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想像してごらんと夢想家は囁く

「バナナバナナだなんてアノくんには愛が足りないわね」


 むくれつつもバナナを完食した玲於奈は、皮を俺の顔に落としつつそう言うと、傍らから何かのリモコンを取り出した。


「というわけで用意しました」


 ボタンを押す。動き出したのは長年放置されていたコンポ。そういやあったな、そんなの。もうずっと、音楽なんて聴いていなかったような気がする。

 流れてきたのは――


「――何故ジョン・レノンなんだ?」


 視界を遮るバナナの皮を、どうにか抜き出した右手で払い除けつつ尋ねる。流れているのは恐らく、生前唯一のベストアルバムなのだろう。

 まあ、互いの名前を呼び合い続けるだけの前衛的なあれじゃないだけマシなんだろうが……。

 ベタ甘なラヴソングが流れ出すのかと思っていたところでジョン・レノンっていうのは、何だか不意打ちを食らったような気分だ。

 ちょっと「愛」の意味するところが違う曲も多いと思うのだが。


「何言ってるの? 愛と言えばジョン・レノンじゃない」


 偉そうな仕草で当然と言ったふうに答えられたが、どうせどこかで小耳に挟んだだけだろ。


「まあ、ジョンとヨーコと言えば世界一有名な同性愛カップルだからな」

「……そうね。時に愛は性別を越えるものよね」


 ほらきたやっぱり。同性愛カップルなわけがあるか。

 何故、この鬼は自分が用意したCDのアーティストくらい知っておこうとしないのかが甚だ疑問だが、まあ、そういうことにはもう慣れてしまった。


「どう考えてもジョンは男の名前でヨーコは女の名前だろうが」

「……何言ってんの? あ、多分私が言ってるのは違うジョンとヨーコだわ」

「ほう、じゃあ誰だ?」

「確か……ジョンと……具志堅……」


 ほう。元ボクシング世界王者の具志堅■高が同性愛者だったとは初耳だな。


 あれか、試合解説しながら「うふふ」って感じで選手のお尻を凝視か。好みのタイプは三兄弟の次男か。「アタシが慰めてあげるわちょっちゅねー」か。


「元世界王者を馬鹿にするにも程があるわこの馬鹿鬼!」


 というか、何で具志堅用■なんて知ってんだ? 知識偏るにも程があるだろ。思わず怒鳴ってしまったじゃないか。


 だが俺は失念していたのだ。

 自分が今、どんな状況にいるのかということを。


「へえ、身動きのとれない圧倒的不利な状況にしては強気ねえ? ……罰として唾液を垂らしてやろうかしら」


 さっきご褒美だとか言ってたはずのものがもう罰だ。世界は止まるところを知らず変化していくものなのだな。だが止めてくれ。どちらにしろとりあえず止めてくれ。


「そこはやっぱり『止めて下さい玲於奈様』だと思うの。今こそアノくんの下僕体質を発揮して哀願すべきじゃないかしら?」


 そんな体質、顕現させた覚えはねえよ。


「残念ねえ。哀願してくれたら愛玩してあげようと思ったのに。……あ、そう言えばフォークがあったわ」

「ヤメテクダサイ玲於奈サマ」

「面白いくらいに誠意が感じられない!」


 鼻の下に2倍の穴を開けてやろうとフォークで狙いを定める玲於奈と、それを避けようと首を振る俺。玄関扉の無い現在、通り掛かった人が見たら何を思うだろうか。

 ……俺なら関わりあいたくないので見なかったことにするな。


「狙いづらい! こうなったら側頭部に穴を穿って『あ、それラーメンマ●意識してるんですか?』って三十代男性に声を掛けられるようにしてやる!」


 ……何で少年漫画の、しかもジャンプ物ばかりなんだよ。少女漫画も読めよ。俺なんて『君●届け』2巻で号泣だぞ?


「というわけで今から読め! そして泣け! な? そこの本棚にあるから!」

「嫌よ。鬼が泣いていいのは青鬼さんの密かな優しさに気付いた時だけなんだから」


 ……やばい。思い出して泣きそうだ。何故知っているのかは知らんが、良い作品を知っていやがる。俺は視界が歪みそうになるのをぐっと堪えた。

 とにかく、努力友情勝利なんて鬼が読むべきじゃないだろ。調子に乗って真似なんてされたら俺の生命に……っていうかもう何度か危ない目に……というか今、現時点で危なかった。


