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変人と吸血鬼

「何で……こんなにハッキリ魔族の気配を感じるんだ?」


 今までこんなことは一度も無かった。

 そこらの地縛霊らしき存在の位置もはっきり分かる。

 山の中の魔族達の位置に違いまではっきりと――――緋志は戸惑っていた。

 自分はおかしくなってしまったのだろうか、と緋志は不安になった。


「頭が、割れそうだ……」


 正直、緋志は舞の気持ちが初めて分かった気がした。

 制御できない感覚がこれ程厄介だとは、彼には思いも寄らなかった。


「だけど、今なら」


 あの少女も見つけられる。

 緋志の目覚めた感覚は既に少女の気配を察知していた。




「その辺にしとけよ」


 緋志は男達を睨みつけて、そう言い放った。

  突如現れた緋志の、なりふり構わぬ行動に男達は一瞬ポカンとした表情を浮かべて立ち尽くした。

  だが当然の様に、我に返った男たちは怒りを露わにして緋志に詰め寄る。


「テメー調子こいてんじゃねーぞ!?」


 サングラスの男が腕を振りかぶり、緋志に殴り掛かる。

 しかし、緋志は余裕の表情でそれを躱すと、カウンターで男の鳩尾に拳を突き入れた。

「ふぐうっ……!?」という呻き声をあげ、グラサン男が堪らず地面をなめる。

 緋志は軽く首を鳴らすと


「どうする、あんたもやるか?」


 と唯一無傷で済んでいる男に向かって冷ややかな声でそう言った。


「ひ、ヒイィ!」


 その声に気圧されたのか、或いは緋志の動きを見て勝てないと踏んだのか。

 仲間を失ったピアス男は、情けない悲鳴を上げるとわき目も振らずに走り去って行った。

 他の二人も何とか立ち上がりよろよろとその場を後にする。

 小さく毒づいていたのは彼らなりの最後の抵抗だろう。

 かなり手荒な方法になってしまったが、緋志はどうにか障害を退ける事に成功した。


「ふう……大丈夫か?」


 大きく息を吐いた緋志は、目の前の少女をなるべく警戒させない様にと、優しく声を掛けた。

 そのお蔭か、少女は素直に返事を返してくれた。


「は、はい。あの、ありがとうございます」

「いや、別に礼を言われる様な事じゃないから。えーと、それより……」


 緋志は突然、少女から目を逸らすと着ていたパーカーを脱いで少女に差し出した。


「その、良かったらこれ着てくれ。寒いだろうしその……」

「……?」


 少女の顔に疑問が浮かんでいるのを見た緋志は、頬を掻きながら

「その、それ…」


 少女の胸元を指さした。少女がつられてそこを見る。

 少女が着ているのは上品な仕立てのブラウスだ。

 そして、少女は雨の中を傘も差さずに動き回っていた。つまりどうなっているかと言うと―――

 自分の胸元が透けているという耐えがたい事実を確認した少女の手が驚異的なスピードで緋志のパーカーを奪い去った。

 緋志が意志力を振り絞り、少女から目を逸らしていると

「あの、もう大丈夫です」

 少女から声が掛かり、首の角度を元に戻した緋志は改めて少女を観察した。

 少々頬が赤いのは置いておくとして、感覚的に少女が魔族だと確信した緋志は焦る気持ちを落ち着かせながら口を開いた。


「俺は、今野緋志って言うんだ。君の、名前を教えて貰えないか?」

「私は……紅道瑠魅(くどうるみ)と言います」


 その名字に緋志はピクリと反応を示した。

 何故なら読みだけなので確実とは言えないが、麗子が言っていたあの男、紅道華院と名字が同じなのである。

 つまり、目の前の少女は緋志を切った男の身内、という事になる。

 その事から、どうやら少女、ルミは吸血鬼らしいと緋志は判断した。


「(紅道、か……)君は、俺の事覚えてるか? 夕方に一度会ってるよな?」


 緋志は単純に確認のつもりで聞いたのだが、ルミは昼間の、緋志が切られた事を自分の責任だと感じていたらしく、緋志に頭を下げた。


「ごめん、なさい。私の……せいで」


 今にも泣きだしそうな声に緋志は慌てて言葉を重ねる。


「いや、あれは俺が気配消し忘れたのがいけないって言うか……そもそも、何でか知らないけど俺生きてるんだし君が気にする事無いって。というか俺こそごめん、すぐに飛び出せなくて」


