かべた。

信じられない、という心情を目で訴えながら緋志は陣に確認した。

「俺が、あのメイドを殺そうとした?」

「おうよ、急に立ち尽くして」

どうやら冗談を言っている訳では無いらしいと分かり、緋志は陣の言葉を事実として受け止める事にした。

言われてみれば服が自分のモノでは無い血で汚れている。

どうやら相当な深手をあの女性に負わせてしまったらしい、と緋志は悟った。

しかし、彼にはまるで身に覚えが無かった。

何せ、記憶が途中からすっぽ抜けているのだ。

覚えているのは相手に戦うのを止めるよう説得を試みようとした所までだった。

「そう、なのか……悪い、全く覚えてない。それで、あのメイドの人は?」

「逃げられちまったよ。」

 緋志が状況を整理できたのを見計らって麗子が口を挟んだ。

「緋志君、ひとついいかな?」

「何ですか?」

 麗子は探る様な視線を緋志に向けながら、気になっていた事を質問した。

「本当に、ただ意識が無くなっただけなのかい?」

「……ええ。」

「そうか……原因に心当たり等はあるかな? 君の出自を考えると血縁的な理由も考えられるからね」

緋志は麗子が心配してくれているのは分かっていた。

急に意識を失ってあげく、自分の意志とは関係の無い行動を勝手に取ってしまうなど普通とは考えられない現象だ。

せめて原因を見つけて可能ならば対策を練らなければならない、という事も分かっていた。

それでも、彼女の後半のセリフは緋志の神経を否応なしに逆撫でするものだった。

「いえ、特には無いですね……今までこういう事が起きた事も無いです」

 緋志の声に抑圧された怒りが隠されていることを感じ取り、ルミがおろおろとし始めた。

陣はヤレヤレと首を振り、場を収めるべく動き出す。

「あの、麗子さん、もし次に同じ事が起こったら詳しく調べてみないっすか? とりあえずは、ルミちゃんのことから考えた方が良い気が……俺のせいでマズイ事になっちゃいそうだし」

「……そうだね」

 納得いかないようだが麗子はいちおう引き下がった。

何故なら陣の言う様に現在の状況はあまり芳しくないからだ。

「あのメイドは華院の部下、つまり彼女が逃げたって事は、ここの場所が遅かれ早かれ華院に知れてしまうって事ですか」

 自分のせいで空気が悪くなったことを自覚している緋志が率先して意見を出す。

こういう時に、あまり引きずらないのは彼の美点だった。

「いや、面目ないっす」

陣が頭を掻きながら謝罪するが、緋志も麗子も陣の事を責めようとはしなかった。

むしろ、緋志は自分のせいで紗那に逃げられた事を自覚していたが、今は親友の心意気に甘えて置く事にした。

「陣君、逃げられたものは仕方がない。とりあえず、色々と気になる事はあるが……何故、あのメイドさんはここを見つける事ができたんだろうね?」

そして、麗子は彼女がずっと疑問に思っていた事を口に出した。

麗子の元で仕事を始めてから数年になる緋志と陣には彼女が何を気にしているのかが分かったが、ここを訪れて数時間のルミの頭上にはハテナマークが浮かんでいた。

「? どういう事ですか?」

「ああ、ここは私が知り合いの魔術師に改造させた建物でね」

「あ、だからあんな綺麗なお風呂、が…」

 お風呂の事とともに例の事件を思い出しまったルミは、真っ赤に赤面した。

「んん? ルミちゃんどうかしたのかな?」

「麗子さん……」

 ニヤニヤとしながら尋ねる麗子に緋志が冷ややかな眼差しを向ける。

「おいおい、そう怒るなよ。それで、話を戻すと……ここには様々な魔術が掛かっていてね」

「麗子さんなら建物を空間ごと弄り回せるチート魔術とか……」

 緋志が忌々しそうに呟くと、ルミも先ほどの光景を思い出した。

「(緋志君をはめたのも、さっきドアを直してしまったのもその魔術なのかな……)」

そんな感想を抱いたルミだったが、お風呂の件を思い出して再び赤面しそうになり慌てて思考を打ち消した。

麗子は緋志が思った以上に自分のしでかしたイタズラを根に持っているのをようやく理解したらしい。

とはいえ、彼女に出来るのは詫びる事くらいだったが。

「だから悪かったよ、緋志君。え〜それでだね、ここには一つの結界が張ってあるんだよ。『私と私が設定した人に敵意を持つ者はこの建物の存在に気付けない』という強力なものだ。悪魔だって騙せる。あのメイドさんはあきらかに私達に敵意を持っていたからね、ここをみつけられるはずはないんだが」

