第七章 朝鮮出兵
虎姫は盛政の親類に当たる新庄直頼の養子となることが決まり、近江国に移ることとなった。新庄直頼は秀吉に仕え、賤ヶ岳の戦いでは近江坂本城の城代として守備に当たっていた。城下に仮の屋敷を持ち、虎姫はひとまずそこで暮らしている。
直頼は人柄が温厚で虎姫に対しても寛容であり、すぐ屋敷を飛び出して城下町へ行く姫に、良い顔はしないながらも咎めようとせず、作法を押し付けもしなかった。琵琶湖に面したこの町はたちまち虎姫の気に入るところとなった。
「トラ、とーちゃんがいなくなってしまったのは悲しいけど、後悔とか心を痛めるとかいう気持ちはない。やっぱりとーちゃんは虎の誇りだ。虎もあのように武人として立派な最期を迎えたい」
穏やかな湖を眺めながら虎姫は言う。目に力がこもる。
「生きていた時はとーちゃんは虎の憧れであったが、死んだ今はっきりとした目標になった。虎もひたすら忠義を尽くし、武人として納得いく生涯を送るのじゃ。そして、虎はもう二度と泣かん。生涯で泣くのはあれっきり、もうおしまいじゃ」
「虎姫様……。でも忠義を尽くすって、どなたに尽くすんですか。盛政様は亡くなられたわけだし。そういえば盛政様がお婿さんを決めてくれたんでしたね。そのお婿さんに尽くすんですか」
途端に虎姫の目から力が抜け、心細そうにトラを見る。
「うむ、それなんだがのぉ、トラ。とーちゃんが認めた男だ、疑っているわけではないんだけど……。その、やっぱり不安での。虎が忠義を尽くすに相応しい人物なのであろうかの」
「それは会ってみないとなんとも言えませんねぇ」
「むう、他人事じゃの。そもそも夫婦になるというのが不安で仕様がないのじゃ。トラ、何か良い助言をしておくれ」
「私だってなったことないから分からないですよ。周りにちゃんと教えてくれる腰元の方とかいらっしゃるんだから、そちらに聞いたらいいじゃないですか」
「だってあの者らに聞いたらすぐ作法がどうとか言うんだもん……」
トラは軽く溜息をついて中空に向かってしゃべり出した。
「虎姫様の不安を軽くしてあげることできませんか、トチガミさん」
“大丈夫ですよ。夫となる秀成様はご立派な方です。武に秀でているわけではありませんが、公にあっては智勇兼備の良将として家臣の信頼も厚く、家庭においては優しく良い夫として、惜しみなく家族に愛情を注いでくれる素晴らしいお方です”
「……なんかのろけてません?」
“そ、そういうわけではないですよ。とにかく取り越し苦労です。虎姫も必ず慕うようになりますよ”
「そうですか。虎姫様、神様もお婿さんは立派な方だと言っていますので、大丈夫ですよ」
「そ、そうか。ならば虎も余計な心配はしないとしよう」
虎姫とトラは再び町に戻り、日が完全に沈むまで散策を楽しむのであった。
六月も半ばを過ぎた頃、虎姫は直頼に伴われて坂本城に赴いた。普段の軽装と異なる派手な着物を身に付け、窮屈そうに歩く虎姫。到着した広間で正座して待つ二人の前に現れたのは秀吉であった。
秀吉は盛政の処刑後、抗戦を続ける滝川一益を討つために伊勢国に軍を進め、およそ一ヶ月に及ぶ攻城戦の末降伏させて凱旋する途上にあった。
なおこれに先立ち、美濃国の織田信孝は勝家が敗れた直後に降伏し、尾張国野間に送られた後自害させられている。これらによって賤ヶ岳の戦いは完全に決着し、秀吉は織田家中をほぼ掌握したのである。
秀吉は直頼の城代としての役目を労り、自身の馬廻りとして仕えていた頃の苦労や世間話などをひとしきり楽しそうに話した後、その直頼を退出させた。虎姫は一人で秀吉と正対することになった。
「そちが盛政の娘虎姫か。なるほど、父に似て精悍な顔つきじゃ」
引き廻しの折に、虎姫が盛政の下へ歩み出たことは特に覚えていないようである。秀吉は無遠慮に虎姫を正視し、虎姫も口をつぐんだまま秀吉を見返す。少し沈黙が続いた後、秀吉が口を開いた。
「虎よ、この秀吉が憎いか」
虎姫は意表を突かれて思わず目を見張った。秀吉は眉一つ動かす様子もなく見据えている。
「そちにとって予は親の仇。憎むのが当然であろうと思うのだが、どうじゃ」
これを問う秀吉の意図は虎姫には分からなかったが、質問に対する回答はすぐできる。虎姫は正直に答えた。
「羽柴様を恨みに思うような気持ちはございませぬ。とー……、父は武人の本懐を果たし、立派な最期を遂げました。敗れてしまったことは非常に残念で悔しく思いますが、勝敗は兵家の習いでございます。それで相手を恨むという気持ちは抱きませぬ」
聞き終えると秀吉は愉快そうに笑った。
「なるほど、似たようなことを言いおるわ。さすがはどちらも武人の子、必ず良い夫婦になるであろう」
秀吉は侍従を呼びつけ、指示を与えて下がらせた。程なくして侍従が一人の若者を連れてきた。虎姫のすぐ隣に正座した若者は秀吉に深々と頭を下げる。
「虎よ、これなるは中川清秀の次男 秀成じゃ。盛政にの、そちと秀成を結ぶよう頼まれてあるのでな。予が仲立ちしてやるゆえ、すぐに嫁ぐがよい」
虎姫は唖然として秀成を見た。
「と、とーちゃんが決めてくれた相手とは、中川清秀殿のお子だったのか……」
小さく声に出してまじまじと婿を見つめる。秀成はなんとなく照れくさそうである。
「秀成はの、自分が慕う父を倒した盛政を、父に勝る勇将として尊敬すると言いおった。予も盛政もそれに感銘を受けてな。予は一度京へ戻ってそれから大坂に向かう。京にいる間に祝言を挙げるからそのつもりでな」
展開の速さに付いていけず虎姫は目を丸くしたままである。構わず秀吉は続ける。
「さて、ここだと自由に話もできんであろう。予のほうは以上であるから、二人とも下がってよいぞ」
内容を呑み込まないまま虎姫は頭を下げて秀成と共に広間を出た。城外へ向かう間も無言で、肩を並べたまま城門をくぐる。門前ではトラが待っており、虎姫の足元まで歩み寄って一声鳴いた。虎姫はハッと我に返った。
「秀成殿」
「はい、虎殿」
「これから我が家に寄らぬか。話したいことや聞きたいことは山ほどあるのじゃ」
「はい、喜んでお供します」
秀成は優しく微笑んだ。虎姫の顔には笑顔がないが、これは無理にそういう表情にしているのであろうとトラはかんぐった。
「あの方がお婿さんですか。確かに優しそうでいい感じの人ですね」
“……様”
「ちょっと、トチガミさん、聞いてるんですか」
“あ、ええ、はい、聞いてますよ。本当に優しい方です”
「それでですけど、私は秀成様にしゃべれるってことばらしてもいいんですか」
“ええ、構いませんよ。虎姫の婿ですからね。知っておいてもらったほうが便利でしょう”
屋敷に戻った虎姫と秀成は、座敷に上がって早速話を始めた。
「そなたの父上とうちのとーちゃんの腕は、それは甲乙つけがたいものであった。あの時はとーちゃんが勝ったが、もしもう一度戦えばどちらが勝つか分からぬ」
「虎殿も側近の方によく話を聞かれたようですね」
「いや、この虎自身がその場で見たのじゃ」
「なんと! 虎殿はあの戦に参陣しておられたのか」
