4.「もしもし、私メリーさん。『尻裂けメリーさん』だけは勘弁してください」
河童がはからずも私に痔をカミングアウトしてしまった日は、もう大した成果は出なかった。さすがの口裂け女も責任を感じたのか話しかけてこなかったし、河童も自分の勘違いに顔を赤くしてどこかに行ってしまった。
それからしばらくの間は、何事もなく過ぎた。私の業績不振は相変わらずだったし、上司(人面犬)は相変わらずうるさいし、河童のお尻は調子が悪いようだった。
そこで私は策を考えた。
何も考えずにただ闇雲にやっていたのでは、理想通りの結果など出るはずがない。当たり前のことではあるが、精神的に疲れてしまっていた私はそんなことも考えることができなかった。
成功するお化けに共通するのは、打たれ強さと楽観的な考え方だ。
つまり良い意味での鈍さと言うのが生きていくのには重要と言うわけである。
そんなわけで、人間界で調査をすることにした。調査内容は『メリーさんの電話』の現代日本での知名度と、現在どんなお化けが流行っているかについてだ。私は自分の地位にあぐらをかいて、努力するということを怠ってきた。人間が何を怖がるかを知りもしないで、怖がらせることなどできるわけがないではないか。
私はやる気満々で人間社会に降り立った。
調査をすると言っても、何か特別な方法や技術が必要なわけではない。そもそも人間社会でオカルトが好きな人間と言うのは限られている。特に日本ではオカルト好きと言うと周囲の人間から白い目で見られがちなのだそうだ。
だから道行く人に声をかけてアンケートなどしても無意味である。そんなことをすればあっという間に『頭の弱い可哀そうな女』の出来上がりである。そんな目に合うのは本業の電話だけで十分だ。いや、やっぱり電話も嫌だ。
それに、知らない人間に電話かけまくっておいてなんだが、私は結構な人見知りなのである。だって知らない人に声かけるのって怖いし。
よってこういった調査を最寄りの書店のオカルトコーナーで済まそうという結論になるというのは当然のことであり、またごく自然な結論と言える。
時刻は午後九時。夜間活動型のお化けにとっては、とてもフレッシュで気持ちの良い時間帯である。
私は駅前の本屋に向かった。
なかなか規模の大きな書店だけあって、オカルトコーナーも充実している。目指すのは定期的に刊行されているオカルト系の雑誌と、五百円で買えるような都市伝説系の本である。良識(お化けの私からすれば馬鹿げたものだが)ある一般市民などは、こんな本を買おうとも思わないのだろう。買っている奴だって本当に信じているわけではないだろう。
しかし、だからこれらには価値があるのだ。
誰も信じないというのは、誰も信じられないような内容であるということだ。そして私を含むお化けたちこそ、その誰にも信じられていない連中なのである。
だから、これには真実が混じる余地がある。
良識的な雑誌や本では、私たちの存在はまず削除されてしまう。
とはいえ、やはりガセも多い。この街のお化けは、私がいる会社ですべてまかなっている。お化けにはそれぞれ縄張りがあり、この街を中心とした複数の街は私たちの縄張りなのだ。
だからガセと真実の区別はすぐにつく。この辺りに出没したお化けの記事のうち、私の会社にいないお化けの話が載っていたらそれはまず間違いなくガセである。
調査も仕事の内ではあるのだが、人間界のこういった本を立ち読みするのは案外楽しい。
私はオカルトコーナーにある一つの雑誌を手に取る。とてもマイナーなローカル誌なのだが、制作陣の活動範囲が私たちの活動テリトリーとほぼかぶっているので、自分たちの活動の影響を知るときには非常に役に立つ。
偽情報も多いが、本当の記事だって充実している。知り合いのお化けたちも多数取り上げられていて、なかなか読み応えがある。知り合いや友人が記事になっていると、思わずテンションが上がってしまう。
それにしても記事を読んでいると思う。人間と言うものは私たちの意識している以上に、私たちのことを見ているのだ。もちろんお化けたちはその存在を人間たちに積極的にアピールしているわけなのだが、それでもガセじゃない記事の正確さはなかなか見事なものだ。油断は禁物だ。