 ルミが恐る恐る顔を上げる。

 そして上目遣いで小さく呟いた。

「でも……」


 その潤んだ瞳と、端正な顔に浮かぶ弱気な表情に心の中で軽くドキッとしながら、緋志は急いでまくし立てた。


「とにかく気にしないでくれって。それより、俺は君を探してたんだ。ここじゃ何だから俺のバイト先の事務所に一緒に来てくれないか? もちろん、危害を加えたりなんてしない」


 目の前の少年が悪人でないのはルミにも分かっていた。

 それでも、緋志の言葉にルミは反射的に、断りをいれようとした。


「ごめんなさ……」


 しかし、その反応を予想していた緋志が先回りをする。


「俺と、そのバイト先の人間は、魔族を、魔術を知っている」

「えっ……?」


 ルミは予想外の言葉に思わず後ずさってしまった。

 緋志はそこまで予想していたのか、苦笑を浮かべながら、なおも説得を続ける。

「あー、別に退魔師って意味じゃないから。ていうかちょっと傷ついたな。俺ってそんなに危なそうに見えるか? まあ見えるよな……」


 緋志が自嘲気味にそう言うとルミは慌てて言葉を掛ける。


「えっ!? ちが、ごめんなさい!」


 その必死な様子が面白かったのか緋志はふきだしてしまった。


「ごめんごめん、冗談だよ」


 笑いながら緋志が謝るとルミは一転して


「なっ……からかうのは止めて下さい!」


 ルミが思わず叫んでしまった。

 その普通の少女らしい反応を見るに少しは慣れてくれたようだ、と緋志は感じた。

 どうやらかなり素直な性格らしい、と緋志が謝りながら分析していると、ルミが突然俯いてしまった。


「? どうかした? ああ、もしかして寒い?」

「そうじゃなくて……」

「じゃあ、お腹空いたとか?」

「違います!!」


 またしてもルミが叫んだ瞬間、グ〜、という低音がルミのお腹の辺りから聞こえてきた。ルミの顔がみるみる内に夕焼けの様になっていく。


「ほらやっぱ…」

「違いますってば! いや、違わないかもしれないけど……そうじゃなくて!」


 心を落ち着かせる様に息を吸ったルミは悲しげな光を目にチラつかせながらこう言った。


「私といると危ない、から……」


 だから私に関わらないで下さい。そう、ルミは続けようとした。しかし


「だから? 別に俺は気にしないけど……慣れてるからな、そういうの」


 緋志はどこか寂しい笑みを浮かべながらルミに語りかける。


「だから……うまく言えないけど…気にしないでくれよ」

「……」


 ルミは驚いたまま緋志を見つめていた。

 まさか初対面の、しかも自分のせいで死ねかけた人間がここまで真摯に助けてくれようと、するとは思いもしなかったからだ。

 ルミがどうしていいか分からず固まっていると、「ん? あ、悪い。ちょっと待っててくれ」と断りを入れ、緋志はポケットからケータイを取り出し、誰かと話し始めた。


「ああ、こっちで見つけたから。……分かった。それと……」


 会話が終わったらしい緋志はケータイをしまうとルミに


「俺の友達に何か食べる物買っとくように頼んどいたから、取り敢えず一緒に来ないか? その感じだと、お金とか持ってないんじゃないか?」


 正直、ルミとしては大変有難い申し出ではあった。

 悟られないように、身一つで家から逃げ出してきた為このままでは身動きが取れなくなってしまうし、正直空腹も限界に近かった。

 だが、何やら一般人ではないらしいのだが、何の関係も、むしろ迷惑を掛けてしまった少年にこれ以上世話になるのは忍びなかった。

 ルミはグルグルと思考を巡らせる。


「でも、でも…」


 その時もう一度、ルミのお腹がグウ〜という低音を響かせた。




 四月三十日 午後九時四十二分 神木町、鎖間那探偵事務所前


 結局、ルミの中の理性と空腹の激しい争いには空腹に軍配が上がった。

 いくら吸血鬼といえども腹が減っては家出はできない。


「えっと……ここですか?」


 眼前にあるビルを見上げて、どこか残念そうに尋ねてくるルミに、緋志は苦笑しながら頷いた。


「ああ。まあ見た目は…アレだけど、中は綺麗だから……あと、その敬語止めてくれよ、何かよそよそしいし」


 緋志としては見た目でルミが年下か同い年位だと判断してのタメ口だったのだが、ルミの方は基本誰にでも敬語らしく、多少むず痒そうな顔で「分かりま……分かった……?」という返事を返していた。


 