「うむ。とーちゃんと虎は大岩山砦まで攻め入り、中川殿と戦った。中川殿は寡兵なれど退こうとせず、自身先頭に立って勇敢に戦われた。もしあそこで中川殿が戦わずに退いていたら、秀吉が到着する前に敵の後陣まで攻め入れたかもしれん。虎にとっては口惜しい限りじゃが、あの奮闘があったからこそ秀吉は勝利を掴めたのかもしれぬな」
秀成は真に嬉しそうである。
「そうですか。父は武士の本分をしっかり果たしたのですね。家臣にも聞かされておりましたが、改めて実感できました。私も是非その場に立ち会いたかった。まぁ、そうなれば討死して今この場にはいないでしょうけど。それにしても、佐久間様の傍にあってあの戦をくぐり抜けるとは、虎殿はよほど武勇に優れておられるのですな」
「ふっふっふ、並の男よりは強いぞ。一手立ち会ってみるか」
「い、いえ、私は武勇のほうは人並み以下で。それにしても、それほどの死闘を繰り広げた二人の子が夫婦になるというのは、やっぱり変ですかね」
「そのようなことはないと思う。とーちゃんも中川殿も、それぞれ武士としての生き様を貫いた。敵味方に分かれて戦ったのはそれぞれの主君に忠義を尽くしてのこと、二人に遺恨があったわけではない。虎はとーちゃんを誇りに思っているし、中川殿を尊敬してもいる。そなたも自分の父とうちのとーちゃんを尊敬してくれている。であれば親のことを煩う必要などどこにもない。後は当人同士の問題だが、虎はとーちゃんを信じている。とーちゃんが決めた相手なら何の問題もない。よって秀成殿一人の心次第じゃ」
「わ、私もまったく異存なぞございません」
「それならば問題は全てないということじゃ。素晴らしい良縁じゃ」
虎姫は楽しそうに笑った。秀成にとっては初めて見る笑顔である。
「そうですか、それを聞けて安心しました。私も良き夫となれるよう、精一杯励みますゆえ、よろしくお願いします」
「こちらもよろしく頼む。あっ、そうだ。秀成殿が婿になられるからには、是非知っておいてもらわねばならぬことがある」
「はぁ、何でございましょう」
「トラ、おいで」
座敷の隅で二人の会話を聞いていたトラが寄ってくる。
「これはの、虎の兄弟で、名前もトラじゃ」
「初めまして、秀成様」
瞬間に秀成は思わずのけぞり、驚愕の眼差しをトラに向ける。
「しゃ、しゃべった。猫がしゃべった」
「このトラはの、猫の姿をしておるがどこかの神様の使いだそうじゃ」
「か、神の使いですか。それは恐れ多い。虎殿は神様に護られているのですか」
「そのような大したものではない。横で何やかやとしゃべってくるだけじゃ」
「だ、だけって失礼ですね。虎姫様のことを思っていろいろ心を砕いているんですよ。ちょっとは秀成様を見習って感謝してくださいよね、エッヘン」
「……そういうわけで、このトラとも仲良くしてやっておくれ」
「わ、分かりました。それにしても、虎殿とトラ殿、名前が同じというのは、その、呼びづらいですな」
「私もそう思いますよ。本当に今さらなんですけど、なんで一緒の名前にしちゃったんですか、ややこしい」
「うむ、若気の至りじゃ、許せ。だが虎はトラと呼ぶのを変えるつもりはないぞ」
「盛政様は私のことをアヤカシと呼んでらっしゃいましたよ」
「なるほど、では私もそう呼ばせていただきましょう。よろしくお願いします、アヤカシ殿」
「よろしくお願いいたします」
秀成とトラは同時に頭を下げた。横の虎姫は満足気である。
「よし、では三人で互いの父の話をしよう。日が暮れるまでまだ時間がある」
こうして夜が更けるまで話の種は尽きず、三人は楽しく語らうのであった。
八月、京において秀成と虎姫の祝言が挙げられ、二人は夫婦となった。当人らは言うに及ばず、仲介した秀吉もご満悦で、京にある秀成の屋敷には盛大な贈り物が届けられた。秀成の兄、中川家当主となった秀政も二人を祝福し、虎姫に対して盛政の武勇とその最期を讃えた。だが、この婚姻は周囲の者全てを喜ばせたわけではなかった。
秀成の母 性寿院は、祝言の席で取り乱しこそしなかったものの、虎姫を露骨な怒りと嫌悪感で睨み付けていた。
彼女の頭の中では夫をあの女の父に討たれ、息子をあの女に奪われたという事実のみが肥大していく。自分が愛して止まない二人を、あの父子が切り離してしまったのである。憎んでも憎みきれない思いであった。
そしてまた、中川家の家臣達も大部分は心中が複雑であった。彼らにしてもやはり虎姫は敵の娘という観念が残る。これが明らかな政略結婚ででもあればまだ納得できたのであろうが、秀吉が強く望んだということ以外に彼らを頷かせる要素がない。
それらによって性寿院と家臣達は、式を終えるとさっさと秀政の領地である摂津国茨木に帰ってしまった。それでも、秀成は虎姫と京の屋敷で夫婦生活を始めた。二人の仲は猫も羨むほど、とトラが皮肉るくらい、それは円満なものであった。
時は流れた。
秀吉は大坂城を築き上げるとそこを本拠地とし、天下統一へ向けて留まることなく征伐を続けていった。天正一三年(一五八五年)には紀伊国及び四国を攻略し、更に旧織田家臣の中で最後まで抵抗を続けていた越中国の佐々成政も降伏させた。天正一五年(一五八七年)にはおよそ一年に及ぶ攻防の末、島津家を降伏させて九州征伐を完了した。
そして天正一八年(一五九〇年)に関東へ出兵、小田原攻めを行い北条家を降伏させると共に、伊達政宗を筆頭とした東北の諸大名に恭順を誓わせ、ここに秀吉の天下統一はほぼ完成されたのである。
この間、中川家当主である中川秀政は各征伐軍に属して各地を転戦し、その戦功によって摂津国茨木五万石から播磨国三木十三万石に加増移封された。家臣達も父の名に恥じぬ勇将ぶりと讃えたものである。
一方弟の秀成は、兄が戦に出向いている間は城の留守居を任され、兄が城に戻ってくれば京の屋敷に戻るといった具合で、戦に行くことはなかった。
自然虎姫も戦に行く機会がなく、この夫婦は世の動きから見事に外れたように平和な生活を営んでいた。そして虎姫は無論それが不満であった。
「まったく! 虎がここでのんびりしている間に、敵という敵はみんな秀吉に倒されてしまったではないか。これでは武人として生きる楽しみがない。どうしてくれるのじゃ!」
「私に言われても困りますよ。世の中が平和になるならいいじゃありませんか。もう虎姫様もいい年なんですから、いつまでも刀振り回していないで、いい奥さんになることでも考えてください。この京の町でも所構わず暴れるんだから。町人から『巴御前の再来だ』とか言われてますよ」
「名誉なことではないか」
「もうちょっと落ち着いて行動してくださいと言っているんです。そんなやんちゃばっかりしてたら、秀成様にも迷惑かかるかもしれませんよ」
「それは虎も秀成殿の役に立ちたいといつも考えているけれど、虎は向こうの母君や家臣に嫌われておるからのぉ。こうして秀成殿が城に出向くのを付いて行くこともできん。これでは手助けもできんし、トラの言ういい奥さんとやらにもなれんではないか」
