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第五章  賤ヶ岳の戦い

 加賀国尾山城に戻った盛政は、すぐに出兵の準備を整え始めた。各地で起こり得る反織田勢力への対処は元より、この北陸の軍をまとめて勝家が明智光秀討伐を行う際に、いち早く馳せ参じるためである。その盛政の行動に応えるかのように事態はどんどん展開していく。

 この加賀国は、盛政らが数年にわたり徹底的な殲滅を行ったために蜂起するような勢力はない。また越中国もつい先日上杉軍を駆逐したばかりで、平定まではいかなかったものの織田軍に立ち向かう勢力もなく、表面は波風が立っていない。

 だが能登国においては信長の死を知ってにわかに活気づき、武装蜂起して勢力を取り戻そうとする一団が現れた。一向一揆である。

 石動山(せきどうさん)天平寺(てんぴょうじ)を本拠とする一向衆は、前年に上杉家に味方したという理由で信長から領地を没収されており、まさに今が勢力を取り戻す好機と立ち上がった。これに呼応したのが、これも信長の死によって九死に一生を得た上杉景勝であった。

 景勝は自領に逃げ込んでいた旧畠山家臣 温井(ぬくい)景隆(かげたか)三宅(みやけ)長盛(ながもり)らをすぐに石動山に遣わし、能登国における親上杉派国人衆の音頭を取ること、織田軍との戦になればすぐ援軍をよこすことを伝えた。

 こういった石動山の動きは、これあるを予期して間者を潜らせていた前田利家の耳にすぐ入り、利家は一向一揆への対処を勝家に求めた。

 明智光秀に対するために利家を参陣させたい勝家であったが、この一向一揆と、何より上杉勢に対する守りを固めねばならないと判断。勝家は利家だけでなく佐々成政も越中守備に当たるよう指示し、更に盛政も援軍に(おもむ)けるよう尾山城に留め置いた。ただしこの時点での積極的な攻勢は禁じた。

 こうして後背を固めつつ、加賀国の一部兵力と自国越前の兵力を合わせて、動静を探りながら勝家は京に向かって南下を開始した。上杉と早急に和議を結ぶことのできない勝家としては、これができ得る限りの対応だったと言える。しかしこうした配慮を嘲笑(あざわら)うかのように吹き飛ばしてしまった男がいる。羽柴(はしば)秀吉(ひでよし)である。

 六月一七日、軍を率いて越前と近江(おうみ)の国境に到達した時、駆け込んできた急使により勝家はそれを知ることになった。

「秀吉が山崎(やまさき)で光秀を討ち取っただと!」

 信じられないという面持ちを隠し切れない。それも無理はなかった。勝家が北陸で上杉軍と対峙しているように、秀吉は中国で毛利軍と戦っていたはずである。しかも毛利軍はその勢力はまだまだ強く、上杉軍のように窮地に陥っていたわけでもない。急に反転して京に向かおうものなら、敵の大攻勢を浴びて下手をすれば壊滅してしまうのである。それがこのように短時間で戻り、あまつさえ光秀を討伐するとは。

「毛利と和睦が成されたということか……」

 自分が上杉相手にできなかったことを、秀吉は毛利相手にやってのけたのである。織田家第一の宿将を自負する勝家にとっては二重の屈辱であった。この大功により、秀吉は家中で一番の発言力を持つようになる。

 本能寺の変で織田信長、そして家督を継いだ織田 信忠(のぶただ)が死んだため、織田家には今正式な後継者がいない。信長の次男 信雄(のぶかつ)は、信長はおろか信忠にも才は遥かに及ばないと勝家は見ている。となると三男の信孝(のぶたか)か。

 いずれにせよこのままでは後継者決定権は秀吉によって行使され、跡継ぎを傀儡(かいらい)に権勢を振るうであろうことは容易に想像できた。

 勝家はしばらく黙り込んでいたが、今後の動向に不安を覚えた家臣が声をかける直前に顔を上げた。

「我らはこれより清洲(きよす)に進む」

 こうして勝家らは進路を変え、尾張国(おわりのくに)清洲城へと歩みを進めた。



 一方能登国における一向衆の動きはいよいよ活発化していた。温井景隆、三宅長盛らが石動山に入山したこと、そして一向衆の力を借りて南西に位置する荒山(あらやま)峠に砦を構え始めたこと、その砦と本拠地天平寺に門徒を呼び入れ軍備を整えていること、それらが立て続けに前田利家の下に集まってくる。

 利家としてはすぐに出陣してこれらを打ち破りたいところであったが、石動山に軍を進めるのは、後ろに控える上杉軍と戦端を開くことに繋がりかねない。上杉軍と事を構えれば戦線は更に拡大する恐れがあり、当主を欠いた今の織田家にあっては危険が大きすぎるため、迂闊(うかつ)に出兵できないのであった。

 利家は当座の策として盛政に敵の動きを伝え援軍を求めたが、盛政としてもやはり積極的には動きづらいところである。この時盛政、利家に山崎の戦いの情報は入っている。

 利家は最初友である秀吉が見事信長の仇を討ったと大喜びしたが、その先に暗雲が垂れ込めているのに気づいた。この北陸から向かった勝家が完全に出し抜かれた形になったからである。勝家が、手柄を横取りした秀吉を盛り立てる側に甘んじるとは到底思えなかった。そしてそれは盛政も等しく心配するところであった。

 能登国での膠着(こうちゃく)が続くまま、七月も中旬に差し掛かろうとする頃、北陸の諸将は帰還した勝家に北ノ(きたのしょう)城へ呼び出された。勝家の表情は暗い。

「織田家の跡継ぎは三法師(さんぽうし)様(織田信忠の長子)と決まった」

「な、なんですと! 三法師様はまだ三歳。いかにしてこの織田家を統率されるおつもりですか」

「後見人は信孝様で、共に岐阜(ぎふ)城に移られた。具体的な政務は我ら重臣が執り行うこととなろう」

「柴田様はそれでご承知されたのですか」

 利家の問いかけに、勝家の眉がピクリと動く。だが表面は冷静に答えた。

「わしは信孝様を推したのだがな。だが……」

 次男信雄、三男信孝共に他家の跡を継いでいること、二人の仲が良くなくどちらかが当主になると必ずもう一方が反発すること、元々織田家の当主は信長から信忠に移っていたのだから、信忠亡き後はその子である三法師が継ぐのが正当であること、これらを前に出されると勝家も反論は難しかった。

 更に、清洲城にて行われたこの会議に参加した重臣四人の内、これを言い出した羽柴秀吉に丹羽(にわ)長秀(ながひで)池田(いけだ)恒興(つねおき)の二人が同調したため、勝家一人では我を通せなかったのである。何より信長の仇を直接討った秀吉の発言力が物を言った。

「分かりました。では跡継ぎはよいとして、領地配分はどうなられたのですか」

「信雄様が尾張を、信孝様が美濃を相続される。わしに関してはこの越前に北近江と長浜(ながはま)城が追加される。それと……」

「なんでござりましょう」

「領地ではないのだが、お(いち)の方(織田信長の妹)が、わしの妻となる」

「な、なんと! それはおめでとうございます」

「うむ。これでわしは織田家との繋がりをより深めていくことができる。お市の方も、秀吉に付き従うのは嫌がられているようだしな。後見人になられた信孝様も跡継ぎに推したわしに懇意だ。こうやって秀吉が専横(せんおう)を振舞わんよう睨みを利かせる立場に居なければならん」

 こうして清洲会議の結果は伝えられ、一応の形ではあるものの織田家の跡継ぎ問題は解決したかにみられた。

 ここで利家と盛政が改めて能登国の一向衆蜂起について意見を求める。

「織田家がまとまった証とするためにも、領内の敵は早急に討ち滅ぼすべきだ。準備は整っていよう、自国に戻り次第すぐに出陣せよ。ただ蹴散らすだけではいかんぞ、次の反乱が必ず起きぬよう徹底するのだ」

 利家と盛政は深く一礼して退出した。意気 旺盛(おうせい)に自国へ向かう利家と異なり、盛政は気が重い。本願寺勢力が衰退した今でも蜂起する一向衆。彼らの信仰、忠誠の対象は神仏であり、仏を討伐するわけにもいかない以上、二度と反乱が起きないようにするためには彼らを根絶やしにするしかない。

 また前回と同じように多くの領民を処刑する破目になるか。今回は、自分は援軍として向かうことになるであろうから処断は前田殿に任せよう。そう逃げておいて、盛政は別のことに思案を寄せた。

「妻になる、か……」

 勝家の下にお市の方が嫁ぐというのは、経過はどうあれ盛政にとって非常に喜ばしいことである。異論など考えようともしない。盛政が考えたのは自分の娘のことであった。

 虎姫は幼少より盛政に付き添って戦地を駆け巡ったが、今や十三歳になる。まだ長子のいない盛政にとって、一人娘の虎姫をどこに嫁がせるか、それは大きな悩みの種であった。何より、

「虎が誰かの妻になってかしこまっている姿など想像もできん」

 と呟き、そこで思考を止めてしまう。これも一種の逃げであろう。なかなか子離れできない父親であった。



 尾山城に戻った盛政は、早速側近らを集めて出陣する旨を伝えた。それから数日で二千五百の兵を整え、敵の動向を探りながら石動山へ向かって進軍する。利家も自身の居城 小丸山(こまるやま)城に帰還するとすぐに兵を動かし戦地に赴く。利家部隊の中にはようやく戦えることに人一倍奮起する(ちょう)連龍(つらたつ)の姿もあった。

 荒山峠で砦作りにいそしむ温井景隆、三宅長盛両名は連龍にとって一族の仇である。仇の筆頭であった遊佐(ゆさ)続光(つぐみつ)は、利家によって能登国が治められた際に連龍により探し出され処刑されている。残りの二人を討つことによって、五年越しの彼の悲願はようやく完遂となるわけである。鼻息も荒くなるというものであった。

 戦場に着くと、利家は陣も敷かず連龍に石動山を北西より攻めさせた。敵の注意を傾けるためである。利家自身は三千の兵を率いて南西に当たる石動山と荒山峠の境に進み、砦の普請(ふしん)に没頭している温井景隆を急襲した。驚いた景隆は作業を放り出し、ろくに戦うこともできず荒山砦に立て篭もった。こうして石動山と荒山砦を分断しておいて、利家は後方に控える盛政部隊に早馬を飛ばし石動山に向かう。