 少し不安そうなルミを伴い、緋志は通いなれた階段を上がって、事務所の扉を開けた。

 扉が開いた瞬間、外観と事務所内のギャップにルミは驚嘆の表情を浮かべた。


「お、緋志、遅かったな」


 すぐに、ソファに寝転んでいたらしき陣が気づきひょっこりと顔をのぞかせた。

 ルミは緊張しているのか緋志の後ろに隠れる様に立っている。


「麗子さんは?」


 上司の姿が見えないのを不思議に思い緋志が尋ねると陣は食事の用意をしながら返事を返す。


「何か調べものしてる」

「そうか……悪いな買い出し頼んで。金は後で払うから」


 緋志の後半のセリフに、話は聞いていたらしいルミが慌てて緋志の背中から顔を出す。


「そ、そんな悪いです……悪いよ」


 本気で申し訳なさそうにしているルミを見た緋志はどうにか笑いをかみ殺す。

 この少女は人を和ませる才能を持っているようだ。


「いや、これぐらい大丈夫だって。それより紹介するよ。このアホ面が俺の友達で仕事仲間の北条陣ほうじょうじんだ」


 先ほどの話を思い出したのだろう。

 ルミはハッとした表情になった後、慌てて頭を下げた。


「は、初めまして。紅道瑠魅と言います。その……ご迷惑をお掛けしてすいません」


 またしても謝罪を始めたルミを、緋志が頭を掻きながらなだめようとする。


「いや、だから気にしなくてもいいって…おい、陣どうしたんだ?」


 ルミがしゃべり始めた辺りから、急に静かになった陣を不審に思い緋志が声を掛ける。

 しかし、陣は何故か俯いて体を震わせたまま何も答えない。

 緋志は嫌な予感がしていつでも動けるように身構えた。


「あ、あの」


 ルミがビクビクしながら話しかけようとしたその時、突然

 ガバッと陣が顔を上げた。


「ひえ!?」


 いきなりのアクションと、目にした陣の顔のあまりの気合の入り方にルミは怯えた声を出したが、どうやら陣には届かなかったらしい。

 ずいっ、とルミに近づくと


北条陣ほうじょうじんと申します。好きなものは綺麗な女性!!! という事で付き合っ…」

「止めんか」

「ぐほっ!!!」


 いつも通りに悪癖を披露した陣に緋志が蹴りを入れた。

 陣の体が宙を舞い、ソファに叩きつけられる。


「あ、あの」


 状況に付いてこられないらしいルミに緋志は疲労感の滲む声で説明を始めた。


「ああ悪い。コイツ、一回惚れると見境なしに告白し始めるんだよ。普通に無視してくれて構わないから」

「え、ええと…個性的なお友達なんですね」


 こんな変人をフォローするとは、本当にいい子だ、としみじみと感心しながら、今度は起き上った陣に呆れた声で話しかける。


「で、お前は何度同じ事で俺の手を煩わせるんだ?」

「お前が勝手に止めに入るのが悪いんだろうが! つか、蹴るなよ!! 痛いから!!!」


 蹴りが入った腰を擦りながら陣は抗議をする。

 普段は気も利き、出会ってから何度も世話になっているので緋志は彼の事を信頼しているのだが、こういう良く分からない行動を取るのがたまに傷だった。

 陣からすると、半分本気で半分冗談の場を和ませる為の行為なのだが、毎度毎度ろくな結果になっていない為、いい加減自重して欲しいと緋志は切に願っている。


「お前なあ…夏菜がお前を処刑しようとしたのを俺が止めて無かったら、お前ここには居ないと思うぞ?」

「うぐっ…いや、しかし! 可愛い子を見つけて口説かないのでは男が廃る!!!」

「節操って言葉知ってるか?」

「夏菜もかなりの美少女だからな、あの強烈な性格が丸くなれば今からでもやり直したいくらいだ! まあそのためにはお前を消さないといけないがな!」

「聞けよ。そして何も始まって無かっただろ。それどころか人生終わりそうになってただろ。あと何故、俺の命が狙われる」


 猛烈な突っ込みをする緋志は目に見えて疲労していた。

 今日はタダでさえ死にかけたり全力疾走でルミを探したりしていたのだから当然だ。


「あ、先ほどは見苦しい姿をお見せして申し訳ございません。北条陣と申します。以後お見知りおきを」


 緋志を完璧にスルーした陣は何事も無かったかのようにルミに自己紹介をする。

 何故、敬語で、何故跪いているのかは誰にも分からなかったが。


「えっと、よ…よろしくお願いします」


