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それぞれの休日 その一

日が昇りきっていない早朝、やや曇模様の空を眺めながら緋志息を整えていた。

もうすぐ梅雨の時期のせいか、空気はじっとりとしていて緋志の肌に不快に張り付いてくる。

首から掛けたタオルで滝のように顔を流れる汗を拭き取りながら緋志は大きく息を吐いた。

何故、こんなに涼しい時間帯から彼は汗だくになっているのか?

それは、先程まで彼がかなりのハイペースでランニングに勤しんでいたからに他ならない。

彼は『遠丞』の一員だった頃は魔力が使えないハンデを補う為に様々な鍛錬を積んでいた。

その頃からの習慣ではあるのだが、彼は神木町で暮らし始めてからトレーニングの量を減らしていた。

何せ退魔師という家業に嫌気が差して家から逃げ出したのだ。

最低限、『雑用』をこなせる体力を身に付けておけば問題は無かったし、昔と違い学業に専念しなければならいという理由もあった。

ただ、少し前、正確には文化祭の次の日から彼は再び、運動部でも悲鳴を上げそうなハードトレーニングを再開していた。

今では麗子が近くに居なくてもルミの血が込められた丸薬があるため身体を鍛える……というよりは精神的な鍛錬の意味合いが強かったのだが。

キッカケとなったのは一人の少女、紅道瑠魅の存在である。

文化祭での、あの一幕(・・・・)から一週間、緋志は自分の中の気持ちに整理が付けられずにいた。

あの時、彼は返答を先延ばしにした。

正直な所、いつになったら答えが出るのか、彼自身予想がつかなかった。

ただ、彼女とのやり取りの後に自分の中にある種の決意が固まった事を緋志は自覚していた。

即ち、これからも現れるであろうルミを狙う輩から彼女を守りたいという気持ちは彼の中で明確に形となり、彼を駆り立てていた。

それまで、ルミと出会った時も、細井の一件でも流れのままに目の前の出来事に対処していた。

だが、今はただひたすらにルミの事を守りたいと願っている自分がいることを緋志は認めざるを得なかった。

たとえ『魔』の世界と積極的に関わる事になろうとも、彼女の事を守ってみせると心に決めたのだ。

「(普通の生活……からは程遠くなりそうだな)」

どうして彼女の事を守りたいのか、と聞かれれば何となくとしか答えようが無いのだが……何故守るのか、と聞かれれば彼女の兄と約束したから、と答えられる事が一種の逃げ道となっている事に緋志は気付いていなかった。