「むむ、それは確かに……。ねぇトチガミさん、虎姫様が姑さんと仲良くできるようにする方法ないですか」
“そこは諦めてください”
「結論早っ! ま、まぁとにかく、戦がなくなって平和になったのを喜ぶ気持ちを持ちましょう。そうすれば心に余裕ができて、そのうち姑さんとも仲良くなれるかもしれませんよ。それに、今平和であってもいつ戦が起こらないとも限らないじゃないですか。今を大切にして、平和な時には平和な心を持つことです」
「つまらんのぉ」
虎姫はふてくされて横になった。今日は出かけるつもりはないらしい。トラはやれやれと呟いて虎姫に近づき、背中を合わせて昼寝を始めた。
天下を治めた秀吉は、明国の征服を最終目標として、朝鮮への軍事行動を開始した。かねてより明国への進出を計っていた秀吉は、九州征伐完了後配下となった対馬の宗氏を介して、朝鮮が日本に服属するよう交渉していたのである。
だが対馬は元々朝鮮との貿易で経済が成り立っており、秀吉の命令はそれを崩してしまうものであったため宗氏は苦悩した。
結局長い交渉の末、日本国統一を祝賀する通信使として朝鮮の使者を招き入れ、聚楽第で秀吉と引き合わせる運びとなった。ただし宗氏は、秀吉にはこの使者を服属使節だと偽って報告していた。
秀吉は朝鮮に対して明国進出の道案内や兵、物資の補給、拠点の確保などを要請した。だが明国に許可をもらって王を立てている、いわば明国に半ば従属している朝鮮がそのような注文に応えるはずもなく、この会見は見事に決裂した。憤激した秀吉は明国の前に朝鮮を、武力をもって征服すると決めた。
文禄元年(一五九二年)四月、肥前国名護屋城に集結した諸大名の軍勢は朝鮮に向けて出航し、釜山に上陸して戦闘を開始した。大量に投入した火縄銃による火力の差、そして何より朝鮮軍が日本軍の侵攻を本気で考えておらず、迎撃準備を怠っていた点が大きく物をいい、各処で日本軍は勝利を重ね、瞬く間に釜山一帯は占領された。
翌月には北進して朝鮮の首都 漢城を落とし、さらにその北西に位置する旧都 開城も陥落した。まさに破竹の勢いである。
そして漢城を拠点として朝鮮八道(平安道、咸鏡道、黄海道、江原道、忠清道、全羅道、慶尚道、京畿道)を武力制圧することと決め、各部隊は八方に進軍し、行く先々で勝利を重ねた。
日本軍の進むところ敵なしの感であったが、それはあくまで地上戦においてであった。
海上においては朝鮮の名将 李舜臣率いる海軍が数度の戦で日本海軍を半壊に追い込み、報告を受けた秀吉は海上戦を控えるよう指示せざるを得ないところまで追い詰められたのである。
海上の主導権を朝鮮に握られ、日本からの輸送が困難になってきたこと、朝鮮本土では日本軍があまりにも優勢に侵攻を進めすぎたために、補給線が伸びきってしまったこと、これらが災いし、日数が経つに従って、内地での日本軍は進撃の速度を落とし守勢に回り出した。
その間朝鮮各地で義兵が起こって活発に日本軍に攻撃を仕掛け、また明国が本格参戦し、戦は膠着状態の様相を呈し出す。
もたらされる報告は秀吉の顔を苦々しくする一方であった。そしてそのような中で、虎姫と秀成の人生を大きく変える事件が起こってしまうのである。
秀成の兄秀政は、中川家当主として名護屋城に参陣していた。最初の征伐軍からは外されていたが、日本軍が確保した占領地を守備するため八月末に朝鮮に入り、京畿道にある陽智城でその任に当たっていた。
そして一〇月二四日、水原の地で配下の兵を訓練するため鷹狩りを実施した。ここで朝鮮軍の待ち伏せにあったのである。
敵の急襲に全く備えをしていない味方は混乱し、次々と討たれていく。驚きをすぐさま怒りに変えて秀政は敵に斬りかかっていったが、辿り着くまでに数本の矢が体に突き立ち、無念の一言を吐く間もなく絶命した。真にあっけない最期であった。
自陣でこの報告を受けた秀政の家臣達は驚倒しかねないほどの狼狽を見せた。主君の死を嘆くのは当然であるが、その最期が非常にまずい。
敵と壮絶な戦いを繰り広げての討死ならともかく、訓練のためとはいえ敵中で鷹狩りをしていて伏兵に討たれたのである。この不用意な行動は『無覚悟』の烙印を押され、所領没収と御家断絶は免れ得ないところであった。
家臣達はこの事態をどうにか丸く収めようと、秀政は占領地を巡回中に敵と遭遇して戦となり、立派に討死したと虚偽の報告を行った。だがこれは同地にいた別の武将からの報告によりすぐに露見し、秀吉を二重に怒らせる結果を生んだだけであった。
一一月末、三木城で留守を預かっていた秀成は名護屋城に出向するよう命を受けた。既に秀政死亡の事実は承知している。覚悟を決め、譜代の家臣は供をさせず、僅かな兵だけ警護として引き連れ門をくぐる。
城下を出たところで一人の若武者が待っていた。怪訝な顔を向けた秀成であったが、たちどころにその目が大きく見開かれた。
「と、虎殿! なぜこのようなところに」
「お前様のことが気にかかってのぉ。大丈夫、屋敷のほうには影武者、……影姫? まぁとにかく、侍女を虎の代わりに置いてあるから、気兼ねする必要はないぞ」
「そ、それにしても……」
「お前様が気にかかってと言ったであろう。あまりに思いつめて、道中で切腹などしかねないからのぉ。切腹を止める気はないが、この虎の目の届かないところでされては困る」
男装した虎姫は笑顔で話し続ける。だがその目の奥から射るように放たれている光を、秀成はしっかりと感じ取っていた。
「……ありがとう、虎殿」
秀成が死ぬ時は自分も隣で死ぬという、虎姫の決意に対する感謝であった。馬を並べて二人は語らい合い、これから秀吉の逆鱗に触れに行くというのに恐れる素振りは全く見える様子がない。
警護の兵に少し距離を置くよう指示すると、虎姫の腰袋からトラが顔を覗かせ、三人は道中を物見遊山気分で楽しく過ごすのであった。
「中川秀成殿、到着してご沙汰を待っております。なお太閤殿下(秀吉のこと)に拝謁するに当たっては、供の者と二人で参ることを望んでおります」
「二人でだと。弁明のために家老でも連れてまいったか。まぁよい、二人を通せ」
朝鮮との和戦で頭がいっぱいとなっていた秀吉は、気晴らしも兼ねて他に優先して秀成を招き入れた。
「ご無沙汰いたしております、太閤殿下」
「おお秀成、なかなか立派な面構えになってきたのぉ。それで、隣の者は誰じゃ」
「男装したままでの非礼、お許しくだされ。こちらは拙者の妻、虎でございます」
「太閤殿下、お久しぶりでございます」
「何、虎じゃと。おお確かに。うむ、懐かしいのぉ」
秀吉は目を細め、眼前で平伏している二人を眺めやった。秀成の父中川清秀が虎姫の父佐久間盛政に敗れ、その盛政をやむなく処刑し、二人の子同士を夫婦として結びつけた。あれから十年になる。
無言でしばらく眺めているうちに、秀吉は不意に錯覚を覚えた。秀成と虎姫の後ろに、それぞれの父親が立って秀吉を見据えているという錯覚を。甲冑姿の二人は真に雄々しく、十年前秀吉がその死を心底惜しみ、その才を心底欲しがったまさにその時の姿であった。
「よし分かった!」
