背後には? その四
『で? 捜査員を動かせと? 無駄足になるのが分かっているのに?』
刺々しい初老の女性の声が夜亟の体を強ばらせる。
彼は今、源からの指示を受け捜査員を手配しようとしていた。
が、問題なのはその方法だった。
普通に応援を読んでも良いのだが、そうなると繋がりの薄い地域課が現場に詰めかける事になってしまうだろう。
それでは困るのだ。
夜亟は今にも電話を切ってしまいそうな相手を説得しようと、必死に口を動かす。
「ですが、実際に死人も出ている訳ですし……」
『あのね、警官を何十人と動かすのにどれだけお金と手間がかかるか分かっているのかしら?』
「それは、その……」
『そもそも、アナタ少し前にもとんでもない数の警官を動かせと言ってきたじゃないの。『死神』が絡んでいたのだとしてももう少しやりようがあったのではないかしら?』
「その節は自分の未熟ゆえにご迷惑をおかけしましたが……」
夜亟は通話をしながら頭をペコペコと下げ冷や汗をかいていた。
何せ、今彼が会話している相手は対魔課の事実上のトップであり、存在を支えている重要人物なのだ。
彼女が居なければ、国のバックアップを受けつつ捜査を行えている今の環境は整っていなかっただろう。
当然、夜亟としてはそんな彼女の機嫌を損ねる様な真似はしたくなかったが、源からの指示を遂行出来なかった時の事を考えると強引にでもお願いを聞いて貰わなければならない。
夜亟が四苦八苦する姿が愉快で仕方が無いのだろう。
麗子が隠そうともせずに愉悦の笑みを浮かべていた。
『死体があると言うのなら貴方が直接応援を呼べばいいじゃない。何故わざわざ私の息が掛かった捜査員を動かす必要があるのかしら? 貴方だって対魔課とは言え警察の一員なら、縄張り意識という下らないモノが存在している事位ご存知じゃなくて?』
彼女の言っている事は真に筋が通っていた。
確かに、コネを使い警視庁の信頼出来る捜査員を動かす程の事件ではない。
もし、魔術が絡んでいないのであればだが。
「承知しております。ですが、今回の件、例の死神を襲った退魔師に関係しています」
『………と、言うと?』
「今回、死体で見つかった太田議員は十中八九、リデラの不正入国に関係していました。その彼が我々が調査し始めた途端殺されました。これは氷山の一角に過ぎないと思われます……背後に大規模な魔術犯罪組織が関与している可能性は非常に高い。で、あれば我々が関与しやすい様に捜査員を配置して頂いた方が後々助かるかと思われます」
『ふむ………』
暫し無言の時間が過ぎ、やがて落ち着いた年配の女性の声が再び夜亟の耳を震わせた。
『分かりました。その代わり必ず犯人を確保しなさい。出来なければ貴方と源にはそれ相応の責任を取って頂きます』
「ご配慮感謝致します」
ようやく胃の痛くなる通話から解放された夜亟は深々とため息を吐いた。
どうにか指令は果たせたが、いよいよこの件から逃れられなくなってしまった。
「フッ……いい気味だな」
麗子が街路樹にもたれ掛かりながら呟いた。
シチュエーションと麗子の美貌が相まってまるでドラマのワンシーンの様だった。
夜亟はいつもの様にそんな彼女に見とれながら言った。
「酷いですよ……偶には労って頂けないんですか?」
「冗談は存在だけにしてくれないか?」
「自分の存在は冗談なんですか……」
このまま続けてもカウンターパンチを貰い続けるだけなので、夜亟は大人しく両手を上げて降伏の意を示した。
麗子はつまらなそうに鼻を鳴らすと、腕時計を確認した。
「どうやら大分掛かりそうだな」
「まあ、現場検証ですからね……ふぅ」
「おいおい、たかが電話一本で情けなくないか?」
麗子が呆れた様な声でそう言った。
麗子は、普段のウザイを通り越して消滅させたくなるレベルのしつこさを発揮する鋼の精神力を持つ夜亟が、これ程までに疲弊しているのを見るのは初めてだった。
いつもの作り物めいた笑みは弱々しく、声もどこかトーンが低い。
「なにせ、電話の相手が相手ですからね……」
「そんなに恐ろしいのか? 対魔課のトップ様は」
確かに、麗子も風の噂で対魔課を設立した当時の逸話は幾つも聞いている。
とはいえ、別に恐れる必要等どこにも無いのではないか? と麗子は感じていた。
何せ同じ組織に属する味方……もっと言うと信頼すべき上司なのだから。
夜亟はそんな彼女の質問に首を横に振りながら答えた。
「下手したら源さんより怖いですよ、あの方は……」
やや顔を青くして答える夜亟に、麗子が詳しく話を聞こうとしたその時、耳を劈くような爆音が空気を揺らした。
「な、何だ!?」
「爆発………!!?」
二人がホテルの上階へと視線を向けると、麗子達から見て右側の方から煙が上がっているのが目に入った。
