軋む精神(こころ)
しばらく、キョロキョロと辺りを見回していた紗那はどうやら転移させられたらしいと分かると緋志達に向かって話しかけた。
「貴様ら、お嬢様とどういう関係だ」
その刺々しい口調からして、彼女は緋志達を敵だと決めつけているらしい。
先程得た情報からして彼女がルミを連れ戻しに来たのは明白なので、間違ってはないな、と緋志は心の中で頷いた。
緋志は、取り敢えず相手の出方を見てみようと軽くはぐらかしてみる事にした。
「表の看板見なかったんですか? ここは探偵事務所ですよ。そして、彼女は依頼人。まあ、探偵と言っても実際は妖絡みの相談事とかがメインの仕事なんですけどね」
肩を竦めながら緋志はそう答えた。
そこで彼は気がついた。
隣にいる相棒が静かすぎる事に。
嫌な予感がして振り返ると案の定陣は俯きながら体を震わせている。
「おい、陣。お前……」
だが、紗那にはそんな事はどうでもいいらしく、彼女は隠していた正体を明かす事で臨戦態勢に入った。
猫の様な耳としっぽが生えたのを見て、緋志の表情がさらに渋くなった。
「? おい貴様らやる気が……」
対して、先程感じた殺気が嘘のように消え失せ、それどころか戦意が全く感じられなくなった二人に紗那が怪訝な表情で質問を投げかけようとした。
しかし、それより早く
「運命だ!」
ガバッと顔を上げた陣が目を輝かせながらそう叫んだ。
緋志はアチャーという表情で天を仰いでいる。
「は?」
紗那は訳が分からず固まってしまう。すると
「お見せしましょう!! 俺とあなたの運命の証を!!」
パチンと指を鳴らし
「起きろ!」
陣の口からその一言が告げられた瞬間、彼の身に着けた指輪の能力が発動し彼の持つ力に掛けられた鎖を外した。
魔力の爆発が起こり埃が舞う。
煙が晴れ、陣の姿が紗那の目に映し出される。その頭には
「耳?」
狐の様な耳が生えていた、さらにフサフサとした尻尾まで付いている。総じていうと、不良が狐っ子コスプレしている様にしか見えず、痛々しかった。
そう、彼に憑いている妖怪は『妖狐』なのだ。
普段は指輪の力で隠しているが全力を出すときには本性が出てしまう。
その姿が気にくわない陣はなるべく全力を出さない様にしている。
しかし、今はそんなことは頭から吹っ飛んでいるらしい。
自分と似たような動物関係の妖怪の力を持つ、しかも美女に出会えてテンションの針が振り切れているのだろう。
「さあ、おっはっなっしっしっましょう!!」
言うや否や、解放した妖の力に任せた脚力で紗那に肉薄した。 だが、相手はそれなりの実力者である。
動揺する事も無く必要最小限の力で突きを放った。
ところが、紗那の拳が触れた瞬間、手応えを感じることも無く陣の体が霧の様に消えてしまった。
「なっ!?」
紗那は思わず動揺してしまう。
「どうっすか? 分身の術って奴です。カッコいっしょ!」
陣の声がどこから聞こえてくるが姿が見えない。
彼は緋志の制服を直した様に見せかけた時と同じ、幻術を使い隠れていた。
実は最初に埃が舞った瞬間に分身を作り隠れていたのだ。
だが、彼の幻術は単純に視覚に働き掛ける物である。
つまり、声を出してしまうと………
「馬鹿、陣!! 避けろ!」
緋志が急いで警告を発したが、遅かった。
頭がお花畑になっていた陣は親友からの指示を理解出来ず、一瞬固まってしまう。
「へ? あ、しまっ………ぐっ!?」
その隙を逃さず、声から陣の位置を割り出した紗那が正確に蹴りを叩きこむ。
陣は避ける事も出来ずに吹き飛ばされた。
幻術が解け、床に倒れた陣の姿がさらされる。
さらに追い打ちを掛けようとする紗那を見た緋志は、悪態をつくとパーカーのフードを目深にかぶった。