「つまり、紗那さんが何でここを見つけられたのか、ということですか?」

「ああ、ルミちゃんは何か思い当たる節はあるかな?」

「えっと……その結界って猫にも効きますか?」

「「「猫?」」」

 緋志と陣と麗子のセリフがきれいにハモッた。

ルミはやや身を引きながらも、しっかりと頷いた。

「は、はい」

突拍子も無い質問に麗子は怪訝な表情を浮かべていた。

陣と緋志も顔を見合わせている。

この建物の管理者である麗子が三人を代表して回答した。

「ただの動物には効かないと思うが……」

「紗那さんは、猫さんとお話ができるので、もしかしたらねこさん達に話を聞いてここの場所を知ったのかもしれません」

ルミの説明を聞いて数秒考え込み、麗子は彼女の言いたい事を把握した。

「あ、ああ、なるほど……確かにルミちゃんの目撃情報を集めてここを突き止め、そこで初めて私達を敵として認識したなら、結界は働かないな……」

そして麗子が推察を口にし終わると同時に、陣と麗子は紗那が猫にルミの事を訪ねる場面を想像し、同時にユルけきった表情になった。

二人が何を考えているのか手に取る様に分かってしまう緋志は冷めた声で二人を促す。

「あの、何にしろこの場所がバレたことに変わりはないんですから、これからどうするかを話し合いませんか?」

 しかし、それを華麗にスルーし陣と麗子は紗那がいかに萌えポイントを持った存在なのかを交互に熱く語り出した。

「私、ここに依頼して良かったのかな……」

 二人の様子を見ていたルミは不安そうに呟いたが、後の祭りだった。





五月一日 午前十時 神木町、駅ビル『kamyu』前

緋志と陣は増え始めた買い物客を観察しながら、駅の改札口へと続く階段に一体化する形で配置された休憩スペースに座っていた。

あまり睡眠時間が取れなかったのか眠そうな声で陣は緋志に話しかけた、

「おーい、ホントに大丈夫なんか? こんな呑気に買い物なんぞして」

「それについては昨日……って言うか何時間か前に散々話し合っただろ?」

緋志も普段以上にトーンの低い声でそう応じた。

彼等は別に人間観察の為に訪れた訳ではなく、この町一番の商業施設である駅ビルの前で麗子とルミを待っていたのだ。

緋志達は昨日議論した結果とりあえず、これから必要になる最低限の物、特にルミの服を揃えようという結論に達したのだ。

「華院の方は再生力が低いってあの子が言ってたし、メイドの方は俺の『兇姫きょうき』に切られまくったんだ。活性持ちみたいだったけど、そうすぐに戦えるようにはなんないだろ」