けたたましく非常ベルが鳴り響き、既に人が集まり始めている。
麗子は人払いの術を最大限に発動させると、緊迫した声で夜亟に確認した。
「おい、太田の取っていた部屋はあの辺りのはずだな?」
「え、ええ最上階の、西側スイート……っ、源さんと華院さんが……!」
夜亟は顔を強ばらせると急いでスマホを取り出した。
しかし、彼が連絡する必要は無かった。
何故なら聞き馴染んだ上司の声が彼らの頭上から降ってきたからだ。
「夜亟!!」
夜亟と麗子は反射的に上を見上げた。
そこには夜空に溶け込む様な真っ黒な何かに捕まり、ゆっくりと降下してくる源と華院の姿があった。
どうやら、鳥を模して作った式神に捕まっているらしい。
式神自体は目視しづらいとは言え、往来で空から降りてくるのは流石に大胆過ぎないか? と麗子は突っ込みたかった。
「源さん! 華院さんも、ご無事でしたか……!」
地面に降りたった二人に夜亟が声を掛ける。
空気が抜ける様に式神が縮み、二枚の札になるのを見ながら麗子も二人に歩み寄ると口を開いた。
「先程の爆発は?」
「ま、お察しかとは思いますがなぁ……太田の部屋が吹っ飛ばされましたよ」
「なっ……」
夜亟が口をあんぐりと開けて驚きを表現する一方、麗子は冷静に頭を回転させ幾つかの疑問が浮かんだ。
「さっきの爆発は魔術によるものでは無いですね?」
「自分は何も感じませんでしたなぁ……おめぇさんは?」
源が目をやり華院にも確認を取ったが彼は肩を竦めてこう言った。
「別に、あの爆発で魔術が使われた感じはしなかったぜ。つかテメェが感じなかったんならそれで決まりだろ………それが何だってんだよ」
焦れた様に聞き返す華院はどうやら何故爆発が起きたのか釈然としていないらしい。
「そうですね、今の時点では断言できないのですが……一つ確認させて頂きたい事があります。源さん、太田議員を殺害した犯人は魔術を使えると思いますか?」
突然の質問に源は顎を撫でながら難しい顔をした。
あくまで彼女は民間人であり、源としてはこれ以上この件に巻き込むつもりも、関わらせるつもりも無かったのだ。
が、夜亟が彼女の世話になっているらしい、という事は聞いていたので今回は部下の顔を立ててやる事にして口を開いた。
「まあ、使えるでしょうなあ……実際、我々が部屋から出るのを妨害する為に結界を使われましたからな」
それを聞いた麗子は、すうっ、と目を細めると華院の方へと向き直り自分の考えを述べた。
「これでほぼ決まりでしょう……源さんはお気づきかもしれませんが相手はどうやら華院さんを狙った様ですね」
「あァ? 俺を、狙っただぁ?」
何を馬鹿な事を言っているのか、華院の顔にはそう書かれていた。
華院は自分が魔の世界でどれだけ恐れられているのかを知っている。
多くの名がある相手と戦い、倒し、生き残って来たのだ。
今、隣に立っている源とも一度本気で命の取り合いをした事がある。
その時は流石に引き分けに終わったが、それでも日本では五本の指に入る実力者を相手に対等に渡り合ったのだ。
わざわざ自分を狙おうとする様な愚か者がいるとは思えない、それゆえの華院の反応だった。
「信じ難いかもしれませんがね……確かに証拠を吹き飛ばす為に爆破を行ったという可能性もありました。源さんの話を聞くまでは、ですが」
確かに色々と都合の悪いモノを吹き飛ばしてしまえば良い、といえのは古今東西の歴史の中で見られてきた犯罪の後処理としては比較的ポピュラーなものなのだが……今回は事情が違うのだ。
わざわざそんな事をしなくても科学的に立証不能な方法で証拠品を文字通り消してしまう事など造作も無いはずなのだ。
何せ規模は分からないものの、超常現象を引き起こす術を犯人は操れるのだから。
そもそもあの程度の爆発では証拠を全て吹き飛ばす事など出来ないだろう。
それは華院にも伝わったらしく、彼は不快そうに顔を歪め、こう尋ねた。
「なら、今回太田を殺した野郎……いや、どうせ何人かで協力してやったんだろが、ソイツらはマジで俺を殺そうとしたってのか?」
「爆発に魔術を使っていないというのは、魔術を使える相手を殺そうとしたから、と考えれば辻褄が合います。下手に術を使うより、相手に察知されない爆弾を使って一撃で仕留める方が成功率は高いでしょうから」
ザワリと、辺りを包んでいた喧騒が遠ざかった気がした。
否、自分の五感が狂わされてしまったのだと麗子は悟った。
目の前に佇む吸血鬼が発する怒気と殺気に自分が呑まれてしまったのだと。
「上等だぜェ……俺に喧嘩売るってのがどういう事か、キッチリ分からせてやる」
獰猛な笑みを浮かべながら華院はそう呟いた。