 連絡を受けた盛政は荒山峠に急進し、夜が明ける頃には砦を完全に包囲した。即座に総攻撃の指示を出す。防戦準備も整っておらず援軍要請も行えない景隆らは、それでも必死に防ごうと怒声を張り上げた。だが未完成の砦は景隆の期待を容赦なく裏切った。

 四方を囲んだ盛政の側近の一人が、砦の一角にまだ塗り固められていない城壁を発見、報告すると盛政はすぐそこに行き、一点集中の波状攻撃を開始した。激しい攻防となるものの幾度目かの攻撃で城壁は破れ騎馬と足軽が雪崩れ込む。

 これでもう勝敗は決まった。そう判断した景隆と長盛は、馬に乗り手勢のみ連れて、(から)め手から包囲を破って脱出しようと門に向かう。なんとか辿り着いたと思ったその時、目の前に立ちはだかったのは盛政、虎姫父子であった。

「虎、景隆と長盛はわしがもらう。連龍殿に尾山(おやま)御坊(ごぼう)での援軍の礼をせねばならんのでな。お前は周りの相手をしてくれ」

「分かった、とーちゃん」

 言うなり盛政は刀を抜き、馬の腹部を軽く蹴って走り出した。景隆も慌てて刀を抜く。走り寄る盛政と迎え撃つ景隆、二人が太刀を振りかぶったのはほぼ同時であったろう。だが振り下ろす速度が全く異なった。只の一合も交えさせず、盛政が走り抜けた瞬間、景隆の両手首と首は胴から切り離されていた。とっさに馬を反転させた長盛は返す刀で背中から斬り付けられ絶命した。まさに鬼の如き強さを見せ付けられて、景隆の部下は虎姫が襲い掛かるより早く退散した。

「さすがとーちゃん!」

「この程度では誇れん。もっと武勇に秀でた者相手でないとな。だが、これで連龍殿への土産は確保できた」

 荒山砦は僅か半日で落ちた。盛政は事後処理を行いながら利家に使者を出し、次の指示を待つことにした。

 利家のほうは石動山天平寺目指して進撃を続ける。さすがは能登国における一向衆の本山。向かってくる僧兵は屈強で士気も高く、山道から躍り出ては果敢に利家の行く手を阻む。だが利家自身も『槍の又左(またざ)』と(うた)われる武勇の士である。並外れた膂力(りょりょく)を持つ僧兵には自ら武器を取って打ち破り、激戦を重ねること丸一日、遂に天平寺を中心とする三百六十院坊のふもとまで辿り着いた。

「よし、佐久間殿は見事荒山砦を落としたとのことだ、後背を突かれる心配はないぞ。かねてからの指示通り乱破(らっぱ)を放て」

 乱破衆は工作に長けた集団である。利家は彼らを、石動山南半分を囲むように配置した。

「やれ!」

 利家の叫び声と共に、一斉に火が放たれる。更に火の巡りを早くするため、そのまま中に入って火薬を撒く。この辺りは火薬の扱いに長けた伊賀(いが)者が率先して行った。火は瞬く間に山頂目指して進み、日が沈む頃には三百六十院坊で火の回っていない個所はなかった。

 一向衆は北口目指して脱出を試みたが、そちらは山道を固めている長連龍部隊により斬り伏せられていった。連龍は利家から厳命を受けている。逃げてくる者は、たとえ女子供でも容赦なく斬れと。彼は命令を忠実に遂行した。

 荒山峠から燃え盛る石動山を目にした盛政は、低く呟いた。

叡山(えいざん)焼き討ちの再来だな。これでは生き残る者などほとんどいまい」

「とーちゃん、虎はあんなやり方は好かぬ。寺には戦う気のない者や女子供もいるのであろう。それを無差別に殺し尽くすなど……」

「いや、前田殿とて無慈悲にそのようなことをしているのではない。この焼き討ちにより、こたびの戦はたった二日で終わった、全てを灰燼(かいじん)()す形で。これだけ決定的な武威を示せば、主君亡き後の織田家に付け込もうとする国人衆への、大きな警告になるであろう。そして何より、この石動山の戦に乗じて攻め込んでくる上杉軍に隙を見せずに済んだのだ。この戦いが長引けば、必ずや後方で戦火が上がる」

 まさに盛政の言う通りであった。この日越後国から能登国へ進軍していた上杉軍は、石動山から立ち昇る煙を物見から報告され、失意のままに軍を引き返していたのである。

「ともかく、これでこの能登国にも反抗する大きな勢力はなくなった。いよいよ上杉と決着をつけることができる。どうせするならもっと実りの多い戦をせねばな」

 ひたすら燃え続ける石動山を背景に、盛政らは峠を下り、利家の部隊に合流した。援軍の功をねぎらう利家。連龍のほうは温井景隆、三宅長盛の首を前に涙を流して喜んでいる。石動山は二昼夜にわたって燃え続け、天平寺を本拠とする三百六十院坊は、その名と跡形をのみ残すこととなった。

 尾山城に戻った盛政は、上杉軍との決戦意欲をあらわに兵の訓練や情報収集に乗り出した。虎姫も日々の鍛錬にますます励み、近頃では盛政相手の稽古で、十本に一本は木刀を体に打ち付けることができるまでに成長していた。

 戦だけでなく国内も善政を敷くよう務め、領地の巡察も怠らなかった。もっとも巡察については、何かと外に出たがる虎姫にせっつかれてのことではあったが。

 国内を固めるのは能登国の前田利家、越中国の佐々成政も同様で、三人とも目標を上杉軍としっかり定め、来るべき時に備える。だがそんな彼らの意気込みを全く無視して、織田家は大きく揺れ動き始めていた。



 八月に入ると織田(おだ)信孝(のぶたか)は積極的に勝家と連絡を取り出し、その関係をより密度の高いものにしようと画策し始めた。勝家のほうも織田家中での自身の立場を強化するため、何より清洲会議以降逆転してしまった秀吉との差を埋めるため、進んでこれを受け入れた。しかしこの信孝の行動を面白くないと感じる者がいた。織田(おだ)信雄(のぶかつ)である。

 信孝の行動を掴んだ信雄は、自分も後ろ盾を欲し秀吉に近づいていった。信雄からの援助依頼を受け入れた秀吉は、各地の織田家臣に味方するよう使者を送った。秀吉の動きを知った勝家も負けじと使者を送る運びとなる。

 このようにして織田家中は柴田勝家、織田信孝陣営と羽柴秀吉、織田信雄陣営に大きく二分されていった。急激に深まっていく溝に、両者は一戦は避けられぬものという思いを強くしていく。

 味方の取り合いは家中に止まらず、外交に発展していった。勝家、秀吉とも上杉家、毛利家、徳川家、北条家といった織田家を取り巻く各国に使者を飛ばす。こうした水面下での戦いを繰り広げる中、先手を打って大きな行動を仕掛けたのはやはり秀吉であった。

 十月中旬、秀吉は京にて大規模な信長の葬儀を執り行った。信長の遺体は香木によって作られ、棺には金装飾が張り巡らされた。供養が行われる大徳寺(だいとくじ)までの道は三万の兵によって警備され、秀吉の家臣は元より織田家中の各城主も参列し、更にそれを見物しようと多数の貴族、そして雲霞(うんか)の如く大衆が押し寄せ、壮絶な様相を呈するものとなった。

 一千人を超える僧侶によってお経が唱えられ、およそ七日間にわたって行われた式は大成功のうちに幕を閉じた。勿論この葬儀に勝家や信孝、そして当主であるはずの三法師は来れない。それを意図しての秀吉の演出である。ここに参加した者はみな、秀吉こそが織田信長の後継者であると頷き合ったのである。

 勝家も秀吉の思惑は重々承知していたが、さりとて出向くことはできなかった。大きな先手を打たれた勝家は、最早いつ挙兵して打開を計るかというところまで追い詰められた。機を窺う勝家であったが、名目なく兵を動かすわけにはいかないと足踏みする日が続く。両者一触即発の膠着状態のまま一一月を迎えた。

 この時期になると勝家のほうに頭を抱える問題が生じてくる。雪である。北陸に主力を置く勝家としては、冬が本格化して積雪すると軍を動かすことはできない。年を越す前に一気に片をつけるべく軍を南下させるか、それとも一時的にでも講和を結び春になるのを待って行動を起こすか。

 二者択一に悩む勝家であったが、やはりここでもいたずらに兵を動かすのに怯みを見せる。勝家の勢力がないと対抗できないと考えた信孝の勧めもあって、結局講和を申し込むことに決定した。

 勝家は前田利家、不破(ふわ)勝光(かつみつ)金森(かなもり)長近(ながちか)の三人を使者として送り出した。この三人の来訪を受けて秀吉は歓喜した。勝家との間に和平がなったから、というわけでは勿論ない。勝家が冬を待たずに軍を動かすという危険がないことを、わざわざ勝家自身が知らせてくれたからである。

 織田家の中でも特に猛者揃いで鳴る北陸征伐軍、これに美濃国の信孝、更には清洲会議での領地配分に不満を持ち、勝家側に属した伊勢国(いせのくに)滝川(たきがわ)一益(かずます)が、連携して一挙に押し寄せてくればさすがの秀吉も苦戦は必至となったであろう。

 上杉、徳川両家に後背を牽制するよう要請しているが、当てにはできない。戦局によっては逆に自分こそが後背を中国の毛利、四国の長宗我部(ちょうそかべ)両家に襲われかねない立場になるのである。その最悪の未来予想図を、敵のほうで破り捨ててくれたのである。喜ぶのも当然であった。

 秀吉は三人をわざわざ城外まで出迎え、あくまで織田家にある同僚として振る舞い、下にも置かない歓待ぶりをとった。秀吉の態度にすっかり満足した三人は、これで講和が整ったと意気揚々と戻っていった。利家らの報告を受けた勝家も、ひとまずはこれで(しの)げたと胸を撫で下ろしたものである。

 一二月、越前国はすっかり冬景色である。しんしんと降り積もる雪を天守から見下ろしながら、勝家は雪解けからどう動くか思案していた。内外への工作も引き続き行っている。外交面では特に毛利家とも秀吉とも敵対している四国の長宗我部家と(よしみ)を通じた。これをどう活かすべきか……。外を眺め続ける勝家の下に、家臣が飛び込んできた。

