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プロローグ

 人は生まれた瞬間から繋がる事を余儀なくされる。血の繋がりは身勝手に人を縛る。

 人でないモノもまた同じなのかもしれない。





 四月三十日 午後六時半頃 神木町、遊歩道

 とある地方都市にある林に囲まれた遊歩道。いつもなら散歩を楽しむ人がチラホラと見受けられる時間なのだが、ここ数日降り続く雨の所為か、パッと目につく人影は二つだけだった。

 二人とも雨だというのに傘を差していない。しかし、彼らの異様さの前ではそんな些細な事は問題ではないだろう。


「おいおい、もう追い駆けっこはお終いか? ルミ」


 ダークジーンズに黒革のジャケットという全身黒ずくめの青年は、唯一髪だけが真っ白だった。

  だが何よりも異常なのは彼の手に握られた巨大な鎌だった。その青年の身の丈ほどもありそうな巨大な鎌を青年は片手で支えていた。

 そして、漆黒のその鎌の刃先は道に座り込んだ少女の首元に当てられていた。

  青年の言葉を聞いた少女が悔しげな表情で歯を食いしばる。

  ゾクッとするような美貌を持つ少女だった。

  長い黒髪に雪の様な肌、そして血の様に紅い目。


「まあ、俺ももうダルくなってきたからな、大人しくしとけ。抵抗すんなら手足切り落とすぞ。どうせ治るしな」


 青年が美しい顔に冷笑を浮かべながら少女に警告する。手足を切り落としても死なないとは、普通の人間では考えられない事である。

 そう、彼らは普通の人間ではなかった。


「つーわけで……誰だ?」


 青年は突然視線を少女から離し、代わりに少し離れた所にある一本の木に向けた。




「(不味いな)」


 木の陰に隠れていた少年、今野緋志こんのあかしは心の中で毒づいていた。


「(くそ、あんな化けモンがいるなんて……)」


 緋志はたまたまこの現場に出くわした。美少女が巨大な鎌を持った男に襲われているというこの、漫画みたいな状況に。

  咄嗟に隠れたは良いものの緋志は行動を決めかねていた。

  このまま隠れていれば、確実にあの少女に危害が及ぶ。だが、飛び出せば自分が死ぬ。

  必死に状況に対処しようとしていた緋志はどうやら、気配の隠し方が甘くなったらしい。


「(なんで、こんな事になってるんだ……)」

 現状を認めたくないがために、緋志はここに至るまでの経緯を思い返していた。





 四月三十日 午前八時 神木町、千台高校一年三組

 朝の自習時間。いつもなら静かに自習をしている筈の生徒達は、席を立ち、何人かの集まりになって楽しそうに何かを話し合っていた。

 千台高校はこの地域では有名な進学校であり、彼らは基本的に真面目な生徒達だ。

  だが今日ばかりは浮かれてしまうのも仕方がないだろう。

  何故なら、今日を乗り切れば明日からはゴールデンウィークと言う名のパラダイスに突入するからだ。

 浮つく気持ちを抑えられず、生徒たちはようやく固まりつつグループのメンバーで休みの計画を練っているのだった。


 そして、数あるグループの中で教室の隅に集まっている男子二人女子二人が異様に目立っていた。まず女子二人がとても可愛い。

  間違いなくクラスでは五本の指には入るだろう。

 腕を体の後ろで組みながら立っている、桟納夏菜さんのうかなという名のポニーテールの勝気そうな大きな瞳が特徴的な少女は、何と言うか平均的な女子高生に比べて体の凹凸がはっきりしていらっしゃった。