いきなり秀吉は声を上げた。それは腹の底から湧き上がってくる感慨を抑えるためでもあった。
「秀成、そちの兄のこたびの不手際、全くお咎めなしというわけにはいかん。だが、そちの父清秀の生前の武功に免じ、所領は半分とするが特別にそちへの家督相続を許す」
「は、ははっ。ありがたき幸せに存じます」
頭を下げながら秀成は面食らっていた。まだ一言の弁明も行っていないのに、秀吉のほうから自家の救済措置を計ってくれたのである。事態がまだ完全に飲み込めていない秀成に代わって、虎姫が口を開いた。
「我らにとって真にありがたきご沙汰なれど、本当にそれでよろしゅうござりますのか」
「うむ、賤ヶ岳では清秀に救われたところが大きかったからのぉ。それに、そなたの父盛政にな、遺族のことは任せておけと約束したからの。よって今回だけは特別じゃ」
虎姫は黙って頭を下げた。秀吉と、秀吉が見た二人の男に対して。
「よし、とにかくそちら二人はここへ残れ。秀政に代わって朝鮮で守備をしてもらうことになるからの。所領の件はこちらから使者を遣わそう。あとは秀成、そちの参陣につき兵一千の動員を命じるゆえ、そちの名で三木から兵を連れてこさせるのじゃ」
「か、かしこまりました」
これで秀政の死による中川家断絶の危機は乗り越えられたのである。そして新当主は秀成となり、虎姫は中川家の正室となったわけであった。
名護屋城で待機していた二人は自国から呼び寄せた一千の兵を引き連れ朝鮮に渡り、進軍を続け秀政が守っていた陽智城に入城した。だが結局ここでは大きな戦は起きず、二人は言われたとおり守備だけを続けることになる。
文禄二年(一五九三年)三月、本格的な食糧難に陥った日本軍は明国との講和交渉を開始し、四月には漢城から撤退して釜山一帯を占領地とするに止めた。これによって秀吉の一度目の朝鮮出兵、世に言う文禄の役はほぼ終了したのである。
戦の終わりを受けて二人は名護屋城に戻ってきた。虎姫にとっては消化不良もいいとこであった。そしてそこから秀成は三木城に帰り、更に虎姫は京の屋敷に帰っていく。いつもの生活に戻るわけである。
ただしこれまでと異なり、秀成は自身の居城となった三木城に居座らねばならないため、虎姫に会う機会は格段に減る。それくらいで滅入ってしまう虎姫ではないが、やはり寂寥の感は隠しきれない。はたで見ているトラにはそれが不憫でならないのであった。なんとかしたいという思いのみ募らせながら、日々は過ぎていった。
文禄三年(一五九四年)二月、秀成は数ヶ月ぶりに虎姫の屋敷を訪れた。
「今度 豊後国、岡の地に領地替えすることが決まった」
「九州か。それはまた遠いところになるのぉ」
「うむ。太閤殿下からいくつか移封先を挙げられたのだが、他からの勧めもあってな、岡に決めたのだ」
「そうか。秀成殿が自分で決めたことなら虎が口出しする必要はない。本来ならすぐに付いて行って手助けしたいのだが、母上殿は虎をますます嫌っておられるようじゃからの」
「母上はもう虎殿を憎むことしか生き甲斐がなくなっているのではないかと思っている。亡き兄上と違い、私はそれほど期待されていなかったのでな。私が当主になり、虎殿が正室になったことで、ますます陰に篭もるようになってしまった。家臣達は私にはよくしてくれるが、やはり母上の影響を受けているのであろう、虎殿には否定的でな。そんなわけで表立って虎殿を連れて行くのは難しい。すまぬ、更に寂しい思いをさせてしまうな」
「ああ、それは大丈夫じゃ。つい最近分かったのだが、虎には子ができたようじゃ。そちらを育てるのに忙しくなりそうでの」
「な、なんと! それで子は男か!」
「それはでてきてくれないと分からぬ。秀成殿はせっかちだのぉ」
虎姫はクスクス笑い出し、秀成は赤面する。
「そ、それもそうか。いや、とにかくめでたい。出立にあたって最高のはなむけだ」
「トラもすごく喜んでくれている。虎が寂しい思いをしていると気を遣ってくれていたからのぉ」
「アヤカシ殿にまで迷惑をかけるのは本当に面目ない。だが私は中川家当主として、岡の地を立派に統治するという責務を全うするつもりだ。虎殿にはもうしばらく堪えてもらいたい」
「何も心配いらない。秀成殿の思うように進めればよい。虎もしばらく我が子に専念するよ」
楽しい時間は瞬く間に過ぎていく。翌日には秀成は三木城に帰っていった。屋敷の門前で秀成を送り出した虎姫は、その姿が見えなくなってもしばらく立ち尽くしていた。
「……付いて行きたいのぉ、トラ」
「虎姫様……」
虎姫は視線をトラに向けると笑顔を見せ、「冗談じゃ」と一言呟いて屋敷に戻っていった。
八月末、虎姫は男子を産んだ。この子が後の岡藩二代藩主、中川久盛となる。秀成に言った通り子育ては多忙を極めたが、それでもトラの見る限り、我が子によって虎姫の心の隙間が充填される気配はないようであった。
数ヶ月経ったある日、とうとうトラは虎姫に進言した。
「虎姫様!」
「な、なんじゃトラ」
「秀成様の下へ参りましょう!」
「しかし、虎が城に入るわけにはいかん。母上殿に見つかればどうなるか」
「黙ってこっそり行っちゃいましょう! 家は城下にお屋敷でも用意してもらえばいいじゃないですか。秀成様はお殿様なんですから。こんな離れたところで秀成様を思って過ごすだけなんて、虎姫様らしくないですよ」
「それは虎も行きたいが、秀成殿に迷惑がかかろう」
「迷惑なんかいつも私にかけてたじゃないですか。これまで虎姫様はわがままいっぱいに振舞ってきて、だからこそ虎姫様らしかったのです。今こそ、そのわがままを堂々と行う時です。一番大事な時に他人のことばっかり考えるのは虎姫様らしくありません!」
「なんか、励まされているのかけなされているのか分からんの」
「どっちもですよ。盛政様が亡くなられた後、武人として忠義を尽くす生き方をすると誓ったじゃありませんか。私には武人の志を十分理解することはできませんけど、少なくともここで秀成様の無事や幸せを祈るような生き方は虎姫様に似合いません。常に目の届くところにいて苦楽を分かち合い、こないだみたいに秀成様に危機が迫った時は側に行き、死ぬ時は共に死んでこそ虎姫様です。死んでほしくはないけど」
「その通りじゃ!」
虎姫は勢いよく立ち上がった。トラを見つめるその瞳には、生気が満ち溢れている。
「この虎としたことが、秀成殿を気遣うあまり武人の心を忘れてしまっていた。虎はどこまでも忠義一途の生き方をせねばならん。それでなくてはとーちゃんに合わせる顔がない。トラはさすがに兄弟、よくぞ虎の不明を解いてくれた」
「それでこそ虎姫様です。お子様も両親と接したほうがいいですしね。それでは善は急げ、早速屋敷の者に話しましょう」
屋敷の者達は無論驚いたが、気持ちが整理されると皆快く協力してくれた。彼らも虎姫を大変慕っており、最近の虎姫の行状にトラと同様の感情を抱いていたのである。前回同様虎姫の代わりに侍女を置くこととし、虎姫の身辺が落ち着いたら幾人かを派遣するよう取り決めた。
