5.「もしもし、私メリーさん。……あ、すいません間違えました」
人間界のオカルト雑誌で痔の濡れ衣を着せられ、おまけに電話は留守電になっていた。
そんな落ち込むイベントから一週間、私の調子は落ちるところまで落ちていた。やけくそになってかける電話ではもはや恐怖を感じさせることはできず、もはやただのイタ電になりつつあった。
そんなある日のこと、私は口裂け女から遊びに行かないかと誘われた。今度の休みに人間界に遊びに行かないかと言われたのだ。
「外出嫌いのあなたは知らないでしょうけど、人間界って娯楽が豊富なのよ」
口裂け女は言った。彼女は好奇心がとても旺盛で、なんでも首を突っ込まないと気が済まない性格をしている。気になるものがあればとりあえず首を突っ込んで、ひたすら楽しみつくす。十分に楽しめたと思えば、次の興味の対象を探す。彼女の性格はとてもさっぱりしていて、特定のものにずっと執着していない。あまり興味の幅が広くなく、またものごとに熱中するという経験の乏しい私などからしてみれば、彼女のような生き方は、なかなかにうらやましいものだ。
そんな口裂け女は最近、人間界にある遊園地にご執心らしい。それで遊園地に一緒に行かないかと誘ってきたというわけだ。
「大きなお世話です。それに人間界なら時々行くから、基本的な娯楽ぐらい知ってますよ」
「じゃあ遊園地に行ったことは?」
「……ないですけど」
私は人間界の遊園地と言うものに行ったことはない。
そもそも興味がなかったし、それに人間の多くはカップルや家族で行くという話だったからだ。
そんなところに私が一人で出かけて行って、何をすればいいというのか。
「だから、一緒に行こうって言ってるのよ。二人で楽しんで、仕事の疲れを癒しましょう」
「でも私、遊園地に何があるのかすら良く知りませんよ」
人間界の遊園地と言うものを思い出してみる。私の乏しい知識で思い出せるのは、よく分からない形の巨大な物体だけだ。どれもこれもやたらと回っていたような気がする。縦でも横でも、やたらに回っていた。それは憶えている。
人間は回転することが好きなのか?
じゃあその場で回っていればいい。
馬鹿みたいだ。
お化け界には遊園地に該当するような施設は存在しない。お化けは多種多様で、人間の形をしているものは案外少ない。この会社の上司(人面犬)など犬の形をしているし、古典的な妖怪の先輩方など、もはや形容のしようのない形のものも多数、存在している。
みんな体の形がばらばらだから、共通で楽しめるような娯楽施設が造りにくいのだろうと、私は考えている。
それにお化けの中には空を飛べるものもいるし、姿かたちを変えることも出来る。かくいう私も、「電話越しに複数回、相手に恐怖を与える」という条件さえ満たせば(最近はそれができていないわけであるが)、通話相手のところに段階的に瞬間移動ができる。
そんな奴らがくるくる乗り物に乗ったところで、何が楽しいというのだろうか。
「心配いらないって。私が教えてあげるから」
口裂け女は言った。
「分かりました。行きましょう」
あまり行きたいとは思わないが、今度の休日に何か予定があるわけでもない。部屋にこもっているよりかは良いかもしれない。
それにたまには、新しい刺激だって必要だ。
「それで、どこの遊園地に行くんですか?」
「この近くに丁度いい遊園地があるのよ。まあまあ大きいし」
私は遊園地についてほとんど知らないから、この辺に遊園地があるなんて知らなかった。どんなところかは分からないが、口裂け女に任せておけば問題ないだろう。
「それで……」
いつ行くのか、と聞こうとしたとき、「ちょっと」と私たちは声をかけられた。
その声はずいぶんと下の方から聞こえた。まるで小型犬が話しかけてきたような位置。
小型犬……。
やばい、と思ったが既に遅かった。私が見下ろした先にいたのは一匹の犬。しかしその首の上には不細工な顔が乗っている。
上司(人面犬)だった。
なんとも形容のしづらい表情をしている。怒っているような、困っているような。それなのに、なぜか少し嬉しそうに見えないこともなかった。
「君たち、今は仕事中だよね」
「すいません」
口裂け女と私はほとんど反射的に謝った。上司(人面犬)は基本的に小言が多い。しかし大声で人を叱るということはない。さっさと適当に謝ってしまうのが得策だと、上司(人面犬)を知る者はみんな心得ている。
「ああ、いや。反省してくれているのならいいんだ」
上司(人面犬)の言葉はいつも以上に弱気だ。まるで私たちを怖がっているかのようだった。
「それで、君たちがさっきまで話してたことなんだけど」
「すいません。仕事とは関係ないことでした」
「いやいや、いいんだそれは。それより、遊園地に行く予定なのか」
私が口裂け女の方を見ると、彼女の方も私の方を見ていた。上司(人面犬)が何を考えているのかが、いまいちわからないのだ。
「いいね、遊園地。ぜひ楽しんできたらいい。私は行ったことがないから、ぜひ話を聞かせてくれ」
言いながら、上司(人面犬)は目をそらした。やっぱり様子が変だ。
口裂け女が私をつついた。彼女は私に囁いた。
「もしかして、遊園地に行きたいんじゃない?」
「……ああ」
そういうことか。
だから遊園地の話をしている私たちに近寄ってきたのか。
別に上司(人面犬)が嫌いなわけではないが、休日まで顔を合わせるというのでは休んでいる気分がしない。できれば断りたかったが、いちおうは上司だし、そういうわけにもいかないのだろう。
「もしよければ、ご一緒にどうですか? 遊園地」
口裂け女が明るい声で言う。彼女のほうは私とは違い、上司(人面犬)が来ることに抵抗はないようだった。やはり彼女と私では、お化けとしての格が違う。
「いや、それは……。別にそういうつもりでは」
上司(人面犬)は顔をそらしたままぶつぶつと呟いていたが、しっぽがぴょこぴょこ動いている。本当は嬉しいのが丸わかりだ。
結局口裂け女の提案を受け入れて、上司(人面犬)は遊園地に同行することを承諾した。自分の机に帰っていくその後ろ姿はなんだか嬉しそうに見えた。
ちょっと気乗りはしないが、まあいいだろう。そんなことを思っていると、口裂け女がこちらを向いた。
「それで、どうしよっか」
「そうですね。いつが良いでしょうか」
「いや、そうじゃなくってさ。どうやって隠そうか」
「隠す?」
何のことだろうと思っていると、口裂け女は言った。
「だから、あの犬の顔をどうやって隠したらいいかな。人面犬のまま連れていくわけにもいけないでしょう?」
そうだ。
その通りだ。
まったく気付かなかった。上司は人面犬だから、身体は犬だが顔は人間なのだ。そのままでは騒ぎになってしまう。お化けの世界には、人間界では考えられないような見た目のお化けがたくさんいるから、上司(人面犬)全然気にしていなかった。
どうしたらいいのだろう。
「まあ、なんとかなるわよ」
楽観主義の口裂け女は、そう言ってケラケラと笑った。