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3.「もしもし、私メリーさん。『口裂けメリーさん』って呼ぶのはやめてください」

「いやあ、ごめんごめん。つい、ね」

 口裂け女は笑いながら謝ったが、私にしてみれば笑い事では済まない。

「あれはいくらなんでもひどいですよ。大体電話なのにマスク取ったって相手に見えるわけないじゃないですか」

「身体が勝手に動いちゃったんだよねえ。いや申し訳ない」

「だとしてもですよ。これでメリーさんの口が裂けてるなんて噂が立ったらどうするんですか。『口裂けメリーさん』なんてまっぴら御免ですよ」

「癖が出ちゃったんだよ。なんたって持ちネタだからね」

 口裂け女は少しだけ胸を張って見せる。私は何だか脱力してしまった。まあ私も『メリーさんの電話』を始めてから長い。

 だからその気持ちは分かる。

 やってしまったことは仕方がないとして、さてどうするべきか。

「大丈夫よ。今度はまかしておいて」

 口裂け女はあくまでやる気満々だ。せっかく手伝ってもらっているのに、水を差すのもなんだか悪い気がした。

 今度はうまくやってくれるだろうし。

「よし、じゃあ今度はどれにしようかな……。あ、これはどう?」

 口裂け女は電話帳の一部を指さす。そこには赤い線が引いてあった。例の宗教家の家だ。

「そこは駄目です。宗教をしつこく勧められました」

「それはうざいわね。じゃあ……これは?」

「そこもちょっと……。おじいさんの一人暮らしなんですけど、耳が遠いんです。何回も聞き返されます」

「うーん、難しいわね」

 口裂け女は電話帳を見ながらぼやいた。

「これは?」

「配達ピザの店です」

「ここは?」

「宗教施設です」

「これでどうだ!」

「闇金ですよ、それ」

「ああもう!」

 口裂け女は電話帳を投げ出した。

「あんた普段どんなところに電話してんのよ」

「携帯電話が普及してからは、あまり役に立たないんですよね」

「まあいいわ、今度こそ。これはどう?」

 口裂け女の示した電話番号は私の知らないものだった。

「良いんじゃないですか?」

 ようやく次の標的を決めた口裂け女は電話をかけ始める。二回目の失敗は無いだろうから、私はある意味安心していた。

 数回のコール音の後、電話がつながる。

「もしもし、私メリーさん。ねえ、私ってキレ……」

 口裂け女はそこまで言って固まった。また癖が出てきたのをとっさにこらえたのだ。私がハラハラしながら頑張れ頑張れとエールを送っていると、口裂け女は一呼吸おいて「ジ」と言った。

「もしもし、私メリーさん。ねえ、私ってキレ……ジ」

「もしもし、私メリーさん。ねえ、私ってキレジ」

「もしもし、私メリーさん。ねえ、私って切れ痔」

 私の脳内でセリフが漢字にきれいに変換された。衝動的に口裂け女から受話器を取り上げて通話を終了する。人面犬(上司)がビクッとして私の方を見た。

「ちょっとおおお!」

 思わず口裂け女に詰め寄る。

 さすがの口裂け女も私の剣幕に気まずそうだ。私の方を見ると「つい、ね」と小さく呟いた。

「ついじゃないですよ。どっからジが出てきたんですか」

「いやまあ、キレイって言いそうになって。こらえたら出ちゃった」

「メリーさんが痔持ちだと思われたらどうするんですか!」

「え? あなた痔なの?」

「違いますよ! 誤解されたらどうするのかって話ですよ」

 私は頭を抱えた。口裂け女に協力を仰いだおかげで、なんだか取り返しのつかないことになっている気がした。

「ついに私痔になっちゃったじゃないですか! どうしてくれるんですか。口もお尻も裂けたメリーさんなんて悲惨すぎるでしょう!」

「いやあ、ある意味怖いかもよ」

「怖すぎます! 口の裂けた痔持ちのメリーさんなんて怖すぎます!」

 私はよろよろと歩きながら、自分のデスクに戻った。口裂け女は何か言いたそうにしていたが、無視した。彼女がわざとやったわけではないということは理解していたが、少しだけ一人にしておいてほしかった。

 しばらく落ち込んでいると、肩を叩かれた。

 顔を上げると河童が私を見つめていた。

「あんまり気にしない方がいいよ。誰にだって悩みはあるものなんだから」

 河童はそう言って同情の眼差しで私を見た。

 『河童』と言う妖怪を知らない人は、日本にはいないのではないか。河童の知名度はそのくらい高い。

 子供ほどの身の丈しかなく、緑色のその皮膚は常にぬめっている。口にはくちばし、背中には甲羅、手足には水掻き。それだけでも異様だが、なんといっても一番の特徴は、頭頂部にあるその皿だ。この皿が渇いてしまうと、河童は力を失うとされている。その言い伝えが本当かどうかは知らないが、河童の皿が渇いているところを私は見たことがないので、嘘ではない気がした。

 趣味、相撲と川泳ぎ。

 好きな食べ物、キュウリ、川魚。

 たまに人間の尻子玉を抜くとかなんとか(尻子玉ってなによ?)。

 噂では肛門が三つあるとかないとか(確かめたわけではないので分からない)。

 河童の中には全身が毛で覆われたタイプもいるらしいのだが、私はまだそのタイプには出会ったことはない。

 私に声をかけたこの河童は、この会社で働いている唯一の河童だ。彼以外の河童に知り合いはいなかった。

 河童は日本古来の妖怪だけあって、物腰や言動も丁寧だ。どこかのなんちゃら裂け女とは大違いだと、私は口裂け女に向かって心の中で毒づいた。

 河童の目にあるのはあくまでも慈愛の心で、私を慰めようとしているのが分かった。

「ありがとうございます。気を使っていただいて」

「いろいろ大変そうだけど、ぼくだってそうさ。なかなかうまくはいかないよね」

 妖怪変化の大先輩であるところの河童だって苦労はしているようだ。そう考えると気が楽になった。彼の励ましに私は心が温かくなっていくのを感じた。

「なかなか難しいの?」

「そうですね。最近は特に苦しいです」

「簡単にあきらめたらだめだよ。一番大事なのはとにかく根気だからね」

「そういうものなんですか?」

「そういうものさ。一日やそこらで成果が出るなんて思ったらいけないよ。それこそ何週間も何か月もかかって、努力していかなければね」

 私とはキャリアが桁違いの(こちらは二十数年だが、あちらは何百年だ)先輩からの言葉には、何とも言えない重みが感じられる。

 河童の言葉に力強く頷く私を見て、河童はにっこりと笑った。

「だからメリーさんも頑張ってね、痔の治療。ぼくも治療、頑張るから」

 そこに至って私は河童がとんでもない勘違いをしていることに気付いた。

 私は思わず叫んだ。

「痔の話じゃないです!」

 その日、私は河童が痔だと知った。


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