「なに、どうせ向こうからこちらに連絡を入れてくることはあるまい。年賀にも呼ばれなかったのじゃ。静かにしていれば波風が立つようなことはないであろう。せいぜい気楽にしていておくれ」
虎姫の笑顔は快活そのものであり、トラもつられて楽しくなる。赤子を抱えているため馬は使えない。数日後、虎姫は西へ向かう旅の一行に混じって京を出発した。
豊後国岡七万石の大名となった中川秀成は、それこそ多忙を極める日々を送っていた。政務は勿論であるが、何より秀成の頭を悩ませたのは、先年までこの地の領主であった大友家に仕えていた浪人達であった。
彼らは秀成に服従せず城下や近隣の村に潜伏し、事あるごとに秀成の兵と小競り合いを起こす。治安がなかなか定まらないのは処罰の対象となるので、秀成は巡回を指揮し、自身も率先して領地を見回るよう努めた。
その日も心身共に疲れ果て、床に就こうと部屋に戻った秀成は視界の隅に白い物体を捉えた。すぐに目をやった秀成は驚きのあまり声を上げた。
「あ、アヤカシ殿ではないか。化けてでてこられたのか」
「そんな能力ございませんよ。普通にこちらまでやって参ったのです。虎姫様と一緒に」
「そ、そうか。……えっ、虎殿もこちらに来ているのか」
「お子様と共に旅籠で待っててもらっています」
「そうか、虎殿が来ているのか、そうか」
「秀成様、表立って会うことは叶いませんが、虎姫様は秀成様に忠義を尽くしたい一心で参りました。どうかそのお志を邪険にせず、願わくば城下にお屋敷を一つお与えください」
「誰が虎殿を邪険になど扱うものか。私なぞのためにそこまでして尽くしたいと思ってくれているのだ、これほど嬉しいことはない。確かに表立ったことはできぬが、屋敷はすぐに手配しよう。ありがとう、アヤカシ殿」
秀成は心底嬉しそうである。トラは胸を撫で下ろし、挨拶して虎姫のところへ戻っていった。
屋敷はすぐにあてがわれ、虎姫は京の屋敷の者達を呼び寄せて住み始めた。秀成も巡回を終えた時に、また時間が空いた時に城を抜け出してよく会いに来るようになった。見違えるように活き活きした虎姫の姿を見て、トラは自分の進言が正しかったと確信した。
そのうち虎姫自身も町を見て回りたくなり、特に浪人達との衝突の話を聞くと俄然色めきたった。
「ダメですよ。虎姫様が町に出たら絶対何か問題を起こすでしょう。ここは京よりも小さいんですから、目立つ行動を取るとお城の人の耳に入っちゃいますよ」
「では、城の者に知られても虎だと分からなければいいのであろう」
そういうわけで虎姫は町を出歩く時は男装をした。問題を起こさないことを少しは考えてくれればいいのに、とトラは思うが、言っても無駄と分かっているので口には出さない。こうして虎姫にとっても秀成にとっても、そしてトラにとっても充実した時間が過ぎていくのであった。
文禄五年(一五九六年)閏七月、明国との和平交渉が決裂し、秀吉は再度朝鮮へ出兵することを決定した。
なおこの月、伊予国および虎姫らがいる豊後国、そして京において立て続けに大地震が発生した。いずれの地震も千人近い死者を出し、京においては伏見城が倒壊するなど甚大な被害を招いた。このような連続した天災を受けて、この月より年号は慶長と改められる。
そして翌年二月、秀吉の名の下に総勢十四万の陣立てが発表され、諸将は逐次 釜山を目指して渡海していった。二度目の朝鮮出兵、慶長の役の始まりである。
秀成も今回は正規の軍に所属し、先年から居城である岡城の増改築に励んでいたが、これを家臣に任せることとして出兵の準備を始めた。
一日、城内で武具の備えを確認していた秀成に凛々しい若武者が近づいてきた。秀成が振り向いた瞬間若武者は口を開く。
「秀成殿、朝鮮には是非虎も連れて行ってくだされ」
「と、虎殿! い、いかんいかん。虎殿にもしものことがあれば子はどうなる。ここに残ってくれ」
「若子のことを気に病むなら、それこそ虎は一緒に戦いたい。万一我らが討死しても、その勇姿を伝え聞いて立派な大将に育ってくれるであろう。ここで残ってお前様の無事を祈るだけの後姿など、虎は若子に見せとうない」
「だが本当に死ぬことになるかもしれない。虎殿は死が怖くないのか」
「別に死にたいわけではないが、死を恐れたことはないつもりじゃ。虎にとって大事なのはいかにお前様の役に立つかどうかじゃ。叶うことならこの武勇をもってな。とーちゃんが死んでから戦に出る機会がなくなってしまって、正直少し弱くなってしまったかもしれんが、日々の鍛錬は続けている。なにお前様を護るくらいはできるはずじゃ」
笑顔を作り、虎姫は続ける。
「それに、もしここに残って秀成殿の訃報を聞くことになろうものなら、虎はその時どうしていいか分からぬ。後を追って腹を切るか、後悔に苛まれて余生を送るか、どちらにしても楽しい絵図が浮かんでこないのでな。よって是が非でも付いて行かせてもらうぞ」
「虎殿……。あなたはいつも私に力をくれる。その武人としての忠義、ありがたく受け取らせていただく」
「なに、とーちゃんの時は一緒に死にそびれたからのぉ。またあのような目に会うのは御免というだけじゃ」
虎姫の眼差しは日差しのように明るく、強く、まっすぐである。秀成はこの笑顔を見るたびに、自分が憧れていた父清秀を思い出すことができる。きっと虎姫の父盛政もこのような笑顔を娘に向けていたのであろう。
「さて、それでは屋敷に戻ってトラのほうに話をつけに行くとするかの。どうせまたニャーニャーうるさく言うであろうからの、秀成殿よりそっちのほうが大変じゃ」
屋敷に戻ってきた虎姫は自身の決意をトラに聞かせた。
「ええ、構いませんよ。私もしっかりお供しますから、頑張って秀成様のお役に立ちましょう」
「なんじゃ、いやにあっさり承諾するのぉ。いつもならお小言を始めるであろうに」
「何のために虎姫様をこの岡まで連れてきたと思ってるんですか。秀成様に忠義を尽くすためでしょう。ここまで来ておきながら、肝心の戦でお役に立てないんじゃ意味ないじゃないですか。こういう時こそお側にあって虎姫様らしい忠義を示してください」
「ほう、トラも大分物分かりがよくなったのぉ。喜ばしいことじゃ」
「いつも文句言うのは秀成様と関係ないところで暴れるからでしょ。大体、京の屋敷でメソメソしていたのを連れ出したのは私ですから、私の責任として秀成様には付いて行ってもらいます」
「メ、メソメソなどしておらん。側で役に立てないのが残念と思っておっただけじゃ」
「どうだか……。それと、文句は言いませんが、一つだけ言わせていただきます」
「なんじゃ」
「死を恐れないのは今までの戦で重々承知していますが、やっぱりできるだけ死なないようにしてくださいね。虎姫様にとって武人として尽くすことが、子育てより優先であるのを間違いとは言いませんが、だからといって子育てを軽んじていいわけじゃないですからね。お子様のためにも、二親ともしっかり生き残って立派に育ててください」
「うん、そうするよ。ありがとうトラ」