そんな吸血鬼の宣言を聞いてしまった対魔課の二人は実に微妙な表情を浮かべていた。
今回の件に関わっているらしき組織はなかなかの規模で、それなりに国の要職とも繋がりがあると推察出来る為、あまり手段を選んでいられる場面では無い。
そんな状況で華院が犯人達を追い詰める為に積極的に動いてくれるのは有難いと言えば有難いのだが……下手をすれば相手を皆殺しにしかねない。
というか確実にヤル気満々である。
「頼むから俺達の仕事を増やさんでくれよ、死神」
源がため息混じりにそう頼んでみたものの当然返事は返って来なかった。
どうやら早速動き出すらしく、華院はさっさとその場を後にしてしまった。
源から指示を受けた夜亟は応援に駆け付けてくれる警視庁の人間と、ホテルからの連絡で到着するであろう救急と消防の対応の為に表口の方へと走って行った。
食事はまた落ち着いてから行きましょう、という麗子のストレスを増大させる一言を残して。
早くも野次馬が集まり出しているらしく辺りの騒がしさは増していく一方だった。
麗子もこれ以上出来る事も無さそうだと判断し、源に一言挨拶をしてその場を立ち去る事にした。
「これから忙しくなるでしょうが……何か私に出来る事がありましたら協力させて下さい。相応の見返りは頂きますが」
付け加えられた一言に源が苦笑いを浮かべ、頭をかいた。
「相変わらずですなぁ……ま、毎度ウチの夜亟がお世話になっている様ですし、コチラとしては頭が上がりませんよ」
確かに麗子は今までにも何度か夜亟の要請で対魔課に手を貸した事があった。
二、三度、源が預かっている事件に関わった事もある。
逆に言えば、源とはその時に顔を合わせた位の仲なのだが。
どうやら一服してから戻るつもりらしく、源は慣れた手つきで煙草を取り出すと今時珍しくマッチで火をつけた。
「いえいえ、私も何度か頼み事をさせて頂いていますし、今回は報酬も頂いていますから……では、私はそろそろお暇させていただきます」
麗子は軽く頭を下げ、彼に背を向け歩きだそうとした。
だが、その足は縫い止められた様に動かない。
麗子はすぐに、いつまのにか自分が術中にハマっていた事に気付かされた。
「何か?」
先程と変わらないトーンで麗子は尋ねた。
その焦りの欠片さえ見られない態度が源の中の疑惑をますます膨らませた。
「ふうっ……麗子さん、アンタ何者なんだい? 夜亟から聞いた話じゃあ数千人単位の人間を一度に、死神の結界の中から避難させたそうじゃあねえか。そこまでやれる術師なんざ世界中探してそうは居ねぇ……しかしよぉ、不思議な事に俺ぁ、アンタの噂すら聞いた事がねぇんだよ、昔も今も。なんでかねぇ?」
魔術師は科学が進歩し、迷信が薄れた現代でも世界中に存在している。
しかし、その世界は狭いものなのだ。
実力のある者はその名を知られ、恐れられ、畏怖される。
源は自分がその一人であるからこそ、魔術界の情報伝達の早さを身をもって知っていた。
そして、目の前の女が自分と同等か、もしかしたらそれ以上の実力を持ちながら協会も登録されておらず、名が広まってもいない事に疑問を感じていた。
さらに、源にはもう一つ気になっていることがあった。
答える気配の無い彼女に、源はそちらの疑問もぶつけてみる事にした。
「それと、今回の件にアンタが協力してくれのも気になってるだよ……報酬貰ってるとはいえ、たかが人払いと補佐の為に東京くんだりまで来るなんておかしくねぇか? 夜亟がこれをアンタに依頼したのは下心があるからだ。でも、アンタが依頼を受けた理由はなんだ? アンタ、一体何を、調べようとしてるんだ? もしかして、今回の件に関わってる奴らに心当たりがあるんじゃねえのかい?」
答えを期待した訳では無い。
ただ、矢継ぎ早に質問をして、麗子の反応を見る事が源の目的だった。
鋭い視線が自分の背中に向けられている事を意識しながら、麗子はゆっくりと笑みを浮かべた。
「それでは失礼します」
それだけ口にして彼女は魔術で姿を眩ませた。
「なっ……!?」
源の掛けた金縛りを、いつの間にか解除していたらしい。
結局、分かった事はと言えばやはり麗子が相当の実力者という事だけだった。
「(いや……)」
源は首を振り、考えを改めた。
少なくとも、彼女には知られたくない事情、隠しておきたい何かがあるのだ。
それがどういった類の秘密なのか、それを見極めるまで、源は彼女を捜査に関わらせたくは無かった。
「(ま、どうせ夜亟が色々話しちまうんだろなぁ……ったく)」
源が吐いた煙はゆっくりと昇っていき、やがて薄れて見えなくなった。
彼は短くなった煙草を携帯灰皿に押し込むと、現場に顔を出そうと表口に向かって歩き出したのだった。