 一応ルミも後ずさりながら、挨拶をする。

 ようやくひと段落着いたかに思われた、その時


「ああ、お帰り緋志君」


 奥の扉が開き、席を外していた麗子が姿を見せた。

 緋志に労いの言葉を掛けてから、すぐに視線を後ろに立つルミに向けた。

 興味深そうに自分を射抜くその眼差しに、ルミは思わず緋志の腕を握ってしまう。


「そして、初めまして。私はここの所長を務めている、鎖間那麗子です」


 体の向きを変えた麗子が微笑みながら身分を明かす。ルミも、挨拶を返そうとして、慌てて緋志の陰から体をだした。


「わ、私は紅道る…」


 ぐぎゅるる


「……」


 盛大に腹が鳴った。


「ふふ。どうやら色々と大変だった様だね。服は濡れているし、お腹も減っているようだ」


 麗子に笑いながら指摘されルミは赤くなって俯いてしまった。 しかし、麗子は気に留める事無く言葉を続ける。


「取り敢えず着替えて、食事にしよう。安物で悪いが、着替えはある」


 これまた至れり尽せりな対応である。

 ここまで親切なのが普通なのだろうか、とルミは疑問に感じてしまうが、ここは有難く、その優しさに甘える事にした。


「あ、ありがとうございます」


 ルミがペコリと頭を下げる。

 すると、品定めでもするかのように麗子が、ジロジロと視線を動かし始めた。


「フム…礼儀正しく、おまけにこの容姿。成る程…」


 ブツブツと呟く彼女からルミは何やら不穏な気配を感じた。

 もっと言うと、何となく先程の陣と似たようなモノを。


「あ、あの? 何か………?」


 不安になったルミは恐る恐るそう尋ねてみた。

 しかし、麗子はポーカーフェイスのまま首を横に振ると実に優しい笑顔を浮かべながらこう言った。


「ああ。いやいや何でもないよ。取り敢えず着替えようじゃないか。くふふ…」


 何故だろう。

 ルミは身の危険を感じて一歩後ずさった。


「あんたもやめなさい」


 見かねた緋志が後ろから近づき、怪しく笑う麗子の後頭部に向けてそこそこ容赦の無いチョップを放った。

 しかし、後ろに目でも付いているかの様な完璧な反応で麗子はそれを躱した。


「おいおい。緋志君、一体どうしたと言うんだい?」


 本当に訳が分からない、とでも言いたげに肩を竦める上司に何度目とも分からない説明をする。


「俺は、その……同性を好きになるのは自由だと思いますが―――」

「ひっ!? 緋志、お前まさか俺の事狙って……」


 カンッと言う音と共に緋志の投擲した棒手裏剣が陣を壁に縫い付けた。

 そのまま、陣を放置して、緋志は話を続ける。


「口説く、というかそういう事するのは相手の事を良く調べてからにして下さい。陣と違ってあなたの容姿にクラッときて、そのまま新たな領域に踏み込んでしまう人もいるんですから」


 以前、依頼人として訪れた女性の事を思い出しながら緋志はそう忠告した。

 勢いのままに事務所に連れ込んでいたのを見たのが最後で、その後、麗子とその女性の関係がどうなったのかは定かではない。

 が、それ以降姿を見かけない上に麗子が話題にも出さないという事は、恐らく魔術で記憶を弄って全てを無かった事にしたのだろうと緋志は読んでいた。

 確かに一般人と関わりづらいというのは分かるし相手の為を思っての行為ではあるのだろうが、それなら最初から手を出すなよ、と緋志は言いたかった。


「別に問題は無いじゃないか」

「あっ、俺の口説きが成功しないみたいな所はスルーすか……うわ! 危ねーじゃねーか!!」


 もう一本、手裏剣を投げてから、緋志は溜息と共に指摘する。


「麗子さん、ルミを着替えさせる時に何かするつもりでしたよね? そういうのをやめて下さいと言っているんです」

「ん? 何の事だかサッパリ分からないな」


 あくまでも認めない麗子に緋志は追及を諦めた様子だったが、そうはいかないのが当事者のルミだ。軽く青ざめたルミは、恐る恐る緋志に尋ねた。


「ねえ、私何かされそうになったの?」

「……」

「何か言ってよ!!」


 先ほどまでは、自分の事情を普通(?)の人間、しかも自分の所為でケガをさせてしまった知り合ったばかりの人に相談して良いのだろうか、と心配していたルミだったが……今は別の意味で不安だった。



