2.「もしもし、私メリーさん。実は私、窓際族なの」
私は目覚めた。カーテンを開けると、日が沈みかけていた。
今日も心地の良い夜になりそうだ。
身支度を整えてから、出勤する。私の会社には服装に関して特別な決まりはないので、今日は真っ白なワンピースを選択した。
やっぱりお化けと言えばこれだ。私は髪も長いしスレンダーな体型をしているので、顔を隠してそこらに佇んでいるだけでかなり人間を怖がらせることができるだろう。それだけでもぼちぼちいけそうな気はするのだが、やっぱり私は『メリーさんの電話』でやっていきたい。
しかしそれはなかなか難しいことだ。ただ頑張れば成果が出るわけではない。
きちんとした成果を出したければ、考えなければならない。
とりあえず今日は同僚の口裂け女に協力を仰ごうと考えた。
会社に出勤するともうすでにほとんどのお化けは来ていて働き始めている。最近のお化け業界はどこも不景気なので、みんな頑張っているのだ。私も負けてはいられない。
さっそく私は口裂け女のデスクへと向かう。
口裂け女は机に座って本を読んでいた。
余談だが、お化けの多くは人間を驚かすためにメイクをしている。この会社には交通事故で死んだままお化けになった奴がいるのだが、そいつは毎日血のりを顔に塗りたくって出かけていく。
「そんな本物の血なんて流れるわけないじゃないか。死んでるんだから」
享年四十歳のナイスミドルである交通事故男(仮名)は笑いながらいつも盛大に血のりを塗りたくっていた。彼はいつも車(もちろん人間界のものではない)に乗って彼が事故を起こしたトンネル付近に待機している。そして車が通ると、その車に併走し血まみれの顔を向けて脅かすというわけだ。
そんな彼のデスクは口裂け女の隣なのだが、既に出かけてしまったのかいなくなっていた。交通事故男(仮名)は最近業績が良いらしく、ずいぶん儲けているらしい。この間などはベンツっぽい車を買ったと自慢していた。
「あの」
私は口裂け女に声をかける。私の声に口裂け女は呼んでいる本を閉じると(どうやらケータイ小説らしかったが、私は携帯電話が嫌いなのでよく分からなかった)こちらを向いた。口裂け女がターゲットとしているのは主に小学生だ。七十年代の終わりごろ、日本の小学生たちを恐怖のズンドコに叩き落とした張本人である。
怪談『口裂け女』。
あまりと言えば、あまりにも有名な怪談だ。
知名度という点で言えばおそらく『メリーさんの電話』を上回るだろう。
その内容と言えばこうだ。
学校が終わり、子供たち(そのほとんどは小学生だ)が帰宅を始める時間帯。
少年が道を歩いていると、一人の女が道に立っている。その女は真っ赤な服を着ていて、少年からはその背中しか見えない。少年はその姿に少し不穏なものを感じるが、無視して通り過ぎようとする。
その女のわきを通り過ぎる時に、女に肩をつかまれる。その力は想像以上に強い。
女はゆっくりとこちらを振り向いた。顔にはとても大きなマスクをしていて、顔の下半分がほとんど覆われてしまっている。
少年は強い恐怖を感じ、自分の身体がこわばるのを感じる。女は少年に向かって言う。
「ねえ。アタシきれい?」
この人を怒らせてはいけない。そう直感した少年はとっさに「きれいです」と答える。それを聞いた女はマスクに手をやり、それを取ってしまう。
「これでもぉ?」
女の口は耳まで裂けていた。
要約するとこんなところだろうか。
ちなみにこの話にはいくつかバリエーションがあり、口裂け女はこの後、大きな鋏を振りかざして追いかけてくるとか、鋏で子供の口を切り裂いてしまうとか、とにかくさまざまだ。
しかし彼女に話を聞いてみると、そんなことをした記憶はないという。
「噂ってやつよ。私は裂けた口を見せるところで終わってたんだから。話に尾ひれがついちゃってるの。迷惑な話よねぇ」
ちなみに都市伝説の通り、ポマードは嫌いなのだそうだ。だって臭いじゃん、と口裂け女は顔をしかめていた。
そしてまったくの余談であるが、女の子よりも男の子の方が口裂け女を見たという人が多い。男の子を重点的に狙っているのはやはり口裂け女の趣味なのか。まあいい。人間の法律などお化けには関係ない話だ。存分にやればいいさ。
とは言え、彼女もそれ以来すっかり世間をにぎわせることはなくなった。
彼女が話題になったのは一九八〇年前後で、当時二十歳だった口裂け女も既に五十路に突入である。世知辛い話だ。
しかしそこは口裂け女。かつて整形手術を失敗して口が裂けてしまっただけはある。整形手術が大好きな彼女はそれを最大限利用して現在でも若々しい姿を保っている。少なくとも五メートルも離れれば、年齢はばれないに違いない。
彼女は現在では『口裂け女』としてではなく、『道路に佇んでいる長髪の女の幽霊』として頑張っている。心霊ビデオなどでおなじみの、白い服を着て顔を伏せているあの女だ。あれらの中の、とくに顔を見せる必要がないものに関しての多くは口裂け女がやっている。
『口裂け女』としての活動も続けているのだが、年齢がばれるのを気にしてあまり積極的な仕事は出来ていないらしい。
それにやはり口裂け女は既に時代遅れなのだ。「なんか今更ハズいじゃん?」というのは口裂け女の談である。
さて話が長くなった。話を戻そう。私に声をかけられた口裂け女はこちらを見てほほ笑んだ。今日はマスクをしているので、それほど不気味ではなかった。
「どうしたの?」
「いや、ちょっと相談したいことがあるんだけど」
「ふうん。何?」
「ここじゃちょっと……。向こうで話できない?」
できればあまり他人に見られたくはない。特に上司(人面犬)には。仕事をしている様子のない私たちのことを既に上司(人面犬)は気にしていて、注意したそうにこちらを見ていた。
「分かったわ」
私が上司(人面犬)を気にしていることに気付いた口裂け女は、私を廊下に連れ出した。ここなら声も届くことはないだろう。
私は、自分がスランプに陥っていることと、口裂け女の協力を煽りたいということを簡潔に説明した。協力が得られるか不安だったが、話を聞き終えた口裂け女はドンと自分の胸を叩くと「まかしときなさい!」と元気よく言った。
「もう、水臭いねえ。悩んでんならさっさと相談しなさいよ」
口裂け女の声を聞きながら、私は相談して本当に良かったと思った。やはり仲間と言うのは大切なものだ。
「じゃあ、さっそく始めましょう。私がメリーさんの代わりに電話してあげるわ。怖い声には自信があるんだから」
子供を脅かすのが大得意の口裂け女は自分のデスクに戻ると、嬉々として電話帳をめくり始めた。私が後ろから見ていると、彼女は手を止めた。どうやらターゲットを決めたようだ。
口裂け女は受話器を上げると、ボタンをプッシュした。自信に満ちたその動作を私は頼もしく感じる。か弱い少女の声ではないが、口裂け女の声には迫力がある。これはこれで相手を怖がらせることができるはずだ。数回のコール音が鳴った後、電話がつながった。口裂け女は私をちらりと見ると「まかしといて」と小さな声で言った。
「もしもし、私メリーさん。ねえ、私ってキレイ?」
私は自分の耳を疑った。今、なんつった? キレ……え?
軽く混乱している私に口裂け女は気付くこともない。
「あらそうぅ?」
口裂け女はそう言うと、もったいぶった仕草でマスクを取って見せた。そしてニタリと笑って「これでもぉ?」と言った。受話器に向かって……。
私は思わず天を仰いだ。