緋志は術で強化された脚力を全開にして、紗那との距離をあっという間に詰めると小さく呟いた。
「俺は無視ですか?」
底冷えするような声が背後から聞こえ、紗那は慌てて振り返り、迫りくる白刃を捉えた。
「くっ!?」
辛くもその凶刃からは逃れたが、紗那は冷や汗が止まらなかった。
「二対一は卑怯ですけど、こっちも仕事なので」
初撃を交わされてしまった形だったが、緋志の声には焦りは無かった。
彼は一連の動きを見る限り紗那の実力的に勝てない戦いではないと読んでいたのだ。
むしろ、致命的な一撃を避けてくれた事を感謝したい位だった。
陣を助けようと必死だっため、力がこもってしまったが緋志は彼女を殺さずに無力化したかった。
「貴様……一体、何者だ?」
一太刀を見ただけで、紗那も緋志の力量を悟ったらしい。
その声には明らかな動揺が含まれていた。
緋志は不敵に笑うと、紗那を一瞥した。
「只の、雑用ですよ!」
そして短くそう呟くと、目にもとまらぬスピードで紗那に躍り掛かった。
接近した瞬間、素早く小太刀を振りぬく。
紗那も必死に応戦するが、緋志はそこらの武術家とは比べものにならない程のレベルで体術を駆使していた。
「ぐっ、この人間風情が!!」
紗那は自ら攻める事で小太刀を使う隙を与えないように立ち回る。
緋志はガードに専念しているものの、余裕が感じられた。
逆に全力で攻めているにも関わらず全く相手を崩せない紗那は徐々に焦り始める。
紗那の強烈な蹴りを体捌きでいなしながら、緋志が口を開いた。
「そろそろ、本気でやりましょうか」
そう言うと、紗那の呼吸を読んだ緋志は打って変わって攻めに出る。
紗那が放ったハイキックを今度は身を屈めて躱すと、小太刀を細かく突き入れる。
紗那は慌てて回避したが、一度攻撃の手を緩めた事で一気に形勢が逆転し、紗那が下がり始める。
訓練は受けたとはいえ、メイドが本業である紗那は徐々に反応が遅れ始め……
「うっ!?」
切り払いを躱そうとした紗那の体勢が僅かに崩れる。メイド服のままの戦闘は無理があったようだ。
緋志はその一瞬を見逃さなかった。
「『懺架』!!」
緋志が奇妙な単語を口に出した瞬間、彼の体が霞んだ。
紗那にも視認できない速さで彼女は切られていた。
鮮血が飛び散り、辺りを赤く染める。
焼ける様な痛みに顔を歪めながら紗那が自分の体を確認すると、彼女の体にはバツ印に斬撃の跡が走っていた。
「馬鹿な、今のは、一体……」
何が起きたのかを理解出来ず、紗那の口からそんなセリフがこぼれ落ちた。
崩れ落ちた彼女を見おろしながら緋志が言葉を投げかける。
「どうしますか?まだ、やり……」
異変が起こったのは、その時だった。
久々ノ得物ダ
「っ!?」
緋志は急に聞こえてきた男のものらしき声に体を強ばらせる。
まるで脳内に直接送り込まれてくるように、緋志には軋んだ笑い声が聞こえていた。
楽シモウジャナイカ
「何だ……この、声?」
緋志は思わず辺りを見回すが紗那と陣の他には、部屋にいるのは自分だけだ。
陣でも目の前の女でも自分の物でもない、不気味な声が彼を縛りつけた。
「か、体が……っ!」
突然、見えない糸に絡め取られた様に緋志の動きが止まる。
同時に、緋志の意識は混濁し視界は黒く閉ざされた。
「(何だ……? 動きが、止まった……?)」
紗那は何が起きているのか状況を測りかねていたが、どうにか『活性』を発動させ、緋志との距離を取るべく大きく跳躍した。
「一体、何のつもりだ?」
情けでも掛けるつもりなのか? と考え緋志に言葉を投げかけるが、反応がない。俯いたまま立ち尽くしている。
「(くそ、傷の治りが遅い……)」
どうにか傷を塞いだものの、明らかに治癒の速度が普段に比べて鈍かった。