私はペラペラとページをめくる。すると真ん中あたりでちらりと『メリー』と言う単語が目に入った。思わず心臓が跳ねる。呼吸を落ち着けてページを戻した。私の目に狂いはなかった。これは『メリーさんの電話』に関する記事だ。
思わずのめり込んで読む。読むにつれて手から嫌な汗が流れるのが分かった。やばいやばいやばい。私の失敗はほとんど取り返しのつかないところまで来ているのかもしれない。動悸が高まり、呼吸が荒くなっていく。目の焦点が徐々に合わなくなっていくのを感じた。
記事はこの間の口裂け女の助け(?)を借りたときの電話について書かれていた。
「メリーさんは不調? メリーさんのお尻事情」
『メリーさんの電話』に新たなる都市伝説が加わろうとしている。メリーさんは最近、痔に苦しんでいる可能性が出てきたのだ。事の起こりはおよそ二か月前のことになる。我々制作メンバーの自宅に、一本の不審な電話がかかってきた。番号は非通知。我々は仕事柄、怪しげな情報を収集することが多いため、非通知の電話を取ることにも抵抗は少ない。電話を取った私は受話器から聞こえる声に思わず震えた。
その電話の主は、誰であろうメリーさんだったのだ。もちろんイタズラ電話の可能性も否定できない。しかし私は感じたのだ。電話越しに感じられる邪悪な気配を。「間違いない、これは本物のメリーさんの電話だ」と私は確信した。
メリーさんは少女の幽霊である。電話の声はメリーさんにしてはやや老けているような感じがした。声は言った。
「もしもし、私メリーさん」
そのセリフに私は恐怖を感じるが、その後の台詞はあまりにも意外だった。
「今、お尻が痛いの。相談に乗ってくれる?」
私は茫然としていたと思う。メリーさんから相談を持ちかけられるとは思わなかったのだ。よく分からないまま、私は彼女の相談を受けることにした。メリーさんの話を聞くと、どうやら彼女は痔になってしまっているようだった。それからおよそ二時間にわたってメリーさんの相談に乗ることになった。
最終的に二時間もの相談を延々したメリーさんは、明るい声でお礼を言って電話を切ってしまった。メリーさんの電話が一回で終わるわけがない。私はそう思って引き続き電話を待っていたが、結局電話が鳴ることなかった。
今回の電話が、本当にメリーさんからのものであるとは限らない。しかしあれは本物のメリーさんだという、妙な確信が私にはある。今後も引き続き調査を続行していく予定である。動きがあれば、また報告する。もし読者の中になにか情報を持っている人間がいたら、些細なことでも良いから連絡してほしい。
記事はここまでで終わっていた。記事自体はとても小さく、ほとんど雑記のようなものだった。しかし、私の怒りを増幅させるのには十分だった。
「ん~!」
さすがにここは書店で、周りには人間がいる。叫ぶことを我慢すると代わりに変な声がでた。
ひどい捏造記事だ。口裂け女が演じたメリーさんは、すぐに電話を切った。というか私が無理やり切らせた。だから二時間も相談に乗ってもらったなんて事実はどこにも存在しない。
もう怒った。こいつを絶対許さない。私の怒りは頂点に達していた。記事の最後には会社の電話番号が乗っている。私はこいつに電話することにする。本気の私の恐ろしさを思い知らせてやる。今でこそパッとしないが、私は泣く子も黙るメリーさんだ。電話さえあれば私に怖いものはない。
電話番号を確認する。良かった、携帯電話じゃない。携帯電話じゃないのならば完璧だ。興味本位で私を誹謗中傷する記事(しかもでたらめ記事だ)を書いた償いをさせてやる。
携帯電話を取り出すと書かれているボタンを押す。すぐに呼び出し音が鳴り始めた。
さあ、泣いて許しを乞え! 私の力に恐れおののくがいい!
私を怒らせた今日がお前の命日になるのだ!
しばらくすると、電話口から声が聞こえてきた。
「ただいま留守にしております。御用のある方は、ピーッと言う音の後にご用件を……」