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孫一物語  作者: 水沢佑
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② 天王寺の激戦

 その後数度の小競り合いと和睦を経て、1576(天正4)年4月、明智光秀らが石山を包囲します。

 これに対応して本願寺は再び雑賀衆の来援を要請し、また各地から兵を集め前面衝突に備えました。

 本願寺はほかの寺と違い僧兵を持たず、軍事力は門徒の義勇軍と傭兵に頼っていました。その中でも精強な雑賀衆、とりわけ一向宗徒である雑賀荘と十ヶ郷の将兵は本願寺勢の中核的な存在でした。

 彼らの援軍なくば「当寺は相果つること必定に候」(我々は滅びてしまうしかない)と顕如が書くほど、雑賀の武力は重んじられていたのです。

 さて、5月に入り明智光秀は手勢を動かし、本願寺の海上補給路を断つべく木津の港に押し寄せます。

 ところが本願寺勢は1万以上の大軍を出してこれを撃退し、勢いに乗って敵方の砦を攻撃します。


 孫一は的場(まとば)源四郎、佐武(さたけ)伊賀守に命じて三津寺に伏兵を敷かせ、通過する織田勢を撃破し敵将・原田直政を討ち取る手柄を立てました。



 一方、要衝・天王寺砦まで危機に晒されているのを見てとった信長はわずかな供回りを引き連れて京都より出陣します。

 砦を包囲する本願寺勢は1万5千、対して信長のもとに集った兵は3千。防御を固めることを進言する家臣たちを尻目に信長は包囲陣に突入し、砦への入城に成功。翌日、取って返す刀で出撃し、激戦を交わします。

 孫一は信長を狙撃して負傷させたものの、思わぬ反撃に混乱した本願寺主力はさんざんに破られ石山に逃げ込みました。

 信長の「猛将」としての一面が見える合戦です。


 信長方の記録によれば本願寺勢の将兵2千6百を討ち取り、後日京都にて孫一のものと称する首が晒されています。



 しかし陸で完勝した織田軍ですが、海では完敗します。

 7月、石山に兵糧を運び込む毛利水軍の前に九鬼嘉隆(くきよしたか)率いる織田水軍は手も足も出ず撃破されてしまうのです。

 かろうじて補給路を維持した本願寺は、以後は石山の要害にたてこもって持久戦の構えを見せました。

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