生きる意味を追い求めない
何の為に生きているのか。
生きる意味とは?
そんなものを追い求めることに、意味があるとは思わない。
そんなものを追い求める為に生きているのではないのだから。
例えば、生まれてすぐに亡くなった子供の人生に、意味があったと言えるだろうか?
誰かは「あった」と言うかも知れない。
だがそれは結局、周りの人間が勝手に決めたことでしかなく、その子本人が決めたものでは無いのだ。
その子の生きた意味を周りが決めるならば、当然あなたの生きる意味をあなたが決める権利など無い。あなたが何の為に生まれて来たのか、生きる意味があるのか無いのかは、あなた以外の誰かが決めるものなのだから。
私達はただ生きれば良い。
意味があろうと無かろうと、最期に「これが人生か! さればもう一度!」と……言ったのはニーチェだったか……そう思えるように生きれば良いのだ。
意味が無くとも「もう一度」と思える人生はある。
意味があっても「もう一度」と思えない人生もある。
「何の為に」なんて気にしてはならない。気にしている内に人生は終わってしまうのだから。
◆
……以上のことを踏まえて、現在虫の息である俺は人生を振り返ってみたが、残念なことに「もう一度」とは欠片も思えなかった。
玲於奈さんが大変お冠です。
仰向けになっている俺の上にはいつかと同じように家具が積み上げられ、その頂上で玲於奈が遠足か何かのように弁当を広げているのが隙間から見えている。
ちなみにその弁当を作ったのは俺だ。
起きてきて、冷蔵庫からお茶を取り出して飲んだかと思うといきなり「お弁当を作れ」と言った理由がようやくわかったわけだが、気付いたときには時既に遅しというやつだ。
俺は虫の息である。
「グリンピース嫌い」
そこで何故投げ捨てる? 誰が掃除すると思ってんだ? それ以前に、グリンピースが嫌いとはどういうことだ! 俺は大好きだぞグリンピース! こう、口の中で舌と歯を使って表皮をはがし、ふたつに割ってから食べるのが大好きだ! その楽しみを経験しないうちに「嫌い」の一言で捨てるなんて! わかってない! グリンピースをわかってないぞ玲於奈!
……という抗議をしたくても出来やしない。何故なら虫の息だからだ。
「な……ぜ……?」
何故?
家具に圧迫され続けている結果、吐いてしまえば次に吸い込むことがかなり困難で、現在俺の中では未盗掘のエジプトミイラ以上に貴重な存在である空気を、なんと二文字分も使用して玲於奈に問い掛けた。
何故こんなことになったのか。
それが全くわからない為、理不尽だという思いしか抱けていなかった俺が必死になってようやく吐き出した疑問を表す二文字に、玲於奈が返した答えは次の通りだ。
「私が寝ている間に、あの女と何をしていたの?」
……疑問に疑問で返されたことには目をつぶろう。そんな些細なことは今問題にしている暇が無いからな。
問題なのは、俺が実の姉とどうこうあったかも知れないという疑問を抱いていることだ。あり得るか。昼ドラの見過ぎじゃねえのか?
あの後、姉は早々に帰った。
またも貴重な空気と共に、どうにかこうにかそのようなことを吐き出すと、玲於奈は一枚のメモを取り出してひらひらと落とす。
「これを見てもそんなことを言うのかしら?」
上手い具合に頭の隣りへ文面を上にして落ちて来たそのメモを見て、俺は固まった。
「冷蔵庫の中に貼ってあったんだけど?」
玲於奈の声が冷たい。
くそっ。何故俺はあの後冷蔵庫を確認しなかったのだろうか。あの乃亜ならやり兼ねないと予想出来ていただろうに……。
そのメモには、姉の文字で「昨日は楽しかった」という言葉と共に、御丁寧にもキスマークまでつけられていた。
……悪魔だ。悪魔がいる。
きっとあいつは今頃この状況を想像してほくそ笑んでいるに違いない。いや、「萌える!」とか言って悶え転がっているかも知れん。
俺は必死になって呼吸が楽な状態になる体勢まで足掻くと、「罠だ!」と叫んだ。
……が、玲於奈はその答えがお気に召さなかったらしい。
明らかに軽蔑した目で俺を見下ろすと「……誤解ではないってことかしら?」とひんやり呟いた。
何がしかの行為はしたが、それが罠だったと解釈したのか!?