「も、申し上げます。羽柴秀吉軍、近江(おうみ)を進攻。長浜(ながはま)城に迫っております!」

「な、なに!」

 勝家は思わず叫んだが、すぐに愕然(がくぜん)とした。

「してやられた……」

 秀吉は北陸征伐軍が動けないことを確認すると即座に動き出した。先月の講和のやり取りなど存在しなかったかのようである。そもそも一片の誓紙(せいし)も交わさずに講和が成ったものと思い込んだ自分が浅はかだったのであろう。勝家は拳を震わせる。ここで動いたということは、つまり……。

「すぐに援軍を差し向けましょう」

「無駄だ。今から援軍を送ったとしても、この雪では到着までに時間がかかりすぎる。長浜城は以前秀吉の居城であったところ、攻略も熟知していよう。長くはもつまい」

 長くもたないどころではなかった。長浜城主 柴田(しばた)勝豊(かつとよ)(勝家の養子)は、秀吉が包囲すると抵抗らしい抵抗は全く示さずあっさりと開城した。これによって清洲会議で勝家が拡大した領地は、秀吉に奪い取られてしまったのである。そして勝家が予測する展開通りに秀吉は動いていく。

 長浜城が秀吉の手に落ちた報告を受けて、美濃国の信孝が守りを固めるために岐阜城に兵を集め出した。これを自分に対する挙兵だと受け取った秀吉は急進し、さしたる抵抗もさせないまま岐阜城を取り囲んだ。自軍だけでは抗し得ないと戦意を喪失した信孝は、これまたあっさりと降伏勧告を受け入れた。

 信孝は秀吉の主君筋に当たるため、城替えや領地削減はなかったが、後見人の役目を降ろされ、織田家当主である三法師は秀吉に取り上げられた。秀吉は尾張国の信雄を改めて後見人に定め、織田家中における立場を盤石のものとしたのである。

 清洲会議以来、勝家は常に秀吉の後手に回る形でことを運び、しかも(かんば)しい結果が得られていない。これは勝家があくまで織田家の家臣としての範疇(はんちゅう)で事態を展開しようとしたためである。

 勝家は自分が秀吉を打倒し、家中最大の権力を手中に収めたとしても、そのまま織田家にあって、『天下布武』を新しい主君にひたすら遂行させたであろう。だからこそ軍を動かすにあたっては名目にこだわり続けたのだとも言える。

 勝家は自分で構想を打ち立ててそれに邁進(まいしん)するような発想はなく、主君が指し示す道をひたすら切り開くことに心骨を捧げるのみであった。

 対して秀吉には信長の死以来、自身が天下人たらんとする大望がある。信長が願った乱世の終息を受け継ぐのは自分しかいない、という想いが彼を動かしている。自分の手によって天下を治めることこそが秀吉にとっての大義であり、この大義を満たすために軍を動かすことを躊躇(ちゅうちょ)しない。

 この志の大きな差が器量の差に反映され、ある程度まで読めていながらも秀吉の行動に振り回される結果を生んだのである。

 年が明けて天正(てんしょう)一一年(一五八三年)二月、秀吉が次に狙ったのは伊勢国の滝川一益であった。今や旗色を鮮明にして勝家陣営に属している一益は、一月から積極的に進撃を開始し、伊勢国内で秀吉側についた城をどんどん落としていた。秀吉は四万の兵を引き連れ伊勢に進攻、その情報を得るや一益は居城である長島(ながしま)城に戻り、篭城戦の構えをとった。

 秀吉は落とされた城を奪い返していき、更には一益所有の支城も徹底した焼き討ち、火薬術によって落とし、追い詰めていった。だがさすがに長島城は一益直接の指揮もあって落ちる気配はない。秀吉も一益の指揮能力を低く評価していなかったため、睨み合いに近い状態が続いた。

 秀吉が伊勢国に軍を進めたことを知った勝家はついに決心した。

「このまま雪解けを待っていては我々は孤立する。これより南下して秀吉を討つ!」

 尾山城で出陣命令を受け取った盛政は深い溜息をついた。

「やはりこうなってしまったか……。上杉家に次いで我が織田家も。家督争いというのは避けられ得ぬものなのだろうか」

 虎姫とトラが気の毒そうに見つめる。

「なんで皆仲良く一致団結して進めないんでしょうねぇ、トチガミさん」

“一致団結などというのは、誰か強烈にリーダーシップを発揮する人がいて、それに従う形で行われるものです。同格の者同士で作った決まり事を守り続けるなど、アナタの時代でさえなかなかないことですよ。この時代では、相対する者はどちらが強者であるかを明確に示さねばならないのです。戦って勝って、自分が一番の立場を確立できてこそ、その言に従う、つまり一致団結できるようになるのです。まさに今がその戦う時なのでしょう”

「でも、勝てなかったらダメなんでしょう」

“勿論です。勝者が出れば敗者が出る。(ことわり)ですね。どちらも勝つなんていうことはあり得ません。敗者は勝者の(いしずえ)になるのみです”

「か、勝てるんですか!」

“…………。アナタは、虎姫と盛政様を精一杯見守ってあげてください”

「……分かりました」



 二月下旬、雪の降り積もる越前国を勝家率いる三万の北陸軍は南下し始めた。伊勢国で勝家動くの報を受けた秀吉は反転してすぐに近江に向かう旨を伝え、織田信雄を呼ぶよう指示した。

「遂に決着をつける時がきたのぉ」

 感慨深く呟く秀吉の前に、信雄が現れる。

「信雄殿、柴田勝家が動いたようじゃ。我らはこれより長浜城に向かう。貴殿はこの亀山(かめやま)城を拠点とし、蒲生(がもう)氏郷(うじさと)と共に滝川一益を喰い止めてくだされ」

「分かり申した」

「この戦に勝てば織田家直轄であった美濃(みの)尾張(おわり)も信雄殿のものじゃ。奮迅の働きを期待しますぞ」

 今や主従の関係はほとんど崩れている。信雄は複雑な心境であったが、黙って頭を下げた。

 雪に閉ざされた近江への道のりは予想通り難航した。三月に入ってようやく勝家本隊は余呉湖(よごのうみ)とその南の(しずがたけ)ヶ岳を見晴るかす(やながせ)ヶ瀬山に到着し、陣を敷いた。盛政ら各武将も勝家の陣のすぐ南側に密集して陣を張る。秀吉も三月半ばには長浜城に到着し、長浜城へ伸びる北国街道を封鎖する形で東西に陣を敷いた。柴田軍三万に対して羽柴軍五万であった。

 こうしてお互い対峙する形が整ったところで、激しい野戦が繰り広げられた、……わけではなかった。物見(ものみ)同士の小競り合いはあるものの、陣から打って出る部隊は双方ともない。

 勝家からすれば兵力差が物を言う野戦において、正面から総攻撃をかけることはできなかった。一方秀吉のほうも、兵力で上回るからといって、歴戦の猛将揃いの北陸軍に正面から決戦を挑むことなど考えていない。

「これは長滞陣になるな」

 勝家、秀吉ともそう認識し、両陣営とも相手の様子を窺いながら砦の建築に取り掛かった。ただし勝家側は攻め込むための拠点として、砦そのものの防備よりもその配置や各砦間の連絡に重きを置き、秀吉側は敵の攻勢に耐え得るよう防備の強化を重視するといったように、(おもむき)の異なる砦作りであった。

 このように互いが少しでも戦術上の優位を確保するため砦を築き続けた結果、睨み合いだけで一ヶ月が費やされようとしていた。

 勿論砦作りにのみ勤しんでいたわけではなく、連日に及ぶ軍議や敵陣への内部工作が、敵味方でひっきりなしに交わされていた。そしてこの内部工作においては、この時点で勝家側が有利であった。

 秀吉は、織田家を二分したこの戦いにおける総大将の地位を、ほぼ自分の力で勝ち取った。賞賛されることではあるが、それだけに味方の諸将で秀吉に心服していない者も多い。その勢いに抗しえず、織田家存続のためと割り切って臣従しているのが現状である。

 対して勝家には、信長が家督を継いでから付き従ってきた、織田家の重鎮(じゅうちん)としての立場が確立されている。一方の総大将を務めるのがごく自然の成り行きであり、その実力と実績、人望に味方は誰も異論を挟まない。

 双方の間者が飛び交う中、勝家の下には羽柴軍の各砦を守備する武将達の情報が集まってくる。中には秀吉の家臣として徹底抗戦を誓う者もいるが、多くは日和見な態度で、現時点においても去就を定めかねている様子が伝わっていた。

 このまま滞陣が続くようであれば勝家のほうから誘いの手を差し伸べ、戦力差を一気に逆転させることも可能である。勝家はそう睨み、永陣(えいじん)の構えをますます強化した。

 だがこの優位こそが勝家本来の攻撃性、下手な策略など粉砕してしまう猛攻をためらわせ、進んで秀吉と同じ土俵に上がる状況を作ってしまったのかもしれない。少なくとも盛政にはそう見えた。盛政は、度重なる軍議において都度それを指摘した。

「戦端を開くべきです伯父上。敵は防戦の構え、総攻撃をかけてくる様子はありません。であれば総力で我らが下回っていても、集中的に兵を動かせば各個に打ち破るのは難しくないはずです。よしんば破れなかったとしても、敵を引きずり出せれば野戦に持ち込むことができます。野戦になれば我ら必ずや伯父上のご期待に添う戦果を上げてみせます」

「北陸で幾多の勇を輝かせたお主の言だ、信用は置けるがな。だがここはまだ動くべきではない。秀吉に従っている諸将の動揺は日増しに大きくなっている。このまま推移し、我らのほうから道を開いてやれば、攻める動きを示すだけで途端にこちらに寝返るようになるわ。それまでは攻撃を控えよ」

「お言葉ですが伯父上、彼らの動きに対して秀吉が何の手も打たずにいるとは思えません。元来そのような戦法は秀吉こそが用いるもの。面と向かって戦っていた毛利とさえ和睦を整えた男ですぞ。時間を与えれば与えるだけ、敵のほうにこそ策を授ける結果になる気がしてなりませぬ。ここは策に頼らず一気に勝負を決めるべきです」

「時間を稼ぐは何も策にのみ頼っているからではない。伊勢では滝川一益が頑強に抵抗を続けておるし、ここが膠着すれば一度は降伏した美濃の信孝様も兵を挙げるに違いない。うまくすれば三方より秀吉を囲むことができるのだ」

