線引き
私は捨て子だった。
冬のある日、孤児院の前に捨てられていたそうだ。
凍死の危険性など微塵も考えてもらえない。
当然だ。何故なら要らない存在なのだから。
私は、きっとそのまま死んでしまった方が良かったのだ。
でも、私は生き残ってしまった。
それから、私は苦しみしか感じない中を生きている。
「はい、接触してしまいました。申し訳ありません」
霧上は薄暗い部屋の中で携帯を使って報告をしていた。
予想外の出来事に混乱してしまい、禁じられていた他生徒との接触を行ってしまった事を伝え終わると電話口の向こうから落胆の気配が伝わって来る。
「……早めに調査を終えて始末しろ。良いな?」
「はい」
電話を終えた霧上は大きく息を吐いた。
心臓が痛い。
もし、彼に見放されてしまえば、生きる術も生きる意味も全て失う。
「(あの子は、魔族……)」
霧上は今日の放課後の事を振り返る。
見た目が人の魔族は何度も見て来た。そして、その全てが例外なく人に仇をなす存在だった。
異端は存在してはいけない。少なくとも人の世界では。
「(でも……)」
頭では理解している。
それでも、少女の心は確実に揺れていた。
「(あの子は本当に、人に危害を加えるの?)」
それは霧上が初めて感じた迷いだった。
「それでね、霧上さんを誘って一緒に勉強したんだけど、霧上さんてすっごく頭良いんだよ!!」
「へー」
同じ頃、ルミは緋志と共に夕食をとっていた。
ルミの方は今日あった事を楽しそうに緋志に報告している。
「夏菜さん、凄いよね……私もあんな風に」「ならなくて良いから」
「緋志!?」
「あ、今のは内緒な」
「もー……」
ルミがむくれてみせると、緋志は僅かに吹き出し
「冗談だよ。俺もアイツのお陰で今の面子と仲良くなれたからな。アイツが凄い奴だってのは分かってるよ」
昔を懐かしむ様に、そう言った。
「え、じゃあ初めて仲良くなったのは夏菜さんなの?」
「いや、そういう訳でも無いんだけど……その話はまた今度な。早く片付けてテスト勉強しないと」
「むう……」
再び頬を膨らませたルミを、今度は見ないふりで放置し緋志は箸を進める。
「もー、あか……」
文句を言おうと口を開いた瞬間、一瞬、ルミの視界が揺らいだ。
「っ……」
「? ルミ?」
「だ、大丈夫だよ!ちょっとテスト勉強で夜更かしし過ぎたみたい」
ルミがそう誤魔化すと緋志は一瞬探るように鋭い目つきになったが
「そうか、あんまり無理するなよ」
結局、そう言って心配そうな顔をした。
「うん、ごめんね」
ルミは悩んでいた。
この問題と、どう向き合えば良いのか。
自らが魔族であるという証の一つを、どうすればいいのかと。
翌日
珍しく早起き出来たルミだったが、緋志は用事があると言って先に出てしまったので教室にたどり着いた時彼女は一人だった。
「あ、紅道さんおはよー」
「おっはー」
「おはようございます!」
教室に入ると馴染みのクラスメートが挨拶をしてくれた。
自らも挨拶を返し席に着いた所で、机に突っ伏している夏菜の姿が目に入った。
「(あはは……今日はどうしたんだろう?)」
ルミは何とも言えない表情を浮かべ夏菜の元に向かう。
「夏菜さん、おはようございます」
「………ルミちゃあああん」
夏菜はこの世の終わりでも見たかの様にヒドイ顔をルミの方に向けて来た。
思わず後ずさりたくなったルミだが、どうにか耐えることには成功した。
「え、えっと、どうしたんですか?」
「き、昨日ね、霧上さんに教えて貰ったお陰でスッゴクすらすらテスト勉強が進む様になって……帰ってからも夢中でやって満ち足りた気分で寝たの」
それは良いことなのでは?