翌日、旗下一千五百の閲兵を終えた秀成は、家臣達に見慣れない若武者を一人側近に加えることを告げ進軍を開始した。家臣に素性を聞かれても、「私の遠戚に当たる者だ」と答えるのみであった。
秀成らは対馬海峡を渡り、釜山に到着した。しばらくは後続が揃うのを待つため布陣するだけの待機となる。その間諸将の間で大小の話し合いの場がもたれ、秀成もその幾つかに参加した。
また七月には、文禄の役において苦杯を嘗めさせられ続けた朝鮮水軍に日本水軍が大勝し、釜山周辺の戦略的優位が確立された。ただしこの時の朝鮮水軍の大将は李舜臣ではなく、彼はこの時水軍単独での攻撃に反対したため更迭されている。
七月末、日本軍は毛利秀元を大将とする右軍と、宇喜多秀家を大将とする左軍の二手に分かれ、まず東の慶尚道から西の全羅道を目指して軍を進めた。
全羅道は先の文禄の役において民兵の頑強な抵抗にあい、制圧を断念せざるを得なかった地域である。今回は秀吉からの直接の指示として、全羅道における敵対勢力の一掃が命じられていた。
秀成の部隊は右軍に属することになった。進軍に先立つ軍議を終えて自陣に戻ってきた秀成は、場の熱気に当てられたのか戦の経験不足ゆえか、虎姫の窺うところかなり入れ込んでいるようである。
「名だたる諸将が居並ぶこの会議に参加できただけでも、私にとっては非常な名誉だ。この上は醜態をさらして恥をかかないよう、決して怯まずに進み続けるぞ」
「意気込みは結構だがのぉ、秀成殿。兵の動きには緩急がつきものじゃ。進まねばならん時に引くのは確かに醜態だが、引かねばならん時に突っ込むのもまた稚拙じゃ。将は常に戦局を見て進退の判断をせねばならん。命令にはおいそれと逆らえんが、自分で判断するところは戦の熱気に当てられず、冷静に動かねばならんぞ」
「そ、そうであるな。いかんせん私は戦で指揮を執ったことがほとんどない。舞い上がって勢いだけで進むようであれば、遠慮なく引き止めてほしい」
「なに、お前様なら大丈夫じゃ。元よりこの戦、残念ながら我らが先鋒を務めることもなさそうじゃ。中軍にあって、最も兵を損なわぬ采配を行うよう心を配っていれば間違いは起こるまい」
「ははっ、虎殿は物足りなさそうだな。だが確かに、私の部隊が先鋒に組み込まれることはなさそうだ。……そうだ先鋒と言えば、右軍の先鋒は音に聞こえし加藤清正殿だ。先程面と向かって話してきたが、勇猛を一身で表現したようなまさに歴戦の勇者であった。先の朝鮮との戦いでも相当のご活躍であったらしい。死者と比べることはできないが、あの威圧感、武勇においても我らの父を上回るやもしれぬ。彼こそ万人の敵と評するに相応しい男であろう」
「むむ、とーちゃんを超える程の男であるか。それは虎も是非会ってみたいものじゃ」
右軍は進み続け、八月半ばには慶尚道と全羅道の境にある黄石山城を視野に収めた。早速攻城戦の準備がなされ東、南、西の三方より攻め入ることが決定する。秀成らは加藤清正が指揮する南面部隊に組み込まれた。敵の正面に当たり最も激戦が予測される個所である。
夜中に至って全軍一斉に攻撃を開始した。城は堅く閉じ、城内から無数の矢と鉄砲が放たれる。日本軍は竹束を前面に押し出し、矢玉を防ぎつつにじり寄る。虎姫は馬上にあって熱い息を吐き、この攻防に身を投じているという事実に胸を躍らせた。
「やっぱり戦はこうでなくてはのぉ、トラ」
「不謹慎ですよ、虎姫様。今さらですけど、人同士で命のやり取りをしているんですから、もっと厳粛な覚悟で挑むべきでしょう」
「なあに、いつも言っているであろう。虎にとって戦とは、名を上げるか敵に名を上げさせてやるかどちらかじゃ。今となっては虎自身の名は上げれんが、代わりに秀成殿を上げることができる。そのためにも、こんな半端な位置で見物している場合ではない。率先して前に出ましょうぞ、秀成殿」
虎姫のすぐ横で秀成も胸を高鳴らせていたが、これは過度の緊張によるものである。ただしこの緊張は死の恐怖からくるものではない、ただ味方のためにどう采配を振るえばよいか決めかねているのであった。返事の余裕がなく黙りこくっている秀成に、虎姫は笑い掛けた。
「秀成殿、そんなに大きく背負い込まなくてもよい。我らそれぞれの父を思い起こせばいいのだ。今は采配を考えるより、ひたすら陣頭にあって家臣達に背中を見せ付けてやるがよい。とーちゃんはいつもそうやって側近達を付いて来させていたぞ」
秀成の面持ちはいくらか緩んだようだ。
「そうだ、私の父もそういう武将だった。奥に控えて指揮を執るは我が家風にあらず。常に陣頭にあって活路を見出してこそ我らの戦いだ」
秀成は周りに控える家臣達に号令し、先頭に立って兵と共に前面に進んでいった。
城門では既に近接戦が繰り広げられていた。この黄石山城の戦い、攻める日本軍六万超に対して守る朝鮮軍は五千以下である。三方から囲まれた今、持久戦にもっていっても守りきれるものではない。
そう判断した朝鮮軍は、正面の敵将が加藤清正だと知ると門を開いて一斉に打って出てきた。先の文禄の役が終わってより、朝鮮軍はこの清正こそ日本軍で一番の武将だと認識していたのである。彼を討つことができれば日本軍全体の指揮を下げることが叶うはず、そう決断しての攻撃であった。そしてそれはすぐに清正の察知するところとなった。彼は自分目掛けて押し寄せてくる敵を見ると、不敵な笑みで応えた。
「これはいい、わざわざ敵のほうで我が進む道を示してくれるわ。このまま突撃するぞ!」
清正は周囲の側近を従えて敵中真っ只中に突っ込んでいった。いくら総数で圧倒するといっても、正門のこの区画だけみれば朝鮮軍のほうが密度が高い。それを一切意に介さず、清正は暴風の如く周りの敵を弾き飛ばしていき、後に続く側近達が道を斬り拡げ、更に続く足軽達が埋めていく。
「似ている、とーちゃんと……」
先頭に辿り着いた虎姫は、清正の戦いぶりに自分が敬愛して止まない猛将の姿を見た。
「秀成殿、我らも加藤殿に続くぞ。足軽はいたるところにあぶれているゆえ、中まで入るのは難しい。家来衆のみ連れて、加藤殿の援護に参るのじゃ」
「心得た。皆、我に続け! 正門を突破する」
秀成の側近達は一様に驚いた。ここまで前進するだけでもおよそ秀成らしくないと思っていたのに、このまま少数で突っ込むというのである。誰しも予測していなかった命令であった。だが、彼らも勇将 中川清秀に仕えてきた猛者達。秀成の背中にようやく父親の面影を見た者もいたかもしれぬ。全員が熱意をあらわに返事し、秀成と虎姫に続いた。
先に正門をくぐった清正は絶えず押し寄せる人の波をものともせず、辺りを窺う余裕さえ見せながら指揮を執っていた。だが周りを固める者達にはそんな余裕はなく、さすがに城内の敵は後がないと必死に抵抗してくるため、進撃速度は鈍り始めていた。
「ふむ、さすがに一度の突撃では崩しきれんか」
微かに舌打ちし、態勢を整え直すために後退しようとしたその時、清正から二十歩ほど離れた左方より、味方の部隊がせり出してきた。
「な、なんだあの一隊は」