「しかし、囲むといっても互いの距離が遠すぎます。戦いの前から計画していたならともかく、今に至って連携を取ることはほとんどできませぬ。逆に我らがここで奮闘して、敵の兵力をここに集中させればお二方も兵をこちらに向けることができるはずです。何卒出陣の許可を」

「いいや駄目だ。野戦を仕掛けるのは危険が大きすぎる。待ってより有利な状況を作り出すべきだ」

「野戦を危ぶまれるなど、伯父上らしくございませぬ。我らが野戦で力を発揮せずして、いかにして勝利を掴み取れましょうや。前田殿はどう思われます」

「……拙者は、総大将たる柴田様に従うのみです」

 この戦が始まってから、前田利家はほとんど自分から発言していない。利家はこの戦そのものを嘆いていた。自分が父と呼ぶほどに慕う勝家と、自分が信長に取り立てて以来友として接してきた秀吉が真っ向から戦っているからである。義理も情も両方に多分にある。本音を言えばどちらに味方するのも辛いのであった。

 そして秀吉を友としてよく知る利家だからこそ、盛政の進言のほうがおそらく正しいのであろうと分かっている。勝家や盛政、そして自分自身も含めて、知略で敵を陥れることを得意としていない。敵を恐れずに攻撃する勇猛さこそが高く評価され、その評価に値する戦功を立ててきたのである。

 対して秀吉はまさに智将であった。織田家中随一の知略によって今日の地位を築いたのである。この秀吉相手に策を競うのは、好んで術中にはまりに行くようなものだ、利家はそう考えている。

 だがそれを進言することは、秀吉を苦境に立たせることに繋がる。かといって勝家を負けに追い込むような発言もできず、利家は苦慮しつつも命令にただ従うのみという姿勢をとっていた。



 滞陣がついに一ヶ月を過ぎた頃、秀吉の下に二つの報告が届いた。一つは伊勢国の滝川一益が勢いを盛り返し、織田信雄が苦戦しているというもので、秀吉に落胆と苦渋の二種類の表情を作らせるものであった。だがもう一つの報告を受けるとそれらは瞬時に消し飛び、驚愕がそれに取って代わって顔に貼りついた。

「信孝が兵を挙げただと!」

 まさに滝川一益の勢いを受けて、秀吉に降伏したはずの織田信孝が美濃国で挙兵したのである。これを放置すれば勝家の筋書き通り三方から攻撃されることになりかねない。秀吉は焦った。

「信孝め、やはりもっと力を削いでおくべきであったか。だが今さら悔いても始まらん。どう動くか考えねば……」

「殿、これは絶好の機会と受け止めるべきでございます」

 口を開いたのは側近、黒田(くろだ)孝高(よしたか)官兵衛(かんべえ))である。

「ここで信孝が動いたは明らかに時期尚早。我らが柴田軍と戦い疲弊しているならともかく、まだ戦端すら開かれておりませぬ。信孝自らが倒されに出向いてきたようなものです。ここは一刻も早く信孝を倒し、挟撃の憂いをなくすべきです」

「だが官兵衛、我らがここを空ければ勝家が押し込んでくるのではないか」

「無論その懸念はございます。しかし拙者が絶好の機会と申し上げたのもそこにございます。現在勝家は攻勢に出てこようとしていません。これは我が軍に勝家が調略を巡らす隙があるからに他なりませぬ。だがそれゆえに、事を有利に運ぶよう躍起になり、自分に足枷(あしかせ)をはめているとも言えます。おそらく殿が動いたとて全軍で打って出るような真似はしてこないでしょう」

「全軍で打って出てこずとも、先陣が戦を仕掛けてくることもあろう。……そうか!」

「その通りでございます。敵の先鋒が向かってくれば、我らはそれを押し包むように戦うのです。そうすれば敵はこれを救うために逐次に兵を投入してくるでしょう。その時こそ兵力で上回る我らが総攻撃をかけるのです。今ある攻守の立場を逆転してしまえば、敵が狼狽するのは目に見えております」

「なるほど、もっともだ。とすればこちらもすぐに引き返せるよう段取りを組まねばなるまいな。兵站(へいたん)に就いている三成を呼べ!」

 秀吉は石田(いしだ)三成(みつなり)を呼びつけると、何やら小声で指示を与えた。それが済むとすぐに立ち上がり、家臣達に命じる。

「これより予は美濃に向かう。留守は弟の秀長(ひでなが)に預ける。各将とも秀長に従い、砦を堅く守るように」

 こうして秀吉は一万五千の兵を引き連れ美濃国へと向かった。

 信孝立つの報告は勝家にも届いていた。勝家は黒田孝高と同じ考えを抱き、苦悩した。

「早い。なぜ今立つのだ。兵を挙げる時期は我らより指示するものを……。秀吉め、どう動く」

 敵陣後方に控える秀吉の動きは勝家には分からない。分からないはずであったが、それは意外にもすぐに知るところとなり、更に勝家を悩ませることに繋がるのであった。



 秀吉が陣を空けてより一日、行市山(ぎょういちやま)に陣を敷く盛政の下に、敵方の山路(やまじ)正国(まさくに)が僅かな供を連れて落ち延びてきた。この山路正国は、先に秀吉に降伏した長浜城主 柴田(しばた)勝豊(かつとよ)の家老であり、この戦において病床にある勝豊に代わって、秀吉方として参陣していたのである。そして正国は、勝家が仕掛けた工作により内応した一人であり、そのことは盛政も承知している。それがなぜほぼ単身の状態でこちらに逃げ込んできたのか。

「秀吉側に、拙者の内通が露見しましてな」

 正国は自陣において自分を見張る軍監(ぐんかん)を斬り、部隊を掌握して勝家側に属するつもりであったが、その軍監に内応を知らせる者がでて逆に追われる身となったのであった。

「そういう次第で、真に面目なきことながら、貴殿に呼応して敵の腹背を突くような所業はできなくなり申した。しかしながら、羽柴軍についていささか情報を得ておりますので、それのみでもご活用くだされ」

 正国が単身こちらに移ったとあれば、人質に出している彼の妻子は無事にはすむまい。盛政は同情を禁じえない。正国は身内の不幸などおくびにも出さず、朗々と知る限りの情報を伝えた。

 これにより秀吉本隊が信孝討伐のために昨日から美濃に向かったこと、更には盛政の正面に控える神明(しんめい)堂木(どうぎ)の両砦は守備も堅く攻めるのは難しいが、その後方の大岩山(おおいわやま)岩崎山(いわさきやま)(しずがたけ)ヶ岳の各砦はまだ建築途中にあり防備が整っていないことが判明したのであった。

 つまり正面を大きく迂回して賤ヶ岳まで回り込めば、敵の懐深くまで潜り込むことができる。盛政はすぐにそう理解し、この戦における勝利への光明をようやく見出した気持ちになった。早速勝家の陣に向かい、これらを伝え出陣の許可を得ようとした。

「ならん。今我らから打って出ることは許されん」

「なぜにござります。これはまさに勝機。我が部隊が敵の内部に突進し、伯父上ら本隊が正面より押し進めば、敵が瓦解するは必定。しかも今ここに秀吉はいないのですぞ」

「その秀吉が、こちらの攻撃に合わせてすぐに反転してくる気がしてならんのだ。敵の懐深くに入り込むとは、裏を返せば敵の包囲に飛び込んでいくということだ。お主にそれをさせるのはあまりにも危険すぎる」

「危険を避けていては掴める勝利も掴めません。それに危険だからこそ、拙者こそ適任と自負させていただきたい。秀吉は一昨日より美濃に向かって木之本(きのもと)を立っております。我らが攻勢を知って引き返してくるは明後日になりましょう。二日あれば敵陣営を引き裂くのに十分です。ご決断を」

「しかし、秀吉は神速をもって数多(あまた)の戦功を上げてきた男だ。お主の算盤通りに事が運ぶとは限らん。やはりここは当初の構えを崩すべきではない」

「お言葉ですが伯父上、当初の構えは信孝様が兵を挙げられたことで崩れております。これ以上対峙を続ければ信孝様が敗れ、また滝川殿も敗れて我らが孤立するのみになります。目前の有利にこだわっておられる場合ではござりません」

 勝家は眉をしかめた。痛いところを突かれたからである。最初の包囲作戦にこだわっていては各個撃破される懸念があることは、信孝の報告を受けた時から勝家の頭に貼り付いていたのであった。

「むう、確かにお主の言うことにも一理ある……。まったく、信孝様に連絡を繋いでおかなかったのはわしの誤りか」

 勝家は短く嘆息すると少し考え込んだが、結局条件付きで盛政の提案を許可した。それは秀吉が木之本に戻ってくるまでに大勢が決していなければ速やかに撤兵し、元の陣を守るというものである。盛政もそれに異存はなく、感謝の言葉と共に深々と一礼した。

 一旦動くと決めれば勝家の行動は早い。敵の最前線に当たる神明砦、堂木砦には西より前田利家を当てて牽制し、盛政はその後方を迂回させて敵から動きが見えないようにする。盛政は各陣の部隊を吸収し、八千の兵をもってそのまま余呉湖(よごのうみ)の西側を南下して、南西から北東に攻め上がる形で大岩山に進ませる。

 更にその後詰めとして柴田(しばた)勝政(かつまさ)(盛政の弟)を賤ヶ岳に置く。勝家本隊も一気に攻めることができるよう、盛政の働きに合わせて南下を開始する。これらを軍議の場ですぐに決め、盛政に組み込まれる諸将はようやく戦えると俄然(がぜん)奮い立った。