  彼女はその容姿ゆえ、入学から数ヶ月が立つ今でもその姿を一目見ようと先輩が訪れたりする程の人気を誇っていた。

  ただ、彼女の素性により目の保養をさせていただく以上に踏み込もうとする男子はあまりいなかった。

  一線を踏み越えて勇気を振り絞り告白した強者も数名いたのだが、尽く本人の事情により跳ね除けられていた。

 もう一人の少女、はメガネを掛け短めに髪を揃えたいかにも真面目そうな少女で(実際風紀委員だ)名を山田舞やまだまいといった。

  彼女は涼し気な眼差しとキリッとした顔立ちから来る一種の風格を纏った少女だった。

 彼女もその鉄壁そうな雰囲気が一部の生徒から非常に人気がある。

 彼女たちはどちらも同じようにうさん臭そうな視線を窓にもたれ掛かる少年に向けていた。


「本当に大丈夫なの?陣」


 舞が疑う様にその少年に尋ねる。

 陣と呼ばれた少年は地毛だと言うツンツンに立てた金髪を掻きながらため息を吐く。


「何でそんなに信用ないかな〜。俺ちゃん」

「だってアンタいっつも金欠じゃない。それなのに遊園地のチケット代出すって言われてもね」


 舞の指摘に夏菜もうんうんと首を動かして肯定の意を示している。

 陣は言い返せないらしく唯一椅子に座っている少年の方に、助けてくれ、とアイコンタクトを送る。

 他の三人に比べて、視線を向けられた少年、今野緋志はいかにも普通の高校生、といった感じだった。

  別に髪の色がおかしいわけでも無く、イケメンと言えるほどカッコいいわけでも無く、男なのでもちろん胸も膨らんでいない。(膨らんでいても女子と違って別にどうでもいい)


