傀儡師 その三
「(まだ昼間だけど、いけるか?)」
陣の助力により体育館を抜け出した緋志は、華院から渡された丸薬を一つ取り出し、噛み砕いた。
ジワリと金臭い匂いが口の中に広がり、同時に自分の体が変化していくのを感じた。
「よし! ちゃんと吸血鬼モドキになれたな……」
中身がルミの血のおかげか、昼間にも関わらず緋志は吸血鬼の力を得ることに成功した。
「これなら……」
緋志は大きく深呼吸をすると、瞼を閉じ、数秒数えてからゆっくりと持ち上げた。
「見える……けど、何だコレ?」
蒼く輝く緋志の瞳は学校内に薄く漂う見た事の無い魔力を捉えていた。
広がりたゆたっているのだが、それと同時に規則性の様なモノも感じる。
「これが、陣の言ってた違和感の正体か。それで、これの出処は……」
緋志は向上した身体能力をフルに使い、僅かな出っ張りや、雨樋を掴みたちまち体育館の屋根へと登った。
ここからならば、穏やかな日差しに照らされる校舎が一望できる。
その一角から、ガスの様に湧き出る魔力を見つけ、彼は怒りの篭った声で呟いた。
「三階……空き教室か。待ってろよ」
受身も取らずに地面に着地すると、彼は一目散に走り出した。
「札……?」
「霧上さんと、話をさせて下さい」
ルミが札を構えながら、そう懇願したが当然聞き入れられる事はなかった。
「失笑。情報によれば貴様は魔術を使えない。ハッタリなど私には通用しない。」
「情報……?」
「ここで死ぬ貴様には、関係のない事……巡る精霊よ………」
再び、霧上に取り憑いた霊が魔術を使おうとする。
が、彼女の術が完成するより先にルミが札を使い、霧上に向かって魔力の塊を飛ばした。
「な!?」
吹き付けられた魔力の奔流が、今まさに完成するはずだった術式を吹き飛ばした。
ルミの脳裏に麗子の言葉が蘇る。
『いいかな、ルミちゃん。魔力には魔力以外では干渉できない。逆に魔力なら魔力に干渉する事が出来る。もし、相手が魔術を使ってくる場合一番簡単な方法は相手を圧倒する魔力を練り上げて対抗する事よ。』
「(多分、霧上さんは魔術で操られてる。それなら……)ふっ!」
ルミが再び札を介して魔力を叩きつけた。
しかし
「何だ? 結局、魔力を固めて放つ事しか出来ないのか? 拍子抜けだな」
「(っ……これじゃ霧上さんに掛けられた術は壊せない……どうしたら…!?)」
ルミが放った渾身の魔力では霧上を操っている術を消し飛ばす事は出来なかった。
霧上の体を動かす霊は冷笑を浮かべ余裕な態度を見せていた、表面上は。
「(奇怪。何故奴は魔力を練れている? 情報が間違っていたのか?)」
霊は慎重な性格だった。
それ故に、想定外な状況にペースを乱されてしまった。
思考の渦が起こり、彼女の行動が一瞬止まった。
その一瞬はルミにとって貴重な時間だった。
「(私が飛ばせる魔力は結局札に左右されてる……今飛ばせる魔力じゃ霧上さんに掛けられた術は消せない……それなら)」
ルミが今練ることが出来る最大量の魔力をぶつける。
その為には───────
「ぐっ、う……舞、目を覚ませっ!」
「消えろ……消えろ、消えろおおぉぉ!!!」
獣の様に叫ぶ舞は、有り得ない膂力で陣を押さえつけ首を絞めてくる。
「無駄だ。その娘は完璧に俺の支配下にある」
「て、テメェ…舞に、な、にしやがった!?」
男はフウ、とため息を吐くと、キザったらしく両手を上げ仕方が無いと言いたげに首を振った。
「ヤレヤレ、やはり異物は知能が低いな……いや、この場合は知識が浅いというべきか? まあ、どっちでもいいか。せめてもの手向けに教えてやろうじゃないか。私はいわゆる傀儡師と呼ばれるタイプの魔術師でね、その名の通り何かを操るための魔術を扱う。無機物、有機物、この世ならざるもの……ただ、意思を持つものを操るというのはとても面倒でな。そもそも術を掛ける事すら難易度が高いのだよ」
男はニヤリと口を歪めると、嬲るような視線を舞へと向ける。
その態度に陣の中でフツフツと怒りが煮えたぎるが舞を傷つけるわけにはいかない以上、妖の力で舞を振りほどく事も出来ない。
「だが、俺はそこらの魔術師とは一線を画しているのでな。何故意思ある物を操るのが難しいのか、その理由を考え、排除する方法を思いついたのだよ……要するに意思ある物は元々傀儡の術に対する抵抗を持っているのだよ、平常時はな。だが、人相手に限っていえばそれを無くすのは簡単だ。相手を動揺させればいい」
男はまるで自分に酔っているかのようにペラペラとまくし立てる。
「人の動揺を手っ取り早く誘うには、相手のトラウマをすこーし刺激してやれば良いのだよ。ククク……その娘も随分と辛い記憶を持っている様だなぁ、イヒヒヒヒ」
男の汚らしい笑いが陣の怒りに拍車を掛ける。
脳の回路が擦り切れそうな程の熱を感じ思わず力を暴走させそうになる。