「だが、大岩山を陣取るは織田家にあって勇将の名高き中川(なかがわ)清秀(きよひで)だ。寡兵といえど決して侮るな」

 盛政は行市山の自陣に戻り、側近らに出陣の旨を伝え即座に準備を整えるよう指示した。

「ようやく戦えるね、とーちゃん」

「ああ、さすがは伯父上の采配、真に的確な配置だ。勝負は秀吉が戻ってくる明後日までに決めてしまわねばならん。我らの働きが全てを決するのだ。臆するでないぞ!」

「おうっ!」

 喜び勇んで支度を整える虎姫の足元にトラがやってきた。

「虎姫様」

「なんじゃトラ」

「トチガミさんからの伝言です。これより先は、いかようなことがあろうとも決して盛政様の側を離れぬように、とのことです」

「虎はいかなる時もとーちゃんの横で戦っておるではないか。なぜ今さらそのようなことを言うのだ」

「それは私にも分かりかねます。盛政様のお側にいないととても危険ということかも」

「とーちゃんと虎は敵陣の一番深いところに斬り込んでいくのじゃぞ。危険なのは千も承知。命を惜しんでとーちゃんにくっついていろと言うのであれば、それは聞けぬぞ」

「いえいえ、これはあくまで私の考えですよ。とにかく、トチガミさんの言うことなんできっちり守ってください。決して虎姫様にとって悪いことではないですよ、……多分」

「ふぅむ、まぁ分かった。どのみちとーちゃんの脇を固めるはこの虎を置いていないからのぉ」

 支度をすませると、虎姫は馬にまたがって盛政の下へ駆けていった。トラが中空に向かって話しかける。

「これでいいんですかトチガミさん。虎姫様の言う通り、ホント今さらって感じしますけど」

“……これでいいのです。ありがとうございます”

 トラはなんとなく釈然としないながらも、腰袋に収まるべく虎姫の下へトコトコ歩いていった。



 盛政率いる八千の兵は勝家の指示通り、余呉湖北西に位置する茂山(もざん)で敵を牽制する前田利家部隊を迂回して余呉湖を南下し、明朝賤ヶ岳に出た。ここで敵の物見に発見され、柴田軍来襲の報が秀吉方の各陣を駆け巡る。秀吉不在に加えて、敵が前線ではなくこのような敵中深くまで進撃してきたことに各陣は騒然となった。

 更に狙いが大岩山砦であることを掴むと、守将中川清秀は自陣の両隣に位置する岩崎山の高山(たかやま)重友(しげとも)右近(うこん))、賤ヶ岳の桑山(くわやま)重晴(しげはる)にそれぞれ援軍を求めた。

 だが桑山重晴からは、盛政の後詰めとして賤ヶ岳に陣取った柴田勝政隊に睨まれているため動けない、この未完成の砦では敵の猛攻は防ぎきれないから共に後退すべき、という返事がくるのみであった。事実彼らの陣は柵を設けてはいるものの、まだ周囲に土塁を張り巡らせている最中であり、砦として十全に機能する状態ではなかった。

 高山重友にいたっては、援軍を送ることができないばかりか、自陣では持ち応えられないと早々に判断、そのまま軍を率いて後陣の羽柴秀長部隊に合流すべく撤退し始めた。ここに中川清秀は完全に孤立した。だが清秀は自分達も即座に撤退すべき、という側近らの進言に対して堂々と言い放った。

「我らが退くことはならん。ここで退いては戦わずして敵に一帯の陣を全て奪い取られ、羽柴軍に武将なしと中傷されるであろう。それで何の面目あって大将に顔を(さら)すつもりだ。それに御大将は織田家随一の知恵者。ご不在時にこのような事態になるのも想定されているはず。ここで我らが奮闘すれば、必ず軍を戻して大攻勢に繋げるであろう。時を稼げば稼ぐだけ羽柴軍の勝利に貢献することができるのだ。断じて退かん!」

 既に死を覚悟した口調である。側近らは息を呑んだが、彼らの顔にも徐々に決意の色が満たされ始める。

「聞けば寄せ手の大将は佐久間盛政。あの鬼玄蕃だ。勇猛で鳴る柴田軍にあって第一に猛将を謳われる男と刀を交えることができるのだぞ。これぞ武士の本懐。我らが名を高めるはこの一戦をおいて他になし。全霊をもって臨むのだ!」

「おおーっ!」

 側近らは高らかに拳を突き上げ、ここに中川清秀率いる一千の兵は死を恐れぬ一枚岩と化した。

 四月二〇日、朝方より攻撃は開始された。盛政は先頭に立って鉄砲の一斉射撃と騎馬による突撃を繰り返させ、その脇を虎姫と側近らが固めながら進もうとする。対する清秀もどちらが攻め手か分からないほどの猛攻を示し、足軽による波状攻撃を続けて押し返す。

 盛政にとっては地理が不案内なこともあり、緒戦はどうしても正面戦が繰り広げられる運びとなった。そしてここにおいては、数で劣りながらも決死の覚悟で挑む清秀のほうに勢いが傾き、盛政が直接指揮を執った突撃も逆に押し戻されてしまうほどの攻撃を見せた。

「さすがは名高き中川清秀。将の心が兵に染み渡っている。伯父上が評す通りの強さだ」

「こちらの槍にも刀にも、鉄砲にも怯まず向かってくるね」

「まさに死兵というやつだ。しかも一向衆とは違い統率に乱れもない。このまま対決していては、いずれは勝つにしろ被害も増えるし時間もかかる。やはり何か策を講じねばならんな」

 しばらく考え込んでいた盛政だったが、側近を呼び寄せると兵百余りをもって湖辺を周り、敵砦の裏側に回りこんで火をかけるよう指示した。

「不慣れな土地だからな、慎重に行け。敵に見つからぬことを優先するのだぞ」

「はっ」

 できれば盛政自身別働隊を率いたいが、自分がいないと敵に崩されてしまう恐れがある。それほどまでに清秀の猛攻は凄まじかったのである。

「よし、では我らは前面の敵に集中する。わしも目の前の勇敵に応えてやらねばな」

 一度は砦に引き返した清秀が再び出てきた報告を受け、盛政らは新手の兵二千をもって攻撃した。再び正面決戦が開始される。清秀のほうには兵を交代させるような余力もなく、全員が戦いづめである。それにも関わらず闘志に衰えが見られないことにほとほと感心しながらも、盛政と虎姫はそれぞれ騎馬を率いて敵を押し、その後を足軽が埋めようとする。

 攻防は一刻に及び、やや押され出した盛政は一度陣に引き返すかと考えた。だがその時、

「砦より煙が上がっております!」

 敵味方同時にその報告、正確には叫び声を受けることとなった。

「うまくいったか!」

 歓喜に奮い立つ盛政。反対に清秀の兵は動揺し、清秀自身もこの事態に砦に引き返すべきか迷った。この間隙を見逃すような盛政ではなかった。

「全軍突撃!」

 言葉を発するのと自らが陣頭に立って突っ込んでいくのがほぼ同時である。僅かに遅れて虎姫が、更に僅かに遅れて側近らが馬で続き、その後ろを足軽が喚声を上げながら走り出す。

 砦からの煙によって生まれた動揺と、これまでにない敵の勢いは、ひたすら戦い続けてきた清秀の兵に疲弊感を思い起こさせるのに十分であった。鉛のように重くなった体を支えながら、気力のみで敵を防ごうとする。だが数において劣り、勢いにおいて劣る今の状況では挽回する(すべ)はなかった。

 奮戦空しく倒れていく味方を見ながら、それでも清秀は馬上の体を崩さず、敵を見定めている。

「終わったか。いま少し時を稼ぎたいところではあったが。残念だがあとは御大将にお任せする以外にない。これよりわしはわしの存分を果たすとしよう」

 しっかりと前を見据えて馬を叩く。その目は味方の兵を斬り伏せながらこちらに迫ってくる偉丈夫をしっかりと捉えていた。

「佐久間盛政、覚悟!」

 盛政も清秀を視野に収めていた。真っ直ぐにこちらへ向かってくるその勇姿を一瞥(いちべつ)しただけで、言葉を交わさずともその意志が明確に伝わってくる。盛政は刀を構えなおし、口に出してはこう言った。

「虎、控えておれよ」

 虎姫は無言で馬を緩め、盛政に近づこうとする足軽を牽制する役に回った。盛政、清秀とも馬の速度を落とすことはなく、正面から衝突するかのように突進し、重なりざまに重厚な金属音を放って互いの位置を入れ替える。二人ともすぐさま反転すると再び馬を合わせ、そこから激しい剣撃が繰り広げられた。

 攻防一体の応酬は苛烈を極め、優劣つけがたい。虎姫から見ても両者は互角と映った。それだけに驚嘆せざるを得ない。

「何と、とーちゃんとこれほど太刀を交わす武人がいるとは。悔しいが虎では一歩及ばぬのぉ」

「太刀筋も盛政様とよく似ていらっしゃいますね。台風と台風がぶつかり合ってるみたい」

 トラが評す通り、二人とも相手の急所になる個所に剛剣を振り下ろし、弾かれれば別の急所を狙うといった打ち合いをひたすら繰り返す。

 下手に急所を外した個所を狙おうものなら、相手はそれをかわさず受け、代わりに必殺の一撃を叩き込んでくるであろうことを双方暗黙のうちに理解していた。辺りの兵もいつの間にかすっかりこの決闘に見入っている。打ち合いは百合近くに及んだ。

 ひたすら伯仲(はくちゅう)しているかに見えたが、徐々に差がつき始めてきた。攻め続ける盛政に対して、清秀が守りの手を入れだす。これは剣の腕前で盛政が上回ったというよりも、持っている膂力(りょりょく)が差を広げだしたとみるべきであろう。

 長時間にわたって盛政の剛剣を同じ剛剣で返し続けた清秀は、腕に痺れを感じるようになってきた。相手に振り下ろす一撃に半瞬の遅れが生じる。これを鋭敏に察知した盛政は、一撃一撃により重みをつけ、完全に振り抜くように刀を相手に叩き付ける。

 戦い当初であれば振り抜きざまに生じる隙に付け入れたのであるが、受け止めるたびに腕の痺れが増していく清秀にそれを行うことはできなかった。次第に受け止めるだけで精一杯になり、ついに均衡が崩れたと虎姫が悟った時、

「やった!」

 下から振り上げた盛政の太刀が清秀の太刀をかいくぐり、そのまま左腕を斬り飛ばした。

「見事なり、鬼玄蕃!」

 太刀を止め、顔色一つ変えずに盛政を見据えて清秀は言い放った。

「生涯最後に御身のような武将と戦えたは真に至福。この上は御身の手で首を取って手柄とされたし」

「中川殿、貴殿のような勇将と太刀を交えることができたはまさに武人 冥利(みょうり)。よき戦いでござった」

 清秀は微かに口元に笑みをこぼすと、右手を完全に下げた。盛政は軽く頷き、太刀を大きく振り上げて横一閃に清秀の首を斬り落とした。

「佐久間 玄蕃(げんば)(いん)盛政、敵将中川清秀を討ち取ったり!」

 この咆哮(ほうこう)に、周囲の清秀の兵は呪縛から解き放たれたかのように動き出し、そのまま潰走した。こうして朝方に始まった攻防戦は昼を迎えるまでに終わり、大岩山砦は盛政の手に落ちた。