「まあ、俺も半分出すからさ。いざとなっても、どうにか出来る位には金溜めてあるし」


 緋志がそう言うと、夏菜がワザとらしく手を打ちながら


「なら安心ね!」


  ニッコリと微笑みそう言った。

  舞も追い打ちをかける様に、陣に向かって冷ややかな視線を向ける。


「陣もこれ位の信頼を貰える様に努力したらどうかしら? 」


 舞の一言に言い訳がましく陣が反論する。


「だってしょうがねーだろ? 緋志と違って俺はバイトの度に追加出費が…あ。」


 そして、熱くなってうっかり口にしてはならない事を言ってしまった。

 案の定、事情を知っている舞の表情が曇る。

  夏菜は四人の中で唯一、陣と緋志のバイトの事を知らないが、舞の雰囲気が変わった事に気づき、陣に尋ねる。


「そういえば陣と緋志のバイトって何なの?あたし聞いたこと無いんだけど。」


 またしても、ヘルプを要求してくる親友に、心の中でヤレヤレと首を振りながら緋志が誤魔化しに掛かる。


「ああ、まあ珍しいかもしれないけどな、探偵事務所の手伝いしてるんだよ」

  「手伝い?」

  「その、なんて言うか……雑用(・・)、みたいな」


  あれのどこが雑用なんだよ、と緋志は自分に自分で突っ込みを入れたかったが、建前上はそういう事になっていた。

  緋志の言葉に夏菜は再び首を傾げた。


「へー。でも何で追加出費がでるの?」

「それは、陣がアホだからだよ」

「あーなるほど」


 どうやら、うまい具合に、依頼人からの苦情などが来て給料が引かれていると勘違いしてくれたらしい。

  陣としては反論したい所ではあったが、今は緋志のフォローに黙って感謝するしか無かった。

  これで緋志と陣のバイトは、ちょっとした用品整理とか人手の居る作業の手伝いだ、と夏菜は勘違いしてくれたのだから。

 もちろん事実は違う。そもそも二人は普通の探偵の仕事など数える程しかやった事がない。


「そろそろ別のバイトに変えた方が良いんじゃないの?」


 しかし、事情を知っている舞の方はそう簡単には行かないようだ。

「いやでもな〜」


 陣が困った様な顔を浮かべて緋志の方をチラリと見るが、緋志としても舞が結構真剣に提案している事を知っている為、何となく話を逸らし辛い。

 と、万事休すな男二人に救いを差し伸べたのは夏菜だった。


「あら、舞。あんた何でそんなに陣たちのバイトに拘るのよ?」

「そ、それはただ条件があんまり良くないなら別のバイトを探した方が良いんじゃないかなって思っただけよ」


 舞はやや早口になりながらそう答える。夏菜はそんな友人の反応を見てニヤリと笑うと


「ふーん。ま、あんたってお節介だからね、(特に陣に対して)」

 後半は舞の耳元で彼女だけに聞こえる様に囁いたセリフだ。舞は一瞬顔を赤くしたもののここで反論すると相手が面白がるだけだと分かっている為、大人しくする。

 緋志と陣は理由は分からないがとりあえず舞が収まってくれた様だと理解し顔を見合わせてホッと息を吐いた。

 緋志はダメ出しのつもりで


「ま、まあ今回チケット代を肩代わりできるのだってそのバイトのおかげなんだし」


 しかし、夏菜は何でもない様に


「うーん。でもぶっちゃけ四人分のチケット代ぐらいだったらあたしのお小遣いひと月分で余裕なんだよね。舞じゃないけどホントにそのバイトって払いが悪いんじゃない?」


 とサラリと言ってのけた。

  他の三人はこの言葉に苦笑を浮かべ、陣が代表して思った事を伝える。


「イヤイヤ、そりゃオメーの家だけだって」

「ふーん……」

「ふーん、って。ホントに自覚が無いな、このお嬢様は」


 ゲンナリした様子で陣が呟く。

  これは冗談でも何でもなく、実際に夏菜の家はこの地方で有名な名家、だったのだが最近では夏菜の父親の手腕により全国でも有名な資産家となっていた。

 そして、生粋のお嬢様である夏菜は少しばかり一般人とは異なった感覚も持っている。

  今年で三年の付き合いになる彼等だが、今でも夏菜の突拍子しも無い行動や言動に驚かされる事は多かった。


「というか夏菜!あなた人にあんな事言っといて自分も同じこと言ってるじゃない」


 さっきの事を根に持っているらしい舞が眉間に皺を寄せながら夏菜に詰め寄る。


「あはは、まあまあ」


 夏菜は笑って誤魔化そうとする。すると、舞は一転して楽しそうな笑みを浮かべ


「あ、そっか。あなたまだ緋志君を自分家の使用人にするって話を…」