 四月三十日 午後八時二十二分 神木町、蔵湖山の山小屋


 神木町を囲むように存在する山の中にある、薄汚れた山小屋で、紅道華院は痛む腕を抑えながら人を待っていた。

 先ほどまでは雨の音が聞こえていたが、降りやんだらしく、小屋の中には静寂が満ちていた。

 その時、小屋の入り口で微かに空気が揺らいだ。


「わざわざすまねーな、紗耶さな


 華院は閉じていた目を開けると、暗闇に向かって声を掛けた。 そこにはいつの間にか黄色く光る眼が二つ浮かんでいた。

 声を掛けられた人物が華院の方に足を進めた。ランタンの光に照らされたその姿は


「あァ!? その恰好でここまで来たのかよ!?」


 まごう事無きメイドさん、だった。

 少し癖のある黒髪に、野性の猫の様なしなやかな美しさのある顔立ちのその女性は腰を折ると


「申し訳ありません」


 とだけ答えた。華院は何だか申し訳なくなり


「いや……まあ急いでくれたんだしな。気にすんな」


 頭を掻きながら、ぶっきらぼうにそう言った。

 紗耶と言う名の、その女性は無表情のまま頷くだけである。


「それより、この傷を治してくれねェか? 取り敢えず止血だけでも頼むぜ」


 気まずくなった華院は早速本題に入ろうと押さえていた傷口を紗耶に見せる。

 普通の女性なら卒倒ぐらいしてしまいそうな傷だったが、紗耶は僅かに息を呑んだだけだった。

 しかし、普段から感情をあまり出さない彼女が反応を示したぐらい華院の傷は不可解な物だった。


「再生が、働かないのですか?」


 華院は紅道の一族の中で最も吸血鬼としての能力が低い。

 そのため傷の再生は他の吸血鬼に比べてかなり遅いのだが、それでも止血ぐらいは何もしなくても体が勝手にしてくれる。

 そのはずなのだ。

 だが、数時間が経つ今でも傷は塞がってくれなかった。


「ああ、まだ血が止まらん。正直、あの小太刀を舐めてたな」

「現在はルミ様を追ってらっしゃいましたよね? いかがなさったのですか。もしや、ルミ様を追っていた例の狂った退魔師に?」


 紗那がかがみ込んで華院の傷口を確かめながら尋ねた。

 華院はあの時の事を妙な人間の事を思い出し、再び疑問を感じながら、首を横に振った。


「いや……魔力の欠片も感じない、ただの人間。しかもガキにやられた。ま、殺しちまったからどうでもいいんだけどよ……」


 セリフの後半には僅かに苦々しい響きが含まれていた。

 華院としてもあれは反射的にしてしまった事で、決して本意ではないのだ。

 紅道の一族のスタンスは《人との共存》であり、その為に色々と気を使っているし、元々とある事情から華院は表面上は人を見下す様な発言をする事もあるが、実際は何人か一目置いている人物もいるのだ。