 砦を落とすとすぐに盛政は東の岩崎山砦に兵を送った。高山重友が陣払いした情報は既に耳に入っている。そうしておいて自身は西に位置する賤ヶ岳砦に向かった。こちらは桑山重晴が一千の兵で立て篭もっているため落とす必要がある。

 重晴は砦から打って出ようとしなかったためさしたる抵抗も受けず、盛政はすぐに賤ヶ岳砦を包囲した。

「ふむ、このまま攻めてもよいが敵に戦意はなさそうだ。一度勧告してみるか」

 盛政は大岩山、岩崎山の両砦が陥落したことをしたため、軍使を送り込んだ。程なくして重晴から返事をもった使者が訪れた。

「砦は明け渡す所存であるが、拙者にも武士の面目があるゆえ日没までお待ち願いたい。それまでは形だけの抵抗をさせていただければ恐悦(きょうえつ)にござる」

 盛政はこれを了承した。盛政部隊も夜中から行軍を開始してここに至るまでほとんど休んでおらず、将兵共に疲れている。もし重晴が約束を反故にするのであれば日没以降に改めて攻めればよい。それくらいの時間の猶予はあるはずであった。

 盛政は包囲の輪を砦から少し離れさせ、交代で休息を取るように指示した。砦からは空鉄砲の音が聞こえてくる。敵が打って出てくる気配がないことを確認し、形だけの包囲を続け盛政自身も虎姫と休息を取り出した頃、勝家からの急使がやってきた。

「撤退して行市(ぎょういち)(やま)まで戻れだと!」

 盛政は唖然(あぜん)とした。それもそのはずで、自分達は勝家が立てた作戦に従って行動し予想通り、或いは予想以上の戦果を上げて今ここにいるのである。撤退する道理が全く分からない。

「大岩山砦を落としたことは伝わっているのか」

「いえ、それがしが伝令を受けた時点ではその報は入っておりませぬ」

「ならば砦陥落の報が入れば命令も変わるであろう。それまではここを動かぬ。そちは大岩山砦に続き岩崎山砦が落ちたこと、それにこの賤ヶ岳砦も今日中には落ちることを改めて伯父上に伝えに行ってくれ」

「かしこまりました」

 使者を送り出した後も盛政はいぶかしんでいた。何故ここで撤退なのか。盛政の活躍により敵は今や完全に分断されようとしている。孤立した敵の前線は、いかに砦が頑強でも落とすことは難しくないはずであり、また手こずるようなら盛政が背後から攻撃することも可能なのである。

 敵の前線を破って柴田軍が南下し、この賤ヶ岳と北国街道を占拠すれば、いかに秀吉とてその戦術的劣勢を覆す術は持ち合わせていまい。そこから全面決戦を挑んでこそ、美濃の織田信孝や伊勢の滝川一益が布石として活きるのである。

 ここで撤退すれば落とした砦はすぐに補填(ほてん)され、再び睨み合いに戻るのみであろう。その間に信孝、一益とも各個に討伐されることは疑念の余地がない。何といっても兵力は秀吉のほうが上なのである。今日のような奇襲作戦も二度とは行えず、長滞陣と消耗戦が続くことになる。

 後背に上杉という明確な敵を抱える柴田軍にとって、戦いが長期に及ぶことは望ましくない。何より、北陸を拠点とする柴田軍には雪という抗い得ぬ障害が存在する。これあるがために『軍神』と謳われ、無類の強さを発揮した上杉(うえすぎ)謙信(けんしん)もその領土をほとんど拡大できずに終わったのである。

 考えれば考えるほどに盛政は撤退を拒む気持ちのほうが大きくなっていた。再び訪れる伝令が進撃を促すものであってほしい、盛政は切に願った。だが再度届いた指示はその期待に応えてくれなかった。

「大岩山砦が落ちたと知ってもなお、軍を戻せと言うのか……」

 盛政は苦悩した。総大将たる勝家の命令を破るわけにはいかない。かといってそれに従うことは、先に考えた通りの展開を生み出すのみであろう。盛政はなおも考え込んだが、結局自分の意見を書簡に載せて勝家に再考を願うべく使者を送り出し、部隊はここに留まった。

 日没になり、約束通り桑山重晴は兵を率いて賤ヶ岳を降り始めた。僅か一日にして羽柴軍の分断に成功した盛政は、その功を誇るでもなく次の展開について考え始めていた。ここに留まって本隊が合流するのを待つか、それとも北東に進んで敵の前線の後背から攻めかかるか。

 勝家がより積極的であれば、大岩山砦陥落の時点で後続部隊を盛政に送り、敵の本陣である羽柴秀長部隊への攻撃を指示していたであろう。だがその時ちょうど現れた勝家からの使者の書簡は、盛政が思い描く部隊のどの軌跡とも異なっていた。書簡を読み終えた盛政は、ついに怒りを覚えた。

「なぜだ、なぜ撤退させる。一体本陣に何が起こっているのだ!」

 書簡を握り潰しながら使者ににじり寄る。使者はたまらず逃げ出そうとしたが、後ろを側近らが塞いだ。窮した使者は震えながら語り始めた。

「今や柴田様本隊は南下をやめて柳ヶ瀬まで退き始めているのです」

 実は、盛政が大岩山で中川清秀と戦っていた頃、勝家は北国街道を封鎖する(ほり)秀政(ひでまさ)の砦に攻撃を仕掛けていたのである。この堀秀政は、秀吉陣営にあって黒田孝高に比肩するほどの知恵者で、『名人』の冠を名前に付けられる。中国征伐までは軍監として秀吉と同行していたが、本能寺の変以降秀吉に従うようになった。

 単純に力押しで崩せると思っていた勝家は、二度にわたって攻撃するも逆に大打撃を受け、味方七千のうち五百以上の死傷者を出して引き下がった。ここに勝家は敵の士気が衰えないと悟った。勝家は自分が進軍すれば敵から内応者が出るはず、という最初の仕掛けにまだこだわっていたのである。

 この前線が崩れぬとあらば敵中深く入り込んだ盛政の部隊が孤立し、秀吉が戻ってくれば猛反撃を喰らって壊滅することになる。そう判断して再三撤退命令を出していたのであった。

 事情を飲み込んだ盛政は天を仰いで深く吐息した。彼にとって勝家は崇拝に近い畏敬(いけい)の対象である。自分が武人として命を懸けるのは勝家に忠義を尽くすため、そして自ら求める強さの目標にあるのもまた勝家であった。盛政はその勝家が衰えたと思いたくなかった。

 目先に飛び込んできた敗北に捕らわれて味方の危急ばかりを浮き彫りにし、すぐ先にあったはずの勝機が視界から消えてしまう。そのような敗将の道を勝家が辿ろうとしているとは思いたくない。盛政は長い沈黙の後、座り込んだままの使者に向かって口を開いた。

「分かった、伯父上の命令に従おう。兵に十分休息を取らせた後、日が昇る前に出立する」

 盛政は撤退そのものに苦労するとは考えていない。秀吉が軍を返して木之本に到着するのは明日の夕刻以降であろうとみており、その間に羽柴秀長が追撃してくる懸念はまずないと睨んでいたからである。この撤退に追撃してくるくらいであれば、そもそも大岩山砦攻防の折に兵を動かしていたであろう。

 後陣は秀吉が帰ってくるまでひたすら守備に徹するつもりだ。盛政のこの推測は正しかった。羽柴秀長に関しては……。



 秀吉は信孝を討つため美濃への道を一万五千の兵で進んでいたが、途中の揖斐(いび)川が氾濫(はんらん)していたため兵を渡せず大垣(おおがき)城で待機していた。これが結果的に秀吉の幸運となる。

「勝家が動いたか」

 四月二〇日正午、柴田軍が戦端を開いた報告が入り、秀吉は密かにほくそ笑んだ。だがこれは勝家が堀秀政と戦った報告であり、そのすぐ後に急使が来るとその表情は一変した。

「なに! 佐久間盛政が賤ヶ岳を通って大岩山を突いただと!」

 敵が攻撃を仕掛けることは狙っていたが、大岩山砦を攻めることは読んでいない。かの砦の防備が十全でないのは無論承知していた。秀吉はすぐに引き返すよう指示すべきか迷ったが、今戻り始めればすぐに敵の知れるところとなり、元の鞘に収まるのみである。

「動くのは敵に気取られぬ時でなければならん。頼むぞ清秀、予に時間をくれ」

 秀吉ははやる気持ちを懸命に抑え、表面は川の氾濫が収まるのを待って渡河しようとしているように振舞った。しばらくして石田三成が参上し、前日に指示された内容が滞りなく完了した旨を報告した。秀吉は黙って頷く。更にしばらくして、中川清秀討死の報が届いた。

「清秀が死んだだと……。味方は何をしておったのだ」

 岩崎山砦の高山重友が救援に赴かず、さっさと引き揚げた事実を知ると秀吉は激怒した。だが味方不利のこの状況で高山重友を処断するなど敵を喜ばせるだけである。

 清秀が自分に示してくれた忠義への感謝、その清秀を死なせる原因の一端を担った重友を処断してやれない無念、これら二種類の感情が秀吉の目から液体となって流れ出た。

 日が傾き夕刻になった頃、遂に秀吉は号令を発した。

「これより全軍木之本まで取って返す! 道中は松明(たいまつ)が灯っておるゆえそれを頼りに走れ。また村には握り飯が用意してある。それも走りながら食すのだ。途中で立ち止まるでないぞ」

 秀吉が三成に指示していたのはこれであった。本陣への到着を可能な限り早くするため、道中の村々に松明と米を配って村人に待機させたのである。米については村自体で用意した分もあり、それは後日数倍の報酬として払うことを約束した。

 これにより秀吉本隊はおよそ一三里(約五三キロメートル)の道のりを五時間で走り抜いたと伝えられる。それは通常の行軍速度の四倍近いものであり、常識を覆したといっても過言ではない。まさに神速と呼ばれるにふさわしい妙技であった。