「その話はもうやめてってば!」


 夏菜が真っ赤になりながら叫ぶ。それを見て舞は満足したらしくゴメンゴメンと言いながら夏菜の頭を撫で始めた。


「ああ、あの大胆女王様発言か。懐かしーな」

「陣、黙りなさい」

「……うっす」


 地獄の底から響いてきたような声に圧倒されて、陣はすぐに黙り込んだ。

  しかし、一番の当事者である緋志は首を捻ったままだった。


「なあ、前にも聞いたけど、何で俺なんかを使用人にしたいんだ?」

「い、いや、それはその…」


 夏菜は何故か赤くなって俯いてしまった。

  自分で自分が恥ずかしいのだろうか?と緋志は考えたが、実際は緋志に、彼を使用人にしようとした理由を言うのが恥ずかしいからである。

  つまり緋志を使用人にするという事については一切は恥じらいが無い。

  そこはもう、彼女が彼女たる証明の様なモノなので、これ以上は触れないでおこう。


「ま、まあ、もう良いじゃない、昔の事なんだし」


 舞が友人の窮地を見かねてそう声を掛ける。

  元はと言えば彼女の反撃が原因なので、このまま見過ごすのは尚更気が引けたのだ。


「ん。まあそうだな。でもさ、ちょっと興味出てきたんだよ、夏菜の家の使用人って」

「ふえ!?え、な、何で?」

「だって夏菜の使用人って事は夏菜の近くで働けるって事だろ?」

「そ、そうだけど。それがどうしたのよ?」


 夏菜は意志力を振り絞り、いかにも何でもない様に尋ねる。が、陣と舞には夏菜と肉食獣が重なって見えていた。


「そりゃ、メチャメチャいい仕事じゃん」

「はう!?」

「楽そうで」

「は?」

「だって知ってる奴の近くで働けるんだったらあんまり緊張しなくて済むし。それに、勧めてくるからには給料もいいんだろ?」

「まあ、それなりに……」

「だったら、結構いい条件の仕事じゃないか?」

「そうね……」

「まあ、今のバイトが気に入ってるから鞍替えはしないけどな。」

「そう……」


 結局変えないのかよ、という突っ込みは誰からも出なかった。

 陣と舞は無言で憐みの籠った眼差しを夏菜に向けていた。

  確かに夏菜はちょっと、どころか割とおかしい。

  天然ボケは炸裂させるし、緋志へのアプローチも一周回ってギャグじみている。

  しかし、さすがに悲惨だった。同情したくもなる。


「えーと、集合場所とか決めてなくね? どうするよ」


 場の空気を読んだ陣が必死に話題を戻す。

  幸いにも、緋志が素直に話に乗っかってくれた。


「んー現地集合で良いんじゃないか?」

  緋志は自分達の自宅の位置関係を考え、そう提案した。


「でも結構遠いだろ。電車に乗らなくちゃいけないし。集合時間とか決めにくくないか?」


  しかし、陣はスマートフォンで地図アプリを起動させながらそう言った。

  目的の遊園地に行く為には神木町から山を一つ超えて隣町へと入らなくてはならないのだ。

  その距離を考えると当然の意見だった。

  とはいえ、目的地から反対方向から駅に来なくてはならない夏菜や舞の事を考えると無駄がある気もする。


「私は家から車で行けるからけっこう柔軟に時間あわせられるわよ。舞も途中で乗っけてくし」

「ありがと、夏菜」


  結果、執事による送り迎えという夏菜のお嬢様スキルにより結論は出ることとなった。


「じゃ、俺と緋志は電車で行くか。時間はまた後で決めて連絡すっから」

 と、大体の話し合いが終わった所で夏菜は思い出した。


「あ、私予習終わってなかった! 不味い…」


 一時間目は恐怖のサタン(広岡先生三十二歳)による数学の授業だ。

  それなのに予習が終わっていないというのは由々しき事態だ。夏菜は慌てて自分の席に戻っていく。

  彼女の実力では授業が始まるまでにカタをつけられるかは非常に怪しかったが。


「というか、そろそろホームルーム始まるんじゃないか?」


 緋志がそう言うと、舞が頷き口を動かす。


「そうだね。あたしもそろそろ席に戻ろ…っつ!?」


  しかし、セリフを言い終わる前に彼女に異変が起きた。

 ほんの僅かに顔を歪めた舞に気づき、陣が心配そうに声を掛ける。


「いつものか……?」


  緋志と陣にとっては見馴れた光景、ではあるのだが見る度に胸が締め付けられる様な苦しい感触が二人を襲う。

  しかし、二人に心配を掛けたくない舞は気丈に笑顔を見せる。


「う、うん。何だか少し嫌な感じがして……」


 顔色も悪くなってきた舞に緋志も気遣う様に声をかける。