緋志が今も懐に忍ばせている小太刀はいわゆる妖刀に分類されるものだった。

銘を『兇姫』というその小太刀は、刀身に纏った禍々しい魔力で傷の治りを阻害する能力を持っていた。

何度もその恐ろしさを目の当たりにしてきた陣は緋志の意見をすんなりと受け入れた。

しかし、それでも心配事が全て消えた訳ではないらしく、再び緋志に疑問をぶつける。

「でもよー、紅道家って他にもいるんだろ? そいつらが来たらどうすんだよ?」

「今は昼間だ。普通の吸血鬼はまともに戦えない」

「じゃ、紗那さんみたいな混血とか俺みたいな憑き者とか……紗那さん以外にもそういう部下いるってルミちゃん言ってただろ?」

「そっちも気にしなくて大丈夫だって。俺とお前と麗子さんが揃ってればある程度の相手は問題無いって」

「んぐ、何でそんなに自信満々なんだよ……」

 緋志が僅かに微笑みながらそんな事を言いきったため、陣は何も言えなくなってしまった。

そもそも、緋志は紅道家が昼間から手を出してくる可能性は低いと考えていた。

何せ、ルミを屋敷から一歩も出さずに育てていたのだ。

それだけルミの存在がバレない様に気を使っていたのだから、人目につく昼間から騒ぎを起こして退魔師に目をつけられる様な危険を犯すとは思えなかったのだ。

ただ、陣は見かけによらず慎重な性格なためかなかなか安心出来ないらしい。

「じゃあよ、夜はどうすんだよ? 吸血鬼って強いんだろ?」

不安げな色を瞳に浮かべる親友に緋志は、昨夜話し合いが一時を越えた時点で先に帰った陣は知らない情報を伝えた。

「そっちは夜亟やすみさん経由で町の監視をしてもらうみたいだ。流石に華院を逮捕は出来ないだろうけどな……相手の動きが把握出来ればかなり違う」

「へ? 対魔課たいまかに頼めんのか? ルミちゃんって半分魔族だろ?」

「対魔課は別に退魔師じゃないからな、というか、あの子だけじゃなくて俺も襲われただろうが」

「あ、そういやそうね」

 あれだけ心配していたのに、どうやら緋志が普通に生きていたせいか彼が華院に襲われたという事実は陣の頭から抜け落ちていたらしい。

陣からすれば無傷で服だけ破れた緋志が道端で気を失っていた、という出来事なので仕方が無いのかもしれなかったが。

それでも若干釈然としない気持ちになりながら緋志は話を続けた。

「忘れてたのかよ……つまり、俺が襲われたことをネタに対魔課に時間を稼いでもらう。その間に根本的な対策を立てればいい」

「根本的な対策、ねぇ……」

 一体、緋志はどうやって紅道家からルミを切り離すつもりなのだろうか。

陣にはどうしてもビジョンが浮かばなかった。

一族と呼ばれるほどの勢力なのだ。きっと、陣や緋志や麗子だけでは対処しきれないだろう。

「(何つーか、気になんだろうな……跡継ぎとか血筋って部分が)」

 それでも陣は緋志の過去を詳しく知る数少ない人間で、その上親友だった。

更に依頼人がとびきりの美少女とくれば、当然、依頼を投げるという選択肢は彼の中に存在しなかった。

「(ま、しょうがないな……)それにしても、二人とも遅いな」

陣が柱に設置された時計を見ながらそう呟いた。

緋志も釣られてそちらを見てみると、既に集合時間を十分程過ぎていた。

「まだ寝てるのかもな。昨日遅かったし」

「そう……かも…な?」

緋志より先に視線を戻した陣が奇妙な区切りで言葉を発した。

「ん? どうした……って、アレは……」

 緋志も振り返り、すぐに自分たちの方に向かって来る、負のオーラを纏ったルミと実にホクホクとした表情を浮かべる麗子を確認した。

すれ違う人々が二人の余りに整った顔立ちに思わず振り返ってしまっている。

「一体、何があったんだ……?」

 呟き、すぐに緋志は自らのミスを悟った。

