それぞれの対峙
「ハァハァ……」
もう日が暮れてしまう。
辺りが暗くなる前に、逃げなくては。
私は必死に逃げていた。
何から?
分からない。
外見だけは説明できるものの、あれが何なのか、どういうモノなのか、全く分からないのだ。
ただ、アレが自分に害意を持っているという事だけは本能が教えてくれた。
「(見えない……けど、追ってきてる…っ!)」
後ろをチラリと見て視線を戻した私は、前から歩いてくる人がいるのに気が付いた。
「え……」
何故だろう。
懐かしい感じがした。
自然と足の動きが遅くなる。
そして、更に不思議な事に私には彼が不思議なモノを生やしている様に見えてしまったのだ。
それは
「狐……の耳?」
思わず高校生らしき制服を着た少年とすれ違う時にそう呟いてしまった。
「そういや、こんな感じだっな」
「え?」
少年はそう呟き、いきなり私の腕を掴んできた。
「な、何ですかあなた!?」
「昔はここで謝ってお前を行かせちまったんだよな。でも今度はそうはいかないぜ」
「な、何の話を……」
「一つ聞かせてくれ」
私の顔をのぞき込んでくる少年の瞳は不思議な色に満ちていた。
真剣なのは伝わってくる、それなのにどこか不安げなその雰囲気に、私は思わず体の動きを止めてしまった。
「俺の事を……怖いと思うか?」
突然何を言い出すのだろう?
いきなり見ず知らずの私を捕まえておいて、こんな事を聞くなんて。
下手したら私が悲鳴を上げて警察を呼ばれていてもおかしくない状況なのだ。それなのに
「怖くない…です」
私は首を横に振りながらそう言っていた。
頭の中はハテナだらけなのに、迷う事なく、そう言い切っていた。
「あ、あれ?」
いつの間にか頬が濡れている。
視界もまるで金魚鉢を被った様に歪んでいた。
「私、なんで泣いて……」
「……変な事聞いて悪かったな」
少年は謝ると、ようやく私の腕を離してくれた。
「あ、あのアナタは……」
「いやぁ、夢の中とはいえ変な感じするな……で、お嬢ちゃんアレはどうだ? 怖いか?」
少年は私の言葉等聞こえていないかの様に頭をガシガシと掻きながら逆に質問をしてきた。
「あ、アレ?」
最初は何の事を聞かれているのか分からなかったが、自分が少し前まで何故走っていたのかを思い出し、理解した。
同時に、背筋が震え、喉がキュッとしまって声が出せなくなってしまう。
顔の無い男がすぐそこまで来ていた。
「ほーここじゃ俺にも見えるんだな……昔は苦労したんだけどなぁお前さん成仏させるのに」
しかし、完全に震え上がってしまった私と違い、少年はその恐ろしい怪物を見ても怖がるどころか懐かしむような声を出しながら苦笑していた。
「! あ、アナタもアレが見えるんですか!?」
「ん? あーまあココが特別なんだろ。取り敢えず……」
少年は右手を持ち上げ男に人差し指を向ける。
「とっとと消えな」
パチンと指のなる音がした瞬間、顔の無い男は青い光に包まれ一瞬で消えてしまった。
「え…?」
「さてと、これでお化けはいなくなったぞ」
少年は私に向かって優しい声でそう言った。
「今、何を……?」
「あーそこら辺は気にすんなって……オホン、悪いけど時間ねーからな」
少年は咳払いをすると、一転して表情を引き締めた。
「いいか。これから先、何があろうと、どんな化けもんに襲われようと、絶対に俺が守ってやる。絶対にだ。だから、安心しろ、舞」
ああ、そうだ。
何故今まで忘れていたのだろう。
気がつくと、舞は陣の上に跨るという、とんでもない体勢になっていた。
しかし、そんな事を気にする余裕は彼女にも、陣にも無かった。
「何カッコつけてんのよ……」
「うっせーな。お前が術掛けられたから、その……」
思わず舞は陣に抱きついてしまった。
今まで、ずっと守ってもらっていた。
それなのに、自分はいつも迷惑を掛けてばかりだ。
それでも、陣は自分の事を守ってくれると、そう言ってくれた。
「ありがと……」
「へーへー。んじゃ、そろそろ退いてくんねーか? おも……」
「カッコつけるなら最後までちゃんとしなさい」
「ほい、やへろっ! ひとのくひをふねるな……っへ」
口を抓られた陣が抗議の声を上げようとするが、途中で止めざるを得なくなってしまった。
大粒の涙が陣の頬を濡らしたからだ。
「ふー……なに泣いてんだよ」
「……ごめんね、ごめんね」
「あー首のコレは気にすんなって。対して痛くもねぇし」
「うっ……うっ……」
「ったく……ほら下りろ……」
ようやく解放された陣はガシガシと頭を掻きながらバツの悪そうな顔でしばし舞を見つめた。
が、突然フウっと大きく息を吐くとヒョイっと舞を肩に担ぎ上げた。
「きゃっ!? ちょ、ちょっと……」
「ふん!」
「きゃあ!!?」
陣は舞が暴れるのも意に介さず、ずんずんとベッドに近づき、舞を放り投げた。
「な、何するのよ!」
「暫く休んどけよ。どうせ、朝礼中は戻らなくても誰も来ねーだろうし、そもそも、そんな顔じゃ戻れねーだろ」
陣はからかうようにそう言うと、舞に背中を向けた。
「……陣は、どうするの?」