清正は驚いたが、すぐに興味をもって月明かりと僅かなかがり火の中、目を凝らした。そして先頭にある武将をなんとか特定できた時、更に驚くことになった。
「中川秀成だと! まさか彼が……」
先の軍議において確認した限り、秀成がこのように敵中に突出するような印象を、清正は一切受けなかった。父親とは大分違うな、と思った程度である。それが今やこの部隊のどの将よりも前にいる。表情まではしかと分からないが、動きを見る限り怯みは覚えていない様子である。
「やはり虎の子は虎であるか」
清正は一瞬作った笑顔をすぐに引き締め、秀成らの突撃によって浮き足立った敵目掛け、再度の突進を行った。小規模ながら波状攻撃を受けることになった朝鮮軍は、目に見えて押し戻され始めた。清正らが進んだ分だけ、味方の兵がどんどん入ってくる。側近達にこのまま突き進むよう指示しながら、清正は秀成のほうに向かった。そして秀成と合流できる十歩手前まで歩み寄った時、清正は思わず目を見張った。
「あれは一体何者だ」
清正の視線の先には、秀成の傍らにあって縦横に敵を斬り伏せる武士の姿があった。剣技だけではなく馬のさばき方も見事で、秀成の前方を単騎で固め、敵の攻撃を許さない。足軽の攻撃などほとんど一合も交えさせず、的確に斬撃を与えて斬り伏せるか吹き飛ばしてしまう。
この無名の武士の前に朝鮮軍は足が止まり、包囲しようと間を空けた。この一瞬の間隙を清正と無名の武士、つまり虎姫は見逃さなかった。
「今じゃ!」
敵が退いた倍の距離を突き進む勢いで、虎姫は前に出た。完全に虚を衝かれた敵はその場で崩れ出し、後に続く秀成とその側近達に蹴散らされた。そしてすぐ側で、同様の現象が清正指揮の下起こっていた。
正面を突き崩された朝鮮軍は遂に瓦解し始めた。清正の眼前の者達を皮切りに、日本軍に背を向け逃げ出す者が続出する。間髪入れずに日本軍が城内に雪崩れ込み、これで勝敗は完全に決したのである。
城の北側より逃げた朝鮮軍は、両側面から攻めていた日本軍の各部隊に執拗に追撃され、更に犠牲を増やすことになった。黄石山城の戦いは一夜にして日本軍の完勝で終わった。
戦闘から丸一日経ち、戦後処理が一段落ついたところで清正は秀成の下へ赴き、声を掛けた。
「これは加藤殿、わざわざのご足労、感謝いたします」
「うむ、先の貴殿の働きぶり、実に見事なものであった。さすがは中川清秀殿の息子。いや、真に失礼ながら、わしは貴殿があそこまで果敢に進むとは予測していなかった。我が心中のことなれど、貴殿を軽んじていたのを詫びておこうと思うてな」
「いえいえ、私一人ではあのような行動は取れませぬ。こたびの采配は全てこちらに控えている近侍によるものです。私は後に続いただけです」
虎姫は無言で清正に頭を下げた。
「おお、戦いの最中にあってもお主の武勇、一際目立っておったぞ。さぞかし名のある者に違いあるまい。名は何と申すのだ」
秀成は少し困ったが、虎姫は清正と語り合うことを望むだろうと思いささやいた。
「加藤殿、少しこちらに来てもらってよろしいですか」
清正は多少いぶかしんだが興味が勝り、黙って付いて行った。側近達との距離が十分離れたところで、秀成は口を開いた。
「加藤殿、この者は私の家臣ではございません。男装しておりますが、実は私の妻でして虎と申します」
「な、なに! 虎だと!」
予想を超える驚きを清正が見せたことに、秀成と虎姫のほうも驚いた。
「も、もしかして、佐久間盛政の娘の、あの、虎姫か」
「左様でござりますが、加藤殿は虎をよくご存知なのですか」
尋ねながら秀成は虎姫のほうを向いたが、虎姫もキョトンとした顔でどうも旧知の仲には見えない。
「虎姫、わしだ、虎之助だ。思い出さんか」
「虎之助? 虎之助といえば義父である中川清秀殿の幼名、それくらいしか浮かんできませぬが……」
「ぬぬ、思い出せぬか。賤ヶ岳だ、賤ヶ岳で一度会っておろうが。ほれ、お主らが撤退していた時に」
何となく清正は言いにくそうである。
「賤ヶ岳、虎之助、虎之助……」
首をかしげながら、虎姫は呟く。
「虎之助。加藤殿が虎之助。加藤虎之助……。ああっ、思い出した!」
虎姫は目を見張り、まじまじと清正を見つめた。そして驚きが収縮すると、今度は意地の悪い笑顔を作った。
「思い出したぞ、虎之助。なんだ、加藤清正とはお主のことであったのか。賤ヶ岳ではこの虎に敗れたのにのぉ。今や国持ち大名なのか」
「こ、これ虎殿、失礼でござるぞ」
「むむむ、確かにあの時は不覚をとった。だからこそ今の今まで鮮明にお主を覚えておるのだ。だが、結局お主もわしに止めを刺せず、猫を投げつけて逃げたではないか」
そう言われたところで、虎姫の腰袋から興味深げに顔を覗かせていたトラはサッと頭を潜り込ませた。
「あの時は新手が現れたからのぉ。だが確かに……、今のお主は立派な武人になったようじゃの。とーちゃんが生きていたらきっと喜んだよ。味方として会っても、敵として会っても」
「そうか。賤ヶ岳で見た佐久間殿はまさに武人の鑑であった。佐久間殿に認めてもらえるような男に、わしはなれたか。うむ、今ならお主にも負けはせん。一手立ち会ってみるか」
「虎は残念ながら賤ヶ岳より戦に身を置くことがなくなってしまっての。少し衰えてしまっておる。今の虎之助には勝てんよ」
言葉とは裏腹に虎姫は嬉しそうである。秀成もようやく状況が飲み込めたようであった。
「そうか、虎殿と加藤殿は、賤ヶ岳で戦っておられたのか。それは凄い巡り合わせですな」
「うむ。考えてみれば佐久間盛政殿と虎姫、貴殿の父中川清秀殿、そしてこのわしと、賤ヶ岳で名を馳せた武人が一堂に会しているような気分だ。実に感慨深い」
清正は楽しそうに笑った。三人でひとしきり賤ヶ岳の戦いに花を咲かせた後、虎姫が尋ねた。
「それはそうと、お主は今どこを治めておるのじゃ」
「肥後国の北半分を預かっておる」
「なんと、我らのいる豊後のすぐ隣ではないか」
「うむ、そうなるな」
「そうか、それではしっかり言っておくぞ。虎之助、もしこの先、我が夫秀成殿をいじめるようなことがあれば、虎が決して許さんからの。よく覚えておくのじゃぞ」
「こ、これ虎殿。加藤殿、申し訳ございませぬ」
「ははは、分かった。しかと肝に銘じておこう。中川殿、この戦、互いに生きて帰ることができればしっかり誼を結びましょうぞ。虎姫に睨まれるのは敵わんからな」
「それは願ってもないこと。こちらこそお願いいたします」
一通り話し終え、清正は自陣に戻っていった。
「そうか、あれからもう十四年も経つのか……」
虎姫は秀成と共に戻りながら呟き、この日得た大きな満足感と、そして一抹の寂寥感を抱いて眠りにつくのであった。
黄石山城を落とした右軍は、そのまま第一目標である全羅道の中核、全州城へ向けて進んだ。もう一方の左軍も道中の南原城を落とし全州に向かっている。
全州城には明軍が駐屯し守備を固めていたが、日本軍が二方向から迫っている情報が入ると恐れを抱き、戦わずして退却してしまった。これによって日本軍は一兵も損なうことなく入城し、合流を果たした。
