普通の定義 その二
コンコン、というノックの音でルミは再び目を覚ました。
「どうぞ?」
ルミが返事をすると、ゆっくりと扉が開かれ緋志が姿を見せた。
彼は音を立てないように扉を閉めると、ベッドの横に置かれた椅子へと腰掛けた。
「悪いな、体を休めてる時に」
緋志がそう詫びると彼女は首を横に振り
「そんな事、気にしないで? 緋志が、居てくれると、元気になれる、気がする、から……」
あまり、言葉通りとは言えない声でそう言った。
緋志は心配そうな表情にならない様に気を付けながらルミの様子を観察した。
どうやら、まだ体の状態は良くなっていないらしい。
ナイフに何らかの魔術が掛けられていた線も考えられるが、それ以上に明確な原因に、緋志は心当たりがあった。
だからこそ、彼はここに来たのだ。
「……やっぱり、まだ快復って訳にはいかないみたいだな」
「ごめん、ね……迷惑かけちゃって……」
本当に申し訳なさそうな声でルミがそんな事を言い出す。
彼女の性格からして不思議な事でも無いのだが、緋志としては心外だった。
「ふー……前にも言ったかもしれないけど、もう少し俺の事信用してくれよ。別に迷惑とかそんな事一切思ってないから。むしろ、俺が守れなかったのが悪いっていうか……いや、結局狙って来たやつが悪い、それだけだろ。こんな話はもう止めよう」
緋志の言葉にルミはゆっくりと頷くと、今度は彼女の方から口を開いた。
「ねえ、緋志……聞きたい事が、あるの」
「ん?」
ルミは、あの時の痛みが蘇ってくるような感覚に襲われ僅かに表情を曇らせながら話し始めた。
「私ね、さっきようやく、自分が何で、こんな事になってるのか思い出したの……霧上さんが、今どこにいるのか、知ってるなら教えて、欲しいの、お礼が、言いたいから……」
「お礼?」
頭にハテナを浮かべる緋志にルミは言葉を区切りながら、説明した。
あの時起きた事を、そして、彼女が血を飲ませてくれたから、自分が今生きているのだという事情を。
「(あいつ、血を飲ませた事は言って来なかったな……何でだ?)」
ルミの話を聞き終わった緋志は、まずそこに疑問を感じた。
ルミも詳しくは説明していないので緋志は知る由もないのだが、ルミに口移しで血を飲ませたという部分を知られたくなかった為に隠していたのだが……当然これから先も緋志がそこに気づく事はないだろう。
「まあ、大体話は分かったよ……ルミは血を飲ませて貰った礼が言いたい訳だ」
「うん……」
「ま、そこまで気にする必要無いと思うけどな……後で時間が出来た時に……いや」
霧上にここに来る様に伝えておこう、と口にしようとした緋志は寸前で踏みとどまった。
「? 緋志?」
急に黙り込んでしまった緋志に今度はルミが首を傾げる番だった。
「……今から会いに行けばいい」
「え……?」
緋志は大きく息を吐き、覚悟を決めると続きを口にした。
「多分、ルミの体が治らないのは血が足りてないからだと俺は思うんだよ……ルミも自分で気付いてるんじゃないのか?」
「それ、は……」
彼女が目を逸らしたのを見て、緋志はこれ以上この話を続けたくないという衝動と、病み上がりの彼女にこんな話を始めてしまった事に後悔を覚えたが、ここまで来て止める訳にはいかなかった。
「ルミがこの町で暮らし始めてから、少なくとも俺は、まだルミが血を飲んだ場面を見た事が無いし、そういう話を聞いた事も無い。でも、体を維持する為には人の血を定期的に飲まないといけないはずだ。違うか?」
「……緋志は、気付いてたんだね」
「何となく、気にはなってたよ……最近、元気が無いと言うか、体の調子が悪そうだったから尚更な」
ルミは伏せていた顔を持ち上げ緋志と目を合わせると、静かに懺悔の言葉を吐き出した。
「ごめんなさい……」
「!? いや、別に謝る必要は無いと言うか……むしろ、ルミがこういう話題を気にしてそうだな、とか考えたのに、そこで俺も腰が引けて話せなかったのが申し訳なかったというか……」
ルミの予想外の行動に緋志は慌ててそう口にしたが、ルミはゆっくりと首を横に振ると
「緋志は、何にも悪くないよ……だって、結局の所、緋志に、気味悪がられるかも、なんて考えちゃったのは、私なんだから……緋志は、ちゃんと自分の事を、さらけ出してくれたのに、私はそれから逃げちゃったから」
「……」
ルミの独白を、緋志は黙ったまま聞き終え、そして唐突に右手の小指を差し出した。
「じゃあ、こうしよう。これから俺達はお互い自分達の中の異端に関わる部分と、それに関わる悩みを隠したりしない。俺は……正直に言うとまだルミに話きれてない『遠丞』についての話とかもあるけど、それもルミが知りたいって言うならキチンと話す。俺達は自分と向き合わないといけない、でも一人でそうするのが難しいなら、力を合わせれば良い。俺はこれから先もずっとルミの味方だ、だから、約束しよう。ルミは、どうだ?」