「心配すんなって。別にお前に魔術を掛けた奴締めに行くとかはしねぇから。ぶちのめしたいのは山々だけどな。どうせ、俺じゃ相手の居場所も分かんねーし……それに、こんな状況でお前一人にするわけねーだろ。ちょっと見てくるだけだよ」
顔を見せないまま、そう告げ陣は保健室を出た。
また、泣かせてしまった。
その後悔が舞と同じ部屋に居るだけで膨れ上がり、破裂してしまいそうだった。
陣は、気持ちを落ち着けようとするが、胸のザワつきは収まらない。
「(あの時、ちゃんと送って帰ってれば……)」
陣は舞が魔術を掛けられたタイミングを理解していた。
あの時は既に外は暗くなっていたし、普段なら家まで送っていたはずだ。
しかし、自分の中の矛盾を突かれて意地になってしまっていた。
結果、舞を危険に晒してしまった。
「(………ちゃんと、向き合わないとな)」
陣は心の底でそう決意し、拳を握り締めたのだった。
と、その時
「陣! 陣!!」
保健室の中から彼の名が叫ばれた。
舞の声は切迫したものだった。
「っ!」
一気にドアを開け、陣は保健室へと転がり込む様に戻った。
「どうした!?」
同時に舞の様子を確認するが、特に怪我をしている様子は無かった。
ただ、顔だけがまるで引き攣り真っ青になっていた。
「おい、何が……」
「る、ルミちゃんの……」
震える声で舞は言葉を絞り出した。
「ルミちゃんの気配が消えた……」
陣が舞を術から解放しようと必死になっていた時、ルミは廊下に膝をつき、肩で息をしていた。
制服はあちこち敗れ血が滲んでいる。
「(ダメだ……近づけないっ!)」
霧上を救う為にルミが思いついた策。
それは、ギリギリまで霧上に近づき、麗子から貰った札を介さずに練ることの出来る魔力をありったけ霧上にぶつけるというものだった。
実はルミは魔力を練るだけなら相当な量を一度に行える。
しかし、それを制御する事がまだ出来ないのだ。
遠くに飛ばすとなると札を使い、札が制御できる量にセーブしなくてはならない。
「(近づければ私が出せる最大の魔力をぶつけられるのに……)」
霧上(に憑いてる霊)は恐らく魔術による遠距離戦が得意なのだろう。
そのせいか、足止めや、相手を大きく吹き飛ばす様な魔術の詠唱破棄を習得していた。
「(っ……傷の治りも遅いし、力も、出ない……どうしようこのままじゃ……)」
昼間なのだから、百パーセントの力が出せないのは当然なのだが、それを差し引いても今のルミは吸血鬼として弱体化していた。
理由は分かっているが今はどうしようもない。
「(理解不能。何故奴は無闇に突っ込んでくる? あの札を使えば私の魔術を相殺しながら向かってくる事が出来るはず……)」
ルミが思考を巡らす一方で霊もルミの行動の意図が掴めず思案していた。
彼女はナイフを握る手に力を込める。
「(厄介。コレを使うには奴に近づかなくてはならないが……ここまで躍起になって近づこうとして来る以上、奴には近距離において秘策があるのだろう……ならば当初の予定通り、ある程度のダメージを与えて動きを止めなくては)」
霊は再び詠唱を始める。
「(幸い今は昼。いくら吸血鬼のハーフといえども限界は来るはずだ)」
「っ!?」
ルミは慌てて札を取り出し、魔力を練り上げた。
今の状態で、純粋な攻撃魔術を喰らっては不味い。
どうにか、霊の魔術が完成する直前にルミの魔力弾が間に合った。
「チッ!」
冷静な性格の霊が思わず舌打ちをしてしまう。
先程からこのパターンの繰り返しだ。
ルミが近づこうとした時には詠唱なしの軽い魔術が当たるが決定打にはならず、いざ詠唱をしようとすると魔術を妨害される……
「(? 疑惑。もしや、奴は動きながら魔力を放つ事が出来ない?)」
だとすれば、チャンスだ。
今までの傾向からして、ここでルミが接近してこようとするはず。
「(来た!)」
霊の予想通り、ルミは術を壊されたスキを狙って突進して来る。
先程までならココで、空気塊を作りぶつけていたのだが…
「『フロスト・ランス』!」
霊は敢えて簡易詠唱による攻撃魔術を選択した。
ルミの眼前に突如、巨大な氷柱が現れる。
「えっ!?」
ルミは、どうにか体を捻り躱そうとするが、思う様に体が動かず、鋭利な先端が脇腹を抉った。
「あっ、ぐっ……!」
衝撃で吹き飛ばされたルミは、痛みで立ち上がる事が出来なかった。
傷は塞がり始めているが痛みはすぐには消えてくれない。
その貴重な数秒を霊は逃さなかった。
「聖なる神よ、人を穢す異端を罰し人を救うは汝なり。汝の御力を以て異端を繋ぎ……」
耳鳴りと共に霊の詠唱がルミの耳へと鳴り響く。
苦悶のうめき声を漏らしながらルミがフラフラと立ち上がるが時既に遅し、だった。
「異端を晒せ! 『エーテル・バインド』!」
霊の呪文が終わると共にルミの体が突然締め付けられる。
まるで見えない鎖に絡め取られてしまったかの様に。
「か、らだ、が……っ!」
コツコツと今度はゆっくりと、霊の方がルミへと近づいてくる。
彼女はルミの、ほんの1メートル手前で足を止めると、僅かに口の端を持ち上げた。
「さらばだ、吸血鬼」
そして、躊躇うことなく、右手のナイフを深々とルミの腹へと突き刺した。