「保健室行くか?」

「ううん。そこまでじゃないから、アリガト、緋志君」


 舞は微笑みながら首を横に振ると、ゆっくりとした足取りで自らの席に向かって行った。

  隣の席の夏菜が舞に声を掛けたのを横目に見ながら、陣が先ほどとは打って変わって真剣な表情で緋志に話しかけた。


「なあ、これってあいつの霊感に何か引っ掛かったんだよな。てことは、校内に?」

「いや」


 陣に応える緋志の目はどこにでもいる高校生の物とは到底思えない冷たい光をたたえていた。

「お前は何も感じないんだろ?」

「ああ……つーことは……」

「ああ、遠くに居ても舞のアンテナに引っかかるぐらいの結構な大物が町に入り込んだみたいだ」


  陣は緋志の推測にグッ、と一瞬言葉を詰まらせた。

  昔から陣は彼女が体調を崩す度に言っているセリフをリピートした。


「……放課後、麗子さんのとこ行こうぜ。全く世話かけさせやがって」


 麗子さん、とは緋志達の雇い主であり、『鎖間那探偵事務所』の所長であり、そして、おそらくこの町で最高の魔術師(・・・)だ。


「そうだな、このままじゃ舞が辛いだろうし。ホント、お前は優しいね。」


 陣の言葉にニヤリと笑って頷く緋志は地味な高校生に戻っていた。




 四月三十日 午後六時半頃 神木町、遊歩道


「そこに隠れてんのは分かってる、とっとと出てこい」


 その、声で緋志はハッと我に返った。

  どうやら、緊張のあまり意識が現実から目を背けていたらしい。


「(くそ、陣の用事が終わるまで待ってれば…)」


 咄嗟にそう考えて、すぐに自分で否定する。

  とてもではないが、目の前の明らかに只者では無い雰囲気を纏っている男を陣と自分の二人だけて倒せるとは思えなかった。

  きっと、少女を逃がす事すら出来ず殺されるだろう。

 そう今現在、緋志は過去に類を見ない程の緊急事態に直面していた。

  このままでは、自分の人生がここで終わる。


「(そもそも、あいつは何なんだ?赤い目…鬼の一種か?でも、完全な人型なんて聞いたことが……)」


  必死に頭を回転させる緋志だったが、彼の耳に残酷な言葉が届き、彼は歯を食いしばる事となった。


「聞こえていないのか?ふん、まあいいか。俺が寛大な心で猶予を与えてやったのにそれを無視しやがったんだ………死ね」

「っ、逃げて!!」


 少女が叫ぶのと同時に、男の目の前に巨大な火球が生み出された。そして、緋志が隠れる木に向かい、それが放たれた。


「……腹くくれ!」


 同時に緋志が叫びながら飛び出した。

 次の瞬間、バシュッ、というガスの抜けるような音がした。


「あ?」


 男が驚きの声を上げる。少女もポカンとして居るようだ。

 木の陰から飛び出した緋志がどこからか取り出した小太刀で火球を切った、いや消し飛ばしたからだ。

 魔術を魔術で相殺するのなら、魔術師の間では珍しい事ではない。しかし


「(あのガキ、魔術を使ってねえな)」


 ならば、小太刀の方に何か仕掛けがあるのだろうか? と、男は冷静に緋志を観察する。


「(あの刀は―――妖刀だな。だが、魔力を纏ってるだけで特別に魔術的な付与効果がある訳じゃなさそうだ)」


 そもそも、男の優れた知覚能力を持ってしても、緋志から魔力を感じる事が出来ない。

  退魔師であるなら、最低限、肉体強化の魔術ぐらいは使うはずなのに。


「(つまり、退魔師じゃねーが、タダのガキでもない訳だ)おい、そこの人間。死にたくなかったら失せろ。正直、テメーみてーなカスなんざ………」


 殺す価値もない、そう言おうとした男はセリフを最後まで言い切る事が出来なかった。

 パチャンという何かが落ちる音がした、それを認識した途端、男の体に激痛が走ったのだ。

 あまりの痛みに男は堪らず雄叫びを上げた。


「があああああああああああああああ!!!!!」


 地面に落ちたのは男の右腕だった。いつの間にか男に肉薄した緋志が一太刀で切り落としたのだ。

 さらに、緋志は素早く体を回転させ、鋭い回し蹴りを男の胴体に見舞った。ダメージは無いようだが、衝撃で男の体が吹き飛ばされる。

 緋志は反動を利用して男と距離をとると小太刀を構えた。

「調子に、乗ってんじゃねえぇぇッッ!!!!」


 怒りの声と共に男が詠唱なしで魔術を放つ。肉眼では見えない、真空波の刃が緋志を襲う。

  だが、緋志はまたしても、今度は見えないはずの男の魔術を斬り捨てた(・・・・・)