一通りのメニューを消化し終えた緋志は部屋に戻りシャワーを浴びてから直ぐに朝食の準備を始めた。

彼がサラダ用のレタスをちぎっていると、ピンポーンとチャイムが鳴らされた。

手を拭き、部屋のモニターを操作した彼はカメラに映る眠そうな様子のルミを見て驚いてしまった。

彼女が自分で起きてきたのは文化祭の日以来、二回目のことである。

つまり、普段の彼女からは考えられない奇跡の様な行動なのだ。

どうやら、今日の夏菜と舞と服を見に行くという予定が彼女を動かしたらしい、と緋志は予想した。

緋志は足早に玄関に向かうと、鍵を開けゆっくりと扉を開いた。

「おはよ〜………」

扉を開けた途端、眠そうな声が緋志の耳に届いた。

彼は思わず苦笑すると、自分も挨拶を返した。

「おはよう……ほら、中は入れよ」

「うにゅ………」

ルミはよく分からない言語でそう返事をするとフラフラとした足取りでリビングの方へと歩いて行った。

物凄く不安になった緋志だったが、朝食を食べさせれば目も覚めるだろう、と考え急いで調理に戻る事にした。



「美味ひい〜」

幸せそうな表情でルミはもぐもぐと口を動かしていた。

その様子から察するに、どうやら緋志の目論見通り目は覚めてくれたらしい。

「そう言えば、ルミって苦手な食べ物とかあるのか?」

ふと、気になった緋志はトーストにバターを塗りながらそう聞いてみた。

今の所、彼はルミからそういった情報を得た事も、食事中に彼女から美味しい以外の感想を聞いた事が無かった。

ルミは暫く考える様子で咀嚼を続けていたが、やがてゴクリと口の中のものを飲み込むとこう答えた。

「昔食べたアンコウ? っていうお魚は苦手かも……捌くところから見学させられたんだけど何だか不気味で……」

「そ、そうか……」

「でも、お鍋自体は美味しかったなぁ〜」

緋志は紅道家の食生活が気になったが、聞いた所で疑問が増えそうな予感がしたので止めておいた。

取り敢えず好き嫌いの無い自分と同じモノを食べられているのだから大丈夫だろう、と緋志は自らを納得させ一応こう言っておいた。

「……まあ、何か食べられないモノとかあったら教えてくれよ」

「緋志が作ってくれたご飯なら何でも大丈夫だよ? あ、でも出来れば夕ご飯は毎日オムライス……」

「却下な。栄養バランスが偏る」

「え〜……」

心底残念そうな顔をしながらルミは食事を再開した。

文化祭で話をしてから、ルミの中では何かしらの区切りが付いたらしく二人の雰囲気は元通り、よりも若干親密なものになっていた。

ルミが挙動不審から一転して自然体で話す様になった事は一つの大きな要因だろう。

暫くして食事の片付けが終わると、ルミはふと気になって緋志に話し掛けた。

「そういえば、緋志は今日どこかに出掛けたりするの?」

「あ、言ってなかったか……今日はちょっと麗子さんと話とか訓練とかしてくるから。帰りはそんなに遅くならないと思うけどな」

「そうなんだ……あ、私も夕方位には帰ってくる予定だから」

「了解、じゃ晩飯はいつも位の時間で良いな」

緋志が脳内メモに、今日はいつも通りに支度、と書き込んでいるとルミが表情を曇らせた。

緋志が、どうかしたのか? と首を傾げるとルミは小さな声で俯きながら言った。

「……ごめんね、いっつも作って貰ってばっかりで……」

実はルミが隣の部屋に越してきてから一度自炊を試みた事があるのだが……かくがくしかじかで彼女の分も緋志が作る事が定例となっていた。

二人の予定が合わない事もあるのでそういった日は外食や買ってきた物で済ませる事もあるのだが、それ以外は全てお弁当も含めて緋志の手作りなのだ。

ルミとしては負担を掛けすぎている自覚があったので、何とかしなければ……と考えてはいたのだが、色々と忙しいせいで抜本的な対策を取れずにいた。

「別に気にする必要ないって。料理は好きだし……まあ、いざと言う時の為にルミも最低限食べられる物(・・・・・・)を作れるようになって方が良いかもだけどな」

緋志がフォロー、に見せかけた痛恨の一撃をお見舞いした。

その顔には実に楽しそうな笑みが浮かんでいる。

「う、うう〜……」

ルミはグサリと胸に突き刺さる一言に何も言い返す事が出来なかった。

「悪い悪い、冗談だよ……半分は」

「も、もう勘弁して……」

こんな風に緋志がルミの事を弄るようになったのも、最近の変化だった。

緋志としてはそこまで恒常的にちょっかいを掛けるつもりは無いのだが、ルミの反応が面白い為ついついやってしまう癖が付いてしまった。

「(何かちょくちょく困ってる顔見たくなるんだよな……)」

という危ない思考を打ち消し、そろそろ自重しなくては……と、自分を諫め緋志は時計に目をやった。

「っと……ルミ、時間大丈夫か?」

「へ?……あっ!? じゃ、じゃあ私そろそろ……!」

緋志に言われて彼女はようやく時間の余裕があまりない事に気が付いた。

「ああ、俺もそろそろ出るから。いってらっしゃい」

「行ってきます!」

慌てて自分の部屋に戻って行ったルミを見送り、緋志も自分の身支度へと移ることにした。





日が照り出したせいか、外はムシムシとした暑さが増していた。

緋志はパーカーの袖を捲りながら駅前へと歩いていく。

「(そろそろ衣替えしないとな……去年の奴まだ着れるか?)」

そんな事を考えながら歩いている内に、古びた雑居ビルが緋志の目の前に現れた。