と言おうとしたルミの口を夏菜の次の一言が縫い付けた。
「起きてから数学の予習やってない事に気が付いたの」
「(う、うわあ……)」
「どうしよおおお………」
再び突っ伏してしまった夏菜にルミは献身的に声を掛ける。
「な、夏菜さん! まだ時間はあります。頑張って終わらせましょう!!」
幸い、ホームルームが始まるまで後四十分はある。さらに、今日の数学は三時間目なので休み時間を足せば約一時間の猶予がある。
「る、ルミちゃああん、ありがとねえええ!!!」
別に本人が手伝うとも言っていないのにも関わらず夏菜はルミに手伝ってもらう気満々の様だ。
ルミとしては元から、そのつもりだったので問題は無いのだが、できれば、舞か霧上が居てくれると心強い。
ルミはどの教科も平均以上にこなせるが数学だけは少し苦手なのだ。
しかし
「(あれ? 舞さん……霧上さんも居ない?)」
舞は委員会で忙しい為朝は居ない事の方が多いのだが、霧上まで居ないのは彼女が転校して来てから初めての事だった。
とはいえ、こうなれば仕方が無い。
「夏菜さん、取り敢えず問題の確認から始めましょう」
ルミは夏菜を促し、立ちはだかる壁に手をかけ始めた。
その頃、霧上は屋上にある給水塔が設置された高台の上に避難していた。
春先とはいえ、四階建の校舎の屋上は日が当たっていても肌寒い。そんな所に彼女が居るのは当然理由があっての事だ。
何となくルミ達と顔を合わせたく無かったのだ。
「(分かってる……あの子達は私が普通では無いことを知らない)」
昨日、霧上を混ぜて勉強するルミ達は、彼女に明るく接してくれた。
上司からの命令に従った結果、明らかに彼女はクラスで浮いていた。それなのに。
「桟納、勉強進んだかな……」
思わず呟き、直ぐに彼女は頭を振った。
自分は任務でここに来ている。
余計な感情は持ってはいけない。
「(そもそも私は……異端なのだから)」
唇を噛み締め、霧上が立ち上がった瞬間、屋上の扉が開く音がした。
「!?」
この時間に人が来ない事を確認済みだった霧上は思わず身構えてしまった。
足音が聞こえ、数秒後その主の姿が霧上の目に移り込んだ。
「見つけた。そんな所に登ってると危ないわよ?」
呆れた声を出したのは、舞だった。
彼女はふう、と息を吐くと何を思ったのか自分も高台によじ登ってきた。
「……ちょっと寒いけど、景色は良いわね」
そう呟いた彼女は霧上の方へ向き直るとプリントを差し出してきた。
「はい」
「これは?」
「風紀委員からのアンケートよ。あなたが転校して来る前日に行われたの。書いたら私か他の風紀委員に渡してちょうだい」
そう言って彼女は立ち去ろうとする。
だが、その前に霧上が彼女を呼び止めた。
「ま、待ってくれ」
「何?」
「な、なんで私がここに居ると分かったんだ?お前と私が教室に来たのはほぼ同時だった。それから私がここに来てそれほど経ってもいない。つまり、お前はそこまで迷う事無くここまで来たのだろう?」
普段とは別人の様にまくし立てた霧上に大して驚く様子も見せず舞は眼鏡を押し上げ、こう言った。
「その、お前ってのは止めて」
鋭く睨まれた霧上は若干後ずさりながらコクコクと頷いた。それを見た舞は大きく息を吐くと再び口を開く。
「ふう……あなた凄くピリピリしてるから分かりやすいのよ。多分、ルミちゃんに用があるんでしょうけど……危害を加える気なら絶対許さないわ」
瞬間、霧上は臨戦態勢に入る。
舞に攻撃を仕掛けようとした、その時。
ヒヤリとした感覚が彼女を襲った。
「っ!!」
何も見えない。しかし、任務をこなす中で磨かれた感覚が告げている。
今自分は狩られる側の立場なのだと。
「はあ……二人とも止めてもらえないかしら」
緊迫した状況は舞の一言によって霧散した。
霧上を狙う殺気が消え、同時に霧上も冷静さを取り戻した。
「……すまない、取り乱してしまった。いつから、気づいていたんだ?」
舞は無表情なまま簡潔に答えた。
「あなたがこの学校に来た時からよ」
「そうか……」
「別に私はあなたの邪魔をする気は無いわ。そんな力も無いし。ただ、友達に手を出そうとする奴が居るなら出来ることはする。それだけよ」
それだけ言うと舞は何事も無かったかのように立ち去ろうとする。
「待ってくれ……」
「まだなにかあるの?」
霧上は歯を食いしばり、その隙間から感情が破裂寸前まで込められた小さな声を出した。
「どうして……私にあんな風に関わったんだ」
彼女には分からなかった。
自分の事を普通で無いと見抜いていたなら。
何故二人をもっと必死に止めなかった?
何故あの場から立ち去らなかった?
何故、周りに話さない?
聞きたい事が霧上の中で渦を巻き、どうにか言葉に出来たのはそれだけだった。
舞は霧上とは反対方向に体を逸らすとそっけなく言葉を紡ぐ。
「クラスメートと勉強するのに、何か理由が必要なの?」
「っ……山田は、私が普通で無いと気づいているのだろう!?それなのに!」
「まず、あなたの中の普通の定義が私にはよく分からないけど……もう少し頭を柔らくして考えてみたらいいんじゃないかしら」
そう言って彼女は今度こそ屋上から去って行った。
残された霧上は世界が揺らぐのを感じていた。
境界が霞む。
まるで、出口の無い迷路に迷い込んでしまったような感覚に彼女は陥ったのだった。




