第四話
「のど渇きませんか?」
僕は男に聞く。
「……は?」
男は呆気に取られいて、まるで僕の日本語が通じなかったみたいだ。
これじゃまるで僕が宇宙人みたいだ。
「だ、か、ら、のど渇きませんか?」
再び問いかける。
「ほら、もう一時間以上もこうしているわけでしょう。さすがに疲れてきましたよ。そこで何か飲めばリラックスできると思うんですけど、どうでしょうか?丁度いいことに、ここは珈琲館ですし」
「……」
男は、僕の言葉に迷っているみたいだ。
僕の言う事はもっともらしく聞えるが、僕が何かするんじゃないかと、いまいち信用できなのだろう。
「それに、あそこの客様」
八葉を指します。
「あそこのお客様は仕事で忙しい中、わざわざ暇を作ってウチの店のコーヒーを飲みにきたんです。それなのにコーヒーを注文してやっとこさ飲もうとした時に、あなたの撃った銃弾でカップが粉々。そのままコーヒーはお預け状態なんですよ」
僕は後ろを振り返り、下井さんに向けウィンクをする。
ここで下井さんも同意してくれれば、男も僕の要求を受け入れざるを得ない筈だ。
日本人は多数の意見に弱いからね。
そんな思いが通じたのか、八葉がうんうんと頷いている。
……お前じゃねーよ。
下井さんは下井さんで首を傾げているし。
「ま、そんな訳で一つどうでしょう?あ、これがメニューです」
そう言って、近くに席からメニューを抜き取り、男の手に押し付ける。
男は「……あぁ」と受け取ったメニューを眺め始めました。
くくく。メニューさえ渡せればこっちのものよ!
ウチの店のコーヒーはどれも美味しいからな。
男は大分迷っていたみたいだが、視線がある一点に固定される。
「お決まりですか?」
つい、いつもの癖で聞いてしまう。
「あぁ、じゃコイツを貰おうか」
そうして男が指差したものは――
オレンジジュースだった。
「はぁ?」
大きな声で、思わず口から疑問符が飛び出してしまった。
男もそれを聞き、ビックリしている。
オレンジジュース。
それはコーヒーが飲めないお客様のために用意されたメニュー。
ウチの店では一応、それなりの値段のオレンジジュースを取り寄せている。
しかし、大の大人が一人で喫茶店に来て、オレンジジュースを頼むとは、ふざけるのも大概にして欲しいかな!
「どうしてコーヒーじゃないんですか?」
僕は顔を笑顔にして聞く。
「……」
「どうしてコーヒーじゃないんですか?」
ばつが悪そうな男に、もう一度尋ねる。
「い、いや。そこいらで売っている缶コーヒーって、甘くて飲めた物じゃねーんだ。それにインスタントのやつを買ったこともあるが、まるで泥水を啜っているみたいで、まったく美味しいとは思えなかったんだよ」
男はしどろもどろになりながらも理由を説明します。
(……なんだそんなことか)
僕は男を哀れだと思った。
この男は生まれてから、一度も美味しいコーヒーを飲んだことがないのだ。
本物の味を知らないのだ。
それは罪であるとも言える。
「大丈夫ですよ。ウチの店のコーヒーは、そこいらのチンケなコーヒーなんかより、確実に美味しいですから」
マリア像の如く、慈愛に満ちた表情を浮かべながら、僕は彼を許した。
知らなければ、教えれば良い。
間違っているのであれば、正せば良い。
「そうですね。オリジナルブレンドは如何でしょうか?ウチの店のやつはマイルドで飲み易く、初めての人にもお勧めしています」
「……あぁ、じゃあ、それを頼む」
男の返事を聞き、僕は「畏まりました」と返事をして厨房に消えていく。
横目に見ると、その場に残った男も八葉も下井さんも、皆が唖然としているが、一体何に驚いているのだろうか?
……そういえば男は拳銃を持っていましたね。
今になって、嫌な汗が僕の背中を伝った。
さて、コーヒーを入れます。
先程と同じ手順で、まずは二人前。
……数分後、出来上がったコーヒーを二つ、トレイに置いてテーブル席に向かう。
まずは片方を男に渡し、もう片方を八葉に持っていく。
「おい、待て!」
と思ったら、背後から声を掛けられた。
どうしたんだ?
「もしかしてかも知れないけど、お前、コーヒーに毒や薬なんて入れていないよな?」
勘の鋭い奴だ。
ソンナコト、カンガエテイナイデスヨー。
「まさか!?」
僕は心外だといった表情をする。
男はそれをわざとらしいと疑ったのか、
「そっちの方のコーヒーを寄越せ」
男の要求に不承不承従い、もう片方のトレイに載ったカップを渡す。
そして、男から回収したカップを八葉に渡した。
「お前。先にソイツを飲みな」
そう言って男は八葉に、先にコーヒーを飲めと命令する。
八葉は受け取ったコーヒーをじっと見つめた後、視線を僕の顔に移す。
「コイツ、本当に一服盛ってるんじゃないか?」八葉の顔にはそう書いてあった。
見れば下井さんもこちらを疑う表情をしている。
「何を疑っているんですか?まさか僕が何か入れたとでも?ハッ、だとしたら心外です。僕はコーヒーに対して真摯で真剣であるだけです」と言いたくもなったが、返って逆効果になると思い、僕は一言「大丈夫です」と言った。
その言葉に覚悟を決めて、八葉はコーヒーに口を付ける。
……ほぅ。
「美味しいな」
胸を撫で下ろす八葉の、その口から賞賛の言葉が漏れた。
下井さんはすまなさそうな顔をしている。
「ありがとうございます」
感謝の意を述べ、男を見る。
男はすまなさそうな顔をしていたが、僕と目が合うと手元のカップに視線を逸らし、カップを顔に近づけた。
(……毒になーれ、毒になーれ)
僕は、男が今にも飲もうとするコーヒーを毒に変えた。