文化祭その三
緋志達のクラスの出し物が決定した日から暫くは平穏な毎日が続いた。
クレープ作成の予行練習でルミが異臭騒ぎを起こしたり、ミスコンの参加者に何故が霧上とルミと夏菜と舞が勝手にエントリーされたり、と小さな事件は勃発したものの、流石に魔術師や魔族絡みの問題が起こったりする様な事も無かった。
騒がしくも楽しい、充実した日常を各々が過ごしていた。
しかし、数日が経ってもルミと緋志の間の微妙な空気はなかなか消え去らなかった。
面々といる時でさえ相手の事を意識してしまい、目を合わせる事さえ躊躇してしまう始末だった。
そんな二人の不自然な様子に陣と舞もそれとなく気付いてはいたのだが、本人達を差し置いて何かをする事も出来ず、そのまま数日が過ぎてとうとう文化祭前日が訪れた。
「あ、テント来るからテーブルとかはそれから並べてくれるか?」
「はいよ」
文化祭前日の追い込みで生徒達は慌ただしく明日の準備を進めていた。
緋志達もその例に漏れず、陣がくじ引きで勝ち取って来た校門から入って直ぐの一等地で屋台の設営を行っていた。
ある程度の必要な道具を運び終えた二人は他のクラスメートが実行委員の本部からテントを運んでくるのを待つ間、暫しの休憩を取ることにした。
時折、文化祭実行委員からの学内放送が流れ、作業時の怪我に充分気を付けて欲しいとの注意を促してくる。
ただ、明日への期待と作業への集中でイッパイイッパイになっている生徒達に届いているのかは微妙だった。
行儀悪く長テーブルの上に座りながら、陣はパイプ椅子に腰掛けた緋志にそれとなく状況を聞いてみる事にした。
「なあ、お前ルミちゃんと何かあったのか?」
全然それとなくでは無かった。
陣と二人での作業という事で安心し切っていた緋志は完全に不意を突かれてしまい、思わず固まってしまった。
その分かりやす過ぎる反応に陣は笑いを噛み殺しながら追撃をいれてみる事にした。
「お? マジで何かあったのか?」
「……いきなり何の話だよ」
普段は何かとやられてばかりの陣からすると親友を逆に追求するというシチュエーションは、それはもう楽しいモノだった。
緋志からすれば、たまったものではなかったが。
あくまでシラを切ろうとする緋志だったが、天は陣に味方をしているらしくテントを取りに行った生徒はなかなか帰って来てくれない。
「とぼけんなよ。テスト明けの打ち上げの時から変だなぁとは思ってたけどよ、最近明らかに変だぞお前ら。特にルミちゃん」
「………」
「ま、話したくないなら別に良いけどな」
とはいえ、陣としては実は結構複雑な気持ちだった。
二人の間に何かがあったのは間違いなく、しかも、何となくこの状況が改善された時に二人の仲が更に急接近する気がするのだ。
不器用ながらもアプローチを続けている夏菜が可哀想で仕方が無い……のだが、ルミが好意を抱くのも無理は無い、というのも理解出来なくはない。
何せ緋志は色々とルミの為に身を粉にしているのだから。
どちらの味方をする事も出来ないものの、皆が集まった時に緋志とルミが微妙な雰囲気を醸し出す現状もどうにかしたい。
「(何で俺まで悶々とせにゃならんのだ……)」
タダでさえ明日の事で頭が一杯だと言うのに、という一言を心の奥底に押し戻し、陣は話題を変えようと思案を巡らした。
ここはいつものノリでボケるべきか、と考えた彼が口を開くよりも先に、緋志がポツリと呟いた。
「陣……」
「ん?」
「明日の当番、やっぱり休憩二時間に増やして貰えるか?出来れば二時からで頼む」
「………勿論いいぜ」
陣は頭の中に当番の予定表を思い浮かべた。
確か、その時間が空いているのは……ルミだけで、夏菜は売り子の当番が入っていたはずだ。
親友が腹を括ってくれたのは嬉しいのだが、それはそれで修羅場への一歩目を踏み出す事と同義な気がした陣は益々胃が痛くなってしまった。
「(まあ、仕方ねぇかもなぁ。ルミちゃん可愛いし………夏菜の奴、意味不明な事しまくってたし……それはそれである意味分かり易いと思うんだけどなぁ)」
テントのパーツを抱えたクラスメートがやって来たのを視界の端に捉えた陣は、ため息を噛み殺し、取り敢えず作業に没頭しようと腰を上げたのだった。
「えっと、こんな感じで大丈夫ですか?」
「うんうん、いい感じ! いやぁ、助かるわぁ。紅道さん、意外と力あるのねぇ」
「そ、そうですかね?」
緋志達がテントを組み立てている頃、ルミは夏菜に頼まれて漫画研究会の会場設置を手伝っていた。
長机を軽々と運ぶルミに部長だと言う眼鏡を掛け、髪を三つ編みにした二年生の女子生徒が話し掛けてくれる。
夏菜の方は何やら部誌の綴じ込み作業が追いついていないらしく、救援に向かうと言って別の階にある部室へと行ったまま帰って来ない。
結果、知らない人ばかりのアウェー空間に取り残されてしまったルミだったが、部長が気を掛けてくれたお陰で部員達とも適度に談笑しながら作業が出来ていた。
普段は緋志達以外の生徒とはあまり喋らない為、彼女はとても新鮮な気分を味わっていた。
ただ、同時に少しばかり困惑も感じていた。