 木之本から田上山(たなかみやま)本陣に到着した秀吉がまず行ったのは、高山重友および羽柴秀長に対する叱責であった。

小一郎(こいちろう)(秀長のこと)、右近、その方ら己の役目を何と心得る! 予は砦を堅く守れと命じたが、門を閉ざして一歩も出るなと言った覚えはない。まして味方を見捨てろとも! これでは前線で戦っている者も味方の援護が受けられぬと判断し、早々に敵に下ってしまうわ。それぐらいのことが分からんか!」

 二人とも心底恐縮した体で額を床に擦り付けている。中川清秀を見殺しにしたことは、彼らにとって弁解の余地のない大失態であった。秀吉はそれ以上の追及はせず、しばしの沈黙の後若干声を和らげて続けた。

「幸い瀬兵衛(せへえ)(中川清秀のこと)が命を賭して戦い抜いてくれたゆえ、全軍 瓦解(がかい)の危機は防げた。これよりは我らが反撃する番だ、お主らも全力で敵に当たれよ。ここまできて負けてみよ、我ら三人、冥府(めいふ)で瀬兵衛に会わせる顔がなくなるわ」

「ははっ!」

 秀吉は朗らかに笑い、二人は頭を下げたまま涙を落とした。



 賤ヶ岳にて休息を取る盛政の下に物見からの連絡が入ったのは()の刻(二二時)になろうかという時であった。

「長浜から木之本まで、おびただしい数の松明が続いております」

「何だと。敵が何か策を仕掛けてきたか」

 盛政と虎姫は陣から出て少し進み、街道が見える位置までやってきた。

「おお!」

 そこには街道を照らすように長蛇と化した光の列が続いていた。

「うわぁ、綺麗だねとーちゃん」

「そんな悠長なことを言っている場合か、敵軍がこちらにやってきているのだぞ。秀吉め、さてはどこかに別働隊を控えさせていたか」

 驚いた盛政は陣に戻るとすぐに間者を呼び、敵の正体を探るよう言いつけた。しばらくして戻ってきた間者の報告を受けて盛政は驚愕した。

「逆さ瓢箪(ひょうたん)に金の切裂(きりさき)の馬印……。秀吉に間違いない。馬鹿な、どうやってこんな早く戻ってこれたのだ!」

 盛政のみならず味方の諸将も皆信じられないといった顔を並べている。昼間に得ていた情報では、秀吉は大垣にいたはずであった。それを知っていたからこそ盛政は到着を翌日の夕刻と踏んでいたのである。それが目の前にいるなどと、事実が明白になった今も理解しがたい。

 更に盛政にとって危険な報告が別の間者からもたらされた。

「先に南西へ向けて退却した桑山(くわやま)重晴(しげはる)部隊が、湖より進んできた丹羽(にわ)長秀(ながひで)部隊と合流してこちらに向かってきます!」

 このままここにいては南東から秀吉本隊、南西から丹羽長秀部隊の挟撃を受けてしまう。

「うろたえるな。こちらの予測より遥かに早いとはいえ、秀吉が戻ってくることを承知の上で行った攻撃だ。これより予定を早めて行市山(ぎょういちやま)への撤退を開始する。各将は各々の部隊を率いて順次北の権現坂(ごんげんざか)を目指して進んでくれ。そこまで出れば後詰めの勝政(かつまさ)と合流して立て直せるであろう。わしは殿(しんがり)を務める」

 盛政部隊は即座に行動を開始し、()の刻(〇時)には少しずつ軍を退き始めた。だが暗闇の山中を軍が移動するのは難しい。味方同士で混乱が起きぬようゆっくりと北に進む。

 盛政が撤退し始めた情報はすぐに入った。強行軍で疲れきった兵を休ませていた秀吉は、(うし)の刻(二時)に差し掛かる頃その腰を上げた。

「よし、これより本隊は敵の追撃にかかる。ここで盛政を破れば柴田軍が半身不随になるは必然。そこからはどうとでも攻略できよう。よいか、この追撃戦こそ我らが勝つかどうかの分かれ目じゃ。決して手を緩めるでないぞ」

 更に秀吉は直属の(あら)小姓(こしょう)達までも先陣に加えるよう指示し、まさに本隊全てを盛政にぶつける姿勢を見せた。また羽柴秀長と高山重友は前線で戦う堀秀政の後詰めとして進ませ、柴田勝家本隊を(やながせ)ヶ瀬から動けないようにした。

 二一日明け方、ついに両軍は激突した。

「来たか。だが敵はまだ小勢だ、各自で対処しろ」

 盛政は側近らに指示を出し、鉄砲隊を集めさせた。

「この先の林に鉄砲隊を潜ませよ。我らはその近くの間道で敵を待ち伏せる」

 追撃戦は追う側が圧倒的に有利である。小勢ながらも奮闘目覚ましい秀吉部隊は盛政部隊を追いたて、斬り伏せていく。更に時間が経つ毎に後続からどんどん兵が増えてその勢いを止めれなくなり、最後尾は崩れ出し逃げる者も増えてきた。

 そうして勢いを増した敵が間道を走り出したその時、前方に馬上から睨みつける盛政の姿が見えた。

「撃てぇ!」

 脇から無数の鉄砲が撃ち込まれる。敵はバタバタと倒れ、倒れなかった者も途端に動きを止めてしまう。狼狽した敵に向かって更に盛政は突撃を開始した。自身が先頭に立ち、すぐ側を虎姫が続いて無尽に太刀を振り続ける。側近らも馬で続き、その後を足軽が突っ込み、一瞬にして攻守を入れ替えてしまった。

 盛政の突撃は誰にも止められず、また本人も止まらず、このまま敵本陣まで突っ込むのではなかろうかと虎姫は考え、胸を躍らせた。しかし周りの敵が防ぐのを諦め、潰走しだすと盛政は馬を止め、虎姫に振り返った。

「よし、戻るぞ虎」

「このまま攻め込まないの」

「そうしたいがな、この状況では味方が付いてこん。今は一刻も早く権現坂まで下がり、勝政や前田殿と合流するのが先決だ」

 盛政は馬を返すと味方のほうに戻っていった。ちょっと残念そうな顔をしながら虎姫が続く。一度撃退されたからといって敵が諦めるわけもなく、しばらくして態勢を立て直すと再び盛政に追いすがってきた。だがまたも鉄砲による射撃と続く盛政の突撃により阻まれ、その被害も軽視できないものとなっていた。

 向かいの山上から状況を見守っていた秀吉は報告を受け、感嘆の声を上げた。

「何と優れた采配だ。予も退却戦には自信があるが、これほど鮮やかな手際は見たことがない。さすがは鬼玄蕃よ」

 無論感心してばかりもいられない。秀吉は攻めかかる兵を小分けにし、一隊が崩れてもすぐさま次の小隊が襲い掛かることができるよう指示を出した。

 いかに盛政とて間断なき攻撃を受ければ自軍に戻ることもできなくなり、消耗してついには討ち取られるであろうと考えたのである。しかし盛政の武略は秀吉の上をいった。

 何度めかの突撃から、敵の抵抗に間隙がなくなってきたと悟ると、盛政は突っ込むことも退くこともやめ、側近の一人に指示を出してその場に留まって敵を攻撃し始める。敵は盛政らを囲むように攻撃したが、全く動じず逆に敵を斬り崩していく。

 ここでは盛政、虎姫は言うに及ばず、幾年にもわたって盛政に付き従ってきた側近達が思う存分に武勇を発揮した。そしてあまりの猛攻に敵が浮き足立ったところに、指示を受けた側近の一人が味方の後方から足軽を率いて攻め立てた。

 これにより敵は盛政らと足軽に挟撃される形になり、まず盛政を塞いでいた後方が崩れ、それに急き立てられるように正面の敵が逃げ出した。こうして盛政らはまた悠々と自軍に帰っていく。

 秀吉は悔しさ半分、賞賛半分という面持ちで眺めている。

「なんと、武勇だけでなく臨機応変に処する武略まで併せ持つとは。あれほどの勇将だったとはのぉ。加賀制圧の折に勝家が北陸一と讃えていたが、あながち身内びいきの誇張でもなかったというわけか」

 秀吉はしばし考え込んだ。盛政がいかに強いからといって追撃の手をやめるわけにはいかない。かといってこのままでは自軍の被害が増加するだけで盛政は味方と合流してしまうであろう。頭を抱え込むかにみえた秀吉であったが、物見の報告が入った瞬間 天啓(てんけい)が閃いた。

「丹羽長秀部隊、敵の柴田勝政と交戦中も、守備が堅くなかなか崩せそうにございません」

「それじゃ!」

 秀吉は手を打って喜んだ。盛政の後詰めとして(しずがたけ)ヶ岳に控えていた柴田勝政は、盛政撤退の報告を受けるとその援護のために陣を固め、南から上がってくる丹羽長秀部隊を懸命に喰い止めていたのである。

「本隊を二手に分け、一隊を勝政に回せ。南より長秀、東より我らが攻めればいかに固い陣でもすぐに崩れるわ」

 秀吉は攻撃の目標を勝政に切り替えた。伝令が飛び、本隊の半数が勝政部隊を攻撃するよう進路を変えて行軍する。そして彼らが勝政の陣を視野に捉えようとした時、勝政の下に盛政部隊が権現坂近くまで撤退することに成功した報告が入ってきた。

 柴田軍にとって勿論これは吉報である。だが、この吉報が届いた時間が勝政に不運をもたらす結果を生む。

「よし、では我らも陣払いを行い、権現坂に向かう。残りの矢と鉄砲を敵に叩き込んで牽制し、引き揚げるのだ」

 勝政の号令により丹羽長秀部隊に矢と鉄砲の雨を降らせ、敵の追撃の手が緩むのを確認して勝政は陣を空け、北上を開始した。まさにその瞬間に秀吉部隊が側面から襲い掛かってきたのである。

 完全といえるほど無防備な側面を突かれて勝政部隊は一瞬で混乱した。秀吉部隊は手柄を立てるはこの時とばかり、槍を突き出しながら一心に飛び込んでくる。

 更に南から丹羽長秀部隊が追い込みをかけ、勝政は指揮も執れず目先の敵を追い払うことで精一杯になり、部隊中枢まで突入してきた敵と斬り合うまさに乱戦となった。

「いかん! 一隊を組め。すぐに勝政を助けに行くぞ!」

 権現坂まであと少しの位置にいた盛政は、勝政部隊が危急に陥ったのを知ると敵からの防御を諸将に任せ、およそ五百の兵で勝政部隊に乗り込んでいった。戦いはいよいよ激しさを増していく。