いつもの様に階段を昇り、事務所の扉をノックした緋志の耳に普段とは違い何やら作業中らしい麗子の声が届いた。

「どうぞ」

「失礼します、麗子さん、お疲れ様で……」

扉が九十度開いた所で挨拶をしようとした緋志の動きがピタリと止まった。

原因は緋志の目に飛び込んできた、来客用ソファに座っている人物……ではなく吸血鬼の存在だった。

足を組み腕を広げていかにも怠そうに座っていたのは、『死神』と恐れられる紅道華院その人だった。

彼は首だけ動かし緋志の姿を認めると

「よォ」

と短く言葉を発した。

緋志はぎこちない動きでお辞儀し、挨拶を返す。

「お、おはようございます……どうして華院さんがここに……?」

しかし、華院は面倒臭そうな顔のまま答えようとしなかった。

代わりに奥のデスクで何やら鞄にモノを詰め込んでいた麗子が手を止め口を開いた。

「おはよう緋志君。華院さんは私に依頼をするためにいらっしゃったんだが……生憎私は急ぎの用が出来てしまってね」

「依頼?」

緋志は思わずマジマジと華院を見てしまった。

一体、彼ほどの存在が自分達に何の依頼をするというのか、緋志には疑問だった。

と、緋志の心を読んだらしい麗子が再び説明してくれる。

「どうやら、華院さんは独自にリデラの背後関係を洗っていらっしゃる様でね。私に調査の補佐を依頼して下さったんだが……」

そこまで言って、麗子は申し訳なそうに華院の方を見やった。

ここでようやく華院がまともに口を開いた。

「別に気にしちゃいねぇよ。ただ、このまま帰るのもつまらねぇからな……何でもテメェ今日はここで修行する予定だったそうじゃねえか」

修行という程のものをするつもりは無いのだが、という緋志のセリフは言わせてすら貰えない雰囲気だった。

緋志は引き攣った笑みを浮かべながら

「ええ、まあ……でも、麗子さんが急用なら今日の所は帰ろうかと……」

と言うしかなかった。

華院はニッ! と口元を吊り上げると麗子の方へと顔の向きを変え、尋ねた。

「なあ、アンタの代わりを俺にやらせてもらえねぇか? どうだ?」

麗子は僅かも迷うこと無く首を縦に振ると、笑顔で言った。

「申し訳ありません。依頼も受けられないのに、その上緋志君の訓練相手まで代わって頂いて」

「ハッ! まあ、気にすんなよ。最近、調べ物ばっかで体が鈍りそうだったからな丁度良いぜ」

当事者の一人である緋志を完璧においてけぼりにした会話が繰り広げられる。

緋志との一件以来、巷で素人に返り討ちにあった、という非常にプライドを傷つけられる噂が流れ、華院はそれを酷く気にしていた。

華院としてはいつかそのお礼(・・)をしなくてはならない、と考えていたので本当にいい機会だったのだ。

その事情を何となく察している緋志は既に胃が痛み出していた。

これから行われるのは果たして只の訓練で済むのだろうか……という不安がヒシヒシと緋志の足元からせり上がってくる。

「んじゃ、俺は先に上の部屋に行ってるぜ。テメェも覚悟……じゃなくて準備が出来たらとっとと来いよ」

不穏過ぎるセリフを残して華院は一足先に事務所から出て行った。

彼の足音が聞こえなくなるのを待って緋志は麗子に抗議をしようとした。

しかし、それより先に麗子が焦った声を出した。

「すまない緋志君。時間が無くてね……お詫びは帰って来た後にキッチリさせて貰うから、今は見逃してくれ」

この言葉に緋志は少なからず驚いた。

一つは麗子がここまで余裕の無い姿を見た事が無いためであり、もう一つの理由は麗子がお詫びをさせて貰う、という一言を付け加えた事だ。

彼女が相手に条件を求めずに口約束をするのは大変珍しい行為なのだ。

緋志はそれだけ彼女が急いでいるのだろう、という事を理解し言った。

「まあ、別にいいんですけど……依頼ですか?」

「いや、今回は個人的な用事でね。ちょっと京都まで足を運んでくるよ」

「京都、ですか……?」

予想外の都市名を出されて、またしても緋志は驚かされてしまった。

しかも、麗子が個人的な用事で出掛けたりする所を緋志は今までに数回しか見た事が無かったので用事の内容も気になってしまった。

そもそも緋志は彼女の私生活を詳しくは知らないのだが、彼の見た限りでは彼女は依頼等が無ければ普段は事務所から出ないはずだ。

その証拠に緋志や陣が事務所を訪れた時に麗子が不在だった事は無かった。

かといって緋志には彼女に詳しい質問をするなどということは出来ないのだが。

「まあ、野暮用の部類だよ。すぐに終わらせて戻って来るつもりではあるけどね……ただ……」

「ただ……?」

「……いや、何でも無いよ。それじゃあそろそろ飛行機の時間があるのでね。不在中でも事務所は好きに使ってくれたまえ。では行ってくるよ」

気になる反応を残して彼女の姿は一瞬で掻き消えた。

どうやら、いつも通り空間制御の魔術で移動したらしい。

「麗子さんの事だし、そこまで心配しなくても大丈夫なんだろうけど……って、今は人の心配してる場合じゃないな……はぁ」

緋志は色々と気になったものの、今は目の前の難題に立ち向かわなければならない事を思い出し、重たいため息をつきながら自分も三階の部屋へと向かったのだった。

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