「と、尊い……この様な超絶美少女を桟納氏が連れてくるなんて……」
「感謝しかありませんな!」
「そんな、私は舞カナ推しだったのに……」
「妄想が捗りますなぁ」
という様な女子部員の反応に。
逆に男子部員の方は何やら一歩引いてルミの様子を伺う様な感じで、彼等の方から話し掛けてはくれなかった。
ただ、ルミの方から話し掛けるととても嬉しそうに笑ってくれるので、嫌われている訳では無いらしい。
「(こ、コミュニケーションって難しいなぁ……というか舞カナ、って何だろう……)」
やがて、時計の針が六時を回った頃、疲れ切った表情の夏菜が戻って来た。
両手に大きな紙袋を抱えている。
どうにか綴じ込みは終わったモノの、夏菜が来る前から作業に従事していた他の部員と助っ人達は体力、気力の限界で部室から動く事が出来なかった。
比較的元気が残っていた夏菜は持てるだけの完成品を抱えてどうにか戻って来る事が出来たが、彼女もそれなりに疲弊していた。
部員達の努力の結晶であるソレをドサッ、と机の上に置き夏菜は椅子に腰掛け休憩しているらしき部長の方へと近寄って声を掛けた。
「部長……」
「あ、お疲れー。終わった?」
「な、何とか……やっぱり印刷所に頼んだ方が良かったんじゃ」
「それだとお金かかるでしょ」
「予算……」
「そんなモンは無い」
ハッキリと言い切られ夏菜はガックリと肩を落とした。
漫画研究会はその名の通り研究会なので部として認められておらず学校から分配される部費を貰っていないのだ。
が、それでは色々と不都合なので部員全員がお金を出し合って何とか活動費を捻出しているという現状なのだ。
それをしっかりと分かっている夏菜としては何も言う事が出来なかった。
公平を期すと言うことで夏菜が極端な金額を出す事も却下されているので尚更である。
とはいえ、何とか作業が間に合ったという事もあり、この話題はここまでにしようと夏菜はルミの姿を探した。
と、教室を見渡し、隅の方で部員に囲まれている彼女を発見し、夏菜は苦笑した。
「アララ……見事に捕まっちゃってますね。置いていった私が言うのもなんですけど……」
夏菜の呟きに、部長が読んでいた文化祭のパンフレットから顔を上げ、こう言った。
「紅道さん、とってもいい子じゃない。あんな子を誑かしてくるなんて……良くやった!!」
「その言われ方は何か心外なんですけど……」
反論する気力も残っていない夏菜は首を横に降ると、そろそろ帰るという旨を部長に伝え、ルミの方へと歩み寄った。
とてもいい子。
それがルミにピッタリな表現だということは、普段からよく一緒にいる夏菜も良く分かっている。
話していて楽しいし、気配りも出来る優しい子だ。
それが分かっているからこそ、夏菜は最近自分の中に芽生えてきた感情とどう向き合っていいのか分からなかった。
「っ………!」
ジクリと、胸の奥が痛むのを感じ夏菜は一瞬ルミから目を逸らしそうになってしまった。
「(今は……考えない様にしなきゃ……)」
夏菜は心の奥底にそのドス黒い感情を押し込めて蓋をすると、笑顔を作りルミに声を掛けた。
「ルミちゃん、お疲れー! ごめんね、手伝って貰って、その上こんな所に置去りにしちゃって……」
何やら良からぬ知識を吹き込もうとしていた周りの部員を追い払う夏菜にルミは屈託の無い笑みを浮かべ返事をする。
「夏菜さんこそお疲れ様です! 部の方達が仲良くしてくれたので……楽しかったです」
「そう? なら良かった……それじゃ、そろそろ帰りましょ」
ブーイングをかましながら夏菜とルミを捕獲しようとする女子部員の群れを薙ぎ払い、名残惜しそうに挨拶をしてくる男子部員に手を振って、夏菜達は教室を後にした。
廊下を歩きながら耳を澄ますと、どこからか楽器の音が聴こえてくる。
きっと、陣達が言っていたバンドという音楽イベントの練習だろうか、とルミは頭の中でそんな感想を抱き、急に実感が湧いてきた。
明日は生まれて初めての、待ちに待った文化祭なのだと。
「(楽しみだなぁ………)」
霧上と夏菜と一緒にどこを回ろうか、明日のクレープ販売は上手くいくだろうか………色々と想像している内に、ふと一抹の寂しさがルミの中に小さな棘の様に刺さって抜けなくなった。
緋志とは一緒に過ごせないのだろうか、と。
あの事務所での一件以来、彼との気まずい雰囲気は無くならないままだった。
体が思う様に動かず、その上様々な出来事の連続で精神が疲れていたとはいえ、考えないままにあの様な『お願い』をしてしまったのは、やはり………と、そこまで考えて彼女は思考を放棄した。
「(………やっぱり、私……)」
きっと、あの時の気持ちが嘘偽りのない、素直な気持ちだった事に変わりはないのだ。
ただ、ルミは不安だった。
緋志の気持ちが見えない事が。
一度、キチンと話し合ってみなくてはいけないのだろう。
しかし、今の彼女にそこまでの余裕は無かった。
「(……とにかく、明日は精一杯楽しまなきゃ)」
何度目か分からない思考のループを断ち切り、彼女は夏菜と共に学校を後にしたのだった。