「こ、の、下衆が!!!」
「おっとぉ、いいのかね? お前が本気で暴れればその娘は無事ではすまんぞ? ん?」
「う、ぐっ……」
男の牽制でどうにか踏みとどまる事が出来たものの、このまま力を抑えているだけでは拉致があかない。
「(考えろ……どうすりゃいい? トラウマを刺激したってアイツは言っていた……舞のこの状態からして、まだ舞はその術を受けたままなんじゃないか? それを解いて傀儡の術に対する抵抗とやらを取り戻してやれれば……)」
陣が必死に打開策を巡らせていると、黙り始めた陣に飽きたのか、男が先程からは想像もつかないような抑揚のない声で言った。
「さて、このままお前の相手はその娘に任せるとしようか……お前を始末する事が目的では無いのだしな」
そこまで言うと突然男の体が文字通り煙となり消えてしまった。
男がいたはずの場所の床には、数センチ程の小さな紙切れが落ちているのみだ。
「あの、野郎……」
あの男の本当の目的はルミなのだ。
その事を悟った陣だが、まずは舞を正気に戻さなくてはならない。
「(でも、どうすりゃいいんだ? まともな魔術なんて使えねぇし……つうか、流石にやべぇ……)ぐっ、う……」
陣の意識が濁り、視界が闇に包まれていく。
「ま、い……」
彼の必死の声も彼女に届く事は無かった。
「これは……結界か?」
緋志は目的の教室のある階にたどり着いたのだが、廊下に張られた結界に行く手を阻まれていた。
魔力が流れ出している教室はちょうど三階の真ん中に位置しているのだが、その教室を挟み込むように廊下に結界が作られているのだ。
「ダメだな……キッチリ作られてて崩せそうにない」
緋志の目には美しくすらある幾何学模様に組まれた魔力が映っていた。
これ程までに緻密な魔術を身一つで作れる程相手は高位の術者なのか!? と一瞬驚いた緋志だったが、理由はすぐに判明した。
「……(これは札か? 妙だな……陰陽術まで使えるのか?)」
壁に張られた結界を構成しているらしき札を見つけた緋志は、今度は疑問を感じる。
「いや、今はどうでもいいか……さてと、どうやって入るかな」
緋志の目が窓の外へと向けられた。
この結界はあくまで廊下に壁を作っているだけの様だ。
「(窓からなら入れそうだけどな……パイプも無いし捕まる場所も少ないし、さっきみたいによじ登るのは厳しいな……かといって、ジャンプじゃ二階が限界っぽい……)」
と、外を眺めてい緋志の目に隣の校舎が目に入った。
「(迷ってる時間は無いな……まあ、失敗しても死なないだろ)」
吸血鬼の力を得た事で多少思考が吹っ飛び始めている事を自覚しながら、緋志は走り出した。
「……俺、死んじまったのか?」
何も見えない暗闇の中で陣はそう呟いた。
返事など当然期待していない。
ここはどこなのか、自分が立っているのかも、倒れているのかも分からない。
状況の把握が出来ずに思わず口をついてしまった独り言だ。
『死んではおらぬ、安心せい。まあ死にかけではあるがの』
ところが、どこからともなくそんな反応が返ってきた。
辺りを見回してみるが声の主は見当たらない。
それどころか、自分の体すら見えないのだ。
「アンタ、誰だ……?」
声はまるでノイズの様で相手が男なのか、女なのかも分からない。それなのに相手が何を言っているのかは分かる。
まるで内容がそのまま頭の中に響いているかの様な不思議な感覚だった。
『我の事は一先ず置いておけ。今貴様に死なれては困るのだ……手を貸してやろう』
「は?」
『今から貴様をあの娘の見ている夢の世界に送ってやろう。そこで娘を悪夢から解放しろ』
「あの娘って……舞か?」
『猶予はあまり無いぞ。もし、貴様が娘を救えぬようなら……我が貴様の体を少しばかり借りる事になるな』
「おい! 質問に……待てよ、俺の体使って何する気だ!?」
『貴様が出来ぬ事を、我が代わりにやってやるだけだ……時間が惜しい。早う行くが良い』
「このっ……!」
陣が悪態をつこうとした瞬間、闇の中に突然光が溢れ出した。
あまりの眩しさに陣は目を覆う。
「っ……ここ、は?」
地に足を付けた感覚がした。
ゆっくりと目を開けると、そこは夕日に照らされた路地だった。
陣は、その光景に見覚えがあった。
そこは、陣と舞が始めて出会った場所だった。
「……ここが、アイツのトラウマに関係した場所なのか? それって……」
陣は胸の奥に芽生えた不安に気付かないフリをして、辺りを見回す。
そして、すぐに彼女を見つける事が出来た。
陣はいつもの制服姿だが、彼女は違った。着ているのは中学校の制服だ。それにどこか雰囲気も幼い感じがする。
彼女はこちらへと走ってくる。
まるで何かから逃げる様に。
「……腹くくるしかねーよな」
そう呟き、陣は彼女の方へと歩き出した。