 誰かモンゴルマスクを下さい。

 ……。

 ……。

 いやいやいや、穴が開く前に何とかしなきゃダメだろ。モンゴルマスクなんて穴が開いた後の話だろが。危ねえ、今ちょっと諦めかけてた。

 そして、それは俺が見せた一瞬の隙でもあった。


「今だ! 死にさらせっ!」


 ……毎度のことながら、それは恋人に発する台詞ではないよなあ。思いつつも反射的に目をギュッと閉じてしまう。


「……あれ?」


 フォークが飛んで来ない。

 昨日といい今日といい、2日続けてビビって目を閉じてしまった自分に何とも言えないキマりの悪さを感じつつも、そうっと目を開いた。

 見ると玲於奈はフォークを振りかぶった状態で横を向いている。視線を追ってみるとそこにはコンポがあった。


「何だ……?」


 何故コンポなんてものを見ているのかと疑問に思ったが、その答えはすぐに俺の耳へ流れ込んできた。

「想像してごらん」とジョンが歌っている。


「……好きなのか? その曲」


 玲於奈にそう尋ねながらも、俺はこの曲に対して複雑なものを抱いていた。


 この曲は、世界が平和ではないからこそ存在が許される曲だ。

“想像してごらん”と言うそれらがもし本当に実現したなら、もう想像する必要は無くなるのだから。

 自らの存在意義を失う世界を求める曲。

 世界から悲しい出来事やその原因が無くなることを願いながら、世界で悲しい出来事が起こる度に求められ歌われる曲。

“想像してごらん”と歌われる世界は実現するか? 実現するはずがない。

 決して手に入らないものを求める曲。

 手に入らないからこそ、いつまでも失われることの無い曲。

 理想ではなく、夢想を歌う。

 夢想を歌うが故に美しく、夢想を歌うが故にあさましくいつまでも遺り続ける曲。

 歌えば歌うほど、聴けば聴くほど、それが実現しないものだと思い知らされているようで、俺はどうにも好きにはなれなかった。


 簡単な英語で綴られた曲だ。どうやら中学レベルの英語力はあるらしき玲於奈でも理解できるのだろう。玲於奈がコンポを見つめたまま、そんな曲をじっと聴いている。殺人鬼はこの曲に何を思うのだろう? 曲の願うものとは対極にいるようなこの鬼は。


 やがて曲が後半に差し掛かった時、殺人鬼はひとこと「嫌な曲」と漏らした。


「ねえ、アノくん」

「ん?」

「国境が無くなれば戦争も無くなると思う?」

「はあ?」


 コンポから目を離してこちらを向いた玲於奈の顔には、さっきまでの擬似ウォーズ●ンからは想像もつかないような表情が張り付いていた。

 いきなりどうしたというのだろう? 今まで見たことも無いような表情に少し戸惑ってしまう。そんな俺をよそに、玲於奈は言葉を探すようにしながら話を続けた。


「んー、あのね。国境が無くなれば“戦争”は確かに無くなるかも知れないけれど、かわりに“内戦”が増えるだけなんじゃないかしら? 違うものをかわりにして……例えば県境や町の境を国境のように扱って……そうね、となり町と戦争でもするんじゃないの?」


 そこまで言うと、玲於奈は「この歌の全てが実現しても争いなんて無くならないと思う」と呟きながら天井に落書きを……って何故そこで天井に落書きをする?


「五月蠅いなあ。落書きくらい大目に見なさいよ。私が子泣きじじいだったら圧死させてやるのに。上から潰した豆大福のようにしてやるのに」


 何で私、子泣きじじいじゃなくて鬼なんだろう? そう真剣に悔しがる玲於奈だが、俺は生憎あんなアグレッシヴなファッションスタイルをした爺さんに恋愛感情を持つような特殊性なんぞ持ち合わせてなかった。


「とにかくね、どんなに境目……境界線? を取り払っても、どこかにまた新たな境界線が引かれるんじゃないかなって。そう思うし、多分そうなの。きっと争うことばかり考えているの。スポーツだってそう。結局それも争いでしかないの。本当に争いを世界から無くしたいなら、サッカーや野球、その他多くの競技における“敵と味方”の境界線も無くすつもりでないといけないの。無くしたって新たな境界線がどこかに引かれるだけだけど。

 それでね、様々な境界線を消していくとね、最後には“わたしとあなた”の境界線だけが残るの。それだけが争いの元になるの。それはどうしても消えない境界線。全ての境界線を消しても、最後まで消えない境界線。近付いても、触れ合っても、消えてはくれない境界線」


“わたしとあなたは違う”


 そこまで聞いて、ようやく玲於奈がいつになく真剣な話をする理由がわかったような気がした。


 玲於奈は、人とは違うから。


 そのことで思い悩み、苦しみ憎み、悲しむ過去が、もしかすると彼女にはあるのかも知れない。

 玲於奈は話そうとしなかったし、俺も聞こうとは思わなかったからよくはわからないが、きっとそういうものが玲於奈にはあるのだろう。


「でもな、玲於奈」


 俺はそれでも、玲於奈の過去を積極的には知ろうとは思わないだろう。いつか玲於奈が自分から話そうと思う日が来るまでは。それまでは、現在(いま)未来(これから)だけで十全だと思っている。

 ただ何となく、言っておこうと思ったことがひとつだけあった。

 リピートにはしていなかったらしくCDも停止して、かわりにコンポからは無音が流れ出していた。


「でもな、玲於奈。境界線や違いってのは、争いの種になるだけじゃないと思うんだ」


 そう、それは例えば愛の話だ。

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