 そこで緋志は僅かに体を逸らし、事態を把握できずにいる少女に向かって叫んだ。


「何してるんだ!早く逃げろ!!」


  その一瞬が命取りとなってしまった。


「くそがッ!!!一体何モンなんだテメーは!!!!!」


 やぶれかぶれに、男が鎌を横なぎにした。

 ヒヤリとする感覚が緋志を襲った。


「しまっ……」


 緋志の体が、刃が触れてもいないのに、あっさりと切り裂かれ、大量の血と共に地面に倒れた。

  華院は一瞬、何が起こったのか彼自身理解出来なかったが、どうやら斬撃の余波で目の前の少年を切り伏せたらしい、と気付き鎌を下ろした。


「チッ、やっぱ肉体強化系の術は使って無かったか」


  緋志の蹴りは人間の視点から見れば武道家のそれだったが、魔族あるいは退魔師から見れば只の蹴りだった。

  しかし、只の人間の学生がそれ程の技能を会得している事自体が異常だった。

  華院は腕の痛みに顔を顰めながら、思考を整理しようとした。


「退魔師じゃねーのに妖刀を持ってる、しかも学生。さらに魔術を斬る技を使う。マジで何もんなんだこのガキは…」


 男は地面に落ちていたはずの腕を探したが、どうやら、まだ夜では無いため灰になってしまったらしい。

  一応人ならざる男にとっては致命傷では無いのだが、腕一本再生するのにはそれなりに時間が掛かってしまう。


「まあ、いいかどうせ死んだしよぉ……ってルミの野郎どこ行きやがった!?」


 どうやら戦闘のどさくさに紛れて逃走したらしい。男が鎌から手を放すと、巨大な鎌は一瞬で形が崩れ消え去った。


「ハッ、他人を囮に逃げてるようじゃ人間としては生きてはいけないぞ、ルミ」


 男は誰にともなく呟くと、ケータイを取り出して紗耶という人物に電話を掛けながら町とは反対方向に歩いて行った。


 ――やっちまった


 むせ返るような血の匂いがする。緋志は傷口を触り、手のひらを見てみた。


「はは、真っ赤だ――」


 内臓は傷ついていないようだが、この出血量では死ぬのは時間の問題だろう。

 痛みのせいで体を動かす事も出来ない。

  それなのに、緋志は不思議と落ち着いていた。いつか、こうなる事を覚悟していたのかもしれない。

  退魔師の子供として育てられていた、あの家にいた時から。


「(せっかく家出たのに、結局バイトはそっち絡みだもんな、俺)」


 『血』に縛られるのが嫌で家を出たというのに、結局魔族に殺されて死ぬとは。

  やはり逃げられない運命だったのだろうか?

 そこまで考えて緋志はふと、先ほどの女の子の姿が見えないことに気が付いた。

「(良かった、逃げられたみたいだな……最後にあんなかわいい子の役に立てたなら、男としては最高の死に方、か………)」


 緋志の視界に映る雨空が霞んできた。

 おそらく『眼』を使った代償だろう。

 それとも、そろそろ時間切れなのか。

 自分の体が冷たくなっていくのを感じながら、緋志の意識は闇の奥へと沈んでいった。

 


 華院が去り、緋志の意識が無くなって数分後、林の中から少女は姿を現した。

 少女の頬には雨とは違う透明な液体が流れていた。

 地面に横たわる緋志に歩み寄り、ガクリと膝から崩れ落ちる。

 自分のせいで、無関係な少年の命が奪われてしまったという事実が彼女の胸を締め付ける。

 罪悪感に押しつぶされそうになり、彼女は自己嫌悪に浸りながら呟いた。


「ごめんなさい、ごめんなさい………」


 泣きじゃくりながら、少年への謝罪の言葉を口にする。

 何故、あの時自分は少年を庇うことが出来なかったのか、少女は後悔した。

 せめて彼にしてやれる事は無いだろうか、と緋志に視線を送り、ようやく気が付いた。


「っ………!!」


 僅かだが、胸が上下している。

 咄嗟に手を広げ少年の口元に持っていくと、微かだが確かに呼吸をしている事が分かった。

 この少年は生きている。

 ならばまだ助けられる。

 少女の胸に一筋の希望が沸いてきた。

 彼女は近くに落ちていた緋志の小太刀を手に取ると、右手の人差し指に僅かな傷を付けた。

 そして、その指を少年の口元へと運びながら必死に声をかける。


「お願い、コレを飲んで……!」


 しかし、意識の無い緋志は反応を示してくれない。

 このままでは少年が死んでしまう、自分の危機を救ってくれた恩人が。

 少女は迷う事なく、人差し指を口に加えた。

 そして十分な量の血を口に含むと、緋志に覆い被さる様にして彼の顔に自分の顔を近づけた。

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