あの(・・)麗子と、どこか浮世離れした雰囲気の超絶美少女を一晩も二人きりにするのがいかに危険な選択だったか、緋志はようやく理解出来た。

陣と緋志は立ち上がると二人の方へと歩き出した。

二人に気付いたルミが今にも泣き出しそうな声をだした。

「あ、緋志君〜……」

「紅道さん、一体何が……」

 この質問は地雷だった。

ルミは堪らずといった感じでとんでもない事を口走り始めた。

「れ、麗子さんが、麗子さんが気づいたら私の布団の中にいて、私の! 私の体触ってきて、そ、そのまま朝まで……き、着替える時もず、ずっと見られて」

ルミのセリフが聞こえてしまったらしき数人の通行人がギョッとした表情で四人の方を見ている。

緋志はどうにか彼女を落ち着かせようとしたが、それより早く麗子の追い討ちが発動した。

「気にする事はない。とても、綺麗だったよ」

「ひっ!?」

 怯えきったルミを背後に庇い、緋志は麗子を睨みつけると言った。

「麗子さん」

「ん?何だい?」

「次に紅道さんに何かしたら、あなたの人生は終わります」

 正しく絶対零度といった感じの声だった。

長い付き合いの陣も麗子も一瞬で気おされてしまった。

さらには、緋志の表情は鬼神としか表現のしようがない代物だった、のだが………

「緋志君……」

 対して、緋志を見つめるルミは王子様を見つめるお姫様のそれになっていた。

どうやら彼女の視界には特殊なフィルターが掛かっているらしかった。

「取り敢えず、中に入ろう」

「うん!」

 ルミは心底嬉しそうに緋志に付いて行った。

いつの間にかルミは緋志に懐いたらしい。

他二名の事を考えると当然の結果と言えるだろう。

「おのれ、何故緋志君ばかり……」

「そういえば、あいつには敬語抜けてますもんね、ルミちゃん」

「一体どんな手を使ったというんだ?」

「たぶん、俺らに原因があるんじゃないすかね?」

そんな事を言い合いながら陣と麗子も二人の後に付いて駅ビルの中へと歩を進めたのだった。





 やはり、ゴールデンウィークに突入した駅ビルの中は人で溢れていた。

緋志からの提案で最初にルミの服を見る事にした四人は女性物の店が揃った三階のフロアに足を運んだ。

ルミは目に映るモノがなんでも新鮮に見えるらしく、キョロキョロと辺りを見回しながら移動している。

やがて麗子に連れられて、ルミは一軒のテナントに立ち寄った。

「ふむ、こんなのはどうかな?」

「わあ、可愛い!」

「思った通り良く似合うね。ぐふふ……コホン、こちらも、試してみてはどうかな?」

 別々の理由で楽しそうに服を品定めしている女性二人を眺めながら、緋志と陣は通路に置かれた椅子に座っていた。

「なんつーか、こうやって見ると普通の可愛い女の子にしか見えないな」

 陣がどことなく嬉しそうに呟いたが、緋志の耳には届いていなかった。

 彼はずっと紗那との戦いの最中に聞いたあの声の事を考えていた。

恐らく声の主は男だろう。

狂気を内包したあの声を思い出すだけで緋志は気分が憂鬱になるのを感じた。

男がどうやって自分に話し掛けて来たのかについては、魔術での干渉、という線が一番最初に緋志の中に浮かんだ。

ただ、麗子に気付かれずにあの事務所の中に潜り込める相手がいるのかは疑問だった。

そして、彼には何よりも気になっている事があった。

緋志は、あの声に不快感と共に、懐かしさの様なモノを感じたのだ。

しかし、どれだけ記憶をさらってみてもそれらしき人物に心当たりが無い。

「(あの声は、いったい……)」

もし、これが麗子が危惧している様に緋志の血筋に関わる現象ならばまた同じ様な事が起こる可能性があった。

そうなった時、もし、近くにルミがいたら?

