傀儡師 その一
「そろそろ帰らなきゃ……」
いつの間にか外はすっかり暗くなっている。
舞はサッとグラスとトレーを片付けると店を出た。
春とはいえ夜は少し冷える。
体を包んだひんやりとした空気に舞は思わず首をすくめた。
「………」
こんな時間に一人で帰るのは久しぶりだった。
そもそも遅くまで出歩く事が少ない上に、何かと陣が送ってくれる為だ。
「気にしても仕方無いわよね……」
ここはまだ駅周辺なので明るく、人通りも多かった。
そのせいかもしれない。
彼女は自分の背後に人が立っている事に気が付かなかった。
──────どうしたの?
幼い少女が人影らしきモノに話し掛けていた
「(ダメ………)」
舞は必死にその子を止めようとするが、何故か声が出ない。
体も動かない。
それなのに舞は自分の体から冷汗が止まらなくなっているのを感じた。
少女が話しかけた人影が振り向いた。
それには、おおよそ顔と呼べるモノが無かった。
少女が恐怖の余り地面に座り込んでしまう。
「(ダメ……逃げて……)」
舞の必死の願いが届くことは無い。
誰よりも彼女自身が分かっていた。
これは彼女の過去なのだから。
「おっと……まさか気を失うとは余程強いトラウマを持っているようだな」
危うく地面に倒れ込みそうになった舞を、彼女の後ろに立っていた男が支えた。
男が人避けの術を使っているため、辺りを歩く人々は特に二人に注意を払うことなく歩いていく。
「さてと、取り敢えず一旦簡単に術を掛けて自分で歩いて貰わないとな」
男はブツブツと独り言を吐きながら、徐にポケットサイズの手帳の様な物を取り出した。
そして、男がその魔道書を使おうとした瞬間、彼に声が掛けられた。
「山田をどうするおつもりですか」
「一部始終は見させて貰った。任務中は他生徒との交流は控えろと言ったはずたが? それと、この女をどうするかを貴様に教える義務は無いと思うがな?」
「質問に答えて下さい」
怒気を孕んだ霧上の声を、男は軽く受け流す様に聞いていた。
「貴様は誰に向かって口を聞いているか分かっているのか? ん?」
「っ……」
男に睨まれただけで霧上の体は震え始めてしまう。
まるで血が流れるように、霧上の全身から力が抜けていく。
「貴様は誰のお陰で生きてきた? 貴様が居場所を失った時、拾ってやったのは誰だ? 異物である貴様に生きる意味を与えてやっのが誰なのか、もう忘れたというのか?」
「………」
────生きるのに意味が必要なの?
「私は……もう魔族を狩りたくはありません。育てて頂いた御恩は決して忘れません。しかし……私の知人に手を出すというなら今は、それを全力で止めさせて頂きます」
ルミから投げ掛けられた一言を思い出した霧上は、腹に力を込めてそう宣言した。
しかし、霧上の宣言を聞いた男の反応は彼女の予想とは大きく違う物だった。
「チッ……異物が余計な真似をしおって。折角丹精に整えたコマをメチャクチャにしてくれたな」
男は苦々しい表情を一瞬浮かべ、直ぐに張り付いた様な笑みを戻した。
「まあ、調整は直ぐに出来るがな……」
「!」
男が臨戦態勢に入ったのを感じた霧上は老人の霊を憑かせようとした。のだが
「(か、体が……)」
指一本すら動かす事のできない霧上を男は哀れみを込めた視線で眺めている。
「全く手間がかかる」
「ぐ、う……」
呼吸すらもできなくなり、霧上の視界は暗転した。
翌日の朝、最初に違和感に気づいたのは陣だった。
テスト期間の為、普段は早めに学校に着く陣と同じ時間に多くの生徒が登校する賑やかな中を、陣は一人で歩いていた。
「ん?……何か、今……」
校門をくぐった瞬間、言葉で説明できない、異様な何かを感じ取ったのだ。
存在してはいけない何かが校内にある様な────
陣の脳裏に不安がこびりついた。
「緋志の奴、気づいてんのか? (正直、舞と俺以外はそういうのに鈍いからな……一応、舞にも体調聞いとくか)」