余りにも突然の提案に、ルミは暫し瞼を瞬かせていたが、やがて心の中の整理が着いたのか、おずおずと自らも右手を差し出し、小指を絡めるとこう言った。
「約束、する……私も、ずっと緋志の、味方だから」
「ああ、約束だ」
緋志は彼女が受け入れてくれた事に安堵し微笑みを浮かべた。
が、直ぐに気恥ずかしくなり、若干名残惜しい気もしたが小指を解くとわざとらしく咳払いをした。
「コホン……えーっと、じゃあ、そういう訳だからな……そう言えば血ってどの位の頻度でどの位の量を飲めば良いんだ?」
「へ? ええっと、一月に一回、100ccくらい、かな?」
ルミは何故か僅かに顔を赤らめながら、たどたどしくそう説明した。
「意外と少ないんだな?」
「私は、半分、人間だから」
ルミは、この一言を口にした瞬間、近頃ずっと感じていた胸のつっかえが取れた気がした。
あくまでも、自分は半分人間で、半分は吸血鬼なのだ。
これは覆る事の無い事実であると共に、だからこそ自分はここに居るのだとという事をようやく認める事が出来た気がした。
きっと、一人で背負い込んでいては、この事実を受け入れる事は難しかっただろう。
「(緋志と会えてホントに良かった……約束の仕方にはちょっと残念な気がしなくもないけど……)」
「? ルミ?」
「は、ハイ!?」
「だ、大丈夫か? 気分悪くなったのか?」
「う、ううん、大丈夫、だよ……」
「なら良いんだけど……まあ、じゃあ話進めるか。それで、どうやって血を飲んで貰うかなんだけど……」
緋志は迷う素振りを見せながらチラリと自分の腕へと視線を送った。
「えっと……掌に切れ目を入れてそこから飲んでもらう、とかで」 「ま、待って! 別に、今すぐ飲む必要は無いんだし、それな輸血パックとかでも……」
ルミは慌ててそう提案したが、緋志は首を縦に振ろうとはしなかった。
「輸血パックは直ぐに手に入れるのは厳しいだろ……それに、早く良くなれるなら、それに越したことは無いんだし」
頑として自分の血を飲ませようとする、緋志の姿に根負けしたのかルミは大人しく返事をした。
「わ、分かりました……じゃ、じゃあ……!!」
突然、緋志はルミの全身に生気が漲った様に感じた。
「ど、どうした?」
「緋志、私、今ケガ人みたいなものだよね?」
「ま、まあ腹刺された訳だしな」
「ケガ人何だし多少の我儘くらい許されるよね?」
「ま、まあな……」
「そ、それじゃあ……」
「…………」
「…………」
ルミが顔を真っ赤にして黙り込んでから四秒が経過した所で、緋志は遂に心配になり彼女の顔を覗きこんだ。
「お、おい、どうしたんだ?」
「………緋志」
「お、おう」
緋志の質問に答える事も無く、彼女は急に真剣な表情になったかと思うと、爆弾を投下した。
「あ、緋志が……く、口移しで飲ませてくれれば飲み易いと、思うんだけど……」
「…………は?」
口を半開きにしたまま緋志は固まってしまった。
畳み掛ける様にルミは言葉の弾丸を撃ち込んでくる。
「だ、だって、貴重な血を飲ませて貰うわけだし、零したりしたら悪いし、それなら、口移しなら確実というか、その、あの……嫌?」
「………い、嫌っていうか……待て待て待て!! 落ち着け!! どう考えてもおかしいだろ! 普通に傷から直接飲めば……」
狼狽する緋志だったが、ルミが不安そうな表情を見せた瞬間ピタリと動きを止め、脳内で高速思考を行い始めた。
「(な、何でルミがこんな事言い出したのかはさておき……ここで嫌とは流石に言えないぞ!? でも、いや……ち、治療の為なら、し、仕方ない、のか……?)」
どうにか自分を説得しようと緋志が奮闘している頃、お願いした当の本人であるルミは今更後悔していた。
「(あぁぁ………何でアンナ事言っちゃったんだろう………い、今からでも、止めてもら……)」
「ルミ……」
「ひ、ひゃい!?」
緋志は何故か戦地に赴く覚悟を決めた戦士の様な表情を浮かべていた。
それがまたしてもルミの心に小さな棘を刺す事になるのだが、彼はそんな事を気にしていられる精神状態ではなかった。
「俺が、口移しで飲ませるなら、今ここで血を飲むんだな?」
「は、ハイ………」
「……目、閉じて、ちょっと顔を上に向けててくれ」
言われるがままに、ルミは瞼を閉じる。
視界が無くなると同時に自分の鼓動がヤケに大きく聞こえ始めた。
「(100cc……ならこれ位で足りるか)」
緋志は掌に付けた傷から滲んだ血を口に貯めると、ゆっくりと立ち上がり、ルミに覆い被さる様に顔を近付けた。
息の詰まりそうな緊張感が緋志の体を締め付ける。
今まで二回、諸事情によりルミと唇を重ねた事があるが、自分からいくのは今回が初めてだった。
「(……やってやる!!)」
「っ……!」
緋志の唇が触れる感触と共に、血の味がルミの舌に広がった。
血の味のキスを交わす高校生など、世界広しといえど自分達位のモノだろうと、緋志はそんな事を考えて気を紛らわせていた。
そうしなければ、部屋の扉を突き破って逃げ出してしまいそうだった。