 しかし、紗那には華院の複雑な心中を察する余裕は無かった。


「ただの人間に?」


 ますます混乱した紗那は取り敢えず傷の状態を確認すると、そっと傷口に両手を近づけた。

 すると、紗那の手のあたりから、暖かい色合いの光が現れ、華院の傷口を包み込んだ。

 それだけでも、十分不思議な光景なのだが、劇的な変化が現れたのは次の瞬間だった。

 全く止まる気配の無かった華院の出血が止まったばかりか、傷が治り始めたのである。

 これが、再生能力の低い華院をサポートするために雇われた彼女の能力『活性』だった。


「相変わらず凄いな、お前は。普通は自分の生命力を底上するだけの能力を他人に使えるっつーのは」

「……」


 華院が何気なく彼女の事を褒めたが、紗那は無言のまま治療を続けていた。

 一見すると無愛想と思われるかも知れないが、華院には彼女が必死に喜ぶ事を我慢しているのが文字通り見え見えだった。


「オイ、しっぽが出てんぞ?」


 華院が笑いながら紗那の後ろを指さした。

 紗那が思わず振り返ると、確かに猫のしっぽの様なモノがぶんぶんと動いていた。


「はっ!も、申し訳ありません。」


 顔を赤くした紗那は慌てて尻尾を隠した。

 そんな彼女を見て華院はますます面白そうな表情になったが、すぐに顔を引き締めた。

 動転していた紗那も主の雰囲気の変化に気づき、どんな指示が来るのかと耳を傾けた。


「紗那、正直俺は血を失いすぎてて、まともに動けねェ……身体能力だけならピカイチのあいつは連れ戻すのはちと厳しい」


 そこまで聞いただけで紗那は華院の言わんとすることを理解した。

 華院はルミがあの狂った人間に殺されかねないと危惧しているのだろう。すでに何人かの紅道家に関わる者たちがやられている。


「こんな事頼んでわりーんだがあいつを連れ戻せるか?」

「もちろんです」


 ただ頷いて見せた紗那に華院は感謝しながら、手のかかる妹に心の中でため息を吐いた。

 無事だった手でガシガシと頭を掻きながらぼやいてしまう。


「ったく、あいつは何考えてんだか」

「ルミ様が心配なのですね?」

「あ? そんなじゃ……何二ヤけてんだ」

「二ヤけてなどおりません」


 紗那はついつい緩みそうになった頬を引き締めた。

 何だかんだと言って華院は護衛の仕事を全てキャンセルしてルミを追っているため、ごまかしようが無かった。

 そう、彼は妹が心配で心配でたまらない根っからのシスコンなのだ。



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