 敵を斬り伏せ、ひたすら勝政の下に向かおうとする盛政であったが、駆け込んできた伝令が勝政討死を口に出したことにより、その目的は叶えられないと知った。

「くっ、許せ三左(さんざ)(勝政のこと)」

 盛政は弟の死を知ると側近を散らせ、部隊の収拾に努め始めた。盛政自身は虎姫と共に敵の攻撃が激しい個所に突っ込み、敵と味方を分断し、一つところに集まれるよう奮迅の働きをみせた。味方を収容してはサッと退き、また別の個所に飛び込む。

 何度目かの激しい突撃を敢行した時、虎姫の目は敵の中にひときわ立派な甲冑を身に付け、長槍を自在に操る武士を捉えた。

「むむ、さては名のある武士に違いない。この虎が討ち取ってくれよう!」

「ちょ、ちょっとどこ行くんですか。盛政様から離れちゃダメですよ!」

「ちょっと戦ってちょっと首を取ってすぐ帰ってくれば済む話じゃ。堅いことを申すな」

 言いながら馬を走らせている。敵もこちらに気づき槍を構え直す。

「名のある武士と見た、お相手願おう!」

「拙者は羽柴 筑前(ちくぜん)(秀吉のこと)が荒小姓の一人、加藤(かとう)虎之助(とらのすけ)。お主は何者だ」

「我は佐久間玄蕃の一子虎姫じゃ。その首貰い受ける!」

「な、なんと女子だと。なぜこのような場所で太刀を振るう」

「強い者と戦うのが好きなのじゃ。奇しくもお主も同じ虎の名を冠しておるの。では、どっちが本当に虎に相応しいか勝負といこう!」

 なんじゃそりゃ。完全に呆れ返りながらトラが虎姫を見上げ、続いて虎之助を見る。虎之助のほうも心は読めずともトラと同じような表情である。だが虎姫が馬から降りるとすぐに顔を正し、槍を正眼に構える。

 虎姫が同じように正眼に構えた瞬間、虎之助が一歩踏み込んで凄まじい突きを放ってきた。一切のぶれが見られないまさに直線の軌跡であり、鎧に当たれば鎧ごと突き破られるであろう。だが虎姫は自分の鎧に滑らせるようにしてこれをかわし、ニヤリと笑って自分の太刀を突き入れた。虎之助は瞬時にしゃがんで避け、更に虎姫が打ち下ろした太刀も槍の柄で受け止めた。

「やるのぉ、虎之助」

「女子に敗れるなど一生の不覚。絶対に負けん!」

「その一生もここで終わるのじゃ。後の風聞を心配するには及ばんぞ」

 今度は虎姫のほうから跳び掛かった。盛政を模したような連撃が叩き込まれる。虎之助は槍を短く持ち巧みにはね返す。連撃とはいえ虎姫の膂力(りょりょく)は並の男を凌駕し、足軽などは受け止めることさえ敵わない。

 それを苦もなく、……かどうかは分からないがとにかく受け切り、更に突き入れてくる虎之助にトラは感嘆を隠せない。虎姫も勇敵と相見えたことがよほど嬉しいのであろう、トラは腰袋にいながらその動きにいつも以上の躍動感を覚えた。

 太刀と槍を交えること数十合、徐々に虎姫のほうが威力を増し、虎之助の表情に焦りの色が浮かんできた。このままでは受け切れんと判断した虎之助はたまらず槍を振り上げ、柄の部分でも構わず当てようと強烈に振り下ろした。だが虎姫はこれを太刀で横殴りに弾き、そのまま旋回して勢いを増した一撃を叩き込んだ。虎之助は体勢不十分なままこれを受けようとして失敗し、手から槍が弾き飛ばされた。痺れる手首を押さえる虎之助に太刀を向けて虎姫が詰め寄る。

「勝負あったの」

「む、無念。しかし女子とはいえ、これほどの勇敵と戦えたは武人として喜ばしいことでござった」

「うちのとーちゃんはもっと強いぞ。あの世で語り草にしておくれ」

 フッと笑って虎之助が目を閉じ、首を傾け虎姫が太刀を振り上げる。一太刀の下に切り離してやろうと力を込めたその時、

「待てい! 虎之助の首を渡すわけにはいかん。次はこの加藤(かとう)孫六(まごろく)が相手致す!」

 虎之助同様立派な甲冑の若武者が横合いから飛び込んできて、一歩退いた虎姫に正対する。

「むむ、トラ、これはまずいぞ」

「そうですねぇ、虎之助さんと同じくらい強そうな人がもう一人出てきちゃいましたね。これじゃあちょっと戦ってちょっと首を取るってわけにもいかなくなりましたね。逆にこっちが討たれちゃうんじゃないですか」

「うむ、残念ながらそうなることが十分考えられる。だからここはひとまず撤退しようと思う」

「でも、今逃げようとしても後ろから斬られちゃいますよ。どうやって馬に乗るつもりなんです」

「大丈夫じゃ、手はある」

「それはどんな……!」

 言い終えないうちに虎姫は腰袋に手を入れてトラを掴み上げ、一人でしゃべりだした相手に怪訝(けげん)な顔をする孫六目掛けて投げつけた。完全に不意を突かれた孫六はトラを見事に顔面で受け止め、思わずしがみ付いたトラを引き剥がした時には虎姫と馬の姿は消えていた。地面に投げ捨てられたトラは一目散に逃げ出す。

 程なくして木陰で小休止している虎姫に追いついた。

「な、なな、なんてことしてくれるんですか! 動物虐待も甚だしいですよ! 私が死んじゃったらどうするんですか!」

「トラは刀に斬られても死なんだろう。両者が助かる最善の策だったではないか」

「体が大丈夫でも心に大きなダメージを負いますよ。……あぁ、今日からしばらく嫌な夢見そう」

 クスクス笑いながら、手柄を立て損ねた虎姫は盛政の下へと馬を走らせていった。



 虎姫が一騎打ちに勤しんでいる間も盛政の猛攻は留まるところを知らない。渦中に飛び込んでは敵をなぎ倒し、味方を救う。盛政の暴風と化した太刀がうなりを上げる度に、多数は槍を飛ばされ、一部は腕を飛ばされ、更に一部は首を飛ばされる。

 盛政に果敢に向かっていた敵も、今やすっかり尻込みして飛び込まれる度に周りを空ける始末である。更には盛政に睨まれただけで槍を捨てて逃げる者も出始めた。

 多数の味方を救い出し、組織だって後ろに下がるよう側近らに指示し、自身も徐々に下がっていく。このように自分の部隊を寡少な被害で撤退させ、続いて将が討たれた味方の部隊までも救出して撤退に成功させようとするなど、ここにおいて盛政は神懸かり的な強さを発揮した。

 この活躍で危地にあった味方は奮い立ち、優位にあった敵は慄然(りつぜん)とした。

「まずい、これはまずいぞ官兵衛」

 山上にあって戦場を捉え、また間者の報告から盛政の勇躍を知った秀吉は焦燥感に歯噛みした。

「ええ、このまま行市山(ぎょういちやま)まで撤退して軍を立て直されては、今度は敵中深く入り込むのは我が方になります。そこまで行かずとも権現坂(ごんげんざか)で対峙することになれば、昨夜の強行軍とこの追撃戦で疲労極まる我が兵が苦境に立たされるのは明らか。茂山(もざん)砦の前田利家は味方の神明(しんめい)堂木(どうぎ)砦と対峙しておりますから動けないにしても、まだ敵後方には金森(かなもり)長近(ながちか)不破(ふわ)勝光(かつみつ)の陣が控えております。これらが押し出してくれば形勢は逆転されましょう」

「だからまずいと言っておる。加えて盛政の驚異的な武勇じゃ。そうなっては多少兵力で上回っていても力押しでは勝てなくなるぞ。何ぞいい策はないか」

「……恐れながら今この局面を打開する妙案は思いつきませぬ。今言われた力押しでなんとか撤退を喰い止めるか、被害を抑えるために一旦退かせるかの二つに一つかと」

 秀吉は低く唸って押し黙った。こちらが退くことはできなかった。退いてしまえば再び両者睨み合いの構図ができてしまう。そうすると美濃国の織田信孝、伊勢国の滝川一益の軍が合流して東より攻め上がってくる危険が非常に大きく、織田家中は大混戦となるであろう。

 それを上杉、徳川、毛利らが黙って見逃すはずがない。切り取り勝手といわんばかりに自領と接する領土を奪いにかかるのは明白であった。そんな状態で勝家に勝ったところで秀吉の力は激減し、信長が目指した天下統一も振り出しである。

 この戦はできるだけ短期に、しかも十分余力を残した状態で勝利し、織田家の争いをまとめ上げ不動の一枚岩としたのは自分ぞ、という事実を天下に示さねばならないのであった。秀吉は口を開くと、勝家本隊に当てている後詰めの羽柴秀長部隊を盛政部隊に向かわせるよう指示した。

 一方で盛政は勝政部隊の混乱をほぼ鎮め、権現坂で合流を果たそうとしていた。虎姫も盛政の下に戻り、最後尾で騎馬による突撃を繰り返し敵を寄せ付けない。

「よし、これで部隊を立て直せる。前田殿に援護を要請し、我らは権現坂に陣を敷こう」

 盛政は、秀吉や黒田(くろだ)孝高(よしたか)と同様のことを考えていた。もっとも上杉ら外部勢力にまでは頭が回っていなかったが。ここで敵を防ぐ構えができれば一気にこちらが有利になる。

 勝家に使者を送って許可を得れば、後陣を吸収して逆撃から全面的な反撃に転じることが叶うし、許可が得られなくとも行市山まで戻し、補給と休息を得ることができるであろう。後者は盛政が望むところではないが。

 だがそうなれば東からの援軍も期待できる。今回の奇襲により、秀吉が再び陣を空けて東に攻めることはまずないであろうから。

 自陣に戻り、勝家への使者を呼びつけ、ようやく一息入れられると兜を外した盛政。しかしそのささやかな望みは、飛び込んできた急使によって叶えられず終わった。

「前田利家部隊、茂山砦より退却を始めております!」

「何だと……!」

 それは、この賤ヶ岳の戦いに終止符を打つ決定的な一手となったのである。

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