そう考えると、緋志の心は鉛の様に重くなった。

緋志の脳裏に、小太刀を抜き笑いながら立っている自分の姿が浮かんだ。

刀身は赤く濡れ、彼の足元に転がっているのは……

「ねえ、緋志君……緋志君ってば!」

「え?」

 その声で緋志は悪夢のような光景から引き戻された。

顔を上げると緋志の目の前には少々頬を膨らませてご機嫌斜めのルミが居た。

慌てて緋志が口を開く。

「あ、ああ悪い。どうかしたか?」

「む〜」

 ルミは頬を膨らませながら、何か言いたげに緋志とテナントを交互に見ている。

しかし、緋志にはそれだけでは伝わらなかったらしく、彼は首を傾げていた。

そんなルミを見かねて麗子が助け舟を出した。

「まったく、ホントに鈍感だね緋志君は。彼女は君にも服を見るのを手伝って欲しいのだよ」

「ちょ、ちょっと麗子さん!」

 麗子のストレート過ぎる言い方に、ルミがパタパタと手を振りながら慌てだした。

ところが、緋志の反応は明後日の方向に繰り出された。

「え、でも俺、女性ものの服とかよく分かりませんよ?」

「「はあ〜」」

「何で陣までため息つくんだよ」

「いいから行ってきなさい」

ルミはしばらく麗子に向かって感謝するべきか物申すべきか悩んでいた様だったが、結局ペコリと頭を下げるとすぐに笑顔になって緋志と一緒に売り場を周りだした。

幸せオーラを振りまくルミを見た麗子の口からは純粋な疑問半分と緋志への僻み半分が込められた呟きが漏れ出した。

「どうしてルミちゃんは緋志君にぞっこんなんだろうね?」

「あれじゃないすか? 吊り橋効果ってやつ」






「ね、これどうかな?」

 ルミが手に持っているのは、春らしい水色の薄いカーディガンだった。

当人の言葉通り、あまりファッション等に詳しく無い緋志の口から出たのは当たり障りの無い感想だった。

「良いんじゃないか?」

「む〜、何か感想がおざなりなんだけど……」

「いやそんな事は。紅道さんって顔立ち綺麗だし、スタイルも良いし、どんな服でも似合うと思うんだけど」

 何の気なしに緋志がそう言った瞬間、ルミの顔が一気に夕焼けになった。

「っ!?」

「紅道さん? どうした、大丈夫か?」

「はう、だ、大丈夫大丈夫……」

 スーハ―、と深呼吸して気持ちを落ち着かせたルミはこの話題は心臓に悪いと判断しどうにかして話題を逸らす事にした。

「そ、そのさ、紅道さんって呼び方はその……」

「何か問題だったか?」

「も、問題があるとかじゃなくて、その……というか昨日はルミって呼んでくれたじゃない!!」

「あ、ああ。じゃあルミって呼んでいいのか?」

「う、うん」

 緋志の方はいたって冷静なのだが、ルミには心臓に悪い会話だった。

しかし、緋志はそんなルミの様子に気がつかないのか

「じゃあ俺のことも緋志って呼んでくれ。同年代に君付けされるの苦手なんだよ」

「へ、え、えと……わ、分かった」

 のんびりとそんな事を言ってくる。

 どうにも落ちつかないルミはもう一度話題の転換を試みることにした。

「え、えと…そういえば、緋志く……あ、緋志って昨日も同じような服を着てたよね?」

「ん、まあ」

「お気に入りなの?」

「えーと……」

 緋志が着ている服とはパーカーだった。

彼は確かにこの手の服を着る事が多い。

が、特に気に入っているという訳ではない。

 彼がパーカーを着るのは主に仕事の時だ。

つまり、フードで顔が隠せるのと、少しだぼついたものを着ても違和感が無い、ずばり武器を懐に隠しても違和感が無いからなのだ。

純粋なパーカー好きに聞かれると激怒されそうな理由をルミに話せるはずは無いため、緋志は流れに乗っかって置くことにした。

「まあ、そうだな」

「これ、何ていう服なの?」

ルミもそれ程服に詳しいという訳では無いらしい。

屋敷から出た事が無い箱入り娘なのだから当然と言えば当然なのかもしれないが。

そこまで考えて、緋志は彼女が普段どうやって服を調達していたのかが気になった。

しかし、話し始めると長くなりそうだったので今は彼女の質問に答えるだけにしておいた。

「? パーカーだけど?」

「ぱーかー、か〜。うん、ちょっと待ってて」

 何を思ったのか、ルミは近くの店員さんに話かけると一緒にどこかへ行ってしまった。

「ここで放置されるとつらいんだけどな……」

 女性服売り場も他の場所の例に漏れず、ゴールデンウィークの恩恵をたっぷり受けていた。

つまり、女性客が非常に多いのだ。

そんな中で男一人の緋志は明らかに浮いてた。

 陣達の所に戻ろうかとも考えたが、待っててと言われたからにはここで待つしかないだろうと諦めた。



「(ど、どどどどうしよう……)」

 ルミは今、店員さんと一緒に選んだ服を着て、試着室の中で待っていた。

 今頃は店員さんに連れられて緋志がこちらに向かっているはずだ。

(き、緊張する)

 麗子と選んでいた時は平気だったのに、どうして緋志が相手だとあんなに緊張するのだろう?

