エピローグ
あ、あれ。周り真っ暗だ。
「おかえりなさい。アナタの意識の中に戻ってきましたよ」
あ、私だ、白猫。
「今は私のほうがこっちの体です」
「あ、そうなんですか。では、本当に戻ってきたんですねぇ」
「ええ。長い長い旅となってしまいましたが、本当にお疲れ様でした。そして、本当にありがとうございました」
「こちらこそ、私のためにこんなにしていただいて。神様に助けていただけるなんて、よくよく考えると私はすごく運のいい人ですよね」
「そのことについては、アナタに謝らなければなりません。もう憶えていないかもしれませんが、実はアナタを選んだのは無作為というわけではなかったのですよ。そもそも私には人を選ぶことはできませんので」
「えっ、それってどういう……」
「いえ、そこは深く考えていただかなくて結構です。私は、アナタを助けるべくして助けたということです」
「はぁ、そうなんですか」
「そして、私のほうこそ望外の喜びを得られました。アナタには感謝し尽くせません。虎姫は、これで本人の願うがままの人生を送ることができます」
「あ、それで虎姫様は、本当にもう大丈夫なんですか」
「ええ、大丈夫です。あの後、歴史に名高き関ヶ原の合戦が起こり、秀成様も虎姫も、徳川家と豊臣家の争いに巻き込まれることになります。苦しい選択を強いられますが、二人は誤ることなく先を見据えて戦い、それによって勝者側に与します。結果中川家はしっかりと残り、存続していきます。ご心配には及びませんよ」
「よかった。私もいろんなものを貰った気がしますし、万事めでたしめでたしですね」
「ええ、だからアナタはもう目覚めなければなりません」
「そ、そうですね。けど、目覚めちゃったら、もうトチガミさんとも会えないんですか」
「……ええ、もう二度と会うことはないでしょう。今回のケースが特異すぎました。けれども私はアナタを見守り続けています。それは今後も変わりませんよ」
「うう、それは嬉しいけど、やっぱお話とかしたい」
「そんな気の弱いこと言ってちゃダメですよ。アナタにいろんなものを与えてくれた人達のように、真っ直ぐ立って前を向いて進んでいってください」
そうだ、私も虎姫様や盛政様のように、生きることときっちり向き合おう。ただ漠然と日々を過ごす生き方じゃなく、強い意志をもって。生きることそのものに魂を込められるように!
「今のアナタならできますよ」
「ありがとうございます。よし! それでは目覚めちゃいましょうか。トチガミさん、今まで長い間、お世話になりました。もう大丈夫ですんで、パパッと目覚めさせちゃってください!」
「…………」
「あ、あれ、トチガミさん?」
「い、いえ、では参りますね」
「はい!」
おお、白猫が光る。
「良き人生を歩めるよう、見守っております」
「トチガミさんもお元気で!」
「病気になったりはしませんよ」
「あ、そうか。まぁ、挨拶ですんで聞き流しててください。それでは今度こそ! さようなら、トチガミさん」
また視界が真っ白になってきた。これで自分の体に戻るのか。
「……とーちゃん」
えっ?
「ありがとう、とーちゃん。虎を救ってくれて」
「と、トチガミさん! アナタはやっぱりと……!」
……!
ピピピピッ、ピピピピッ。
個性の欠片もない携帯電話の目覚ましによって、彼女は目が覚めた。
「あれ? ここどこ、あれ?」
頭の中が完全に真っ白になっている。いや、あまりに多くの情報が詰め込まれすぎていて、すぐには新しい情報を受け付けなくなっているのかもしれない。
「アタタタッ、頭痛い。後遺症ないって言ったのにぃ」
後遺症? 誰が? 彼女は考えるのをやめ、とにかく周りを見渡した。やはり目に映る物が何も頭に入ってこない。見える物全てが違和感に満ちている。
長い長い、まるで人生を一度やり直したかのような、本当に長い夢を見ていたような気がする……。
やがてジワジワと染み出すように記憶が蘇ってきた。倒した座椅子に横になっていた自分。折りたたみテーブルに放り出された睡眠薬の箱。
「そうだ。私は自殺しようとしていたんだった……」
しつこく鳴る携帯電話を開き、日時を確認する。九月二八日、朝六時半。ほぼ半日寝ちゃってたのか、さすがは睡眠薬。彼女は妙に得心し、立ち上がって洗面所に向かった。
「そういやなんで自殺なんてしようと思ったんだろ」
何か理由があったように思うが、今は全く思い出せない。思い出せないということは、きっと大した理由じゃないんだろう、危うく人生を損するところだった。
彼女は死に損ねた事実をありがたく思い、会社に行く準備を着々と進めていった。食パンをかじりながらニュースを見る。体が軽く調子がいい。熟睡効果だろうか。
「今日はなんかいいことあるかなぁ」
なかったら見つけるまでよ。呟いた直後に彼女は頭で自分に言い聞かせている。私はこんなにポジティブな人であったか。何か体の中心に温かいものを感じながら、彼女はバッグを掴むと玄関を抜けて外に出た。
人通りの少ない住宅街を通り、駅に向かう。道中、昨晩見たはずの長い夢を思い出そうとするが、やっぱりさっぱり思い出せない。彼女はすぐに諦めると、お気に入りの曲を頭の中に流し始めた。
ふと視線を上げると、塀の上に白猫が座ってこっちを見ている。近寄っても逃げないので、傍まで行って頭をなでた。
「綺麗な白色をしているねぇ。顔つきはあまり品があるように見えないけど……」
猫はニャーと一声鳴いて、甘えるように頭を擦り付けてくる。
「私は黒猫派なんだけどなぁ。でも白もいいなぁ」
あるのかどうか疑わしい派閥を挙げながら、彼女はしばらく猫とじゃれていた。
「むむっ、いつまでもこうしてるわけにもいかない。お前、首輪とかないね。もしかして野良なのかな」
聞いても考えても分かるはずもないので、彼女は勝手に話を進めることにした。
「よし! 今日の帰りにお前がまだここにいたら、私が飼ってあげよう。ようやくペットOKのマンションを選んだ意味が出るわ。いざ飼おうとするとなかなか自分では決められなかったもんね」
彼女は猫から手を離し、再び駅に向かって歩き出した。
「それじゃ今日も元気に、嫌な上司の顔でも拝みに行きますかぁ」
さすがに声には出せず、心の中で言い放つ。猫の名前を考えながら歩いていると、駅の駐輪場のほうから同僚が歩いてくるのが見えた。彼女は自然と笑顔になると、弾むように駆け寄っていった。
一方で塀の上では、白猫が近く飼い主になる彼女を待つため大きなあくびをして丸まり、小さく寝息を立て始めるのであった。