「何もしてないのにまるでしてたかのように見せかごほっ!」
一気に言おうとして息が続かずむせてしまった。
「今の顔、ちょっと面白かった。ご褒美にここから唾液を垂らしてあげようかしら?」
是非とも止めていただきたい。
「何よ、こういうの好きだと思ったのに」
昨日といい今日といい、何故俺を特殊性癖の持ち主に仕立てあげようとしているのかが、まったく理解出来やしない。
「……とにかく、姉と何かしたりするわけ無いから」
「じゃあ寝てる私に何かした?」
あー。
言われて思い出す。姉が帰った後、ぶっ倒れている玲於奈をベッドルームへ運んだのだが、その際、頬をむにむにしまくったような……いや、しまくったのだが。よく見ると玲於奈の頬がまだうっすら赤かったりするくらいしまくったのだが。
だって、面白いくらいに起きなかったのだから。
「えー……」
「やっぱりしたんだ。このムッツリエロス」
「そこまで言われるようなことは何もしてないぞ! 何より鍵どころかドアも無い状況でそんな気が起きるか!」
あれだけ頬をむにむにしまくったというのに、全然起きる気配もなく可愛い寝息を立て続けているのを見ていたら、何て言うか和んじまったんだよ……なんて言うのは気恥ずかしかった。
「それより、いい加減ここから出してくれませんか?」
「嫌。だってまだデザートとおやつがあるんだもの」
そこからの玲於奈は完全に遠足気分。「出せ」とわめく俺は逆に「五月蠅い」と箸を投げつけられた。
間一髪で避ける俺。
床にまっすぐ突き立つ箸。
誰がこの穴を埋めるんだ? それ以前にこの箸抜けるのか? 約半分は床の中なんですけど。昨日から我が家は傷だらけだ。
「おまっ! 修理代誰が出すと思ってんだ!」
「お前言うな」
射出される2本目の箸。
弓道用語だと確か「継ぎ矢」だったか、2本目が見事1本目に的中。押し込まれる1本目。
1本目はとうとう床を突き抜けたらしく、階下から「ぎゃっ!」という短い叫び声が聞こえてきた。
「おい! 何して……」
……って、何故押し込まれるんだ? 普通なら1本目の尻部分に刺さり、そのまま1本目を割ると思うんだが……。
疑問に思って箸を見ようとしたが、2本目もどうやら階下へ落ちたらしく確認が出来なかった。
だが、割らずに押し込んだということから考えられることはひとつ。
「……1本目を押し込む為、逆さにして投げたのか?」
2本目の箸を逆さにして1本目の尻部分に中れば、1本目を割らずに押し込むことが出来るだろう。
だが、何故だ?
「こないだ弓道部が出て来る漫画を読んだのよね。1本目が綺麗に刺さったからやってみようかと思って」
「ああ、なるほど……ってやるなよ! 下の須藤さん家から叫び声が聞こえたぞ?」
「あら、須藤さんなら鍼灸師だから大丈夫なんじゃない? きっと肩凝りに効くツボで受け止めてるわ」
そんなわけあるか。そんなことが出来るのは鬼と姉くらいだ。何より、階下から人の気配がしなくなってるんですが。
ああ、須藤さん変だけど良い人だったのに。
アーメン。
「それよりアノくん」
「ん?」
「さっき食べたデザートはカットバナナだったじゃない?」
「ああ。それが?」
「おやつがバナナ丸ごと1本なんですけど」
「そうだな」
起き抜けに弁当を作れと言われたからな。お菓子を買いに行く暇なんてあるわけが無い。何より、おやつは遠足に行く本人が300円だか500円だかを持って買いに行くものだ。用意してもらっただけでも有り難いと思え。
「バナナはおやつに入りません!」
「馬鹿め! バナナは容器に入っていればデザート、容器から出ていればおやつだ!」
「知ってるわよ! 林檎もそうなんでしょ!」
残念ながらバナナ限定だ。またもや知ったかぶったな? 何より「おやつに入りません」って言葉と矛盾してるぞ。
ちなみに「バナナは、容器に入っていればデザート、容器から出ていればおやつ」とは、幼い頃の俺が姉に教えられたことだ。
まだ姉が当主になる前、両親を亡くした為に姉が働きながら俺を育ててくれていた頃。
井上家直系ではあったが、ほとんど末席に近い地位だった我が家は、両親共働きでようやく家族4人が暮らせる程度の経済状況だった。
そこに両親の死だ。
保険金は入りこそすれ、生活が楽になるわけじゃない。学費その他諸々、生活以外に出ていくものも多い。「ただ生きるだけ」すら、時には困難になることだってあった。
幸いなことに姉は優秀だったから、奨学金やら何やらで出費を抑えることが出来たようだが、それでもかなりの額が出て行くことになる。
そして俺の存在。
人ふたりが生活し、社会へ出るまでには、かなりの金がかかる。
小学校も高学年になれば、自分の家の経済状況くらい友達と比較することで理解出来る。
中学生にもなれば、姉にどれだけの苦労をかけているのかが理解出来る。
「高校には行かずに働く」と言った日、初めて姉にぶたれたことを覚えている。
「両親の墓前に誓ったのだ。アジには苦労をかけない。両親が居ないことで惨めな思いはさせないとな。私は姉であり親なんだ。このくらい苦労でも何でも無いさ」
あの時ほど乃亜をかっこいいと思ったことは無い。
……その後すぐ「それにゆくゆくは妻だ! 私の夫になるからには、大学くらい出ていてもらわなくてはな!」と言って全部台無しにしていたが。
それでも何か出来ることを……ということで、この頃から家事全般を受け持つようになった……んだが……話が逸れてるな。
とにかく、俺が幼く、姉がまだ家事をしていた頃。遠足に持って行ったお弁当の、デザートとおやつの組み合わせがバナナ&バナナだったことがあり、帰ってそれに抗議した俺に姉が言ったのがさっきの「容器に……」だったわけだ。
当時はそれを素直に信じていた。
まあ、あの頃の俺は思わず誘拐してしまいたくなるくらい素直で可愛らしい子供だったからな。実際一度誘拐されてしまったし。
そう言えば、あの時から姉の溺愛ぶりに拍車がかかったような気がする。
それまでは……いや、それまでも大概酷いな。
残念なことに、言動の違いがほとんどわからなかったが、婚姻届を常備し始めたのが確かあの頃だったような気がする。
いたいけな小学生相手に何を考えてやがんだ。
まあ、それはともかく、結局姉は本当に女手ひとつで歳の離れた弟を育て上げ、さらに他の井上家直系からの裏工作を真正面から粉砕して、当主の座まで上り詰めたのだ。
……姉の話はこの辺でいいだろう。問題は玲於奈だ。
何だか目茶苦茶むくれている。
せめて、おやつはバナナチップスくらい作ってやれば良かったと今更ながらに思った。