「この、刀傷は…貴様、華院様の腕を落とした愚かな人間か? 答えろ!」
主を傷つけた人間は死んだはず、そのような疑いは紗那の頭から吹き飛んでいた。
目の前の人間が主を傷つけたのかもしれないならば、その罪を償わせねば彼女の気が収まらなかった。
「ふん、答えないならばそれでも良いだろう。だが、疑いがある以上、借りは返させてもらおう」
「………」
緋志は紗那の言葉に全く反応を示さない。
もしや、先程の奇妙な斬撃らしき攻撃の副作用で体を動かせないのだろうか? と紗那は予測した。
とはいえ、先ほどの立合いで紗那は緋志の実力が己を上回っている事を理解していた。
迂闊に近づくことはしない。
そう、緋志は紗那よりも強い、肉弾戦においては。
「ふっ!」
紗那が短く息を吐き、腕をかざすと宙にいくつもの火球が現れる。
「華院様の魔術で散れ、人間!」
紗那が叫ぶと同時に火球が空気を焦がしながら緋志に迫る。
華院が緋志に使ったものよりも小規模だが、人一人を焼き払うのに充分な威力の術だった。
「……」
緋志が無言のまま顔を上げる。
次の瞬間、目にも止まらぬ早さで、緋志の刀が火球を切り飛ばした。
「なっ!?」
あっけなく散り散りになった火球の残滓の向こうから緋志の蒼く光る瞳が紗那を見据えた。
「魔術を……刀で切った?」
彼女の口からは驚きの余り声が漏れてしまった。
今まで経験したことの無い出来事に紗那の意識が凍りつく。
一瞬の停滞、それが命取りだった。
「ぐっ……かはっ!?」
紗那の体に焼けるような痛みが走った。
彼女は口から血が吐かれ、視界がくらみ、足元がふらついた。 しかし、彼女が倒れることは無かった。
彼女の体は突き刺さった小太刀で支えられていた。
「いいね、最高だ……」
一瞬で紗那の懐へと潜り込んだ緋志は恍惚とした笑みを浮かべしゃがれた声でそう呟いた。
それと同時に深々と刺さった刃を引き抜き、止めをさすべく逆手に持ち替えて振りかぶった。
しかし、彼の刃は目の前の獲物に届かなかった。
「この、バカモン!!」
いつの間に起き上ったのか、陣が怒りの声を上げながら緋志に殴り掛かった。
背後からの一撃にも関わらず、緋志は見えているかの様な反応を示す。
そして、振り返りざまに躊躇うことなく刃を突き出した。
だが、彼の手には肉を貫く感触が伝わって来なかった。
驚きの表情を浮かべる緋志に、陣が短くこう言った。
「バーカ」
砕け散った幻影の向こうから伸びた陣の拳が緋志の顎を捉えた。
ガスッという鈍い音が部屋に響く。
緋志の体がグラリと傾き、そのまま倒れ込んだ。
どうやらうまく気絶してくれたらしいと分かり、陣は安堵のため息を吐いた。
「あっぶね〜……幻影で誤魔化してなかったら死んでたな……ったく、やり過ぎだっつ〜の。一体、どうしちまったんだよ?」
何かが憑りついていた。
あの豹変ぶりはそうとしか表現しようが無かった。
この様な現象は緋志と出会ってから初めてであり、陣は酷く混乱していた。
「まさか殺そうとするとは……俺の時でもここまではやんなかったってのに」
友好的とは言い難かった苦々しい過去を思い出した陣は、首を振り、取り敢えず目の前の事に対処しようと辺りを見回した。
「あっちゃ〜、逃げられちゃったか」
陣が頭を掻きながらぼやいた。
血まみれでボロボロのメイド服を残して、紗那の姿が消えていたのだ。
陣が緋志に殴りかかった一瞬で撤退を判断したらしい。
その証拠に血の跡が窓へと続いている。
しかしその量はあの大けがからは考えられないほど少ない。
「変化、したのかな〜? まあ、何にせよコイツ運ばんとな」
陣は自ら眠らせた親友に目をやり、装備のせいで地味に重いんだよな、とぼやきながら作業に取り掛かった。