全州で数日に及ぶ軍議が行われた結果、日本軍は再び分かれて行動する運びとなった。新しく編成される右軍はこのまま北進して、忠清道の掃討及び北から来る敵に対する備えを担当。左軍は主目的である全羅道の掃討作戦に向けて全州より南下。中軍は得た領地から資源を徴収するため右軍、左軍の後に続く。
そして水軍は左軍と共に南下し、海に出たら海岸沿いに兵船をもって全羅道を東から西に進み、沿岸の敵戦力の掃討と左軍の援護を行うといった戦略である。
新たに編成された軍の構成において、秀成は左軍に組み込まれることとなった。清正はそのまま右軍である。八月末より進軍を開始した左軍は、全羅道各地で発生する抵抗をほとんど踏み潰す勢いで掃討していった。
文禄の役と異なり、今回は戦力の過半数、八万以上の大軍をこの全羅道に投入しているのである。秀吉直接の命ということもあり、武将達の意気込みも並々ならぬものがあった。
「それにしても張り合いがないのぉ。これでは全軍で一揆を鎮圧しているようなものじゃ。もっと敵も連携して、大軍同士で武略を競うような展開にならんかの」
「確かに、敵にも武将がきちんといるんでしょうけど、そういう組織立った動きは見られませんね。まぁ、楽に勝てるならそれに越したことはないじゃないですか」
「虎は勇敵と戦って勝ちたいのじゃ。これでは弱い者いじめではないか。それに、先鋒が勝ちに調子づいてどんどん進むから、秀成殿や虎はほとんど後片付けばかりじゃ。おもしろうない」
「私はそんなに敵が弱いとも思いませんけど、少し脆いところもあるみたいですね。粘りに欠けるというか。何故でしょうね、トチガミさん」
“それはやはり、ここに至るまでの国内情勢の違いが決定的ですね。この朝鮮では、豊臣秀吉に攻め入られるまで比較的平和な時代が続いていました。政治面ではいろいろ大きな問題もあったみたいですけど、大きな武力衝突はありませんでしたからね。対して日本では、この戦いに参加している者達でも数年から数十年、応仁の乱より数えれば百年以上、戦に次ぐ戦を繰り返してきたわけです。国の在り方としてはまったくもって褒められたものではないですけど、その結果このように精強な兵が数多く育てられました。将兵の武勇や覚悟、手にしている武器といったものに大きな差が生まれるのは当然といえば当然なのですよ”
「なるほど。平和なだけではいざという時ダメなんですねぇ」
“ダメというわけではないですよ。ただ、平和にあっても他国の情報はしっかりと掴み、危急の事態に備えておかなくてはならないということです”
「なるほどなるほど。平和であっても気を抜いちゃダメということですね」
“まぁ、そうなんですけど、アナタが言うとなぜか軽く感じますね”
日本軍は順調に勝利を重ね、九月半ばには全羅道の南端まで進んだ。ここから水軍は海に出て兵船で西に向かって進み、陸を進む左軍を援護する。
だがそれを実行に移そうとした矢先、鳴梁海峡にて結集を行うべく先行していた水軍の一部隊が朝鮮水軍の攻撃を受け、軽視できぬ損害を被った。この時朝鮮水軍を指揮していたのは李舜臣であった。彼は七月に水軍が大敗した後復職していたのである。
李舜臣の名が伝えられると、日本軍の各所でざわめきが起こった。先の文禄の役での活躍により、彼はそれだけ日本軍を警戒させる存在になっていた。
「うろたえるな。確かに我らは痛手を負ったが、やられたのは関船のみだ。主力の安宅船や援護、伝令を担う小早はまだ合流しておらず無傷で残っている。もっとも、それを承知していたからこそ李舜臣も仕掛けてきたのであろうがな。とにかく、敵の目論見は我らの出鼻をくじいて進軍の速度を緩め、矛先を鈍らせることにある。みすみすそのような手に乗るな。予定通り水軍は鳴梁に進み、左軍と連携して西進するのだ」
左軍大将 宇喜多秀家から檄が飛び、一時足並みが乱れるかと思われた日本軍は整然と進軍を再開した。そしてこの読みは正しかった。
日本軍に狼狽が見て取れないのを確認すると、李舜臣は早々に拠点を放棄して水軍を北へ撤収させた。日本軍は陸と海で並行して西進し、周辺の島々も含め、十月半ばには全羅道の掃討作戦を完了した。
時をほぼ同じくして北進を続けていた右軍も忠清道を掃討し、更に先の京畿道まで侵攻の範疇に捉えていた。京畿道の中心に位置する首都 漢城では、軍民分け隔てなく我先にと逃げ出す者が続出し、重臣達も王に北方への退去を進言し始めた。
ところが右軍は京畿道の入口に当たる安城にまで進出すると、数日滞陣してから兵を返し、戦々恐々(せんせんきょうきょう)と身構える朝鮮軍を尻目に南下し始めたのである。
日本軍反転の意図を掴めない朝鮮軍は唖然としたが、ともかくも再び漢城を奪われるという危機は脱した。そしてすぐさま背後を見せている日本軍に追撃を行うべきか議論されたが、一兵も損なっていない敵に襲い掛かったところで猛反撃に会う、もしかしたら追撃を誘っての罠かもしれないという意見が大勢を占め、結局のところ朝鮮軍が打って出ることはなかった。
日本軍が軍を返したのには勿論理由がある。そもそもこの反転も今回の朝鮮出兵における秀吉の戦略の一環なのである。文禄の役では一気に勝ちすぎた。勝ち進み続けたがゆえに、補給線が伸び切り、制圧した城の防備もままならないまま飢えと戦うことを余儀なくされ、結果 地力で勝っておきながら敵との膠着状態を続けるはめになったのである。
今回はその轍を踏まぬため、釜山を基点として南岸沿いに確固たる城をいくつも設け、それらを拠点に大規模な軍事行動を行い、領地の制圧にはこだわらずに敵を弱らせるという戦略に切り替えた。
朝鮮南部に位置する慶尚道、全羅道、忠清道は食糧や人的資源において特に豊かであり、朝鮮国そのものを支える大きな土台なのである。朝鮮南岸部を拠点にこれらに打撃を与え続けることは、朝鮮を加速度的に疲弊させることに繋がる。こうして朝鮮全体を弱らせて抗戦の意志をなくさせ、日本に服従させるというのが今回の出征で秀吉が描いた筋書きであった。
この秀吉の構想を実現するために日本軍は朝鮮軍、そして明軍を北に追いやり、南部に築城する時間を得ようとしたのであった。右軍は北進してきた忠清道を南下すると、全羅道には向かわずに東の慶尚道に歩を進めた。釜山から東の沿岸に城を築くためである。
釜山から西は左軍が築くことになっており、全羅道制圧を完了した左軍も軍を返し始めていた。更には敵の資源を抱えた中軍も分散して築城に当たることになっている。このようにして朝鮮征服は実現に向けて着々と進められていった。
しかし朝鮮軍、明軍もそうそう戦略に疎いわけではない。斥候の報告から日本軍が釜山周辺にどんどん城を築いていることを知ると、そこから秀吉の戦略を看破した。看破したからには手を打たないわけにはいかない。このまま来る大攻勢を指をくわえて待っていては、秀吉の望む通りの結末を迎えるだけである。
早急に軍が整えられ、一二月に入ると五万七千の朝鮮、明国連合軍が編成され、南下を開始した。目指すは東端に築かれつつある蔚山城である。