「(最初は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。今でも、そうだけど……)」

 緋志といると何故か落ち着かない。彼の事が嫌いというわけではない、むしろ――――

「お客様〜、お連れ様がいらっしゃいましたよ」

「ひゃい!」

 完全に不意打ちだった。ルミの思考回路がパンクしてしまう。

「開けても大丈夫ですか〜?」

「ら、らいじょうぶです!」

「それでは〜、オープン!」

 店員の言葉に勢いのまま答えると、試着室のカーテンが一気に開けられた。ルミは俯いたまま自分の前に居るはずの緋志に尋ねる。

「ど、どうかな……」

 ルミが身に着けているコーディネートは少しくだけた雰囲気の、今まで彼女が着たことのない服ばかりだった。そして、その中にはパーカーも含まれていた。緋志の素っ気ない物とは違って華やかな色合いだったがいわゆるお揃いと言えなくもなかった。

「うん、似合ってるよ。昨日着てた服と違う雰囲気だけど可愛いと思うよ」

「え、えと、そのぱーかー着てみたけど…」

「? 可愛いよ?」

「がふ!? あ、ありがとう。だ、だけどそうじゃなくて……」

「?」

(大胆に褒める彼氏さんだな〜)

 緋志のストレートな感想に、ルミは一発でノックアウトされた。店員はルミのうぶな反応を見てそのあまりのイノセントさにほんわかしている。

「え、えとじゃあ、着替えなおしてお会計してくるから……」

「うん。待ってるよ」

 ルミは今度は自分でカーテンを動かして、試着室の中に隠れてしまった。ルミの姿が見えなくなった瞬間、店員が堪えきれなくなったのか緋志に話しかける。

「いや〜、お客様、男前ですね〜」

「はい?」

 おそらく、緋志のタチの悪い点は、自覚が無いところなのだろう。




「あ、あの、麗子さん今日はありがとうございました。お金は必ず返しますから!」

「いやいや、別に気にする必要はないよ。私も楽しませてもらったし。グフフ……」

「あ、あはは」

 現在、緋志達一行はフードコートで軽めの昼食をとっていた。ちなみに、緋志と陣はハンバーガー、ルミはそば、麗子はラーメンだった。

 ルミの方は昨日ピザを食べた時の反応からすると普段は和食がメインなのだろう。と、緋志は予想した。

さすがは日本の吸血鬼である。

食べる仕草等を観察した緋志は、彼女からはどことなくお嬢様オーラが立ち上っているが、実際はどうなのだろう? という疑問を感じたが、今はそちら方面の話題は止めておいた方が良いだろうと自制した。

「緋志君、制服はどうするんだい?」

 ルミの事を考えていた緋志はいきなり話を振られ、内心慌ててしまった。

「あ〜……これに全員を付き合わせるのもあれですし。サイズも分かってるので一人でパパッと買ってきます」

 が、それを知られるのは何となく嫌なので表には出さない。

幸い、麗子は特段気にした様子も無く頷いてくれた。

「そうか。では、陣君とルミちゃんと私は先に事務所に帰っておこう」

「あ、すいません麗子さん。俺、ちょっと用事があるんすけど……」

「えっ!?」

 陣が一緒にいけないという事はつまり――――――

「むふふ、二人きりだね、ルミちゃん」

「ヒッ!」

 分かりやすく怯えるルミを安心させるため緋志が麗子にくぎを刺す。

「麗子さん、ルミに何かしたら、次の日の目を拝むことはできないと思って下さい」

「緋志の脅しもどんどんグレードアップしてくな……」

陣が苦笑いしながら呟いたが、緋志とルミからすればこれくらいはやって当然の範疇だった。

 そもそも、緋志が一緒に行かないという時点でルミの運命は決定していたのだが。



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