昨日の事を思い出すと話し掛けにくいが、放っておくのは論外だ。
陣は朝から憂鬱な気分になりながら、登校をする他の生徒同様に自分の教室へと向かった。
「ううう………どういう事だってば……何でここでいきなり交点求める訳?」
「えっと、それはですね、そもそも積分というのは……」
教室では各々が自らの形で自習に当たっていた。(何人かの例外はいるが)
ルミと夏菜も、主に夏菜が必死に数学に取り組んでいた。
夏菜の頭がパンク仕掛けた時、教室のドアが開き、陣が到着した。
「おはよーう……おいおい大丈夫か?」
陣は夏菜達の姿を認めると、面白がっている様な口振りで挨拶をする。
「うっさいわね!」
「アハハ……おはようございます、陣さん」
「相変わらず可愛いなールミちゃん」
「気が散るからとっとと消えなさいよ」
シッシッ!と虫でも払うかのように手で追い払われた陣は大人しく引き下がった。
「ひでぇなぁ……ま、頑張れ」
そして、直ぐに舞が来ている事を確認すると荷物を置き彼女にも挨拶をしに向かった。
「……おーす」
「おはよう」
陣をチラリと見た舞は素っ気なく挨拶を返すと、再び参考書に目を落とした。
「(ぐ……いや、せめて体調は確認せんと……んっ!?)」
陣は今まで舞と過ごしてきた日々を思い出し、彼女の反応に疑問を感じた。
「(こういう時は大抵シカトされるか何? みたいな感じで蔑んだ視線を頂くんだけどな……)あーその、今日は体調とか大丈夫か?」
「体調?」
舞が怪訝な表情で陣の言葉を反芻する。
陣は彼女を観察してみるが、特に顔色が悪かったりするような事は無かった。
「まあ、特に何も無いなら良いんだけどよ」
「よく分からないけど……」
「いや、その……何かあったら直ぐ教えてくれよ。勉強の邪魔して悪かったな」
陣は一方的にそう謝罪すると舞の席から離れた。
やはり何かがおかしい気がする。
陣はそのまま緋志の席へと向かい、挨拶もそこそこに切り出した。
「うっす緋志。朝っぱらから悪いんだけどよ、何か舞の様子がおかしいんだよ……」
緋志は僅かに首を傾げると空いている隣の席に目をやった。
陣は彼の言いたい事を理解すると、その席に素早く腰掛けた。
「様子がおかしいっていうのは、体調が悪そうとかそういう意味じゃないんだよな?」
「ああ、何て言うか……受け答えがいつものアイツらしくないと言うか。それと学校に来た時から変な感じがしてな」
「………すまん、後半の方は俺じゃ判断できない。一応ルミにも聞いてみるけど」
陣の読み通り、やはり緋志は校内の違和感には気づいていなかったらしい。
「それで舞の方は……」
緋志は一旦言葉を切ると、深呼吸をして瞳を閉じた。
ゆっくりと瞼を上げた時、彼の目は蒼く輝いていた。
が、その変化は一瞬のモノだった。
緋志は大きく息を吐くと、再び言葉を紡いだ。
「……今、『魔眼』で視てみた。一瞬じゃ確実にどうこうとは言えないけど……舞のとは違う、別の魔力が微かに見えた、気がするな」
「もしかして、昨日の霊に憑かれたのか……!?」
「いや、それは無いな。霊は全部退治したし、そこまで酷ければ流石に分かる。取り敢えず、今は様子を見るしかないかもな…原因が分からないから下手に手出しが出来ない」
その頃、ルミは真剣な表情で話し合う緋志と陣に気を取られていた。
「(また何かあったのかなぁ?)」
と、ルミが視線を夏菜の方へと戻した時、彼女は初めてまだ霧上が来ていない事に気が付いた。
「(あれ? そういえば霧上さん今日は遅いな……)」
正直な所、ルミは勉強を他人に教えるという行為に向いていないというか、慣れていないため、何故か手馴れた感じのする霧上が居てくれると心強いのだが。
「(今日もお話できるかなー……)って夏菜さん、そこはそうじゃなくてですね」
ルミが夏菜の間違いを訂正させていると今日のドアが勢いよく開かれた。




